鬼神の面
「熊襲様、飲みすぎでありんすよ。」
そう言いながらも、熊襲のお猪口に仕込んだとっくりから酒を注ぐ。柔らかな女性らしい笑顔を熊襲の方に向けると、熊襲はそれをいやらしい目つきで見つめると、お猪口に入った酒をぐいと流し込む。
「ガハハハッ、このくらいなんてことないわい。」
「フフフ、酔いが回ってこなければよいですが……。」
それを聞いた熊襲組の大将が喉元を両手で押さえ、息苦しそうに倒れこんだ。俺はその苦しむ顔に刃先を見せつけた。
「苦しみたくなかったら、鬼神の面の女の居場所を吐け。」
俺は高い声を直して、いつもの低い声に戻した。熊襲の大将は居場所を吐かず、だらだらと口からよだれを垂らしている。しばらくしていると、咳きこみだし、血を吐いたり、胃の中のものを戻したりしていた。大将は観念したように、喋ろうとし出した。
「……女は、…この奥の部屋に……いる。だから、早く……。」
俺はのたうち回る熊襲の首に刃を当てた。動き回る熊襲は、刃に首をぶつけた。その刃が当たった首元からざっくりと傷がつき、血が勢いよく吹き出した。熊襲の顔は、段々と生気が無くなっていき、血の気がさっと引いていった。
床が血溜まりで汚れていき、俺の着ている着物にも血飛沫が付いた。俺は刀を勢いよく振るって、血を落とした後、用意しておいた白い布で刃の血を拭き取った。すると、熊襲の遺体は跡形もなく消えていて、血の跡とこぼした酒の跡が畳に染み込んでいた。
俺は熊襲の死亡を確認したので、刀を消した。この程度なら、月読の方は大丈夫だろう。そう思っていると、入口の襖が勢いよく開いた。
「熊襲様!出雲組と名乗るものが下で暴れておりま……。
……貴様、熊襲様に何をした。」
俺はいきなり襲い掛かってくる部下らしき人間の首に、右手から出した刀を当てた。向かってくる勢いで、熊襲と同じように首元からぱっくりと傷がつき、血が噴き出した。顔から生気が無くなると、力なく倒れこんだ。俺は溜息をしながら、もう一度刀を振るい、血で濡れた白い布をもう一度出して、血を丁寧に拭き取った。
どうやら、月読のカチコミが成功しているようなので、俺はもう一度刀を血で汚さないように、急いで奥の襖に入ることにした。
俺は奥の襖に手をかけると、今、自分は女装をしていることを思い出した。俺は水と服を出して、化粧を落とし、男用の服に着替えた。そして、髪を綺麗に結った。俺は月読が作った手鏡で、顔を確かめると、深呼吸をして、奥の襖に手をかけた。
もし、俺が女装したまま、銅の目を助け出したとしたら、先ほどの月読のように引かれてしまうだろう。
少し、時間を遡って……
俺は鏡で自分の顔を確認しながら、口に紅を付けた。顔を振って、色々な角度から見て、どの角度からも女性に見えることを確認した。服も女性ものの服に着替えて、どこからどう見ても、俺は女だ。
「やっぱり、お前の鏡は役に立つな。」
「……僕は止めやしないよ。す、素晴らしいことじゃないかなあ……。」
月読は目を泳がせ、こちらに目を合わせようとしなかった。俺の女装に戸惑っているようだった。
「違う違う、女装は趣味じゃなくて、作戦の一つだ。
熊襲組がどんな集団か知らねえが、おそらく野郎の集まりだろう。だから、女と酒を用意すれば、戦わずとも、何とかなる。俺はさっき説明した弱点のせいで、戦うことを最低限にしながら、立ち回らなきゃならないからな。」
俺は髪をほどいて、より女性に見えるようにした。ほどかれた紙は、艶々とした黒髪で、色っぽい感じがした。いつもはこんな大きな鏡で、女装した自分を見ることはなかったので、女装した自分の姿は新鮮だった。
あれ、俺って可愛いのか?
これは作戦のために嫌々やってるだけ、趣味にしちゃ駄目だ。俺はそう言い聞かせると、立ち上がった。
俺は胸を張って、かっこよく凛々しい顔をしながら、勢いよく襖を開いた。
「助けに来ましたよ、お嬢さん!」
いつもより声を低くして、大きな声で言った。目の前には大きな木の柱に、両腕を広げて、磔にされている女性がいた。その女性はとても上品であでやかな振袖を着ているが、普通の振袖と違って、着物は膝までかかっておらず、少し見える薄橙の太ももはなまめかしかった。
俺はある程度体の確認が終わると、顔の確認に移った。顔は小さくて、可愛らしい。外見は満点であろう。そして、こちらの方を怯えるように、ちらちらと見てきて、小動物のように震えている。
ああ、守りたい。
俺はせっかく作った凛々しい顔を崩さないように、もう一度顔を整え直した。俺はとりあえず磔になっている彼女を救おうと、彼女を捕えている両腕の拘束具を見た。拘束具は分厚い鉄の錠で、壁にがっちりと釘で打ちつけられていた。
俺はどうしたものかと思った。この頑丈な拘束を外すためには、力一杯刀で切りつけてやっと外せるかどうかで、もし少しでも狙いがずれてしまえば、彼女の腕を傷つけてしまうことになる。これはこの錠の鍵を探した方が良いだろう。
熊襲を殺す前に鍵の場所くらいは聞いておくべきだった。俺は鍵のありそうな場所をしばらく考えていた。すると、磔の彼女は、顔を赤くしながら、何かを言おうと口をパクパクさせていた。
「……あっ、あの、その、私の足元に置いてあるお面を……拾ってくれませんか?」
彼女は顔を真っ赤にし、目を逸らして、そう呟いた。そんなに恥ずかしがるようなことではないと思うが、とりあえず可愛い。俺は床に目を向けると、蓋のない木箱の中に鬼の面が入っていた。その鬼の面は恐ろしい鬼のイメージ通りのおどろおどろしい面だった。
俺はその鬼の面を両手で持った。おそらくこれが銅の目の陰陽師の特徴である鬼神の面だろう。この鬼の面の裏面は木がささくれ立ち、使い込まれていることが分かった。しかし、表面は血で塗られているのか思う程真っ赤な塗装は一切はがれていなかった。
俺は両手に持った鬼の面を彼女の前まで持っていくと、彼女はまだ目を逸らしたまま、足をもじもじとくねらせ、口を真一文字に閉めながら、唇をもごもごと動かしていた。
「……あっ、あの、そのお面を……私の、顔に……はめてくれませんか?」
彼女は茹で上がりそうな程、顔を赤くしながら、そのように言った。俺は彼女があまりに恥ずかしがるので、仮面をはめることに何か特別な意味があっただろうかと考えた。
しかし、とりあえず可愛いので考えることを止めた。俺は鬼の面を恥ずかしがる彼女の顔にゆっくりと近づける。彼女は覚悟を決めるように、目を閉じて、顔をこわばらせていた。その顔を見ていると、やましい気持ちにならざる負えない。
俺は特に口に目が奪われ、一瞬、彼女が仮面をつけてと言ったのではなく、口づけをしてと言ったのではないかと、勘違いしてしまった。
いや、いっそそう勘違いしたことにするか。
俺は一旦、邪心を押し殺して、彼女の顔に鬼の面を付けた。つけた面には紐などは付いていなかったが、鬼の面は彼女の顔から落ちることなく、ぴったりとはまっていた。面を付けた彼女はしばらく動くことはなかったが、急に彼女の両腕に力が入った。
すると、鉄ではめられた手錠は、バキバキと音を立てていった。そして、釘がゆっくりと抜けていくが、釘が抜けるよりも先に、釘が打ちつけられていた壁が限界を迎えたようで、木が大きな音でバキバキと割れると共に、両方の壁が大きく剥がれた。
壁にぽっかりと穴が開き、外の景色が良く見えた。外の風が剥がれた壁の木くずや砂を俺の顔に運んできた。鬼の面を付けた彼女は、両手に壁を付けて、蝶のようだった。彼女はその手に付いた鉄の錠を反対の手で掴み、力を入れ、鉄の錠をむしり取った。
同じように反対の手の錠も力任せにむしり取ると、片方ずつ手首をくるくると動かした。
「ありがとな。この面がないと、わらわは力を出せぬからな。わらわは天照と申す。
そちはよくやった、わらわの部下にしてやってもよいぞ。」
俺は突然の人の変わりように驚くしかなかった。