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9

 小瓶とタオル。すぐにピンと来た。オイルマッサージである。母親の意図に気づいたエルフリートは両手を突き出して大きく頭を振った。


「お母さま、それはちょっと!」

「あら?」


 アデラはタオルを応接スペースのテーブルへ置き、フットレストの位置を調整している。ベッドの上でのオイルマッサージかと思いこんでいたエルフリートは、彼女の動作に疑問を抱いていたが、最初に浮かんだ案に対する反応が口をついて出ていってしまう。


「親子とはいえ異性なのですから配慮というも――」

「誰が全身マッサージすると言ったかしら」


 ぴしゃりとエルフリートの発言を否定したアデラが振り返る。その顔には大きな呆れが。


「いくら私でもそこまではやってあげられないわ。足と手に決まっているでしょう」

「え?」


 アデラは優秀な貴族の女である。辺境泊と結婚しなければ、王女の侍女を務めていただろう。王女の侍女となるべく教育も受けていたアデラは、ひと通りの侍女仕事を習得していた。

 彼女の能力は疑うべくもない。辺境伯夫人として、この屋敷を仕切っている手腕を見れば分かる。

 今日だって、工事関係者の受け入れをこなして大変だったはずなのに。エルフリートの事を労おうとしている。


「私がフットマッサージの準備をしているのが、見えないのかしら?」


 からかうような口調だが、その表情は穏やかで優しい。慣れない仕事をこなしている自分の子供への愛情を感じさせる。

 彼女はフットレストに持ってきていたタオルの一枚をかけて、汚れないように保護した。


「あなた、ずいぶんと大きくなってしまったのだもの。全身をマッサージするには、この小瓶じゃ足りないわ」


 くすくすと笑うアデラが「ほら、どうぞ」と椅子を示す。

 アデラに座るように示されたエルフリートは、おとなしく椅子に腰かけ、タオルが敷かれたフットレストに右足を乗せる。

 床に置いたクッションの上に座った彼女は、手のひらにオイルを出して、手になじませた。


「始めるわよ。痛かったら早く教えてね」

「はぁい」


 アデラの手のひらで温められたオイルがエルフリートの足に塗られていく。温めてきたのか、アデラの手はほかほかとしていて、触れられているだけでもほっとする。

 膝のあたりまでオイルを伸ばし終えた手が、優しく膝裏を刺激する。そうして始まったマッサージはとても心地よい。

 足の裏はもちろん、足指までしっかりと揉まれている。


 エルフリートは絶妙な力加減で揉んでくる母親の妙義に、ほう、と息を吐いた。揉まれる場所のどこもが、ごりごりとしている。足の裏は特にそうだ。

 アデラが「あらあら、本当にお疲れ様ね」などと言いながら指圧を強めてくる。痛気持ちいい。


「フリーデ」

「何ですか?」


 そういえば、母親とこうしてゆっくり過ごすのは久しぶりだ。エルフリートはまどろみそうになるのを耐えて返事した。


「ちゃんと休んでいるのかしら?」

「え?」

「あなたの体、公務でくたくたになった王女様みたいだわ」


 何その例え方。エルフリートは頭の中に遠い過去、王族のお茶会に招かれた時の事を思い出す。煌びやかな王女様。優雅な生活だけを見れば、くたくたになるという言葉に違和感を覚える人間もいるだろう。

 だが、実際はそうではない。彼女たちは想像以上に忙しい日々を送っている。


 女性騎士団の人数が増えれば、いずれは王女の護衛を、と打診されていたから知っている。王女というものは、王子とは違った意味で気の抜けない職業であった。

 スケジュールを聞いた時、聞き間違いかと思ったもん。そんな彼女と同じ疲労度合いだと言われると、どっと疲れが押し寄せてくるようだ。

 エルフリートは「そっかぁ……」と上の空で返事をし、うたた寝してしまうのだった。




「あまりやりすぎると、それはそれで明日に響いてしまうから、ほどほどにしておくわね」

「……あれ?」


 いつの間にかマッサージされている足は左に変わり、全身がぽかぽかとしていていた。あくびを一つこぼしたエルフリートは、必死に瞬きを繰り返して眠気を飛ばす。

 エルフリートのそんな姿を見てアデラが小さく笑った。

 彼女は魔法で蒸しタオルを作り、エルフリートの足を丁寧に拭いていく。指先や指の間まで、抜け目なく拭いてくれる。

 多少の拭き残しがあっても気にしないのに。まるで、自分が本物のお姫様になったみたいだ。


 大切にされている事を強く実感すると、忙しいからと実家戻ってきているにも関わらず、会いに行きもしなかった自分の親不孝ぶりを後悔した。

 顔を見せにいかなかったから、こうやって時間を取ってくれたのだろう。


「お母さま」

「なぁに?」

「……ありがとう」

「ふふ……どういたしまして」


 仕事の事や、結婚式の準備でしか話しかけなかった。今回の工事に至っては、挨拶しかできていなかった。

 普段遠い場所で生活しているのだから、近くにいる時くらい、自分が孝行すべきだったのに。目元に水気が集まってきてしまい、慌ててそれを引っ込める。


「お母さま、あのね……今日はぐっすり眠れそう! 今度は私がマッサージしてあげる」

「あら、楽しみにしているわ」


 ごめんなさい、と言ってしまいそうになったエルフリートは、なんとか笑顔でそれを誤魔化すのだった。

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