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もう一度、会いに行ってもいいかな。  作者: 白浜ましろ
第二章 精霊、廻りと育つ想い
34/153

ルイという少女がいた


 既に夜空は藍から深まり、夜の色になっていた。

 そんな夜空を泳ぐようにティアは羽ばたく。

 ばさと翼を打つ音が耳朶を打った。

 それと同時に上がる息。乱れる息。

 乱れたそれを落ち着けようと努めるも、熱を持った身体がそれを阻む。

 始めは身体の亀裂が広がったのかと思ったが、その熱はどうやら最奥からのようで。


『…………っ』


 苦悶の声がティアからもれる。

 吐息が熱い。なだれ込む何か。思考が掻き混ぜられるようだ。

 せり上がる不快な何かに、それを吐き出そうとする衝動。

 はっと吐き出すも、吐き出たのは吐息だけ。身体が、傾ぐ。

 傾いだ身体はそのまま落ちて行くだけ。


『……――』


 視界の端に白がひらめいた気がした。

 咄嗟に嘴を開くも、何も声にならずすぐに閉じる。

 今はあの時のように自身を受けとめてくれる存在はないのだ。

 急激に心が冷えた。


『…………』


 目の前に迫りくる石畳に覚悟を決めて目を閉じた。

 石畳に叩きつけられる寸前、ふわりと風が巻き上がって衝撃を和らげた。

 だが、勢いは殺せず、ずざざと勢いよく地表を滑り、微かに砂塵が舞う中、くっと痛みに呻いて顔を上げる。

 が、すぐにその顔を俯かせた。

 今の自分が惨めに思えてしまったから。


『――……ぅ』


 気持ちが悪い。何かがせり上がる感覚。

 吐き出そうとえずくも、吐き出るのは吐息だけ。

 熱い。身体がかっかっと熱を放つ。

 上がる息が乱れ始める。

 整えようと呼吸に努めるも、なだれ込んだそれが思考を掻き混ぜて阻む。

 苦しい、辛い。そんな感情も自覚する前に掻き混ぜられ、ティアは表情を歪めていた。


『――――っ』


 刹那。ティアの琥珀色の瞳が見開かれ、ひび割れる。

 最奥が放っていた熱。それがティアの中で弾けた。


『――――っ!!』


 声なき悲鳴が、ティアの身体から迸った。




   ◇   ◆   ◇




『――……っ!』


 はっ、と細く鋭い息を吐き出し、シシィは目を覚ました。

 何かの声が聴こえた気がした。

 はっはっと息を乱す中で、シシィは傍に在ったはずのぬくもりがないことに気付く。

 碧の瞳が愕然として凍りつく。

 あの感覚は未だ薄れない。

 それどころか、時間の経過と共に鮮明に脳裏に映し出す。

 存在が薄れる、あの瞬間。あの感覚を。


 ――ティアが、いない


 その事実だけで、シシィの心は締め付けれた。

 音が遠退く。

 彼から漏れ出る不可視のそれが、体毛を揺らめかせ始める。

 触発されたように部屋の空気が震え、その温度を急激に下げて行く。

 それは山の水の如く。

 否、鋭さを伴ったそれは、ひたと首筋に添えられた刃物の如く。

 まるで水の中のような静けさが部屋を満たす。

 遠くでとんとんと軽い音がした。

 静寂の中、シシィの呼吸の音が響いていた。

 誰かが階段をあがる音。

 シシィがくらりと立ち上がる。

 足音が部屋の前にまで辿り着く。

 ぎいとドアを押し開けたのは。


「……やっぱり、おかあさんにおこられたー……」


 ややぶっきらぼうな物言い。

 はあと重いため息と共に、ジャスミンが部屋へと足を踏み入れた。

 瞬間。彼女はぞくりと身を震わせる。

 部屋へ足を踏み入れるなり、全身が総毛立って、隠していた耳と尾が飛び出す。

 空気が、冷たい。

 ドアに手をかけたまま、ジャスミンは微動だにしない。

 温度もさることながら、少しでも身を動かせば、容易く身を裂いてしまうだろう鋭さもはらんでいた。

 思わずジャスミンはごくりと喉を鳴らす。

 身体が強張っていた。

 それが微弱ながら空気を震わせて――刹那、その色を変える。

 ぴんと空気が張り詰めた。ジャスミンは敏感にそれを感じ取り、警戒の色を強めた。

 引き寄せられるようにしてジャスミンの瞳が一点を据える。

 その先で、シシィがゆらりと振り返った。

 爛々とした碧の瞳がジャスミンを射抜き、その眼光の鋭さに、彼女は思わずひくりと息を呑んでしまう。

 呑まれるなと己を叱咤し、力に足を入れて踏ん張った。


『――……ルゥはどこ――?』


「……?」


 シシィが言葉をこぼす。

 だが、それはジャスミンにとっては音としか認識出来ず、ただ耳を通り抜けて行っただけだった。

 精霊の言葉を理解出来ぬゆえに、彼女はただただ首を傾げる。

 何かを伝えたいのだろうか。

 警戒の色は緩めないが、ジャスミンの獣の耳が、探るようにぴんと立っては動く。

 が。


『――……ルゥを、かえして……』


 獣特有の低い唸り。鼻さきにしわが寄り、牙をむく。

 シシィが体勢を低くして、構えた。


「――――」


 ぞくりとジャスミンの身体に緊張が走る。

 無意識下で口端に不敵な笑みがのった。

 金の瞳の瞳孔が細まり、乱れそうになる呼吸を落ち着け、身構えた。

 刹那。シシィがジャスミンへ向かって飛びかかる。

 瞬間。ジャスミンの金の瞳が紅へと変じた。




   ◇   ◆   ◇




 はあはあ。荒い息づかいが夜の静寂の中に響く。

 とうに人の気配はない。

 時折、家路へと急く人が、不審げにティアを見下ろして通り過ぎるだけ。

 そこで彼女は違和感を覚えた。

 おかしい。どうして眉をひそめて自分を見下ろすのか。

 確かに、こんな通りの半ばで鳥が転がっていれば不審にも思うだろう。

 だが、明らかに自分は避けられている感じが否めない。

 ふとティアが顔を上げる。と、ちょうど彼女の横を通りかかった男と目が合った。

 が、男はすぐにしまったと顔をしかめて目を逸す。そそくさと足を早め、通り過ぎて行った。

 明らかにおかしい。様子が変だ。

 自分の感覚を信じるのならば、鳥が道端に転がっていれば、そこに向けられるのは同情や憐れみの類い。

 だが、先程の男の視線は胡乱や侮蔑の色が滲んでいた。

 おかしい。そう感じながら、ティアは身体を起こす。

 そして。


『――――』


 息が詰まり、身体が硬直した。感覚が、違う。

 戸惑い気味に手を見下ろせば、琥珀色の瞳が驚愕に染まり、大きく震えた。


『――……な、に……これ……っ』


 発した声は震え、喉を抑えた。

 そう、喉を抑えたのだ。

 あり得ない。なんだ、これ。

 さらりと耳に聴こえた音は――瞬間、身体がびくりと跳ね上がった。

 徐にティアはそこへ手を伸ばす。

 触れたのは硝子。冷たい感触が指から伝わる。

 通りに並ぶ何かの店舗なのだろう。

 硝子張りの外壁は、日中ならば商品が並べられるのだろう。

 今はカーテンで閉ざされ、中の様子は伺えない。

 代わりにそこに映るのは。


『……ははっ、これ――』


 淡い黄の髪を緩く編み込み、背に流した少女。

 琥珀色の瞳は見開かれ、呆然と硝子の向こうからこちらを見つめていた。

 ティアの口の端に自虐的なそれがのれば、硝子に映る少女も同じように口の端がのせた。


『――“ルイ”、じゃない……』


 はっ、と短な息を吐き出した。

 夜風にスカートの裾が揺れる。

 髪と瞳の色に差異はあれど、その顔立ちは左目の縦一文字を除けば、“ルイ”と相違がないではないか。

 これが己というのか。

 精霊が転じるヒトの姿は、精神に左右されると知っているが、それがこれなのか。

 幼い雰囲気を残しながら、年の頃は十代半ばは過ぎているだろう。

 それはそうだ。

 “ルイ”という少女は、その年頃に輪廻へと向かったのだから。

 “ルイ”という、既にない少女と同じ顔立ちの姿を持つ、“ティア”という精霊。


 ――ならば、己は何者なのか?


 硝子に映った少女の顔が醜く笑った。

 ともすればそれは、泣く寸前にも見えて。

 嗚咽が少女の口からもれた。それは慟哭か。

 彼女はその場にくずおれるようにして座り込み、もれる嗚咽を押し殺す。

 手を口で抑え、必死に衝動を堪える。

 通りのガス灯が照らすその姿は、まるで頼りなく感じさせ、ゆらゆらと揺れる陰影が寂しげだった。

 家路へと急く人の姿もなくなった通り。ぽつんと少女だけ取り残された。

 ひゅうと夜風が彼女を撫でるも、それすら拒むように彼女は縮こまった。


『――……ふぅっ……ぅ……』


 戸惑う風がせめてもと、彼女から微かにもれる嗚咽の声を溶かしていく。

 けれども、それも。ぽつ、と小さな音が響いた途端に凪いでしまった。

 身体を震わせる少女に困り果てた風は、しばし凪いだあと、小さな旋風を描いて吹き去って行った。

 静まり返った場に、少女はのろのろと顔を上げると、顔をぐしゃぐしゃにした見知った顔が硝子に映っていた。

 それすら自分がよく知る“あの顔”だったから、自虐的なそれで笑った。


『……あなたは、誰なの――?』


 弱々しく問われたその声に、応える声はなかった――否。


『――あなたは、ティアです』


 凛とした声が応えた。

 はっとして、少女が振り返る――寸前。

 ぶわあっと勢いよく風が吹き降りた。

 少女の緩く編み込んだ髪が激しくあおられる。

 反射的に目をつむってやり過ごし、落ち着いた頃合いに目を開けた。

 未だ粗っぽさを残した風が少女を吹き付ける。

 風が怒っている。自分に対して。

 何を怒っているのか。琥珀色の瞳が困惑げにゆれた。

 そして、一際強く彼女を吹き付けた風は、そのまま夜空へ吸い込まれるように吹き抜けて行く。

 叩きつけるようなその強さに体勢を崩し尻もちを付きながら、ただ彼女は見送ることしか出来なかった。

 と、次の瞬間。


『――――っ』


 琥珀色の瞳が大きく見開かれ、震える。

 くっと呻きの声が思わずもれ、身体を支えていた肘が砕けた。

 熱い。身体が熱を発する。

 忘れていた熱が、その存在を訴えるかのように焚きつける。

 支えを失った身体は体勢を崩し、傾ぐ。

 既に、それを持ち堪えようとする気力は残っていなかった。


『――ティアさんっ!』


 色を失った声が彼女を呼ぶ。

 ああ、先程の凛とした声と同じだ。

 先程は吹き付ける風に阻まれて姿をが確認出来なかったが、今度はしっかりと琥珀色の瞳に映す。

 それぞれ左右の耳上で結わえた白の髪と、切羽詰まった色を滲ます瑠璃の瞳が印象的な少女だった。

 その顔はまだあどけなく、見た目だけでみれば自分よりも年下。

 白の少女が懸命に手を伸ばす。

 が、伸ばし返す気力もなく、逆に段々と遠退く彼女の意識。

 ふっと意識を手放す寸前。誰かの腕が自分を抱き留めたくれた気がした。

 その腕のあたたかさが、彼のぬくもりと似ている気がして。


『――……シシィ』


 彼女は最後に、ぽつりと呟いた――。






 ひゅおぉと風が吹き荒ぶ。渦を描くように。


『……落ち着け。この子は大丈夫』


 白の髪を風に弄られながら、スイレンは己の腕に抱き留めた少女を見下ろした。

 静かな水の気がゆっくりと少女を包んでいく。

 少女の身体の熱を奪うように。


『――ヴィー』


『……っはい』


 ぐしと滲んだ目を拭い、スイレンのもとまで駆け寄ったヴィヴィが力を開放する。

 左右に結われた白の髪が翻る。

 彼女から迸ったそれは、まるで慈しむように少女を瞬時に包み込む。

 少女から昇る光の粒子は、少女の身体に入ってしまった亀裂が癒え始めていることを意味する。

 しばし、吹き荒ぶ風の音だけがその場を支配した。

 が。立ち昇る光の粒子がふつりと突然やんだ。

 翻っていたヴィヴィの髪も落ち着きを取り戻し、今度は吹き荒ぶ風に遊ばれる。


『ヴィー、どーした?』


 スイレンが訝しげにヴィヴィを見上げる。

 少女の亀裂は治った様子でも、未だ少女の左目に刻まれた縦一文字は残されたままだ。


『……それは、シシィの縛りが複雑に絡んでいます』


『シシィの、縛り……?』


『あの子は、この子の真名を呼ぶことで、この子の魂を繋ぎ留めたようですね』


 静かに少女を見下ろす瑠璃の瞳に、はっと息を呑んだスイレンも見下ろす。

 じっと縦一文字を見つめれば、確かにスイレンの“眼”にも映った。

 複雑に絡みあった、そのシシィの縛りとやらが。


『……これは……やけに主張が強いな……』


 まるで、取られまいと自分のものに名を記したかのように。


『ええ。だから、無理に私が施すと、この子の器としての身体を傷つけかねないの』


『これ、縛りだけじゃなくて、ヘンに亀裂を治そうとした……?』


『そのようね』


 くすりとヴィヴィが苦笑をこぼす。


『複雑なことをやろうとしたから、複雑に絡んでしまったみたい』


『精霊に傷痕が残るなんて……』


 スイレンが唖然とする。

 そこにくすくすと小さく笑うヴィヴィの声がして、スイレンは顔を上げた。


『……笑い事じゃないよ、ヴィー』


『ええ。ですから、あの子には責任をとらせないと、ですよね?』


『ヴィー……意味、わかってる?』


『もちろん。幼い頃、あなたが教えてくれたでしょ?』


 ヒトの言葉で、共に歩もう、という意味だ。

 要約し過ぎたかもしれないが。


『……まあ、わかってるならいいけどさー。――それに、それは大きな問題じゃないから』


 スイレンの後半の、声と言葉が硬い。


『ええ』


 それに応えたヴィヴィの声も硬かった。

 二人の目が少女へ向けられる。

 風がひゅおぉと一層荒く吹きすさぶ。

 その、次の瞬間には。

 ヴィヴィ達の姿はその場から消えていた。


 問題なのは、残った傷痕ではない。

 問題なのは、己という存在を見失っていること。

 それは、“彼女”という存在の維持に繋がることだから。

 己が判然としなければ、器に魂をつなぎ留める糸をゆるめることになってしまうのだ。

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