牛の首
歩いていたら、知らない場所にいてさ。奇跡みたいに親切な人に助けてもらったんだ。
「なんだあんた、どうしたんだい。顔色悪いぞ。飯でも食ってきなさい」
「えっ、そんな。大丈夫です」
「いいから。遠慮しなさんな」
過労でふらふらしてたから、手を引かれても振り払えなくて。ついて行くしかない。草の実に目玉がついていたり、木が歌っていたりする。
悪夢か、過労による幻覚か。
異世界転移ってことにしよう。そのほうが気が楽だ。
真実なんてどうでもいい。
「ほーう?別の世界から来た?珍しい服を着てるけど、そりゃまた随分と大きく出たなあ」
「信じてくれなくても、良いですけど」
「わしゃ、あんたが嘘ついてようがなかろうが、どっちでもいい」
親切なおじさんは適当な人で、俺はそのままその人の小屋に住み着いた。
森の中のその小屋でおじさんはひとりで暮らしていた。領主様の狩場を管理する、森番てやつだとか。狩のシーズンになると、開けた場所にティーテーブルなどを設置する手伝いもした。
今日もご領主様のお友達が狩に来て、その家族がティーテーブルで暇を潰している。お嬢さん方は噂話に余念がない。
「せっけんと言うものが、あるそうですわね?」
うららかな春の午後、花盛りのリラが優しい香りを届けてくる。テーブル狭しと並べられたお菓子や軽食は、どれも春らしい色合いで目を楽しませてくれる。
黄色の強い金髪を均等に巻いた太い縦ロールのお嬢様が、背筋を伸ばして座ってる。その少女がたおやかな指先でチョンとつまむのは、黄緑色のアイシングがかかった小鳥の形をしたクッキーだ。
「しっ!だめよ。その話をしたら、漆黒の悪鬼がやってくるわよ」
薄水色をしたシフォンの袖をひらひらさせながら、白金に近い金髪をふんわり結い上げた少女が青褪める。それを無視して、ハニーブロンドを三つ編みにして頭に巻きつけた少女は、うっとりと石鹸を語る。
「素敵な形と香りで淑女を惑わすらしいですわぁ」
「だめだったら!」
水色の少女が慌てて止めようとする。
「あら、牛の頭が描かれた不気味な箱に入っていて、中身は誰も見たことがないそうですのよ?」
髪束を細く分けて、それぞれ円錐形にロールしたストロベリーブロンドの少女が言えば、麦わら色の癖毛をまとめて真珠のネットを飾った少女が反論する。
「違うわ、古い民話があるのよ。文献だってあるわ。わたくし読みましたもの。牛の血を使うのですって」
「怖いわねぇ」
「嫌あねぇ」
「気味が悪いのね」
「恐ろしいわ」
「やめましょうよ」
牛の血は使ってない。
それ俺が作ってるからなあ。おじさんが自分用に手作りしてたんだよ。元々は。暖炉の灰と森の木から取れる油を使った石鹸でさ。森の薬草を乾燥させて粉にしたものを練り込んでた。
おじさんのお婆さんが、薬草魔女ってやつでさ。薬草石鹸を作ってたらしいんだ。生石灰とか塩とか、森で採れない材料は行商人から買ってたそうだ。今も引き続き行商人から買ってる。作業場は、お婆さんから引き継いだ小屋が別にある。
作って売ってたものは、石鹸て名前じゃないけどな。とにかく薬草石鹸と言っていい。お婆さんが死んで、おじさんは趣味として自分の分だけ作ってた。俺も教わって作ってみたら面白かった。
ついつい、いろんな種類を作っちまって、行商人に見せたら売れるよって言われた。試しに何個か預けてみた。
そんときは別に普通の対応だったんだけどなあ。腹ん中ではそんなこと考えてたのか。しかもそれをネタにして売るとか。アッパレだな。
髪の毛黒いし、鼻は低いし、奇妙な顔立ちに見えるから、悪鬼って思われたんだろうか。
女性向け転生チートでさ、上質な石鹸とか香りの石鹸とか、定番だろ?だから、薬草だけじゃなくて花を乾燥させて練り込んだりも試したんだ。
なんでそんなこと知ってるかって?漫画アプリでさ、読むだけで無料ポイントプレゼントってキャンペーンやってんだろ?時々。
俺は全部読む派。なんとなくね。普段は読まないジャンルでも、スクロールしてるだけじゃなくて、ついつい読んじゃうの。特に理由はない。で、そん中には女性向けもあるから。
そんでまあ、無料ポイント獲得がきっかけでけっこう楽しく先まで読んでた、web小説からコミカライズされた、ゲーム世界への転生漫画に転移してきたみたいなんで、儲けようかなって思ったんだよ。
ややこしいこと言うな?
まあ、経緯は忘れてもいいよ。
要するに俺は現代日本人で、移動先が女性向けにしては珍しく、憑依でも転生でもなく転移してしまった。
転移なら帰れる可能性もあるよな。帰りたくないけど。親もう死んでるし、ひとりっ子だし。過労死寸前だったし。ここの生活あってるし。
嫌なのは、向こうの時間も動いてて、だけど突然また帰っちゃうパターン。住むとこすら無くなってるとか、現代じゃかなり困る。友達は一応いるけどなあ。迷惑かけたくない。
まあ、そうなったらなったで、何とかなるかもな。
なんせ、乙女ゲーム転生小説コミカライズ世界に転移しても普通に暮らしてるんだし。俺、かなり幸運なんじゃないか?過労職場でも生き抜いたしね。
ところで、せっかく西欧風魔法学園ゲーム風世界に来たんだが、俺の見た目は変わらない。転移なんで、見た目はそのまんま。西欧風イケメンとかにはなってない。
元の日本だったら1日に何十人もすれ違うような、目立たない日本人青年だ。ここでは異様な風体なのに、おじさんは深く考えずに受け入れてくれた。一緒に楽しく暮らしてる。本当に運がいい。
この作品自体は転生ものなので、作品主人公はちゃんと現地人だ。この作品世界に転移者はいない筈。因みに、ご領主様がメインヒーローだ。主人公とはこれから出会う。石鹸令嬢グループにはいない。
興味ない人は流してくれていいけど、一応今いる場所の説明をしとこうか。
『原作』と呼ばれる作中ゲームは恋愛アドベンチャー、いわゆる昔の乙女ゲーム。主人公はモブ転生だ。
『原作』で攻略対象とか呼ばれるヒーロー候補のひとりが、ここの領主館で専用イベントとやらを起こす。これがいわゆるトゥルーエンドフラグ、『原作』世界の正史へと至る必須イベントのひとつなんだ。
その邸宅で働く、マナー教師が作品主人公。『原作』には登場しないキャラである。
マナー教師なんて現代日本人には無理?主人公は0歳スタートだから大丈夫だ。主人公のいわゆる推しカプは、作品メインヒーローの弟君とそのご学友令嬢。このふたり、『原作』のサポートキャラとして要所要所でイベントを盛り上げるのだ。
そのご令嬢こそが、石鹸グループのリーダー格、縦ロール令嬢だ。残念ながら、主人公が領主館にマナー教師としてやってくるのは来年からだけどな。この可愛らしい集まりを見られず可哀想に。
縦ロールさん、今年初めて弟君に招かれて、初対面のご令嬢方をあっという間に手懐けたのだ。有能サポートキャラ恐るべし。
弟君は攻めてる最中らしく、ご令嬢の兄君に取り入ってご兄妹2人を招待した。こっちも流石だ。これは狩場の設営をしながら、領主館スタッフから聞いた噂である。
作品主人公は、作品メインヒーローであるご領主様の末の妹にマナーを教えつつ、愛を育む。『原作』のヒロインは、実はかつて拐われた大国のお姫様だとわかり、身分差逆転イベントあり。その重要イベント舞台が、領主館のある地域だ。
ご領主様は『原作』のサブキャラで、『原作』ヒロインは来年縦ロールちゃんと友達になってこの地にやってくる。弟君と『原作』正史ヒーローも友達になっていて、4人組みたいな感じで来年は狩イベントがあるんだ。
作品主人公は、序盤の前世記憶取り戻しエピソードでそれに気づき、絶対にマナー教師になるぞと頑張るのだ。その段階では、作品メインヒーローである年若い薄幸のご領主様には、微塵も興味がない。推しカプが正史フラグをたてるファインプレーを、特等席で観たいだけ。
よくあるストーリーだ。
そんな場所で、俺は今、石鹸を作っている。行商人に勧められて数個だけ委託販売をお願いしているが、なかなかに評判がいいと聞いていた。追加注文分を今日完成したばかりだ。
それがなんだか、へんな噂になってるみたいじゃないか?
俺の日本人姉ちゃんな、石鹸アートって奴に凝っててさ。リボンでくるんだり、シールみたいな奴貼り付けたり、あとは彫刻もしてたかな。
で、リボンは高くて買えないから、狩場の目印に使う赤い紐を使ってみた。シールはないから、絵を描いた。あと、ブランドロゴも考えて、石鹸を入れる木箱に絵を描いたんだ。
おじさんのお婆さんの作業場に、どこにでも書ける魔法のインクがあったからね。絵にはそれを使った。ちなみにそれの作り方メモも見つけた。やってみたら簡単に作れた。
そのインクで、前世でうちにあった石鹸の箱、うろ覚えだけどそこに描いてあった動物の絵を描いてみたよ。白黒でツノのあるやつな。全身は難しいから、首から上だけ。
牛の首から上を描いたのは、断じて牛の血を入れたからじゃない。都市伝説ってこうやって広がるんだな。
石鹸咄のご令嬢方は、次の日も親父さんやご兄弟たちが狩りをしている間、お喋りをしていた。
「ねえ、皆さま」
太い縦ロールの少女が扇で口元を隠して囁く。
「わたくし、ついに手に入れましたの」
「えっ」
「まさか?」
「だめよ!漆黒の悪鬼が来るわ」
太い縦ロールの少女は艶やかに笑う。
「これよ」
ビーズ刺繍で飾られた小さなバッグから、少女はなにかぐちゃぐちゃに真っ赤な紐が巻き付けてある塊を取り出した。
「きゃあっ」
「呪われるわ!」
「まあ、香りは素敵よ。危険だわ」
太い縦ロールの少女はニコリと笑う。そしてデザートナイフを手にすると、エイとばかりに不気味な塊に突き立てた。塊は真っ二つに割れる。
キャーッと悲鳴を上げた少女たちは、チラリと塊に視線を戻す。
「あら?これは」
今日は花を飾っている三つ編みが言う。
「サボンね」
今日は細い金のヘアネットで纏めた癖毛が断言する。
「そうなのよ!」
太い縦ロールが言う。
「呪われない?」
今日はレモン色をしたシフォン袖が言う。
「まあ、なんて悪質な悪戯かしら」
円錐縦ロールが眉をひそめる。
「魔法行商人から買ったの」
縦ロールが得意そうに言う。
「まあ、魔法行商人?悪戯じゃなく?」
三つ編みが身を乗り出す。
「ええ」
縦ロールが頷く。
「それで、何に使うの?」
円錐ロールのストロベリーブロンドがたずねた。
「割れちゃったけど、使えるの?」
シフォン袖が疑わしそうに聞く。
「呪いたい人の髪の毛を巻き付けて針でつつくんですって!」
太縦ロールが得意そうに答える。
「ええーっやっぱり呪いじゃないの」
シフォン袖が呆れたように言った。
「やあね。ただのサボンよ」
縦ロールは嘲笑う。
「ねえ、誰かの髪、絡んでない?大丈夫?」
シフォン袖は呪いや魔法を信じているみたいだ。
あれ?なんだろう。生暖かい。雨でも降ってきたかな?え、あれ?
なんだか真っ直ぐ立っていられず、俺はふらふらと木々の陰からテーブルの方へ出てしまった。
「きゃあーっ」
「漆黒の悪鬼よっ!出たわ!」
お嬢さん方違います。
「ひいいっ、血がっ」
あ、やばい。いてぇ。
「ねぇ、その赤い紐に一本挟まってる黒い糸、髪の毛じゃない?」
シフォンちゃん冷静だな。一番騒ぐかと思ったら。
てか、まじで?黒髪?まさか俺の髪?
ゴミつけたまま出荷したのか?
いやまてよ。
誰だ呪いの道具なんかにした奴。
あと、俺もっと綺麗に赤い紐を巻いたぞ?
こう見えても器用なんだよな。
あーやだなあ。
あの石鹸みたいになるんだろうか。
パカって。
真ん中からさ。
「ねえ、もしかして、人間なの?」
「はい」
まだ口は動くな。しかしシフォンちゃん、度胸あんじゃねぇか。すげえな。血だらけの悪鬼風男子に冷静に声かけて。俺まだ23歳だけど、転移して半年経ってもまだ隈あるし、過労で老けてるし。死ぬ前にせめて人間だと認めて貰えてよかったよ。
「せいっ!」
お?
シフォンちゃんが石鹸を元通りにした。
割れた石鹸を片方に半分ずつ持って、ピタッてくっつけたんだ。そしたら、繋ぎ目がこう、ピカーッと光って、元通りになった。
俺の痛みも消えた。
「ヤー!」
今度はシフォンちゃん、俺に掌を向けて叫んだ。べとべとしてた血が消えたっぽい。え、まじすげえな。それにその表情、いいのか。
美しい顔立ちなのに、くわっと目を見開いて。声もなんだか雄叫びっぽい。命の恩人に申し訳ないが、とにかく怖い。
とはいえ、お礼は言わないとな。
「ありがとうございます」
「いえ、当然の事をしたまでです」
なんだ、渋いぞ。かっこいいな。この人、そういう家柄なんだろうか。薬草魔女の一種か?
「あの、差し支えなければ教えていただきたいことが」
俺の石鹸が呪いグッズになってた訳を知りたい。
「わかる事なら」
俺はポケットから元々の商品を取り出す。
「それはどこで?」
警戒するシフォンちゃんの目の前で、石鹸の正規品を取り出す。石鹸は、赤い紐を花の形に編んだネットで覆われている。
「俺の作品です」
「むしろ魔除けの気配がしますわ?」
シフォンちゃんは訝しむ。
「えっ?そうなんですか?いや、それは今いいんだけど」
魔除けがどっから来てるのか分からないが、とりあえず今はいい。
「その箱も、石鹸も、紐も、俺が行商人さんに委託したやつと同じなんだけど、巻き方が見ての通り変わっちゃってるんです。なんで呪いのグッズに変わっちゃったか分かります?」
気になっていることを率直に聞く。するとシフォンちゃんは元通りになった呪い石鹸を睨みつけ、額に押し付け、大きく鼻の穴を広げて息を噴き出した。
え。
淑女なのに。そうじゃなくても、若いお嬢さんが。
大丈夫か。
ほら、お友達ドン引きだよ。
ご令嬢方、顔引き攣ってますよ?
「箱はなんともありませんね」
石鹸を額から離すと、何事もなかったかのような澄ました声でシフォンちゃんが言う。緩やかにまとめたプラチナブロンドが木漏れ日に光る。さっきのがなけりゃ、ただの美人だな。
「紐を呪いの作法で巻き直したんですわ」
シフォンちゃんがさっと呪い石鹸を撫でると、するすると紐が解けた。シフォンちゃんが割れた石鹸をくっつけた時、ブツ切れになってた紐も何故か繋がっていたんだよな。
「はい、もう安心です」
それから紐と石鹸を俺の方に差し出した。
「紐にもサボンにも、魔法の材料を使ってらっしゃるから、知識がある呪法使いに悪用されると、こんな事になりますのよ」
怒られてる?
「え、でも、どうしたら」
「効果固定の魔法をお使いになれば?」
「でも俺、魔法なんて」
シフォンちゃんは細い眉を片方だけクイッとあげる。
「それより、一体誰がこんなことを」
「それなんですけど」
俺は話題を変える。シフォンちゃんも、とりあえず俺と魔法についてはスルーしてくれた。
「魔法行商人が怪しいですわ。魔除けクラフト職人さんを悪鬼だなんて」
「いや俺、ただの趣味で石鹸アート作ってるだけ」
「その件は後で伺いますわ」
「はあ」
「ほんと、卑劣な闇商人ですこと。あなた、この国では見かけないお姿だけど、よく見れば人間の気配しか致しませんのに」
よく見なくても人間だけどな。まあ、ここらじゃ見かけない顔立ちだからか。黒髪黒目はいるんだよな。日本のゲームに日本人が転生する日本の小説の、日本人向けで日本人作家によるコミカライズだからなのか、黒髪ハンサムもいる。
けど、どの人物も西洋風世界特有の、彫りが深いのになんだか日本人にしか見えない顔立ちになってる。ガチヨーロッパ骨格だと女性向け恋愛コミックスでは人気が出ないのだろう。
いずれにせよ、俺はここでは特殊な風貌なんだよな。
「よろしければ、私が調査致しますわ?どうです?」
やっぱりプロか。でも、調査依頼するお金なんかない。因みにシフォンちゃんは、作品未登場人物だ。もしかしたら悪人かもしれない。
「いや、いい。死ぬ時は死ぬ」
「ふふ、ほかのサボンも同じ細工がしてあるとお思いですの?どんな人を呪っても、もれなく貴方も呪われると?」
「まあ、そうだろうと思うよ」
「ねえ、あなた、魔除けの強化なさらない?」
シフォンちゃんの売り込みが凄い。グイグイくる。
「いい」
「だいたいなんでこんな不気味な絵を描きましたの?」
シフォンちゃんは嫌そうに箱をつまみ上げる。
「いかにも呪いのグッズという感じですよ?」
「俺の住んでたとこじゃ、石鹸に牛が描いてあったんだよ」
「首だけ?」
「そうじゃねぇけど全身は難しかったんだよ」
「じゃあ他のもの描けば良かったのに」
「あっ、そういやあ、ロゴに牛の首だけ描いてある乳製品もあった」
「食欲が失せますね」
しつこいな。何でこんなにこだわるんだよ。
「よくまあ、この地でこんなデザインの箱を作りましたわよねぇ」
縦ロールさんがにやにやと面白そうに言ってくる。さっき、人間が呪いで真っ二つに割れそうになってたんだぞ?よく笑えるな?
「それに、貴人を前にその態度。本当にあなた、人間?」
ああ、そうだったな。創作物世界だし、俺、ずっとおじさんと住んでるだけだし、つい最近までおじさん以外と話してなかった。貴族とかうっかりしてた。
とりあえず敬語は使ってんだけどな。丁寧なだけじゃダメなんだろう。根本的に感覚が違うから、難しい。どうしていいのか分かんないな。気にしなければいいかな。
「人間です」
「牛の首の手下では?それとも主人かしら?」
なんか突然変なこと言い出した。
「何ですか、それは?」
「んふふ。領主館のある丘には、牛の首塚というものがありましてね?」
縦ロールさん、現実の呪いを目にした直後に、嬉しそうな顔して怪談話っぽいものを語り出した。どういう神経してるんだ。
それにしても、領主館のある丘に伝わる怪談?
どこかで聞いたような?
作品エピソードにあったかな。
「むかーし、むかし」
縦ロールさんが、味のある声で語り出した。民話アニメ番組のような、ほのぼのとした語り口で。かえって怖い。お友達は涼しい顔して紅茶を飲んでいる。
なんなんだ、このご令嬢方は。
「とは言っても、ほんの20年ほど前のことです」
「はっ?」
20年前?昔話にしちゃあ最近じゃないか。
「んふふ。とにかく、そのくらい前。今のご領主様が5歳の頃ですわ」
「はあ」
「ご領主様のご両親が、揃って病気になりましてね」
それは、作品エピソードにあったな。その時両親が亡くなって、後見人のおじさんが悪い奴で、っていうありきたりな話だった。
「5歳だった今のご領主様は、薬を買いに、遠くの町まで走ったのです」
「はあぁ?」
いや、あり得ないだろ?
貴族の5歳が?
「懸命に丘を駆け下る途中、行商人に会い、無事薬を手に入れました」
「いや、いや、どんな偶然だよ」
必要な薬をたまたま通りかかった行商人が、領主館しかない丘まで持ってきた?雑な物語だな。
「ところが!」
急に大声出すな。安っぽいな。
「駆け戻る途中で」
また途中かよ。
「切り落としたばかりの牛の首が、木の枝から下がっていたのです」
なんというか、全く怖く感じないのは何故だ?
「ぽたーり、ぽたーり」
今度は過剰演技か。声を震わせて擬音をぶち込んできた。
「本当にたった今、切り落としたばかりのように、首の切り口からは真っ赤な血がぽたぽたと滴り落ちていたのです」
ご令嬢方は、一応清聴している。春らしく菫の砂糖漬けが飾られたケーキなどつつきながら。
語り手の縦ロール令嬢は、『原作』のサポートキャラだ。この領主館がある地域一帯の情報を語るシーンは、多分あった。このご令嬢は地元民じゃないから、彼氏候補の領主弟君情報なんだと思う。
リラの花陰で令嬢が集まっていて、怪談話がはじまる。そんな作中風景はありそうだ。現実に目の前でやられると、しかもリアル呪いで死にかけた直後にだと、とてつもなくシュールだが。
縦ロールさんの語りは続く。
「5歳だったご領主様は、驚いてお祈りの言葉や魔除けの呪文をありったけ口にしたのです」
「ん?なんで?」
「でも、牛の首は相変わらず血を垂らして枝に下がっておりました」
「そりゃそうだろ」
「これはじっと消えるまで待つしかない、と5歳のご領主様はその場に腰を降ろしました」
「はあっ?薬は?早く持っていけよ」
作品内怪談話は、ここまで出鱈目ではなかった筈だ。たしか、嫌がらせのような家畜の生首とかじゃなかった。ちゃんと、突然現れて触れることが出来ないお化けだ。
その怪異に『原作』ヒロインたちが出会って、ある国の王族だけが持つ神聖な力が発現するんだ。陳腐だけど、コミカライズは描き方がカッコよくてついつい読んじゃうんだよな。web小説版はまだ読んでない。
「夜になっても首は消えません。月が出ると、牛の首から滴り落ちた血が作った小さな血溜まりに、ボンヤリとご両親の姿が映りました」
あ、やっと怪談話っぽくなった。
「ご両親は、お二方ともまだお若かったのですが、血溜まりに映るお姿はげっそりと痩せており、見ていると髪が抜け始めました」
「そんなん観てないで、はやく薬持っていけよ」
「血溜まりに映るおふたりは、次第に干からび、骨ばかりになりました。夜明けと共に首は消え、血溜まりも消え、ようやく歩き始めた5歳のご領主様は、震える脚で館に帰りました」
「やっとか」
「そして、ご両親が寝室で亡くなっている姿を見つけたのでした」
「薬」
「せっかく手に入れた貴重な薬は、間に合わなかったのでした」
「いや、さっさと帰れば間に合ったんじゃないのか」
俺の意見に縦ロールさんがキッとなる。閉じた扇子を俺に向けてきた。
「5歳ですよ?怪異ですよ?血溜まりですよ?動けますか?怖いですよ?」
「ひとりで出かけたのも変だし、そんなに時間がかかってるのに、領主館の人達が迎えにも探しにも行かないのもおかしいだろ」
「誰も居なかったんですよ、ご両親と、今のご領主様以外は」
「へ?」
なんで?何をしてたんだ?どこに行ってたんだ?領主館スタッフは?弟君や妹ちゃんは?
「みんなみんな、呪いで死んだのです」
「え?じゃ、今のご領主様のご兄妹は、その時どこかに避難をしてたんでしょうか?」
「んふふっ」
縦ロールちゃんは、それはそれは華やかに笑った。真っ赤な唇が淑やかに綻んで、真珠のような小さい歯が覗く。
「亡くなりましたのよ。その日より前に」
「え?」
俺は思わずシフォンちゃんを見る。彼女は一旦引っ込めていた石鹸と赤い紐をもう一度差し出してきた。俺は突然何かに駆り立てられるようにそれを受け取り、ネットで見かけた魔除けの模様を必死で再現しようとした。
「あらまあ、何を編んでらっしゃるの?そんな弱いものでは跳ね返されてしまいますわよ?」
シフォンちゃんは、ギョロリと目を剥いた。頭上に揺れる花と同じライラック色の瞳が、光をすっかり失って見つめてくる。
「全く、手のかかること。んふふっ」
縦ロールさんが面白そうに笑う。
「こんな、嫌味な魔除けまで作って」
円錐ロールさんが呆れたように呟く。
「ほんと、噂通り、うっとりするほど良い香りですわ」
三つ編みさんがうっとりと目を瞑る。それは石鹸のことだよな?俺が垂らした血の話じゃないよな?
「本当に不思議な箱だわ」
癖毛さんが空箱を手に取って覗き込む。
「ねえ、だから言ったじゃないの」
シフォンさんが少女たちに向き直って、諭すように言った。テーブルの周りに座るご令嬢方は、もう俺を見ていない。
「だめよ。話題にしては」
「ええ、ごめんなさい」
縦ロールさんが急にしゅんとした。
「まして、買ってしまうなんて」
「そうね」
「しかも、開けてしまって」
「悪かったわ」
「さあ、忘れましょうね」
その間も俺は、必死で魔除けの模様を編んでいた。石鹸がツルツル滑って上手く紐がかからない。何度も何度もやり直す。
逃げよう。
どこへ?
森番と出会った場所に戻ってみよう。
元の世界に戻れるかも知れない。
ああ、痛いな。
どこかで俺の委託した石鹸を針でつついた奴がいるんだろう。
「素敵な香り」
三つ編みさんの声は繰り返す。俺の腕には、針で刺したような痕がいくつもできた。
「まあ、悪鬼が逃げるわ」
癖毛さんが俺の背中に怯えたような声を投げかける。
「逃げられやしないわよ」
シフォンさんが確信を持って言う。
「腕が血だらけよ」
円錐ロールさんが声を震わせる。
ふわり、となにかが俺の頬に触れる。驚いて横を向くと、シフォンちゃんの袖口がはためくのが見えた。
「教えてあげましょうか?魔を祓う方法を?」
「何が望みだ?」
「調べてあげましょうか?貴方が歩いた道のことを」
「道?」
俺は走りながら、シフォンちゃんの言葉に一々答えてしまう。放っておけばよいのに。
「ねえ、見たんでしょ?この森に来る道で?」
「え?」
「あの場所に向かっているのでしょ?」
「どこのこと言ってる?」
があっ、いてえ。脚から血が噴き出した。腕からも相変わらず血が出てくる。
「ご領主様は、元来た道を戻ったわ。あなたも試す?」
なんだ?どういうことだ?ご領主様は、ひとり生き残ったんだろ?だけど、「ここ」はご領主様にとって元の場所なのか?今いる弟君と妹ちゃんは誰なんだ?
森番と出会った場所に戻っても、たとえそこから元の世界に戻れたとしても、そこは本当に俺のいた日本なのか?
そうだ!ヒロイン!『原作』のヒロインがいれば!怪異を払ってくれるだろう。しかし来年か。来年まで生き残れるかな、俺。
「ねえ、地面を見てご覧なさいよ」
ピタリとついてくるシフォンちゃんの言葉に、思わず下を見る。
はは。
赤いや。
どこかの誰かが、俺の石鹸をつつく度に、俺の体のどこかからぽたりぽたりと血が落ちてゆく。
振り返れば、ご令嬢方が優雅にお茶を飲むあのテーブルまで、赤い筋がついている。
「あら?だあれも見えないのね?」
俺が作った血の川には、人っ子ひとり映っていない。
「とっくに天涯孤独だからな」
「そうなの」
つまらなそうな声を出したシフォンちゃんは、ひらりと袖口を翻してあっという間にテーブルに戻った。
気がつけば、故郷の住宅街に立っていた。
ああ、そうだ。
あの森に行くずっとずっと前。
俺はこの場所で、塀の上にぽつんと置かれた牛の生首を見たんだった。
驚いて見ていたら、血が流れて。
血溜まりに映った両親が骨になって。
牛の首が消えてから戻ったら、家では両親が死んでいた。
ああ、そうか。
あの森に辿り着くずっと前。
友達に会いに行く途中で。
郵便ポストの上に無造作に置かれた牛の頭を見たんだった。
赤いポストに赤い血が流れ落ちて、地面にできた血溜まりには、友達が映っていた。
そこに映る友達は、髪が抜けて干からびていった。
首が消えて友達の家に着いたら、ドアが開いていて。
中で友達は、衰弱死してたんだ。
ああ、ああ。
あの森に入る前に。
会社に向かっていたんだ。
到着した電車の屋根の上から、切り取られた牛の顔がこちらを見ていた。
血飛沫が首から飛んで、血霧のスクリーンに会社が映った。
上司も同僚も、みんな痩せていった。
到着した時、会社には誰もいなくて。
休みかなと思ったけど、誰にも連絡とれなくて。
仕方ないから家に帰ろうとしたら。
森にいたんだった。
かえろ。
もう、家に帰ろう。
大丈夫。
もう、俺には失う人はいないのだから。
今度こそ、静かで平和な家に帰れる。
お読みくださりありがとうございます