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たいして時間を必要とせず、雪のない景色が現れた事に驚いた数人が崖へ駆け寄った。測量士までその中に入っている。珍しい光景に違いないが、そこまで驚かれるとは思ってもみなかった。
「あ、まだ冷えてないかもしれないから気を付け――」
「あちっ!?」
「あ、遅かった」
先にこれについても伝えておくべきだったかも。でも、手袋をつけたまま触れば良いのにねぇ。なぜかわざわざ素手で崖に触れる測量士の姿に、エルフリートは苦笑する。
はしゃぐ彼らを見守っていると、すっと真横に戻ってきたマロリーが崖を指さした。
「あれ、魔法が使えるカルケレニクス領民なら、誰にでもできるの?」
「できるよぉー」
「すごいわね……全員魔法師にでもなるつもり?」
言われてみれば、これ自体を別の場所で再現しようとしたら難しい。だが、エルフリートが知る限り、全員が魔法師になれるような実力者というわけではなかった。
「それがね、そこまで能力なくても、できちゃうんだ」
「え?」
驚くマロリーに、カルケレニクス領民について説明する。
「カルケレニクス領民には、火を灯すのもやっとっていう人もいるよ。でも、この道だけはあの規模の魔法が使えちゃうの」
「フリーデ……それは、とても興味深いわ。もしかして、あの独特な詠唱に通じる話なの?」
「うん。その通り」
好奇心の浮かぶ彼女に、エルフリートは説明した。
「こういう不思議な事が起きるから、カルケレニクス領の人が使う魔法は祈りなんだよ。土地神様っていうのかな。
別にいる場所に関係なくその言葉で魔法が使えるから、この表現が合っているかは微妙なんだけど、とにかく魔法を使いたい時に神様に祈る文化はここからきてるんだと思う」
エルフリートは遠くにうっすらと見える真っ黒い岩を指さした。
「向こうに到着してからゆっくり見てもらいたいんだけど、この道を渡りきった先に、大きな岩があるの。たぶん、それのせいだと思う」
「黒い? ぼやけてよく分からないから、あとで現物を見せてもらうわ。で、それがどうして魔法を強化するの?」
マロリーは目を輝かせている。そうだった。結婚の準備期間に出張を命じるしかなく、その事ばかり気にしていてすっかり忘れていたが、マロリーは魔法の研究が好きなのだった。
「あれは、神様が作った岩だって言われているの。マリン、ここのおとぎ話は覚えてる?」
もちろんよ、と答えるマロリーにエルフリートは続けた。
「妖精さんが閉じこめられた岩があれだよ。神様が作った岩に、妖精さんが閉じこめられて暗黒期が始まるの」
「……ますます興味深いわ」
ああ、完全に研究者モードになっちゃった。このままだと何もせずに一人で道を渡って向こう側に行きかねない。見てる分にはおもしろいけど、測量できる状態になったから、そっちを優先しないとね。
「うん。ちゃんと解説するから、まずはお仕事しようねぇ……」
ゆるい笑みを浮かべてエルフリートが言うと、すっと表情を引き締めたマロリーが「何を言い出すのか」とでも言いたげな視線を向けてくる。
「それくらい分かってます、ボールドウィン副団長」
「よろしく頼むわね、副団長補佐殿」
何だかちょっと納得いかない……まあ、いっか。
それから、測量士の指示でエルフリートたちは何度も道を往復し、計測の手伝いに従事する。灼熱で雪を溶かした直後の崖を素手で触るという、お茶目な一面を持つ彼だったが、測量士としての能力は本物だった。
彼とバディを組んでいるらしい建築技師から、無茶な指示が出た。
「……崖の上も細かく調べたい?」
「そうなんだ。道を広げるにあたって、切り出しても崩れたりしないか確認したくって」
言いたいことは、何となく分かる。エルフリートだって、工事中に事故が起きないようにしたい。しかし、エルフリートの領主となる為に一通り勉強した記憶を思い返す限り、測量とは関係ないはずだ。
「でも、それを確認するのは測量じゃないよね。地面の強さを見るしかないと思うんだけど……」
「測量ではないね。だけど、今やってしまえば安心だし安全だ。予算には、ちゃんと組み込んであるはずだ。工事の直前にやるより、今やっておいて対策を考える時間を作っても悪くはないだろう?」
エルフリートはこれからのスケジュールを考える。測量ついでに調査ができれば、確かに後が安心である。ただ、この崖を登るのが……。エルフリートはかなりの高さを持つ崖を見上げた。
「崖、簡単に登れると思ってる?」
「簡単ではないだろうけど、でも騎士ならできそうだなって」
天然の要塞になっているだけあって、この崖は高い。準備なしに登ろうとすれば、死者が出る。
「……登れそうなメンバーが少ないんだけど」
「それはちょうど良い。登れなさそうなメンバーには引き続き測量を頑張ってもらえば良い」
測量に励む部下を背景に、エルフリートは眉根を寄せる。
「…………本気?」
「もちろんだ。ちゃんとやってほしいことをまとめた紙も持ってきている」
ほら、と渡された資料を見たエルフリートは、盛大なため息を吐いた。かなり詳細な調査をしようとしているのが分かる。
安全の為には、いつかはやらないといけない調査だった。
「やらせていただきます。カルケレニクス領の為に」
「頼むよ!」
効率を求めるあまり、こちらの危険や緊張も考えていなそうな威勢の良い声が響いた。