12
ぐったりとしたロスヴィータが執務室に戻ると、疲労感を隠そうともしないバルティルデの姿があった。
「戻った。バティ、大丈夫か?」
「あー……うん。あたしの事は気にしないで。ロスの方こそ大丈夫かい? あんたも相当疲れた顔してるよ」
苦笑を向けられたロスヴィータは、バルティルデに向けて曖昧な笑みを返す。確かに、ロスヴィータは疲れていた。
「精神的なものだから大丈夫だ。結婚後の事を両親に心配されてな……」
「それだけで突然の訪問かい? まあ、親にとっては――特に、貴族としては、重要な話か。お疲れさん」
書類の山を整え、バルティルデが渡してくる。
「これが今日明日中に済ませた方が良い、とあたしが判断した書類。確認頼むわ」
「相変わらず仕事が早くてすばらしい」
「書類は職業柄、そこそこできるもんでね。苦手は苦手だけど」
元傭兵のバルティルデが書類を読む力をつけたのは、命がかかっているからである。傭兵が生きて仕事を終え、大金を得る事ができるかは、依頼内容の精査と契約書の確認に左右される。
どんなに依頼内容が楽そうに見えても、契約書の内容次第では断る事もあるそうだ。
バルティルデは苦手だと事あるごとに主張してくるが、苦手さを感じさせないクオリティで提出してくる。今回も上出来であった。
「バティ、ありがとう」
「どういたしまして」
「この書類を進める間、あなたは休憩してくれ。お茶にするなり、体を動かしてくるなり、ご自由に」
ロスヴィータが労いがてら休憩に出るよう指示すれば、彼女は小さく笑った。
「んじゃ、ちょっくら男どもと遊んでくるわ」
「ほどほどにしないと、騎士団を抜けられてしまう。心優しい彼らはあれで繊細だぞ」
元傭兵のバルティルデは強い。体格に恵まれているとは言っても女性である。そう思って甘くみた騎士は瞬殺される事になる。
それはそうだ。経験が違う。彼女は命のやり取りをして生き残り続けた猛者なのだから。
バルティルデを馬鹿にしてくるような騎士は、自業自得かもしれないが、そういう者ばかりではない。相手が女性だからと気後れしてしまう優しすぎる騎士もいる。そういう彼らまでバルティルデは吹き飛ばしてしまう。
「まぁ、気をつけるよ」
バルティルデはひらひらと手を振ってくるりと背を向ける。髪が暴れないように厳重に紐で括られた長い髪がバルティルデの動きに合わせて揺れた。
「今日は何人倒せるか、楽しみだよ」
「はは、絶対に分かってない……」
バルティルデの機嫌の良い呟きにロスヴィータは苦笑したが、きっとこの声も彼女には届いていないだろう。
「……自主退団する騎士が出ないと良いのだがな」
ロスヴィータはバルティルデの気晴らしに付き合わせられる誰かを心配しながら、作業に取りかかるのだった。
バルティルデの仕事は雑だが、重要なポイントは押さえている。効率よく書類を処理し終えたロスヴィータは、急ぎの案件だけが集められた束を見た。
理想は分類までしてくれる事だが、本来、バルティルデの仕事ではない。女性騎士団の方にも、そろそろ事務処理メインの騎士を募集しても良いかもしれないな、と思う。
他者を守る為の最低限の実力は必要だが、騎士団が採用しているような補佐官のシステムが欲しい。少なくとも、数多くの書類を処理しなければならないロスヴィータやエルフリートには、補佐官をつけたいところである。
現状、ロスヴィータの補佐官としての役割をエルフリートが担っている。そしてエルフリートがいない時はバルティルデが代わりに行っている。
だが、それは「ロスヴィータの手が回らないから」とエルフリートが厚意でやってくれていて、その姿をバルティルデが見習っているからである。
バルティルデの中では、エルフリートが女性騎士団を卒業した後のことを見据えて、積極的にまねして動いているだけだろうが。
バルティルデは契約書を見る目は鍛えられているが、普通の書類に関しては、まだ素人である。どんな流れでその書類が処理されていくのか、そういった事を覚えたばかりなのだ。
書類関係は騎士の訓練の合間に処理するしかない。そのせいか、なかなか身につかない。訓練時間を短くしたいが、部下の育成を考えれば、そうそう減らす事はできなかった。
「書類の扱いが、得意な人間……は、エルフリーデしか思い浮かばないな。だが、現状では絶対に頼んではいけない人物だ」
兄の身代わりをしている少女が頭に浮かび、ロスヴィータはふるふると頭を振った。それではエルフリーデが二人になってしまう。それだけは駄目だ。
エルフリートが戻ってきたら、補佐官の話をしてみよう。もしかしたら、良い案を出してくれるかもしれない。
彼が戻ってくるまで、あとひと月近くある。向こうは測量の結果を元に、辺境伯と話を詰めている頃だろうか。測量の結果が悪くなく、話がスムーズに進んでいると良い。
ロスヴィータはカルケレニクス領で頑張っているであろうエルフリートに向け、心の中で応援の言葉を向けるのだった。