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もう一度、会いに行ってもいいかな。  作者: 白浜ましろ
第十章 終、その先へ
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いっときの緩かな瞬


 ふっとその場に現れたティアとシシィは、慌てて彼女が転移したせいか、地に降り立つ際に少しだけよろめいた。

 じゃり、と何かが踏み擦れ合う音が響く。

 おっと、とティアがよろめいたのを、腕を掴まれたままだったシシィも釣られてよろめくが、彼が踏ん張ったおかげで転ぶようなことにはならなかった。

 そして。


『――で? なんでルゥは逃げたわけ?』


 呆れたような碧の瞳がティアを見た。

 ぎくりと身体を強張らせたティアは、思わず掴んだままだったシシィの腕を離してしまう。

 琥珀色の瞳を彷徨わせ、おずとシシィを見やる。


『……なんでって、なんで……?』


『なんでって……逃げる必要なかったじゃん。だって、ルゥの母上と父上だったんでしょ?』


 何を当然なことを訊くのかと、シシィはシシィで不思議そうにきょとんとする。


『そうだけど……反射というか、なんというか』


 対してティアはシシィと目を合わせようともしない。

 しどろもどろする彼女に、シシィは嘆息ひとつ落として首を振る。


『ルゥの中で何が問題なの。怒られるとか、風穴がどうとか言ってたけど』


 その声音に呆れははらむも、きちんとティアの言葉を聞こうとする響きは含まれていた。

 ティアはちらりと彼の様子を窺い、けれども、またしても目を逸らす。

 口はへの字に曲げて、何かが言いにくそうで。シシィは暫し待つことにした。

 彼女は暫くそうしていたかと思えば、徐に閉口していた口を開いた。


『……だって、だってさ。ここに来てからの私って、ママ達に心配させるようなことばかりじゃん』


『それは……確かにそうだね』


 それには思わず同意をしてしまうシシィ。


『ほ、ほらぁ、やっぱりシシィだってそう思うじゃん。私、ママにまたあんな顔させちゃう……』


『あんな顔って? ルゥの中で何が引っかかってるの?』


 顔を俯かせるティアに、シシィは静かに問いかける。

 その柔らかな声音に、ティアも次第に心を落ち着けていく。

 彼女の脳裏に過ぎるのは、まだ自身が幼かったあの時。


『……私達が初めて“外”に出たあの時にさ。ママにはまだ行っちゃだめって言われてたのに、私は出ちゃったじゃん』


『それについては……まあ、僕にも非があるけど――それで?』


『それで、すっごくママに心配させたじゃん。その時の顔は出来ればもう見たくないし、させたくないなって、幼いながらにあの時思ったわけ』


 シシィにはだんだんと、彼女が言わんとすることがわかってきた。

 そして同時に、この地にて彼女の身に起こったことを思い出す。

 それはまあ、彼女の母親も心配するだろう。そしてこの地にやって来たということは、何かしら察することがあったのだろうとも思い至る。

 彼女の母親もまた、風に触れることのできる精霊なのだから。

 心なしか彼女がきゅっと小さくなって見えるのは、それを負い目に感じている気持ちの現れか。

 ふっと軽く息をつく。


『それで、顔を合わせづらくて逃げたってところ?』


 シシィの言に、ティアはびくりと身体を跳ねさせ、身を縮こまらせる。

 おずおずとシシィを見上げた琥珀色の瞳は、危機迫った色を滲ませ揺れていた。


『だって、ママは怒ると頭を突いてくるんだもん。あれ、風穴があきそうなくらいに痛いんだから』


 口を尖らせ不貞腐れる様は、まるで駄々をこねる子供のようだ。

 普段はしっかりしている彼女にしては珍しい。


『でもそれは、心配の裏返しだってルゥもわかってるでしょ』


『それは……そーだけど……』


『じゃあ、もう大丈夫だよって、その姿を見せなきゃだめくない?』


 シシィに正論ばかり説かれ、面白くないティアはむむむと口を引き結ぶ。

 けれども、彼女だってわかっている。

 あの場で逃げたのはいけなかった。

 頭を突かれるにしても、逃げてしまっては、余計に突かれるだけだともわかっている。

 それでも、また母親にあんな顔をさせてしまうのかと思うと、それはそれで、もやりとした感情が胸の内で渦巻く。

 言葉にし難いこの感情はなんなのだろうか。

 ますます彼女が俯いた時だった。


『――もしかしてルゥは、悔しかったの? そうなっちゃった自分に対してと、そう思わせちゃう自分が不甲斐なく感じて』


 ティアの頭をシシィの手が優しげに撫でる。

 彼の言葉に、下ばかり見ていた琥珀色の瞳が上を向く。

 彼の顔を凝視して、ティアは口を震わせた――だって、図星だったから。

 言い難くて言葉に出来なかった胸の内を、どうして彼はすぐに言葉にして汲めるのか。汲んでくれてしまうのか。

 優しげに撫でる彼の手がなんだか腹立たしい。そしてまた、腹立たしく感じながらも、そんな彼の手を払い除けられない自分も悔しくて腹立たしい。

 変な顔をしないように、きゅっと眉間に力を入れた。

 碧の瞳が穏やかにティアを見つめる。


『不甲斐なく感じる必要はないって、僕は思うけどね』


 そしてこの上、シシィはティアを慰めようとするではないか。

 彼女が口をへの字に固めるのは、訳のわからない悔しさか、はたまた腹立たしさからか。それとも、これ以上感情を揺らさないためか。


『だってさ、考えてみてよ。この状況を引き起こしたのって、フウガさんじゃん?』


『……………………まあ、確かに』


『じゃあ全部、フウガさんのせいってことじゃん』


『………………確かに』


『なら、怒られるのはフウガさんであって、ルゥが怒られるのは……うん、まあ、たぶん、この逃げたことだけに関してじゃない?』


『…………かも』


 そう思えば、気持ちは随分と軽くなっていることにティアは気付く。

 改めてシシィの顔を見やれば、彼女と目が合った彼が穏やかに笑った。

 きゅっと力を入れていた眉間に、ぐっとさらに力を強めた。

 けれども、それがふいに溶けて瓦解する。

 先程まで腹立たしかった彼の優しさが、堪らず抱き着きたい衝動に変わった瞬間だった。

 ティアが地を軽く蹴り上げ、風を起こして身体を押し上げて、シシィとの身長差を埋まる。

 勢いのままに彼の首に腕を絡ませた。


『おっ、と』


 突然のことにシシィは驚いたが、ティアを抱き留めたのは反射だった。少しばかりふらつく。

 幾らかたたらを踏み、じゃりと下に広がる何かを踏み擦れさせた。

 何を踏んだのかとそちらに一瞬気を取られたが、耳元で聞こえたティアのくぐもった声に、すぐに引き戻される。


『シシィのばか』


 罵る言葉だが、それが照れ隠しなのは、彼女の声にはらむ色でわかった。

 それでも、ここは気付かなかったふりが正解だ。


『なんでそこで罵られるの、僕』


『知らないっ』


 と言って、ティアはシシィの肩口に顔を埋め、彼はくすぐったそうに笑った。




   *




『――それで、ここは何処なの?』


 シシィの声に、彼の肩口に顔を埋めていたティアは顔を上げる。

 彼の顔を見、ゆるりと首を左右に振った。


『わからないわ。転移したのは咄嗟だったし、とりあえず、風がこっちだよって呼ぶ方に転移したから』


『――おやおや。それじゃあ、風の導きによって舞い戻ったんだねぇ』


 突として、別の声が彼らの会話に割り込んだ。

 ティアは緊張で身体が強張り、無意識にシシィへ絡ませた腕に力が込もる。

 風の精霊なのに、近くの気配に気付けなかった。

 風ですぐに探れば、その存在感は圧倒的だった。これだけありありと己を主張しているのに、それに気付けなかった。

 ティアが鈍かったのではない。相手が完璧だったのだ。

 その存在感を同族である精霊でさえ、つゆほども感じさせないとは。

 それだけ力在る存在ということなのだ。

 ここに来て、ティアは初めて怖いと思った。

 肩越しにちらりと振り返る。


『そんなに怯えられちまうと、さすがのおばばも、ちぃとばかし悲しいねぇ』


 老狼の姿は、天から注ぐ月光を弾き、白銀にきらめいて見えた。

 その様はまさに美しく、そこに降り落ちる光の雨も相まって、圧倒的なそれに息を呑む。

 刹那、ゆっくりと閉ざされていた老狼の蒼の瞳が現れた。

 その瞳がしかとふたりを据える。

 だが、その瞳はどこか切な色を浮かべていて、ティアはシシィの腕の中で僅かに身じろぐ。

 ティアにとって老狼は、敵に近い立ち位置だ。だが、ここに来てそれが少しだけ揺らぐ。

 自身がこの地へ喚ばれたのは風の仕業で、その風はこの地に祈りをもたらして欲しかったからで。

 では、その風は誰の想いを汲んだのか――?

 この地に芽吹いた願いだが、それだけではない気がした。

 ティアがシシィから離れ、老狼と向き合おうとした時。


『――老狼殿は、ニニをどうしようとお考えか……?』


 シシィから警戒に満ちた低い声がし、ティアを抱く腕に力が込められた。

 そこで初めて、ティアは老狼が幼子を抱えていることに気付く。

 彼の知っている子なのだろうか。それならば、老狼がティアらにしたことを鑑みれば、彼が警戒を顕にして幼子を心配するのもわかる。

 でも、それでも。老狼に抱えられた幼子の表情が、どこか安心している寝顔にも見えて――老狼を敵視することは、もうティアには出来そうになかった。

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