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エルフリートが実家の門をくぐった時には日が落ちようとしていた。予定通り、ぎりぎりの到着である。比較的整えられているが、所詮は森の中。足下はあまりよくはない。
道中、転倒した技師が騎士に運ばれる事になるというちょっとした事故はあったが、それ以外はおおむね問題なくやり過ごせた。
「おかえりなさいませ、エルフリーデ様」
「うん。ただいま、久しぶり。元気そうでなにより」
「アーノルド様がお待ちでございます」
騎士や建築関係者を背後に控え、堂々と帰宅したエルフリートを、懐かしい面々が出迎えた。エルフリートの事をエルフリーデとして対応してくれる事にありがたく思いながら、頷いてみせる。
すっと執事長が前に出てきた。小さく礼をする彼に、会釈を返す。
「ラーシュ、彼らを頼むわね」
「お任せください、お嬢様」
ラーシュに任せておけば、安心である。エルフリートは父親が待つ応接室へと向かうのだった。
扉を開ければ、見慣れた景色が広がっていた。
「来たかフリーデ。お疲れさま。ここに座りなさい」
「お父様、ただ今戻りました。崖登りをして汚れているので、このままで良いです」
とんとん、とソファーを叩いたアーノルドに隣へ座るよう案内されたエルフリートだったが、首を横に振って遠慮する。
「身支度を整えてからでも良かったが」
「いえ、それだと遅くなるので」
エルフリートはアーノルドの隣ではなく、レオンハルトの背後に立った。彼の後ろで話を聞く姿勢をとるエルフリートの姿に苦笑し、アーノルドは魔法を行使した。
「賢神よ、秘匿されし空間を編みたまえ」
ふわりと心地よい魔力の風が広がっていくのが分かる。エルフリートはエルフリーデの仮面を外した。
「レオ、父上とどこまで話を進めた?」
「道の整備予定について、稟議の詳細を。カルケレニクス領の要望と一部、異なる設計になる可能性があるから、そのあたりを重点的に話したよ」
「おおむねは彼の言う通りだ。それに対して、私は理解したと伝えたところだな」
カルケレニクス領の要望はトンネル化である。カルケレニクス領の領民は例の魔法でこの道を自由に行き来できるが、非常時にここを通るのはカルケレニクス領民ではない。騎士団員である。
騎士団員に必ずカルケレニクス領民がいるとは限らないし、この規模の魔法を移動の為だけに行使するのは魔力がもったいない。
トンネル化の要望が通らなくとも、道が広がるだけでありがたい話だから、と多くは望まない姿勢だったはずだから、アーノルドの反応は予想通りだった。
「フェーデ。半トンネルだと言うが、雪はどのくらいしのげる予測になっている?」
「柵を作らなければ、普通に埋もれますね。頑丈な柵を作れば、そこに雪がたまって天然の壁になる設計です。うまくいかない場合は、次の期でトンネル内に魔法具を埋め込む対応をします」
エルフリートは説明を続ける。
「カルケレニクス領民の誰かが魔力を込めるだけなので、難しい話ではありません。もちろん魔法具の費用は国の負担ですから、悪い話ではないです」
「なるほど」
本来の主旨は“道を広げる事”である。一見簡単そうなのが、崖を丸ごと削って道を広げる方法である。次の候補が、トンネルを作る方法。そして、場合によって検討されるのが、半トンネルの方法であった。
これらは、削らなければならない崖の高さやその地質などで総合的に評価する必要がある。
崖はかなり高く、全てを吹き抜けのように切り出す事は簡単ではない。そして、トンネルは地質次第では可能だが、崖の内部を掘り進める為、労力がかかる。
そこで、第三の方法として新たに検討案に加わったのが、半トンネルである。柵が固定できるだけの頑丈さがあるかによって、可能かどうかが分かれるものの、トンネルを作るよりは遙かに労力がかからない。
「お前が大丈夫だと思うなら、その案を採用しよう――と、言いたいところだが、手抜きをせずにしっかりと検討させていただくよ」
「そうしていただけると助かります」
カルケレニクス領の領主は朗らかに笑うと、エルフリートに向けて書類をひらひらとさせた。
「ところで、それぞれの見積もりが提示されていないのだが、これはどういう事だ?」
アーノルドは氷の微笑をエルフリートに向けてきた。いたずらを叱られた時以来のその表情に、エルフリートはぎくりとした。
でも、私は何もしてない……よね? エルフリートが首を傾げる。レオンハルトを見下ろせば、彼は微動だにしない。あまり会話に入ってこないけど、割り込む必要がないからだと思ってた……。
エルフリートは得心した。
「レオンハルト? 説明が必要なんだけど」
「…………第三の候補が上がった関係で再見積もりになったまま、見積もりが間に合いませんでした」
「本当は?」
「第一第二、だけでも持ってくるべきでしたが失念しました」
なるほど、三つ揃わないのなら不要だと思ったわけか。エルフリートはレオンハルトのつむじをつついた。
「……父上、うちの部下が失礼しました。控えを持参していたと思いますので、確認して早急に提出します。もし、見つからなければ――コレが取りに戻りますのでご心配なく」
「そうか。それなら安心だ。頼んだよ」
「はい」
エルフリートは後でレオンハルトを問い質す事にして、アーノルドからの追求をやり過ごすのだった。