牛鬼
「お前ら、早く食え。それと、あいつに何か聞かれても、昨日のことは言うなよ。」
俺は入り口の八十神に聞こえないように、小声で天照と月読に指示した。天照と月読は、事態の重さに気が付いていないようで、呑気に頬に食べ物を貯めて、口をもごもごさせていた。
そんな俺たちを尻目に、店員さんは八十神に向かって話しかけていた。
「ああ、中央の方ですね。あの事件の捜査ですかね?」
「いいえ、もう、あの事件は片付けてきました。出雲組と熊襲組の抗争の末、両者ともに壊滅と言うことで、中央に報告しました。」
「はあ、そうなんですか。噂じゃ、誰かが二つの組を襲撃したってことになっているんですけど……。」
「まあ、そういう可能性もあるでしょうな。」
「そういう可能性もあるってどういうことですか?」
「……とりあえず、その事件は出雲組と熊襲組の抗争の末の共倒れでした。それ以上でも以下でもありません。
そんなことよりも、ある凶悪犯についての捜査をしたくて、伺いました。」
「……はあ。」
「その凶悪犯というのは、”牛鬼”と言いまして、非常に凶悪な殺人鬼です。
昔は人の飼牛を殺し回っていたことから、牛鬼と言う名前を付けられたのですが、その後、いくつかもの殺人事件を起こしました。最近は息を潜めているようですが、いつ、その凶悪犯が復活するかも分かりません。
なんとしても、その凶悪犯を捕まえなければなりません。その牛鬼の特徴は、鬼の仮面をつけていて、刃物をいくつも使うらしいです。何か知りませんか?」
「はあ、それだけの情報では何とも言えませんねえ。あなたは何か知っている?」
「……。」
「あなた?」
「ああ、すまん。確か、牛鬼と言う名前は聞いたことはあるが、詳しくは知らないなあ。」
「そうですか。じゃあ、そこのお客さんにも話を聞こう。」
俺は顔がバレてはいないか、昨日のことを含む今までのことがバレやしないかドキドキしながら、冷静を装って、うどんをすすった。
「お食事中、申し訳ない。牛鬼と言う鬼の面を付けた凶悪犯に見覚えがありませんか?」
「さあ、鬼なんて知りませんね。」
「そち、何を言っておるのじゃ。わらわを忘れたのか?わらわはれっきとした鬼じゃぞ。」
天照は鬼の仮面を被り直して、自らが鬼であることをアピールした。天照は腰に手を当て、胸を張った。八十神の人間は、天照の方をしばらく凝視していた。
「貴様、牛鬼ではなかろうな。」
八十神はそう怒鳴り込んで、いきなり手を出して、天照の胸ぐらを掴んだ。天照の胸ぐらを掴む時、天照の食べていたうどんの器に手が当たり、器が倒れてしまい、中に入っていたうどんと汁が机にこぼれた。
「あ、わらわのうどん……。」
「うどんなんてどうでもいい。お前は牛鬼か。」
「わらわはのう、人が丹精込めて作った食べ物を食べずに、粗末に扱う人間が嫌いなんじゃ!」
天照はそう言うと、まだ少しうどんと汁が残った器を持って、八十神に向かって、投げつけた。天照が投げつけたうどんの器は、俺も目に負えない速さで、八十神の顔に向かっていった。俺が天照の手の向きから投げつけられた方向を振り返った時には、うどんの器は八十神の顔にぶつかり、うどんと汁が飛び散っていた。
八十神の顔にめり込んだうどんの器は粉々に割れた。その隙間から見えた八十神の顔は、白目を剥いて、意識を失っている感じだった。そのまま、天照の胸ぐらから手が離れていき、力なくその場に倒れこんだ。
「本当に食べ物を粗末にするでない。」
お前が一番食べ物を粗末にしているよとツッコミを入れたかったが、それよりも、八十神を倒してしまったことをどうしようかと思ってしまった。倒れこんだ八十神を見てみると、白目を剥き、舌を出して完全にのびている。
俺達だけならば、すぐに刺し殺して証拠隠滅してしまうのだが、今は、店員達の目があるので、どうしようか迷っていた。
「……村の外にでも捨ててこよう。」
そう言ったのは、意外にも男の店員だった。男は倒れこんだ八十神に近づいて、八十神の頬を叩いて、気を失っているか確かめていた。気を失っていることを確かめると、ヒョイと肩に倒れこんだ八十神を乗せると、ゆっくりと店の外に出て行った。
男の店員は顔の表情を変えていなかったが、逆にその冷静さが行動の不自然さを醸し出していた。邪魔者がいなくなったと思ったのか、天照は食べることを再開していた。月読はあんなことをしていいのかと困惑していたが、堂々と食べている天照を見て、食べることを再開していた。実に呑気な二人だ。
俺もその呑気な二人を見て、まあいいかと思い、少しのびたうどんをすすり始めた。この呑気三人組とひどく冷静な男店員に困惑して、その場で固まっていた。
しばらくすると、男の店員が店の中に入ってきた。
「すまんな、お嬢ちゃん。そのうどんは作り直すからちょっと待っていてくれ。」
男の店員は無理くり笑顔を作って、厨房の方へ向かっていこうとした。それを女の店員が止める。
「ちょっと、大丈夫なの。あの人、中央から派遣された人なんでしょ。あんな事したら、後でどんなことになるか分からないわよ。」
男は少し考えながら、言葉を発した。
「あいつは八十神の権限を乱用して、自分勝手なことをしていた。あいつに八十神の資格はない。
だって、あいつは話を聞いていた限りだと、出雲組と熊襲組が壊滅した事件の捜査で派遣されたのにもかかわらず、ろくに捜査もせずに、適当に事件を片付けていたんだろう。
だって、ここから出雲組と熊襲組まではかなりの距離がある。昨日の事件を聞いて、中央から派遣されて、組を捜査をして、この村にこの時間に来ることは無理だ。あいつは現場を見ていないのに、事件の真相をでっち上げたんだ。
さらに、事件を無理やり終わらせて、勝手に私的な捜査を始めた。事件を口実にして、私的な事件の捜査をしていたんだ。八十神の職権乱用だ。牛鬼の事件は何年も前に犯行は終わっているんだ。なのに……。」
男の店員はそこで言葉を詰まらせた。
「……とりあえず、そんな奴を許せなかっただけだ。」
そう言うと、男は女の店員の静止を振り切って、厨房に入っていった。俺はその様子をうどんをすすりながら見ていた。女の店員は呆然として立っていたが、俺の目線に気が付いたのか、我に返って、こちらに笑いかけてきた。
「ごめんなさいね。見苦しいところを見せてしまって……。」
そう言うと、下に落ちたうどんの器とうどんを近くにあった塵取りとほうきで片付け始めた。
「旦那さんは、いつもあんな感じなんですか?」
俺は片付ける女店員に問いかけた。
「……いえ、いつもはあんな感じじゃないんですけど、……いや、最近おかしい感じはしてましたけど、さっきは特におかしかったような気が……
本当に中央の人にあんなことして良かったんですかね?」
「さあ、分かりませんけど、相手の記憶はこいつの胸倉を掴んだ所で止まっているんですから、下手に治療するより、追い出した方が、変な勘違いをしやすくなるんじゃないですか。」
「そうですかね?」
女店員は小さくため息をこぼして、不安そうな顔をして、厨房の方に向かっていった。俺は残ったうどんの汁を飲み干した。
俺はこの村にもう少しいようと思った。なぜなら、もうすぐ牛鬼と戦うことができるかもしれないと思ったからだ。