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方向音痴って、そういう感じだったっけ。エルフリートの戸惑いを感じているのはオズモンドもよく分かっているらしい。エルフリートの様子を見てゆっくりと頷いた彼は、リカルドに声をかけた。
「さっきの再現できたりしないか? もう一度作業やってみろよ」
「え?」
「大丈夫だって。今度は落ちる前にちゃんと助けてやるから」
「……そうか? それならいいけどさ」
同じ事を再現できる自信があるのだろうか。オズモンドとリカルドの会話を不思議に思いながら、エルフリートは待った。
リカルドは道路の壁面に戻り、研磨を始めた。その動きはエルフリートがレオンハルトの方へいく前に見ていたものと同じである。いや、彼が見ていた時よりもはるかに効率も手際も良いように見える。
普通ならばこのまま問題なく作業が続くのだろう。オズモンドに視線を向けると、その気配に気づいた彼が見返してくる。そして、小さく苦笑した。
「たぶん、集中しすぎてしまうんだろうな。だから、自分が作業している場所が壁なのか、それとも地面なのか分からなくなる」
「ふぅん……?」
オズモンドの言う事は、分かるような分からないような。一点に集中していたとしても、その周囲についての認識能力がおかしくなった事のないエルフリートには想像するのが難しい。
順調に作業を続ける男の姿が視界に入る。リカルドはちゃんと壁を研磨している。うん。まだ大丈夫みたい。
「自分から見える部分しか認識できないって言えば良いのか。そこから先に何があるのか想像する余裕もないらしいんだよな」
「それはずいぶんとすごい集中度だね」
集中している時に話しかけられたら、どうなっちゃうんだろう。無視するのかな、ちゃんとそこは問題ないのかな。
「フリーデ」
オズモンドに名前を呼ばれ、エルフリートは再び視線を彼に向ける。
「この道路って、崖側に落下防止の柵とかは作らないのか?」
「今のところは。トンネルみたいにくり抜く事になったから、天候の悪い日は無茶はしないんじゃないかなって。あとは普通に予算の関係」
「あぁ……」
道幅のほとんどが崖をくり抜いた部分になる。柵を設けて安全にすると、暗くなってしまう。となれば、魔法具で明かりを用意しなければならない。
どんどん予算が上がっていく。欲に天井なし、とはこういう事なのではないだろうか。いや、欲じゃないんだけどさぁ。
「くり抜くのを諦めて、丸ごと崖を削り落とす案もあったんだけど、結局くり抜く方が安全だっていう事が分かったんだよねぇ。いずれにしろ、雪崩とか想定外の漏水とかの不安があるから、崖の上の点検が必要だったけど」
「作業の安全性を取ったのか」
オズモンドの言い方は、柵がない事に対して納得がいっていないという意思表示に感じられる。エルフリートはそれに感づきつつも頷いた。
「うん」
「やっぱり柵、必要かな?」
「低いのでも、ないよりはある方が良いんじゃないか?」
低くても良い、か。エルフリートは工事の追加、作業工程の変更について思考を巡らせる。工程数が少ない作業なら、騎士も作業を手伝っている事だし、やれるんじゃないかな。絶対大丈夫、という自信はない。でも、提案をしてみる価値はある。
何より、実際に作業をしている騎士が落下しかけたのだ。……たとえ、それが作業監督のミスが原因ではなく、本人の特性が原因だったとしても。
「良い案あったりする?」
指摘してくるのなら、何か考えがあるはずだ。エルフリートの問いに対して、オズモンドは小さく唸ってから口を開いた。説明しにくいのかな。
「良い案ってほどじゃないけどな。とにかく、崖があるって事を認識させたいな。ほら、ぶつかって柵を乗り越えたとか、そういうのは別の話としてさ」
なるほど。柵として完璧じゃなくても良いのか。
「まあ、道路の部分が広いんだから、柵にぶつかっても崖から落ちないくらいの距離をかせげば解決するとは思うが」
「うーん、そうすると道の幅が狭くなっちゃうんじゃないかな。どうだろう。とりあえず、そこまで考慮できるかは別として相談してみるね」
オズモンドとこんな風にまじめな話をするようになるとは思わなかったなー。あとで親方に相談する内容まとめなきゃ。
「お、フリーデ。見てみろよ、あれ」
「え……えぇ……?」
オズモンドが指で示した先には、壁面を磨いていたはずのリカルドが地面すれすれの壁を磨いている姿があった。ぎりぎり壁面だけし、確かにそこも研磨する範囲だけど……。さっきの事を考えると、何かが起きそうな感じがする。
エルフリートはその様子をじっと見つめた。彼は真剣な眼差しで磨き続けている。徐々に磨いている場所が移動していく。が、様子がおかしい。
地面に向けて移動しきったら、今度は天井に向けて上に移動させながら磨いていくのが普通だ。しかし、リカルドは磨く方向を変える事なく、そのまま地面に向かった。
「え……そうなるのぉ!?」
「だから言ったろ」
エルフリートが驚いている間に、リカルドは地面を磨き始めていた。