プロローグ
俺の名前はアーベル・サンチェス。
オプライトス王国騎士団副騎士長。
それが俺の肩書きだ。
村育ちの俺が国を守る騎士となり、何百人の部下を持つ地位まで上がるのに血の滲むような修行を課してきた。
日々の修行に時間を費やしてきた俺には恋愛経験が一度もなかった。全く性交渉の経験もない。
そんな俺に恋人ができた。
彼女の名前はエマ・オプライトス。
オプライトス王国第一王女。
艶のある長い金髪と水晶のような碧眼、白磁色の肌と大きな双丘の胸に目を奪われてしまう。
俺は柔らかいソファに深く腰を沈めてエマが注いでくれたお茶を飲む。
そんな俺を見てエマは口元を綻ばせた。
心から癒されるような笑顔だ。
マジ可愛い。
俺はエマの笑顔が大好きだ。
此処は王城にあるエマの部屋。
長方形の広々とした部屋でベランダ付き。
置いてある物が少なくて綺麗に整理されている。
俺達以外誰もいない部屋。
つまり二人っきりだ。
部屋に甘い空気が流れる。
俺の隣にエマが座った。
目と目が合うとエマが目を閉じて俺はキスをする。
俺はエマのキスが大好きだ。
部屋の外は誰もいない。
衛兵は見回りで忙しい。
身の回りの世話をするメイドもエマが適当に出払った。
二人きりで会っていることが王城の人にバレたら、俺はきっと殺されてしまうだろう。
この甘い雰囲気に呑まれながら、異変に気付けたのも騎士としての経験の賜物だろう。
「アーベル・サンチェス副騎士長だな?」
気付けば、異様なものが立っていた。
銀色の胸当てと背中に長剣を背負い、その下は黒いタイツに全身を包まれている。性別は男だ。顔は猫を模した仮面を被って見えない。
名前を呼ばれたが俺はこんな異様な男を知らない。
この男はどこから侵入した?
王国の衛兵達は何をしていた?
仮面の男Aは名乗る。
「私はオプライトス王国の暗部組織『夜猫』の一人。王国に仇なす敵を討つ牙」
夜猫と聞いたエマは顔を真っ青に染めた。
王国の副騎士長でもそんな組織の名前は知らない。
確かなことは男から発せられる殺気だ。
とてつもない殺気をぶつけられ俺は剣を抜いた。
どちらともなく始まる剣戟。
男の剣技は俺の剣技と同等か、それ以上だ。
「イヤ! 触らないで!」
「ッ!? エマを離せ!」
見るとエマがもう一人の仮面の男Bに捕まった。
「お前らの目的はなんだ!」
「王国の安寧。嫁ぐ前に姫は清いままでいてもらわなければならない。お前は死ね」
「抵抗しないから、エマを離せ!」
「ダメだ。お前が死ねば離そう」
仮面の男Aはそう告げた。
俺に死ねと言ってきた。
それっきり冷静にこちらを伺っている。
先程からエマを連れて逃げようと窺うが、隙が見当たらない。
死ぬつもりはないが、選択肢がない。
俺は剣を放り投げて、床に膝をついた。
仮面の男は剣を構える。
「王国の為だ、アーベル・サンチェス。死ね」
目前に鈍く光る刃。
エマとの記憶がリプレイさせる。
走馬灯か、未練か、何かが頭の中で駆け巡る。
背後でドタドタと揉み合う音が聞こえた。
「グハッ、お待ち下さい! 姫様!」
迫る刃と俺の間に、エマが滑り込んだ。
仮面の男Aが驚き後ずさる。
ぐったりとしたようにエマが俺に覆い被さった。
顔と上半身に返り血を浴びた俺はエマを抱き留めた。
「エマ……? お前、俺を庇って……?」
エマは大量の血を床に吐き出す。傷跡からダラダラと血を流し続ける。腕の中のエマは冷たくなっていく。命の灯火が消えていく。
エマは俺の頬に手を当てて、笑った。
俺は泣きながら笑い返したつもりだ。
「助けようとしてくれてありがとう……逃げ、て……。生き延びて……」
「死ぬな、エマ! 死なないでくれ!」
「あなたに出会えてよかった……」
エマは力なくぱたりと床に伏せた。
確実に今、死んだ。
俺は頭が真っ白になり、怒りと悲しみで顔中を涙に濡らした。
「あ、あぁ、あああぁぁああおおああ!!」
「こうなれば仕方がない。アーベル・サンチェスも殺して、上に報告するぞ」
「この件は闇に葬る。誰にも口外させてはいけない」
「許さないッ! エマを殺したお前らを俺は絶対に許さない!」
「殺せ!」
「あ………」
痛い。熱い。
仮面の男Bの剣が背後から俺の胸を貫き刃が飛び出た。水平に刃を入れられ、肋骨と左腕を断ち切られた。
最後は仮面の男Aが俺の首をチョンパした。
俺の首がゴロゴロと転がり床の上で止まった。
こうして俺は死んだ。
愛しい人を守れずに殺された。
死んで当然だった。