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母親の愛情たっぷりマッサージのおかげだろうか。エルフリートはすっきりとした目覚めを迎えていた。足は普段以上に軽やかで、崖の上まで駆け上っていけそうだ。腕も軽いし、手指のこわばりもまったくない。
ここまですっきりしていると、気分まで良くなってくる。親方との打ち合わせもうまくいきそうな来さえしていた。
「うん。なんとかなる。なんとかしちゃう」
エルフリートはそう自分に言い聞かせてから、ベッドを出るのだった。いつも以上に丁寧に身支度を整える。色気で人をたらし込もうという気はないが、やはり見た目は綺麗な方が良いに決まっている。
あんまり華やかすぎるのは、職人さんからするとあまり良い気はしないだろう。エルフリートはとにかく自然な美しさを目指す事にした。
保湿は念入りにして、しっとりとしたら余分な油分を取る。それから化粧を施していく。粉はつけすぎないように、軽くはたくだけ。目元はさりげなく。濃い色から薄い色への組み合わせで、濃い色の境界線が主張しすぎないように、自然なぼけ具合に。
目尻はきゅっと弧を描いて、たれ目を主張しつつも好奇心強めに。眉毛は、普段よりもややぽってりと。目を強くしたから、眉毛はまろやかにしてバランスを取る。
「良い感じ」
エルフリートは鏡に映る己の顔を見て、満足げに頷いた。やる気に満ちあふれつつも優しそうな雰囲気の顔が、そこにはあった。騎士団の制服やコートに身を包むと、一気にお堅い雰囲気が加わる。
お嬢様らしい雰囲気が身を潜め、女性騎士らしい凛とした空気が醸し出される。最後に、適当に三つ編みをしていた髪の毛を綺麗に編み込みし直せば完成だ。
「女性騎士エルフリーデ。ちゃんと女の子に見える。うん。綺麗で可愛い女の子」
微笑んだり、笑顔を作ったり、一通りの表情を確認し、納得したエルフリートは朝食、そこから先の打ち合わせという名の戦いに向けて出陣するのだった。
カルケレニクス領の食事は朝から豪華だ。肉体労働が多いのだから、そうなるのも納得だ。食用肉の一部は畜産だが、半分近くは狩猟で賄っているというのも大きい。狩りを領兵としての訓練代わりにする場合も多い。
結果として、熟成肉の在庫がすごいのだ。
熟成肉は塩抜きせずにそのまま料理へ使う。その代わり、調味料としての塩の使用機会は少ない。
慣れるまでは、この塩気のバランスに対して好意的な反応を得られない事もしばしば。
だが、この工事に参加しているメンバーは誰も塩を取ってくれとは言わない。何か、嬉しいよね。
エルフリートは黙々と食べる親方の目の前に座り、その様子をにこにことしながら見つめていた。話しかけるタイミングを見計らっているだけだが、地元の料理を景気よく食べる姿を見るのは、それだけで幸せな時間である。
王都から離れているせいもある。こうした時間は滅多に取れないのだ。エルフリートはデザートの桃をのんびりと食べながら過ごしている。親方も桃にフォークを刺した。
そろそろ話しかけても良いだろう。
「親方さん」
「ああ、何か話があるんだろう?」
「よくお分かりで」
「ずっと目の前で待たれていたら、さすがに察するわい」
まあ、そうだよね。エルフリートは頷いた。親方――ドニ――はあちこちの危険な地域の工事をメインに行っているらしい。エルフリートは副総長のケリーから、かなりの経験者だと聞かされていた。
年齢もそこそこ上だ。父アーノルドよりも上だろうが、そんな事を感じさせないくらいに足腰が頑丈である姿を昨日、存分に見せつけられたばかりであった。
「相談があって」
「ふむ?」
「作業中に崖から落ちそうになった騎士がいて、やっぱり崖から転落するのを防止する為のものが必要だなと思ったの」
「なるほどな……」
甘い桃を楽しむように口の中で転がした彼は、嬉しそうに笑み、そして口を開いた。
「工程数が少なく、追加する備品のない低コストな柵――がほしい、と?」
「そうなの!」
さすが! 話が早い。エルフリートはぱちん、と両手の平を合わせて喜びを表した。嬉しい。
エルフリートは、ここぞとばかりに自分の悩みを吐き出した。
「柵を高くすると冬に壁になってしまうから、だめ。壁になると、暗くなっちゃうでしょ。そしたら明かり代がかかっちゃう。
柵が低くしたり柵の間隔をあけて壁にならないようにしても、意味ないし」
要は、さじ加減が難しいのだ。
「柵の形を変えれば解決しそうな気がするがのう」
「形……?」
「そうだ。今、エルフリーデ嬢は棒を縦に刺しただけの柵を考えているのでしょうな」
「うん」
それ以外の柵の形などあるのだろうか? エルフリートは首を傾げた。
「アーチ状にすれば、解決するように思えるんだがね」
試してみないと分からないが、とつけ足すドニだったが、心強い事に変わりない。エルフリートは楽しみでたまらなかった。
「検証! しましょう!!!」
エルフリートは椅子の音が立つのも構わず、立ち上がった。そんなエルフリートの事を注意するような素振りを見せず、ドニは嬉しそうに笑むのだった。