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紅茶と茶菓子の準備を進めているエルフリートに向け、レオンハルトは丁寧に菓子を遠慮してきた。そっか、もうすぐ夕ご飯だっけ。私もやめておこうっと。
エルフリートは茶菓子をカートへ戻し、紅茶を注ぐ。とぷとぷとかわいらしい音と共に良い香りが部屋へ広がった。
「はい、飲み物だけね」
「うん。ありがとう」
そうしてエルフリートとレオンハルトは束の間であるが、ゆっくりとした時間を過ごすのだった。
夕食は騎士や技師が滞在している為、ホールでの夜会形式になっていた。夜会と言っても王都によくあるような格式張ったものではなく、もっと簡素でざっくばらんな会である。
いわゆる、飲み会みたいな。
「フリーデは飲まないのか?」
「うーん、みんなが困った事にならないように監視したいから飲まなーい!」
そもそも、エルフリーデはまだ未成年だ。飲めるわけがない。まあ、かく言うエルフリートもぎりぎり未成年なわけだが。
「まあ、我らが臨時の隊長殿は特にお若いからなっ!」
「うん……そういう君も、若いと思うよ」
オズモンドはいったいどういう性格をしているんだろう。お調子者、と一言で片付けるには違和感がある。エルフリートは不思議な部下を見て、小さく笑った。
「フリーデ、あんまりそうやってみんなと仲良くしないでよ……」
「レオン?」
ずしっと肩に重みがかかったと思えば、レオンハルトの頭だった。エルフリートは彼からかすかに香る酒精を感じて、どうしてこんな時に! と、口にしそうになった。
しかし、である。反省中のレオンハルトがそんな失態を自らするとは思い難い。
「ちょっとぉ……飲んじゃったの? 後で領主へ書類を渡す役目を負っているのに?」
「飲んだというか、飲まされたというか……だまされた」
「あー……」
レオンハルトの言葉に、エルフリートは天井に頭を向けた。悪ふざけをしそうなメンバーは、多い。誰がやったのかを追求するよりも、レオンハルトの酔いを醒ました方が良さそうだ。
エルフリートはそっとレオンハルトに向けて魔法を使った。
「慈しみの女神よ、平常を取り戻せ」
体調不良を改善させるそれは、レオンハルトをそっと癒す。厳密に言えば、回復系ではない。精神魔法の一つであった。
「ん……ありがとう」
「どういたしまして。あとできついと思うから、それは覚悟しておいてね」
エルフリートの言葉にレオンハルトはこくこくと頷いてみてるが、彼がエルフリートの言っている事を本当の意味で理解するのは深夜頃になるだろう。
謝罪時に酩酊状態とか、笑えないもんねぇ。エルフリートは宴会のような食事会を楽しむ一方で、その後の一仕事に不安を覚えるのだった。
それから。見積書を持ったエルフリートは、レオンハルトを連れて領主の書斎へと足を踏み入れた。本来ならば執務室や客間で行うやりとりだが、今回は異例の対応である。
「ちゃんと書類はあったようだな」
「私、これでもあなたの後継ですよ」
女装はしているが、女になりたいわけではない。妖精のような見た目を目指しているだけである。
「まあ……それはそうだな。受け取ろう」
アーノルドは苦笑し、エルフリートが差し出した書類を受け取った。それほど多くはない項目を確認し、小さく頷いてみせる。
「第三案、見積予想はどうなっている?」
「第二案の見積に近い金額となる見込みです」
アーノルドの問いにいち早く答えたのはレオンハルトだった。早速調教したか、とアーノルドが視線でエルフリートをからかってくる。
視線がうるさいなぁ、もう。私だってちゃんとやるんだってば。
「……なるほど。予算的に組みやすい金額で収まるというわけか。考えやすいのは良い事だ」
「あとは、今回の調査を加味して再計算し、どれくらいのずれが発生するか……ですね」
「その見込みは?」
「調査の結果を確認していないので何も言えません」
「それはそうだ。回答が的確でよろしい」
試すような質問に、エルフリートは首筋がちりつくような緊張感を覚える。エルフリートが勉強を怠っていなかったか、確認しているのかもしれない。
「カルケレニクス辺境伯。我々騎士団は、今回の工事を戦略的に重要であると位置づけております。多少予算がずれようとも、本件を前向きに検討していただけると助かります」
エルフリートは騎士として父親に接する。が、アーノルドの返事は分かり切っていた。
「大丈夫だ。そのあたりは気にしていない」
「ですよねぇ」
カルケレニクスは意外と裕福だ。自給自足が成り立つ為に物価は安く、しかしここだけで生み出される工芸品を外へ売り出す為に領の収入はそこそこ安定している。
必要以上に華美なものを購入する事さえしなければ、財産は増える一方である。
「詰めが甘いぞ、エルフリート」
「父上こそ。今の私はエルフリーデですわ」
エルフリートの軽口にアーノルドが指摘し、それをまたエルフリートがやり返す。小さくふざけ合った二人は、どちらともなく笑い出した。
「はは、フリーデ。私が気にするのは金銭面ではなく安全面だ。誰かが犠牲になるような工事はごめんだからな。そのあたり、しっかりと詰めてくれれば良い」
「分かっておりますよ。私も誰かが悲しむ姿は見たくありませんから」
そういう命のやりとりは戦争だけで十分だ。エルフリートは心の中でそっと付け足すのだった。