第110話 海神との取引
海神シーミンターネス……。
『いかにも。私はシーミンターネス。ついでに言うと……そこの馬鹿神、デゼルグイエットの実の姉です』
実の姉……神にも血縁関係はあるんだな。
それとも、神というのは全員、血縁関係にある一つの一族なのか? 神族、神一家……?
『あなたの問いにいちいち答える時間はないので、割愛させていただきます。単刀直入に言います。デゼルグイエットを返してください』
「なぜ? 仕掛けてきたのはデゼルだ。……そして、返り討ちにした。殺されても文句はないと思うんだが」
そう。私たちの目的はあくまで、海龍エルゲレンだった。
こいつはついで。まあ、黒幕の討伐という意味では、こいつが本丸になる。
「まさか、弟だから許してやってくれ……なんて言わないよな?」
『…………まあ、それも一部ありますが……。【海の荒神】が今消えると、こちらとしてはいろいろ困るのです』
「どう困るというんだ? まさか、それも「時間がないから割愛」か?」
『わかっていただけているようで嬉しいです。……わかったのならデゼルを、神具と一緒に海に返してください』
……………こいつの言うことがすべて、嘘である可能性も残されているんだよな。
相手の波長も見えない。
相手の顔も、体の一部すら見えない。
声の震えも見られない。むしろ、めちゃくちゃ安定していて機械的。
「デゼル……」
『お前の好きなようにするといい。だが、今私が死ねば、海は……………』
「嘘は吐いていないな?」
『ああ。神の世界は複雑なんだ。話せないけどな』
ふむ……。
もう一度デゼルを倒せ、と言われれば……次もまた勝てる確率は…………五割もない。
もちろん、今の状態のままで、という前提の上での話。
そうだな……。
早くて一か月。遅くても半年。
この期間、アルティナと神力の修行に励めば……勝率は上がる。
私自身が神力に目覚めれば話は早いが……アルティナの神力量を増やす方が速い。元の持ち主はアルティナなわけだし。
そのためには、結局、私が強くならないといけない。
私のレベルが上がれば、それだけアルティナの格も上がる仕組みだからな。
だが、人の強さは数値化して見ることができない。
結局は修練あるのみ。
それと、アルティナと〈合体〉した状態で時間を過ごす時間を増やせば……私の中の神力も増えるかもしれないな。
話を戻そう。
結論として、今ここでデゼルを解放するのは少々、危険だということだ。
だが、シーミンターネスを名乗るこの声の裏には、わずかな感情を感じる。
あくまで声からの判断だから正確な感情は読み取れないが……敵意か?
私と敵対することも辞さない覚悟のような、強い意志のようなものが言葉の底に感じる。
声だけだが、デゼルの態度から考えても、デゼルより強い。
デゼルには数珠があった。実力は大したことなかったがな。
ただ、神力が加わってから、私が一気に劣勢となった。
私たちの神力が大したことなかったからだ。今も大して変わらない。
つまり、今の私ではもうこいつには勝てない。
魔力と気、神力を激しく損傷しているしな。……まあ、満タンまで回復していても勝てるかどうかは怪しい。
あくまで、勝利を収めることができたのは、私が神力を手にする前にそこそこ削っていたおかげだ。
しかし、ここでこいつ……シーミンターネスを敵に回すのは良くないと、私の勘が告げている。
私の勘は当たる方だ。いつだって、勘に従ってきた。
ギャンブラー、と人は言うけどな。それで構わない。違ってたら違ってた……だ。
「…………ふんっ。まあいい」
私はネックレスと数珠、ローブのセットを海に投げ入れた。
『ありがとうございます、レスク・エヴァンテール』
「よく言う。何が何でも私にこうさせるつもりだったんだろう?」
『そうしたいのはやまやまですが、今の私にはそこまでの強制力はありませんよ。今は少々、事情がありましてね』
「……そうか」
深読みのしすぎだったか……。
ただ、まあ……今はってことだったし、少々の事情で済ませている程度だ。
大したことはないのだろう。ウェルダル海域から出られないとか、どこぞの海底に固定されているとかか?
ってかこの取引、私の取り分がないじゃないか!
……まあいい。シーミンターネスとの良好な関係の第一歩をリターンと見なそう。
ないようなものだがな!
『ありがとうございました。おかげで平穏は保たれました』
「そうかい。なら精々、恩を忘れずにいてくれ」
『ふふっ……』
ふわーー……と、何かの気配が霧散するのを感じた。
これがシーミンターネスか。確かにこの気配は、神力のそれだ。
神力だけを飛ばし、私たちの神力に干渉したって感じか。器用だな。
てっきり〈念話〉の神力版と思っていたんだが……完全に神力だけだな。
やはり、ただ単に、神力に思念を乗せていた、という感じ……か。
「すまないな、アルグレット。お前が魔界に帰るには、時間を待つしかなくなった」
「いいわよ、別に。あの意識もなく、自由もない時間よりと比べるとね」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。代わりに、お前の身の安全は保障させてもらう」
「ええ、よろしくお願いするわ」
仕方ない。乗り掛かった舟だ。利用価値もある。
ただ、表立っての保護は難しい。
悪魔という存在が忌避されているこの世界で、悪魔の保護は……評判が悪い。
完全に隠しきるしかない、か……。
会長に任せられるか?
王女を介して王家に直談判……は甘えすぎか。
ワーグナーを頼るのはもっと甘えだ。
いや、会長を頼るのも甘えか。
「仕方ない、一度戻るとしよう。アルグレット、これを着ていろ。その黒いのさえ見られなければ、悪魔だとバレないだろ?」
「ええ、そうね。多分、だけど」
「……ならなおさらだ。私の魔力と気で誤魔化せる」
私はコートを脱ぎ、アルグレットに渡した。
私の魔力と気を込めているし、ある程度なら誤魔化せるはずだ。
悪魔を見分ける方法は、今のところ、体にできた黒い痣と呪いを使えるか否か、その血を摂取して何かあるかないか。
そうそうバレなそうではある。
念の為、王女と会長には話しておくとしよう。
「――〈全体転移〉」
私はアルグレットと共に、ウェルダル海岸に転移した。
この後、二人から説教を食らう羽目になったのは……また別の話。
後日談? あるわけないだろ。
私が大して歳も変わらない女二人に怒られている話なんて、誰が聞きたいんだ。
……いたら来い。