ハンカチ
目の前にいるグレイスの身体をとっさに手で押す。
グレイスは少し固まったあと、涙を流して走っていく。
言葉が口から出てこなくて、その場で固まる。
姉とグレイス2人の顔が頭の中に浮かび、体から力が抜けて椅子に座りこむ。
先ほどの女性が歩いてきて頭に手を置く。
それを振り払うことすらできずにどこかを見つめていた。
「あの娘が望むなら、護衛をつけて村に返すから、安心しなさい。」
女性は俺の頭を撫でてそう言った。
「ありがとうございます。」
目から涙を流してお礼を言う。
「いいのよ。」
そう言って女性は俺を抱きしめた。
懐かしい感触と香りに涙と声があふれ出す。
女性は俺が泣き止むまで頭を撫でる手をとめなかった。
グレイスは結局部屋に戻ってくることはなかった。
数日後、気まずい表情のルドルフと2人船に乗り込む。
ベッドが4つある船室を用意していてくれたティアさん。
その部屋を2人で使う。
荷物を置いたルドルフが俺に気を使って部屋を出ていこうとする。
「待ってくれ、話がしたい。」
ルドルフを呼び止めて、互いのベッドに向かい合って座る。
「町で」
ルドルフが話し始めたのを遮るように口を開く。
「すまなかった。」
ルドルフは口を閉じてうなずいた。
「いろんなことがあって動揺していたんだ。
ルドルフにあたったのは間違ってた。」
「気にしないでください。」
「俺が・・・」
俺が希望の光だから?
言いかけた言葉を飲み込んだ。
「ありがとう。」
作り笑いを浮かべて立ち上がる。
「俺、船に乗るの初めてだからちょっと怖いけど上に行くよ。」
そう言って部屋を飛び出す。
期待からか、はたまた1人になりたかったからか。
甲板にでて潮風を全身で浴びる。
テンションが上がり、走りだす。
ルドルフも続いてやってきて俺に向かって叫んだ。
「まだ港ですよ!!」
そう言って振り返るとそこにはまだ町が広がっていた。
「船が動き始めたら、もっと揺れますよ。」
少し馬鹿にするように言って俺の肩に手を置いたルドルフ。
「なんで沈まないの!?これ!!」
さっきまで落ち込んでいたが、急に元気が出てくる気がした。
「すげぇぇぇえ!!」
「ちょっと、恥ずかしいので落ち着きましょう。」
ルドルフに連れられて部屋に戻る。
「ここに窓があればいいのになぁ・・・」
ベッドに寝ころんでつぶやく。
「さすがに危険ですからね・・・」
「ルドルフは船に乗ったことあるの?」
上を見上げたまま問いかける。
「ありますよ。
もともと私はエイコーン教国の近くに住んでいましたから。」
ってことはエマさんも乗ったのか。
「オリ姉も一緒に乗れたらよかったのになぁ・・・」
それを聞いたルドルフは悲しそうな声で呟く。
「お姉さまのことは本当に残念です。」
「一緒に来れたらよかったのにね。」
そう言いながらルドルフを見る。
苦しそうな顔のルドルフ。
「そんなにオリ姉がいないのが嫌なの?」
明らかな作り笑いを浮かべたルドルフ
「いえいえ、そんなことはありませんよ。」
そう言って立ち上がる。
「私はすべての子供の味方です。
性別は関係ありません。」
まるで子供の夢のような宣言をする姿を見て思わず笑みがこぼれる。
そして、船が揺れ始めた。
「動き出した!?」
ベッドから飛び起きて、甲板に向かう。
ルドルフはベッドから俺を見送っていた。
甲板に出ると、少しづつ揺れが激しくなっていることに気が付いた。
1人テンションが上がって身を乗り出して海を見る。
よくよく考えてみたら、海を見ること自体初めてだった。
青い海に反射する太陽の光は、今まで気に囲まれて生きてきた俺の肌をじりじりと焼いて行く。
生臭いような匂いの風が髪を揺らし、服まで揺れている。
木々の揺れる音の代わりに鳥の鳴き声が聞こえて、森にはないような静けさがそこにはあった。
「船は初めてですか?」
同い年くらいの女の子に話しかけられる。
「はい。
めちゃくちゃ怖いです!」
そう言って女の子の方を振り向く。
手を口に当てて笑ったその子は海のほうを指さした。
「あの鳥はカモメというらしいですよ。」
女の子の指す方を見ると変な鳴き声でなく鳥が群れを作り飛んでいた。
「私もあんな風に自由に空を飛びまわってみたいです。」
笑顔でそう言った女の子は手を差し出してきた。
「私の名前はシオリと言います。
向こうに着くまでの間、ぜひ仲良くしてくださいね。」
可憐な少女の手を取って名乗る。
「俺はユウキって言います。
こちらこそ!」
名を名乗ってふと疑問が浮かぶ。
「どこに向かってるんですかこの船?」
それを聞いた女の子は声を出して笑い始めた。
「この船が向かっているのはクレリ港という港ですよ。
エイコーン教国に最も近い港町です。」
ひとしきり笑った後に苦しそうに息をしながら答えた彼女。
「シオリさんは1人ですか?」
何とか笑いをこらえる彼女を無視して、話を続ける。
「いいえ、家族と一緒でしたが、家族は部屋で寝ています。」
「せっかくの船なのに。」
そう言うと馬鹿にするような笑みを浮かべる彼女。
そのあと、黙り込んで海を見ると、すぐ横から海を眺める彼女。
あまり人の少ない甲板で2人で海を眺めていた。
時々、彼女の知っている生き物などの知識を教えてくれて初めての海の興奮は冷めやらぬまま夕方になって部屋に戻った。
部屋に戻ると、体調が悪そうな顔で寝ているルドルフ
「大丈夫か!?」
慌てて駆け寄るが、強がるルドルフはただ一言だけ口にしてすぐに眠りにつく。
「大丈夫です。」
居ても立っても居られなくなり、部屋を飛び出して彼女を探す。
甲板に出ても彼女はいなくて、もう部屋に帰ったのかと思いあきらめて歩いていると。
「あら、奇遇ですね。」
体調の悪そうな男の手を引いている彼女に出くわす。
「シオン!
一緒に乗ってる人の体調が悪そうなんだけど!?」
シオンの肩を掴み尋ねると、笑いながら答える。
「それは、船酔いですよ。
心配しなくても大丈夫です。
船に乗りなれていない人がなりやすいもので船に乗っている間はずっとそのままでしょう。」
そう言って、男の人を連れて部屋に入っていった。
「助かった!」
シオンの背中に向かって礼を言って部屋に戻る。
ベッドに寝ころんで考える。
グレイスは何をしているのだろうか。
グレイスの気持ちを裏切ってしまった罪悪感と同時に裏切られた、という悲しさが胸を刺す。
希望の光
この言葉の指す意味は分からないけど、俺はこれにならないといけない様だ。
多くの人の人生が俺の働きにかかっている。
まるで、俺の感情なんかありもしないかのように。
悪夢を見た気がして目を覚ます。
相変わらず揺れる船と、うなされるルドルフ
そーっと起き上がり、外に出る。
持ってきた食料を食べながら甲板に出る。
「お連れの方はどうですか?」
後ろからシオンの声がして振り返る。
「おかげさまでうなされてるよ。」
鼻で笑って目線を海に戻す。
「食べる?」
食べかけの肉をシオンに渡す。
「これは何ですか?」
まるで腫れものを扱うような眼で見るシオン。
「魚を乾燥させて塩漬けにしたもの。
火は通してあるから食べれるよ。」
小さくかじったシオンは眉をひそめた。
「からっ・・」
笑いながら魚を受けとる。
「非常食だからねぇ。」
そう言って魚をかじる。
「よくそんなものを食べられますね。」
信じられないというような顔でこちらを見ているシオン。
「慣れだよ。」
姉が初めて2人で村を抜け出した時に作ったものはとても生臭くて、味がなかった。
それでも、笑顔で姉においしいって言っていた。
「大丈夫ですか?」
いつの間にか手に持っていたハンカチで俺の目元をぬぐうシオン。
「大丈夫、少し塩が目に入ったんだよきっと。」
そう言って笑って海に目を向ける。
「私は船から海を見ているときが好きなんです。」
ふいに話し始めるシオン。
「周りに何もなくなって、たまに見える島や、岩そして時々飛んでいる鳥を目にする以外は何もありません。」
目から涙が流れたような気がする。
「そして、こう思うんですよ。
まるで世界で自分は今一人きりなんじゃないかって。」
そう言って俺のほうを見る。
「もし、1人なら、多少泣いたっていいんじゃないですか?」
笑顔でそう言ってハンカチを渡して去っていくシオン。
姉との記憶が涙とともにあふれ出てきて、その場に座り込んでしまった。
6歳になった俺は毎日行われる母との訓練が嫌になって家から逃げ出したことがある。
その日、やりたくないと泣いてわがままを言って母を困らせていた。
それを見た父は俺の肩を掴んで、目を見て
「お前はやらなきゃだめだ。
1人でも生きていけるように。」
そう言った。
その時父の言ってることがわからなくて、家を飛び出したことを今でも覚えている。
そのまま、森に走って行った。
決して森に入ってはいけないと言われていたから2人を困らせようとして入っていったんだ。
そしてもちろん初めて入る森で迷子になって1人で泣いていた。
そしたら姉が何気ない顔でやってきて、俺を背負って帰った。
あの時、捕まっていた姉の服は汗でびしょ濡れだったことを今思い出す。
海のような色の空を見ながら後悔する。
なんで疑ってしまったんだ。
姉はめったに隠し事なんてしない。
その姉をなぜ信じられなかったのだろう。
今度会った時には姉に謝らなくては。
ハンカチを握って立ち上がる。
思いっきり息を吸って吐き出す。
今できることをやる。
そう決めて部屋に戻る。
うなされるルドルフの横で瞑想をする。
体の中の魔力ができるだけ均一になるように魔力をコントロールする。
船が付くまでの間、部屋にこもって瞑想と食事の繰り返しだった。
船を降りるときにシオンを探したが見つけられなかった。
ハンカチのお礼を伝えなければ、そうルドルフを宿に置いて町中を探したが見つけられなかった。
シオンはどこに行ったのだろう。
「ご迷惑をおかけしましたね。」
翌日、体調が戻ったルドルフと一緒に町を出る。
「1週間ほど歩けばお父さんのいるところに着きます。
心の準備をしておいてください。」
ルドルフは少し悲しそうな声で呟く。
2人の旅は順調に続いた。
時々夜盗に襲われかけたが、ルドルフが負けるはずはなかった。
そして、ついに。
そこには大量のテントが張られていて、まるでテントの村のようになっていた。
ざっと見ても500個のテントはあるんじゃないかと思う。
しかし、人の気配はあまりしない。
実際に人は誰一人歩いていない。
ルドルフについて行き、大量のテントの中心部に行く。
「ここで待っていてください。」
そう言って真剣な顔でテントに入っていくルドルフ。
緊張で手には汗、そして鼓動が早くなっていく。
流れてきた額の汗をぬぐいテントを見つめる。
ゆっくりと開いたテントの入口から出てきたルドルフはすぐに口を開く。
「行きましょう。」




