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新しい期がやってきた。ロスヴィータはいつも隣にいる存在がいない事を寂しがる余裕もなく過ごしていた。
「ロス、少し休んだら?」
「……ああ、まあ、そうなんだが、終わらなくてな」
「悪いね。あたしの能力が不足しているせいで」
ロスヴィータは申し訳なさそうに苦笑するバルティルデに向けて首を横に振った。
「いや、いずれはやれるようになってもらうさ。そもそも、フリーデのレベルが違うんだ。あれと同じ能力は望んでいない。それに、だいぶ良くなったと思うが」
最初の頃は、ほとんどと言って良いほど事務処理に関する知識がなかった。さすがに傭兵をしていただけあって、契約書に関するものへの知識だけはかなりのものだったが。
女性騎士団は国が運営する組織である。お役所仕事特有の面倒な手続きもやらねばならないのだ。経費、出張、訓練、騎士団としての活動に関わる全てに許可がいる。
それらを一朝一夕で覚える事は難しい。
ロスヴィータがこの仕事を難なくこなせるのは、ロスヴィータ自身が女性騎士団の団長になるべく勉強をしてきたからである。そしてエルフリートの方は領主になるべく勉強をしてきたから、その知識を転用しているだけだ。
土台のないバルティルデがやろうと思ってすぐにできるようになるほど簡単なものではなかった。
「……そうかい?」
「地頭は悪くないんだ。あとは経験だけだ」
疑い深い彼女にロスヴィータは苦笑する。自分の能力を過信せずに見ているのだろうが、もう少し自信を持っても良いだろうに。
バルティルデの目の前に書類をひらひらと揺らす。
「さぁ、この案件はどう処理するのが良いか、私に教えてくれ」
「……スパルタだなぁ」
「何事も、実際に動いてみないとな。フリーデがいる今しか、こんなにゆっくりと仕事できないぞ」
本当に無理だったらこんな事をしない。ロスヴィータは小さく笑ってバルティルデの回答を待つのだった。
「結婚式の準備で忙しいのに、ごめんねぇ……」
「……仕事だから仕方ないわ。それに、暗黒期が始まるまでに仕事を終えれば、式にはじゅうぶん間に合うわ」
冬の気配が届き始めた王都と違い、カルケレニクス領は既に冬である。しっかりと防寒具を身につけたエルフリートは唯一の通り道を目の前に、マロリーへ何度目になるか分からない謝罪をした。
マロリーの結婚式の日取りを聞いた直後にこれである。マロリーも、その婚約者であるアントニオも騎士だ。任務に関しての考えは同じ方向を向いているはずだ。
だが、それを理由に結婚式の準備などの都合をないがしろにして良いわけがない。つい、エルフリートが謝罪したくなってしまうのも仕方のない事だった。
マロリーがうんざりとした顔で対応するようになってきたから、いい加減やめた方が良いのではないか……と思わなくもない。怒られる前にやめた方が良いかも、うん。エルフリートは周囲から「やりすぎ」と言われる事を思い出してちょっとだけ反省するのだった。
「それで、この状況からどうやって計測するの?」
マロリーが両腕を広げて崖を示す。通り道として使っているそこは、すっかり雪に埋もれていた。
確かに、ここの移動方法を知らない人間からすれば「この場所からカルケレニクス領に入る行為自体が不可能」だと思うだろう。
「雪を落とすところからだねぇ……」
でも、いつもよりも積雪しているかも。エルフリートは通り道に積もる雪を見て魔法の強さを計算する。
「そもそも、こんなに積もってて、どうやって移動していたのよ」
「そんなに難しくないよ。でも、気をつけないと死んじゃうの」
カルケレニクス領の人間で魔法が使える人間のほとんどが身につけている魔法を思い浮かべながら簡単に説明すると、マロリーの顔が歪んだ。
「……は? 死ぬ?」
「うん。でも大丈夫だよぉー! 今回は私がやるから」
エルフリートの言葉にギョッとしたマロリーに続き、連れてきていた測量士や女性騎士団のメンバーからどよめきが上がった。
「危ないから、下がってね」
エルフリートの一言で、全員がエルフリートから離れる。
「……そんなに離れなくて良いんだけど」
あからさまな警戒具合に苦笑しつつ、エルフリートは彼らに背を向けた。
「我らが神よ、賢神よ、故郷への道標を作りたまえ」
エルフリートは崖周辺の雪が消失する姿を思い浮かべる。雪崩が起きないように崖の上に積もっている雪の一部を氷結させて固定し、他は雪のない景色になるまで雪を溶かす。
それを成し遂げる為の複雑で巨大な炎を生み出した。
「我らは妖精が守りし地の民、賢神に導かれし民、我らの祈りは帰路となる」
エルフリートが生み出した炎は崖を舐めるようにしてカルケレニクス領へ向かって流れ、カルケレニクス領の入口に到達するなりかき消えた。
炎がおさまった後に現れたのは、雪が積もっていたとは思えない、からっとした地表の崖と切り出された細い道であった。