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暗黒期の間はもちろん、降雪している間、カルケレニクス領の通路拡張工事は見送るしかない。が、この期間にやっておかなければならない事がたくさんある。
工事の実施に向けて綿密な打ち合わせを行い、つつがなく工事が実施されるようにしなければならない。それだけではない。
マロリーとアントニオの結婚式もあるし、ロスヴィータに任せきりにしていた騎士学校の運営補助や女性騎士団の騎士育成、普段の騎士としての仕事も行っていかなければならないのだ。
――ということで、多忙になるはずだったのだが。エルフリートは思ったよりも忙しくない事に気づいてしまった。
「……あれ?」
「どうした?」
「あ、ううん何でもない」
ぽつりと吐き出された声に反応したロスヴィータに向け、エルフリートは小さく首を振る。そうか、と顔を正面に戻した彼女を視界の端に捉えつつ、前に向いたまま姿勢を正した。
今はマロリーの結婚式に参列している最中である。エルフリートはサンプル用に作っていたレース編みを使ったドレスを身にまとい、一件シンプルながらも華やかさのある姿で新婦側の椅子に座っている。
同僚の幸せな一日、それも一大イベント中に、どうしてそんな事に気づいてしまったのか。エルフリートは落ち着かない気分の中、思考に耽る。
王都にいくつかある教会の内、マロリーとアントニオは最古の教会で式を挙げる。王族もこの教会――エレクティオ大聖堂――で挙式を行う為、一番人気である。
エレクティオ大聖堂は元々神殿だった。神々が去った後、神に仕える者たちが集まる場所となって教会化したのだと言われているが、本当のところは定かではない。
グリュップ王国が建国した時には既に教会として存在していたせいか、原典となる資料が発見されていないのだ。神殿だった時の作法なども残っていないのだから、この建造物が他の教会と構造が違うという点以外に、ここが神殿だったのだと証明するものは存在していないと言えるだろう。
エレクティオ大聖堂の各所にはめ込まれたガラスは季節や時間によって降ってくる光の色や模様が変わる。他の教会には見られない、特別仕様である。
エルフリートがロスヴィータから聞かされた秘密の裏話では、魔法具でも再現できない、不思議な職人技術で作られており、今はめられているガラスが壊れたら復元できないのだそうだ。
話を聞いたエルフリートは心の中で「絶対、この大聖堂の近くでは大立ち回りしない!」と、強く誓ったものだ。
特にエルフリートは、その気になればこの大聖堂を破壊する事ができるだけの魔力を持っている。治安維持の為にがんばったはずが――という事もあり得なくはない。少なくとも、絶対にないとは言い切れない。
「やはり、いつもと違うように思うが……何かあるのではないか?」
「えっ、あはは。そんな事ないよ?」
ロスヴィータがちらりと視線を向けてくる。エルフリートは笑いながらごまかした。同僚の結婚式に、そんな物騒な事を考えていると知られたら、呆れられてしまう。
「緊張しているのか?」
「え?」
想定外の言葉に驚いたエルフリートがロスヴィータの方へ顔を向ければ、彼女は微笑んでいた。その目にガラスの光が当たって普段と違う輝きを見せていて、更にエルフリートが映り込んでいる。
「マリンの晴れ姿も楽しみだが、着飾ったあなたがいずれ同じように歩くのだろうと考えると、それはそれで不思議な感慨深さがあるな」
「ロス……?」
「何だ、今後の自分の事を考えていたわけではないのか?」
エルフリートはロスヴィータの言葉に瞬いた。どうやらロスヴィータは、エルフリートが自分たちの結婚式について考え込んでいるのだと思っていたらしい。
一瞬の内に、脳内にスーツを衣装を身につけた王子様然としたロスヴィータと共に歩くドレス姿の自分が浮かんだ。
「ロス、かっこいいだろうなぁ……」
髪の毛をいつものように一束に簡単にまとめているのも良いし、一部の髪を編み込みにして華やかにしても良い。さわやかな風が吹く中で微笑まれでもしたら、感激しすぎて卒倒してしまうかもしれない。
「……私はドレスを着る予定なのだが」
「そ、そうだよね! ロスもドレス着るんだったね!」
こくこくと頷いて同意する。ロスヴィータの視線から、違う事を考えていたんだな、というのがばれてしまっているのが分かる。
「――で、いったい何を考えていたんだ?」
「……この大聖堂の近くでは暴れたくないな、って」
「くく……その話か」
エルフリートの発言から、どうしてそんな話になったのか理解したロスヴィータが笑いの衝動を耐えるように口を押さえている。
「笑ったわね?」
「いや、ふふ……分かるよ、その気持ち。できるからこそ不安になるんだろう」
職業病だな、と付け足した彼女に、そうかもしれないなと思う。
「普通は壊してしまう可能性について考えないものだ。まあ、あなたの能力なら、大聖堂を守りつつ戦う事くらい難しくないだろう」
「……たぶんね」
自身なさげに頷いたエルフリートを見て、ロスヴィータが小さく吹き出した。
2024.7.1 誤字修正