犬猫人間
話はわりと簡単に通った。
義人くんは一度家に戻り、着替えや諸々の準備をして家の前で僕を待っていた。「うちの親いくなって言ってる」、「どうする?」、「いく」義人くんがそう答えたので、僕は二ノ宮の両親に向かってスマートフォンの、二ノ宮との会話のログと幾つかの写真を示した。そこには二ノ宮の身体の痣。そして暴力の記録が残っている。「記録に残しておけばなにかの時に役に立つかもしれない」と僕に託されたものだ。二ノ宮の両親は僕からスマートフォンを奪おうとした。僕は足を掛けて彼らを床に転がした。
「家のパソコンに保存してあるので、これだけ消してもあまり意味がないですよ」
この世の終わりみたいな顔で僕を見上げる。
「じゃあ、行こうか。義人くん」
「うん」
連れだって僕らは二ノ宮の家、小さなアパートの一室を出る。
「なんか、笑っちゃった」
「ん?」
「俺、自分の親って結構立派でえらい人たちだと思ってたんだけどさあんちゃんに転がされたあとの、あの顔見て」
「ああ」
二ノ宮の両親がそうだとは言えるほど僕は彼らを知らないけれど、表面上だけ取り繕って立派に見えるように装っているだけの、中身の腐ったなんてのはどうやらそこいら中にいるらしいよ。
親に幻滅するってのは、どこかしらできっと必要なことなのだと思う。
親だって人間なのだ。
「あんちゃんは、なんで俺に親切にしてくれるの?」
「おいおい、ひどい質問だな。僕にとってきみは年下の友達だと思ってたんだけど、違ったかい?」
「……ううん。違わないや。ありがと」
僕は頷いた。
「ただいま」
と、僕は言い玄関を開ける。靴を脱ぐ。義人くんに入るように促す。
「おかえり」
母さんの声。義人くんが壁を見て「変な絵」と言ってくすりと笑った。
居間に入って彩智と視線が合う。妹はしぶしぶ「おかえり」と言ってそれからぷいとそっぽを向いた。
「こんばんは」
義人くんが明るい声を出す。
「あらあらあら、こんばんは。かわいい男の子ね」
「げっ」
母さんが視線で僕に説明を求め、彩智が眉を顰めた。
「さっちー。おっすおっす」
義人くんが片手をあげる。
「おにぃ。どういうこと」
「えーっと、ほら、この子、二ノ宮の弟なんだけどさ、ちょっといろんな事情で家に居づらくなってしばらくの間うちに泊めてあげられないかな」
「ああ。そういう事情ならいくらでもいて頂戴。でもご両親に連絡はついてるのかしら?」
「さっき話してきた」
「私からもちょっとお話するわ」
僕はスマートフォンを差し出して、母さんが電話をかける。
彩智は眉を寄せたまま、でも何も言えずにいる。年頃の女の子としては同い年の他人が家にいるというのはあまり好ましいことではないのだけれど、事情が事情だけに出ていけと言えないのだ。うちの妹はほんとうにかわいいやつだなぁ。
義人くんのほうは全然気にせずに「しばらくよろしくー」微笑みかけている。
しばらく話していた母さんが電話を切って僕に返してきて「今日は御馳走作らなきゃね」袖をまくり上げる。どうやら話はまとまったらしい。僕は今日はカレーとシチューのどちらなのだろうと思いながらため息をついた。彩智が髪の毛をくるくると弄りながら声に出さずに「し・ちゅ・ぅ」と唇を動かした。
翌日の学校の、放課後に僕は皆島さんに「公園、きて」と言われた。
頷いて僕らは一緒に歩いて例の児童公園に向かった。心配そうな顔をした親や先生たちが変わらずに子供たちを見守っている。僕と皆島さんだけがもうこれ以上の事件が起こらないことを知っている。僕らは並んでベンチに座り、ぼんやりと子供たちを眺めた。
「お礼、言っとこうと思って」
皆島さんが俯いたままで横目で僕を見て言った。
「お礼?」
「よくよく考えたら、助けてくれたんだよね? 私のこと」
「ああ」
そういえばそうだった。
「私に付き纏ってたのって、石黒くんなんだよね」
「ああ、うん。謝るよ、ごめん」
「どうして」
「キミが殺されるんじゃないかと思ったんだ」
ゴミ。掃除される。俺と関わったやつもゴミなんだって。
というのは二ノ宮がたまに話していたことだった。もしも二ノ宮を殺したのが彼の両親ならば、ゴミの範囲を拡大して僕やキミも殺害の対象になっているんじゃないかと思ったんだよ。そして人間が誰かを殺すときには、強いやつより弱いやつの方が標的になりやすい。だから狙われるとすれば僕よりもキミの方だと思ったんだ。
外れているならばそれでいい。
しばらく様子を見たあと、そっと離れようとそう思っていた。
「怖かったんだよ?」
「ごめん」
「じゃあ、前に言ってた“世話を焼いてくれた”の内容を話してくれたら、許す」
「……それは、勘弁してほしいな」
「おまわりさん、ここにストーカーがいまーす」
「悪かったよ、話すよ」
僕は諦めた。
大きくため息を一つ吐いた。
「小学生のころにね、同級生の頭を割ったんだ」
「へえ」
「理由は覚えてない。覚えてないくらいだからどうでもいいことだったんだと思う。右手に大きな石を握りしめてさ、皮膚が裂けて骨が見えるまで、同い年の子供の頭を殴り続けたんだ。それがね、気持ちよかったんだよ。わかるかな。僕は人を殴るのが心地よく感じる人間なんだ。止まらないといけないところでブレーキが掛からないんだ」
頭がおかしいんだよ。と、僕は言った。
「それでその子は救急搬送。僕はいろんな人を交えてお説教。けど僕はいろんな人がなにを説いてきても全然言ってる意味がわからなかった。馬鹿じゃないかと思ってた。覚えていたのは“暴力を振るうことが気持ちよかった”ことだけ。まあそれでも自分がやったことがいけないことだったのはなんとなくわかった。僕は自分が怖くなった。次は殺すんじゃないかと思った。しばらくのカウンセリングのあと教室に戻されたけどクラスメイトは僕に怯えていたし、僕は“怯えられている環境”にストレスを感じていた。爆発してもおかしくなかった。で、そんな僕の元へ現れたのが二ノ宮だった。自分が通っていた柔道の教室に僕を引っ張っていって、言ったんだ。『知ってるか、ユウ。柔道は人を殺されないための技術なんだぜ』って」
いまにして思えば、二ノ宮に柔道に関してそこまでの知見があったかどうかは謎だ。あいつは全然不真面目で稽古をサボっていることが多かったし、先生の言うことをろくに聞いていなかった。けれど、僕にとってはあいつの言ったことは正しかった。「頭から落とさない」、「関節や筋肉を破壊しない」ようにできている柔道の技術は、人間を殺さないための技だった。少なくとも当時の僕はそう感じた。
「それで僕はどうにかこうにか、怒って喧嘩してブチギレても、咄嗟のことでも、練習した通りに相手を転ばせるくらいで済ませることができるようになった。暴力的な衝動やブレーキの効かないことと程よく付き合っていけるようになってきた。いまのところは、だけどね。だから、僕はわりと二ノ宮には感謝してたんだ。おしまい」
そういう前科があるから、僕はいまでも妹からは「やばいやつ」扱いされている。
「警察の人と話してたのは」
「え」
「ほら、校門の前で。車乗ってた女の人」
「ああ」
見られていたのか。
「僕が二ノ宮の遺体の第一発見者だったんだよ」
夜中にコンビニに行こうとして、路地裏の隙間から血の匂いを嗅いだのだ。
そうして僕は二ノ宮を見つけてしまった。顔が潰されていたのでそれがすぐに二ノ宮だとはわからなかったが、ポケットから学生証がはみ出していた。僕はしばらく考え込んでいた。誰が。二ノ宮が。なぜ。わからない。いつ。すこしまえに。どこで。ここ、狭い路地の隙間で。何を。殺されている。どうやって。頭を潰されて。よくわからないことを考えていたけれど、あまり動揺していなかったのは覚えている。頭の骨を見るのがはじめてではなかったからだろう。あるいはその「よくわからないことを考える」というのが僕なりの動揺の方法だったのかもしれない。
しばらくしてから警察に電話をしてコンビニに向かって帰ったのだけど、警察はあまり動揺していない僕をあきらかに不審がっていた。僕を疑っていた。あたりまえかもしれない。なにせ僕には「小学生のときに同級生の頭を割った」という前科まであるのだ。
ちなみにろくにしゃべらなかったのは、頭から僕を疑ってかかる警察官のおじさんにへそを曲げたというのも結構大きかったのだけれど。
「ふうん」
皆島さんは少し考えてから「石黒くんの知ってる二ノ宮くんのこと、もっと話してほしい」と言った。
僕は思いつく限りの、二ノ宮のことを話した。
皆島さんも僕の知らない二ノ宮のことを教えてくれた。
そのうち日が暮れてきて、あたりが薄暗くなってくる。
僕はベンチから尻をあげた。
「そろそろ帰るよ」
言外に、皆島さんは? と訊いてみる。
「私はもうすこしいる」
僕は頷いた。公園を出るときに、皆島さんを振り返る。
彼女はやはり二ノ宮が来ないことにまだ気づいていないように見えた。二ノ宮の形の空白を隣に置いて、それをどう扱っていいのかわからずにいる。いつかはその空白を手放さなければいけないのはわかっているのだけど、彼女がもうすこし困っていたいように見えたので僕はそれ以上なにも言えずにそっと公園を離れた。




