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犬と猫と人間

 

 遺体が司法解剖に回っているから通夜や葬式ができなかったらしいのだが、それから三日が経ってようやく通夜が行われた。

 焼香をして、黒い髪で作り笑顔を見せている二ノ宮の写真に向かって手をあわせる。たぶん高校入学時にとられた写真。違和感があった。だって僕らの知っている二ノ宮は金髪で煙草を吸っていて快活に笑う。黒い髪でこんな硬い笑顔をしていなかった。

 手を合わせ終わってからも僕はなんとなく焼香の列を見ていた。クラスメイト達と先生、それから両親の知り合いらしい大人たちが並んでいる。僕は大して親しくもなかった子供の通夜に出るというのはどういう気持ちなのだろうと思う。

 どうでもいいけれど場合が場合だけに二ノ宮の棺は顔が伺えないようになっていた。

 二ノ宮の顔を修復してやることはできなかったようだ。

 なにげなく二ノ宮の両親を見る。

 ぱりっとしたスーツをきた背が高くて手足の二ノ宮の父親。眼鏡越しに見える切れ長の目つきがどことなく冷淡に感じた。二ノ宮の目も時々同じような冷淡さを帯びるときがあった。二ノ宮の父親は悲しんでいるようには見えなかった。なにか別の心配事があるような印象を受けた。

 何かに苛立っているような印象を受けた。まあそれがこの人の悲しみ方なのかもしれない。

 弔問客と話しながら時々焼香の列を横目で見ている二ノ宮の母親。長い髪を一つ括りにして後ろに垂らしている。愛想笑いを浮かべているが、時々“めんどうくささ”みたいなものが表情に浮かんでいるのが見えた。退屈だからとっととどこかに去ってしまいたそうな様子だった。ポケットの中のスマートフォンに何度も触れて、布越しにそれをなぞっていた。

 通夜のことがどうでもよさそうな印象を受けた。まあそれがこの人の悲しみ方なのかもしれない。

 僕を見つけた義人くんが足音を忍ばせながらトコトコと駆けてきた。

「おっす。あんちゃん。こんばんは」

「こんばんは」

 にっこりと笑顔で僕を見上げる。

 まあそれがこの子の悲しみ方なのかもしれない。

「外いこ」

 気分転換がしたかったようだ。僕は義人くんに連れられて催事場から外に出る。夕方を過ぎかけていて薄暮れが街を覆っていた。赤く染まった世界が少しずつ黒の濃い灰色に染められていく。街の今日が死ぬ。明日の朝にはまた蘇るけれど。

「俺さー」

 義人くんが両手をあげて大きく伸びをした。

「カズキのこと、あんまり知らなかったんだなって」

 僕は頷いた。兄弟 (妹)だからってなんでも知ってるわけじゃない。僕だって最近の妹のことはいまひとつ知らない。知ってるいることといえば反抗期に突入して、英語のロゴが入ったへんてこなバッグを愛用している程度だ。もしかしたら僕や親に隠れて散々に悪いことをしているのかもしれない。おっさんを手玉にとってお金を稼いでいる妹や心無い言葉を吐いて誰か(僕以外)を傷つけている妹のことはちょっと想像がつかなかったけれど。つまりそれは僕が彩智を信頼しているということなのだろう。

「ほら、カズキの友達、けっこう悲しそうだったじゃん」

 そうだね。遺影の前で皆島さんが泣き出してしまってそれを慰めようとしたら貰い泣きしてしまった何人かの女子を思い出す。男子だってあんまり顔に出さないようにはしていたけれどいつもヘラヘラ笑っている高校生らしいテンションの高さはなりを潜めていた。悲しそうだった。前もちらりと思ったけれど義人くんは人の顔色を伺うのが上手な子だった。影響されやすい素直で聡い子供。

 ふと義人くんのお父さんが外に出てきた。

「義人」

 探しにきたようだ。「なかに戻りなさい」と言う。それから僕を見て「彼は」と義人くんに尋ねた。「カズキの友達で石黒さん」義人くんが答えた。すると父親の瞳の中に嫌悪の火がさっと燃え上がって僕を見る視線が険しくなった。露骨な軽蔑の視線だった。けれど別にどうでもよかったので僕は「石黒優です。こんにちは」と挨拶から入ることにした。

「…………」

 父親はなにも言わずになかへ戻っていった。

 僕より緊張していたらしい義人くんが「ぷはぁー……」大きく息を吐いた。

「もしかしたらあんちゃんなら知ってるかもしれないけど、父ちゃんと母ちゃん、カズキのこと好きじゃなかったんだよね。結構ひどいこと言ってたんだ」

 僕は頷いた。何度かそういう話をしたことがある。

 あいつが髪を染めていたから。

 煙草を吸っていたから。

 外に出ていることが多くて何をしていたのか知らなかったから。

 二ノ宮に一番近しいはずの人が二ノ宮のことをわかってやろうとしなかった。それはとても悲しいことのような気がした。義人くんの視線が催事場から出てきた山田を見る。山田はクラスメイトが死んで神経過敏になって暗い顔をしていた。その程度には二ノ宮の死を悲しんでいた。

「……ミじゃ……たのかなぁ」

 義人くんが聞き取れないくらい小さな声で呟いた。

 実感が沸かなかったというこの子の胸に、二ノ宮の死がようやくやってきたのかもしれない。僕は義人くんの短い髪を撫でてやった。くすぐったそうに義人くんが身を捩る。



 義人くんがなかへ戻っていったあと、ふと葛原さんが鼻歌を唄いながら出てきた。

「お、クロちゃん」

 僕を見つけると駆け寄ってくる。

 僕はなんとなく「ねえ、二ノ宮がなんで死んだか知ってる?」と訊いてみた。

「んん? 殺されたんでしょ」

 そうじゃなくて。ええと。

 ああ、質問が悪かったな。

「えっと、二ノ宮がどうやって殺されたか知ってる?」

「クビ締められたんでしょ? テレビでやってたよ」

 葛原さんは答えた。

 そうだよな、と僕は思った。





 なにげなく街を歩く。

 大通り。まばらに車が行きかっている。人の姿は少ない。殺人犯が出たからというのもあるが、元々人の行き来が多くない。近くのスーパーマーケットに入る。主婦と思われる女の人と老人が多かった。夕飯の買い物に来ているのだろう。僕はペットボトルの紅茶とおにぎりを買った。有料の小さな袋に入れ貰い、スーパーを出る。二ノ宮は買い物袋を持っていた。中身はなんだったか思い出そうとする。水。牛乳。お菓子。肉。野菜。そんな感じだったはずだ。

 通りを一つ変えると人間の姿がまったくなくなる。

 路地の裏には沈黙が横たわっていた。

「…………」

 二ノ宮が殺された場所にはテープが貼ってあって進入禁止になっていた。あたりを見渡す。誰もいなかったので僕は黄色いテープを潜って、二ノ宮の隣に座った。

 二ノ宮。頭が潰れて死んだ二ノ宮。頭の中身がこぼれてぶちまけられていた。骨の破片がそこら中に散らばって赤黒い血と透明な液体の中に浮かんでいた。顔の上半分がなくなって下顎が奇妙な角度で首から生えている。空を見上げる。建物の隙間から見上げる空はとても狭く、暗かった。夜が近い。

 僕はいまだ手に残る感触を思い出した。人の頭を殴る感触。頭皮が裂けて血が僕の手を赤く染める。さらに殴り続けると頭の骨が見えた。怯えた目でそれが僕を見る。寒気がした。背筋を興奮が這い上がってくる。両手で顔を包んだ。口角が上がっているのが自分でもわかった。僕はその瞬間を確かに楽しんでいたのだ。人を殴るのが快かったのだ。

「犯人は犯行現場に戻るそうですね?」

 不意に頭上から声が降ってきた。

「姫鶴さん」

「進入禁止の文字が見えなかったんですか」

「すみません、暗くて見えなかったんです」

「過失を主張するのですね。仕方ありません、注意で済ませましょう」

 姫鶴さんの細い手が僕の手を掴み、引き起こした。

 そのまま引っ張って、僕をテープの外側まで追い出す。

「そのスーパーはよく利用するんですか」

 姫鶴さんは僕が片手に引っ掛けているスーパーマーケットの袋を指さした。

「はい」

「あなたほんっとうに警察でなにも話さなかったんですね」

「あはは」

 僕は力のない笑みを浮かべた。

「警察はいまなにをしてるんですか」

「川をさらっています」

「川?」

 姫鶴さんは路地の遥か向こうを指さした。

 ずっと行った先にはさほど水量の多くない細い川が海に向かって流れている。

「凶器が見つかっていないのはご存知ですよね?」

 僕は頷いた。

「犯行があったと思われる時間帯にぽちゃんと何かが水面に投げ入れられる音を聞いた人がいるんです。凶器なんてものは犯行現場に投げ捨てていった方が自然だと思われます。ですが犯人はそうしなかった。なぜか? あくまで可能性の一つとしてですが、凶器に犯人に繋がるなにかがあったのではないかと考えています。どう思いますか」

「どうと言われても」

「まあ時間の問題ですよ」

 責め立てるように姫鶴さんは言った。

「そのうち犯人は捕まります。遅いか早いか、あとはもう一人死ぬかくらいのものです」

「おい、警察」

 姫鶴さんが片頬を釣り上げて厭味な笑みを浮かべた。

 僕はあくまで可能性の一つを口にしてみた。

「凶器、見つからないと思いますよ」

「え」

「それは川に投げ入れられたんでしょう。でもきっと見つからないと思います」

 姫鶴さんはしばらく唇に指をあてて僕の言ったことを考えていた。

「じゃあまた」

 僕は姫鶴さんに背を向けて、家に帰った。



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