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犬猫人間

 


 土日を挟んでの月曜日に学校で皆島さんが「だれかに付け回されている」と女子同士で話しているのを僕は片耳で聴いていた。

「まじ? こわいねー」

「だいじょうぶなの?」

 周囲の女子が相槌を打っていたが皆島さんがいなくなった直後に「んなわけねーだろ。あのブス、勘違い激しすぎ」と吐き捨てていた。僕は女子ってこわいなーと思いながらそそくさとカバンをとって教室を出た。

 付きまとっている気配を感じているならばまっすぐに帰ればいいのに、相変わらず皆島さんは児童公園のベンチで二ノ宮の形の空白と寄り添っている。すこし離れてみていると彼女は待ち合わせをしているように見えた。ごくふつうにこのあとやってくるはずの二ノ宮をただ待っている。こないことに気づいていないような、そんなふうに見えた。

 僕は彼女に背を向けて公園の出入り口を気に掛けていた。缶コーヒーを飲む。窒素とスチールの味がした。ペットボトルのものと缶のもので味が違うように感じる。皆島さんは暗くなるまで二ノ宮を待ち続けていた。公園の中に人がまばらになり、やがていなくなる。

 夕方が過ぎて夜が帳を下ろし始めた。そうなってからようやっと皆島さんは重い腰をあげ、スカートを軽く払うと振り返った。そして「誰か」に気づき、急に走り出した。僕も皆島さんを追いかけて走り出した。男と女の脚力だ、しかも僕は最近までスポーツをやっていて彼女はどちらかといえばインドア系、すぐに追いつける。彼女の家の場所は把握しているし辿る道順もだいたいわかっていた。最短の距離をいけば簡単に先回りできる。

 走ってきて角を越えた皆島さんが僕とぶつかった。どうやら僕は計算を間違えたらしい。皆島さんは思ったよりも健脚だった。

「きゃ」

 短い悲鳴をあげて僕を見上げ、彼女は「なんだ、石黒く、ん」一瞬、安心したような声を出したけれど、クラスメイトだからって僕が二ノ宮を殺した犯人ではないと断じることはできないのだとやっと気づいたようだ。怯えが、目に宿る。彼女が後退る。

「待って、石黒くん」

 二歩、三歩。

 僕から離れようとするが足が震えていてうまくいかなかった。

「こわい」

 と、彼女は言った。僕は彼女に飛び掛かった。目を閉じて両手で体を庇った彼女の肩を、掴んで強く引っ張った。彼女は僕の後ろ側の道路に倒れた。


 ——彼女が直前までいた場所を金属の棒状のものが空ぶった。


 すぐにその人が、金属バットを引き戻して振りかぶる。二ノ宮を殺したのもそれだったのかい? と、僕は訊いてみたくなった。僕に向かって振り下ろす。僕は踏み込んだ。バットを振り下ろそうとするその人の動きに逆らわず、左手で左の袖をとって右手で襟を掴んだ。足を交差させてねじれを作る。そのねじれを解消するように体を引き起こすと同時に足をかけて、僕は彼の小柄な体を投げた。背中から道路に叩きつける。”払い腰”。硬いアスファルトに叩きつけられた彼が「かひゅ」肺から空気を吐き出す。僕は金属バットを握る彼の手を踏みつけようとして、寸前で思い直してバットの握りの部分を踏むことに留めた。顔を見る。髪の短い、まだどこか幼さの残る、小柄な男の子が僕を見上げて「あんちゃん」と言った。

 皆島さんを襲おうとしていたのは、二ノ宮義人くんだった。

 意外、ではなかった。そうなんじゃないかなと、心のどこかで思っていた。違和感を持ったのは、彼が二ノ宮の遺体の様子を知っていたことだ。「ノーミソぐっちゃぐちゃだもんね」と義人くんは言っていた。その通りだった。二ノ宮は頭を潰された。でも首には扼殺のあとが残っていた。二ノ宮は“首を絞められて殺されてから顔を潰された”のだ。だから報道では「高校生が首を絞められて殺された」と言われていた。多くの人は二ノ宮が顔を潰されていたことを知らない。義人くんは知っていた。

 家族なのだから、知っていてもおかしくないのではないか? と、僕は思った。

 けれど中学生の男の子に「君のお兄さんは頭を潰されて死んでいたんだよ。ノーミソがぐっちゃぐちゃだったよ」とわざわざ話すだろうか。

 話す人はいるのかもしれない。

 でもどことなくしこりになって残った。

 それまで、僕は二ノ宮を殺したのはきっと彼の両親、少なくともそのどちらだろうと思っていた。二ノ宮から聞いていた彼の現状は虐待に近かったし、あいつを憎む人間がそんなに多くいるとは思えなかった。きっと警察も、というか姫鶴さんはそう考えたはずだ。でも通夜の日になんとなくそうではないと感じた。二ノ宮の両親が二ノ宮のことをまだ憎んでいたからだ。僕ならば顔を潰すくらいに感情を発散させた相手をまだ憎み続けることは難しいのではないかと考えた。

「ねえあんちゃん、ちょっと話していい?」

 僕はあたりを見渡した。あたりは暗く、誰も僕らに気づいた様子はない。ただ僕の後ろで皆島さんが腰を抜かしているだけだった。

「いいよ」

 義人くんが小さく頷いて「俺さー、カズキのことゴミだと思ってたんだ」と言った。

「ゴミ?」

「そう、ゴミ」

「どうして」

「父ちゃんと母ちゃんが、カズキをゴミってずーっと言ってたから」

「……」

「ろくなやつじゃない。あんなやついなくなった方が社会のためだ。掃除しないといけない。おまえはああはなるなよ、って何度も何度も念を押すみたいにしてさ。あいつに関わっているやつらもゴミだ、ゴキブリと同じだ、おまえは関わるなって。うち犬飼ってるんだけどさ、カズキより絶対に犬のが可愛がられてたんだ」

「うん」

「俺、ゴミは掃除した方がいいと思ったんだ」

 影響を受けやすい素直で聡い子供。

 人の表情を読むのに長けている。

 そういった子供を導く人が、この子に悪意を与えてしまった。

「でもさぁ。通夜のとき、カズキの友達たくさん来たじゃん?」

「来てたね」

「泣いてる人もいたじゃん」

「そうだね」

「それから父ちゃんと母ちゃんが今度は、お互いのことを“あいつはゴミだ。あいつみたいになるな”って言い出してさ。クチ聞かなくなって、犬とばっかり話すようになってきてさ。俺、わかんなくなってきたんだ。でも掃除、はじめちゃったし。続けないといけないと思って」

 今度は皆島さんを襲ったんだね?

 ゴミと関わったゴキブリの。

「ねえ、あんちゃん」


 俺はいったい何を殺したんだろう?


 ぼんやりと義人くんは呟いた。

 僕に向けてではなくて、空中に向けて問いかけたような声だった。

「簡単だよ」

 僕はためいきをついた。

「きみはね、僕の友達で、皆島さんの恋人で、キミの両親にとってのゴミを殺したんだ」

 義人くんが小さく顎を引く。

 僕は二ノ宮ならこんなときになんて言うのだろうと考えた。

 でもあいつはもういないし、僕は自分の中から言葉を見つけなければならなかった。

「きみが決めればいいんだよ」

 僕は手を見て言う。

「僕にとっては友達で、皆島さんにとっては恋人で、きみの両親にとってはゴミだった。でもね、ちょっと年上だからってしたり顔でさかしげな言葉を吐いてくるやつの言う事なんか、気に入らなかったら無視すればいいんだ。きみが決めればいいんだよ。どうだった? きみにとって、二ノ宮はゴミだったかい」

 義人くんがゆっくりと左右に首を振って視線をさまよわせた。

 戸惑っているみたいに。それからすこし時間をかけてからようやく「ゴミじゃなかったと思う」と言った。「僕もそう思うよ」と僕は言った。僕にとって二ノ宮はゴミではなかった。

「きみは、両親からすこし距離をとった方がいいと思う」

 義人くんが頷いた。

「ぼくの家にくるかい?」

「え」

 目を丸くする。予想していなかったようだ。

 距離をとる、ということを警察に逮捕されるということだと考えていたらしい。

 僕はバットを拾い上げて、義人くんを引き起こした。

「妹がちょっとトゲトゲしたやつで、母さんはカレーとシチューしか作れない。父さんは単身赴任で滅多に家にいないけれど、そんなに悪い家じゃないよ」

「……、あんちゃんがそういうなら」

 僕はゆっくりと振り向いた。いまだ腰を抜かしている皆島さんを見る。

「そういうわけだから、すこしばかりこのことを黙っていてほしい。もっとも僕にはお願いすることしかできないんだけど」

 皆島さんはぴくんと体を震わせ、僕の言ったことをしばらく考えていた。

 それからにらみつけるように目元が険しくなる。

「あんた、頭おかしいと思うよ」

 と、彼女は言った。僕は頷いた。

 実はそうなんじゃないかと僕も思っていたのだ。



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