陰中の陽、陽中の陰
俺達が店内の机に座るとすぐに、店員らしき女性が机にお冷が三つ置かれた。天照は、置かれたお冷を仮面から口を出し、コップの水を流し込んみ、空のコップを机に置いた。店員は、空のコップを回収して、厨房に帰っていった。
「そちー、水を十杯頼むなー。」
天照は恥も知らずに、そう言い放った。
「アホ、飲み過ぎだ。無料だからって、大量に頼む卑しい真似はするな。
すいません。一杯ずつで大丈夫です。」
俺は店員に軽く頭を下げて、天照をいさめた。天照は怪訝そうにしていたが、俺の睨む顔で、諦めたように、そっぽを向いた。俺はすねた天照の机の前にお店のお品書きを差し出した。
「別に金には困ってないから、自由に頼めばいい。」
天照は仮面越しからも伝わる笑顔で、両手を挙げて、喜んでいた。
「じゃあ、お茶十杯とうどんとそばとトカゲの尻尾焼きを一つずつとみたらし団子を五本で。」
「トカゲ?」
月読が不思議そうにそう呟いた。
「お前もトカゲの尻尾焼きを食べたいのか?じゃあ、トカゲの尻尾焼きもう一つとうどんもう一つでお願いします。」
「いや、そうじゃなくて、トカゲってあのトカゲ?」
「トカゲって、あのトカゲだろ。」
「えっ、珍味の肉的なこと?」
「珍味も何も、肉と言えば、トカゲだろう。」
「いや、肉と言えば、牛とか猪とかじゃないのかな。」
「牛と猪?そりゃ、そんな肉を食べることができるなら、食べてみたいが、無理だろう。」
「無理って、牛と猪を殺して、死体をさばいて、食べればいいんじゃないの。」
「そちは馬鹿じゃのう。殺してしまえば、肉体は残らぬであろう。」
「えっ……。」
「なぜか驚いているみたいだが、それで驚いているお前に驚いているぞ。
死んだら、何も残らない。誰でも知っている常識だろう。」
「でも、僕は死んだ人を見てきたけれど、死体は残っていたよ。
……そう言えば、熊襲組の奴は跡形もなく消えていたような……。」
「はあ、多分だが、お前の言う死んだって思っている奴は、生きていたんだよ。
死んだら、肉体が消える。だから、牛や猪の肉を食べようとしても、肉を削いだら、死んでしまって、肉体が消えるだろう。
だから、肉を削いでも死なないトカゲの肉しか食べることができないんだよ。」
月読は混乱している様子で、衝撃を受けていた。やはり、月読はろくな教育を受けていないな。死人の肉体が残る世界なんて、作り話でしか聞いたことがない。
もし、そんな世界が存在したのなら……
「それなら、もう一つ不思議に思っていたことがあるんだよ。
確か、陰陽師の力の源は、二つの物事の間にある力を自由自在に扱うことだったよね。でも、僕は、君みたいに、右と左の両方を使うことはできなくて、光の力しか使うことしかできないんだよ。これってどういうこと?」
「それは、陰中の陽、陽中の陰だな。」
「インチュウ?幼虫?」
「陰中の陽、陽中の陰だ。前に説明した通り、陰陽師は、二つの相反する物事を区別する太極と言う力を自由自在に扱うことのできる人間だ。しかし、時々、太極の力が大き過ぎる場合、一人の陰陽師では扱いきれないことがある。
その時はどうなるかと言うと、相反する二つを二人の人間に分けるんだ。例えば、俺の右と左の太極の場合、俺が右を、お前が左を担当するみたいなことだ。
ただ、この時、一人で二つの物事を担当する場合と二人で二つの物事を担当する場合では大きく違う点がある。二人で担当した場合は、一人で担当した場合のように、二人とも太極の力を使うことはできないんだ。
そもそも、陰陽師が能力を使うと言うことは、相反する二つの物事を持つことで、その間にある太極の力を自由自在に扱うことなんだ。だから、二人で相反する二つの物事を分け合えば、その間にある太極の力を扱うことはできないと言うことになる。
しかしだ。陰陽道の考え方には、さっき言った陰中の陽、陽中の陰と言うものがある。これは、陰の中にも陽があり、陽の中にも陰があると言うことで、例え、太極で区切られた二つの物事だとしても、その二つの物事の中には、それぞれ真逆の性質を持つものがあると言うことだ。
まあ、簡単に言うと、例え、二つの相反する物事を二人に分けた場合でも、区別された物事の中の区別しきれなかった物事の間にある太極を少しだけ使うことができると言うことだ。その二人は少しだけ太極の力を使うことができると言うことだ。
それじゃあ、お前はどういうことかと言うと、陰と陽の陰陽師ではなく、陽の陰陽師だから、すぐに太極を使えなくなるんだ。」
月読は頭をかきながら、言われたことを理解しようとしていた。
「取り合えず、詳しいことは分からないけど、僕は普通の陰陽師と違って、燃料切れするってことでいい?」
「まあ、そういうことでいい。」
「お勉強は終わりましたか?」
店員は俺たちの会話が終わることをお盆に料理をたくさん持って、待っていた。俺は軽く会釈すると、店員は両手に持ったお盆から料理を置いていった。流石にあの量の料理を運ぶことはできなかったようで、俺と月読の分と天照のお茶十杯しか持ってきていなかった。
月読はトカゲの肉を見て戸惑っていたが、意を決して、トカゲの肉を一口食べると、目を見開いて、うなづいた。そのまま、肉にがっついていた。どうやら、美味しかったようだ。天照はその月読を見て、頬を膨らませ、机をたたいた。
「お嬢ちゃん、今、うちの人が料理作っているから、もう少し待っててね。そのお面、お父さんに買ってもらって、良かったねえ。」
俺は一瞬意味を考えた。
「こいつは俺の子供じゃないですから!」
「あら、ごめんなさい。どちらもあなたの子供じゃないの?」
「違いますよ。昨日、出会った二人ですよ。」
俺は手と首をぶんぶんと振って、全力で否定した。確かに、この二人は子供みたいに見えることは見えるが、それよりも俺がそんなに老けて見えることが衝撃的だった。
「なら、相当相性がいいわね。家族みたいよ。」
店員はクスクスと笑っていた。
「こらこら。口を動かさず、手を動かしてくれよ。
……すまんな、お嬢ちゃん。待たせちまって、しっかり食べな。」
女の店員の後ろから料理人のような身長の高い男が大きなお盆に大量の料理を乗せて、お盆から机の上に一つずつ置いていった。
「やったー、美味そうー。」
天照は仮面を口が見えるようにずらして、箸を持ち、近くにあったうどんを勢いよくすすった。
「美味しいー!」
一応、顔半分出ていても、そっちの人格なんだな。
「いやー、今日初めてのお客さんだったから、ついつい話をしちゃった。」
「まあ、確かに、繁盛していないから、別に話し込んでもいいんだが……
お客さんは大丈夫なんですか。昨日、出雲組と熊襲組の両方が何者かに襲撃されて、全滅したっていう話を知らない訳じゃないでしょう。
あの大きな二組が壊滅するなんて、やばいんじゃないかって言って、この村のみんなは、外に出歩かないようにしているんですよ。もしかしたら、組を襲撃した犯人がうろついているかもしれませんしな。
噂によると、熊襲組が捕まえていた人質が暴れたとか……。」
それを聞いて、天照が口に含んでいたうどんを勢いよく吹き出し、むせた。
「……どちらかの組から裏切り者が出たとか……。」
それを聞いて、月読が食べていた肉を吹き出し、むせた。
俺はその二人を見て、滑稽に思いながら、コップの水を口の中に含んだ。
「……最近、噂の鞘無しが犯人だとか……。」
俺は口に含んでいた水を床に吹き散らし、むせた。
俺たちは三人ともゲホゲホと咳きこんでいた。その光景に焦った店員の二人は、咳きこむ俺たちの背中をさすってくれた。
「だ、大丈夫ですか?」
「ゲホ、大丈、ゲホ、夫です。いや、組を壊滅させる犯人なんて、怖いですなあ。お二人も気を付けたほうが良いですよ。近くにいるかもしれませんし。」
俺は内心、びくびくしながら、そのように返答した。
「まあ、大丈夫だと思いますよ。中央の方から八十神の方がこちらの方に派遣されるらしいですから、きっと安心です。」
八十神だって。これはまた厄介な奴が来るなあ。もしかしたら、俺の顔が割れているかもしれない。
「よし、お前ら、これを食べたら、急いでこの村を離れるぞ。
……アブナイハンニンガイルカモシレナイシナア……。」
俺は怪しくないように、言葉を付け足したはずなのに、ついつい片言になってしまったので、余計に怪しまれてしまったかもしれない。
俺は急いで、うどんをすすった。だが、その努力も空しく、店の入り口の暖簾が開いた。
「どうも、八十神から派遣された善光です。」
店の入り口には、白い服に身を包み、後ろからマントのように白い布を泳がせている大きな男が、白い歯をきらりと見せて、立っていた。