第六話「小説をネット公開してみた」
『ヴュルテンゲルツ王国物語』の執筆は順調だった。
現在いじめ真っただ中にいるので、ネタには困らない。
……自虐だ。
ありとあらゆるいじめを誇張して小説の内容に盛り込んでいく。
ノートに落書きをされた。
小説では、管理帳簿が改ざんされ、降格された。
靴を隠された。
小説では、先祖伝来の甲冑を盗まれ、危うく戦で死にそうになった。
椅子の上に画鋲を置かれた。
小説では、迷宮で針山の罠に落とされた。
自転車のタイヤをパンクさせられ、ついでにサドルを盗まれた。
小説では、馬車で移動中に御者を殺され、危うく崖から転落しそうになった。
自分のロッカーに生ごみを入れられた。
小説では、自身の領地に人食いの野獣を仕掛けられた。
上履きの中に虫の死骸を入れられた。
小説では、讒言で処刑された友人の生首を投げつけられた。
ショウが危機に陥るネタがいくつも湧いてくる。
ただ、『ヴュルテンゲルツ王国物語』は国盗り物語だ。学校生活だけではどうしても足りない知識がある。
そこで父さんの小説である。父さんに許可をもらい、小説を見せてもらった。
父さんの小説をズバリ言うと、サラリーマンの生きざまがテーマだ。タバコとお酒が似合うハードボイルドな中年男が、無能な上司や頼りない部下に囲まれながらも、ぬるま湯に浸った殿様営業の会社を、培ったスキルと溢れる魅力で立て直していくというストーリーだ。
読んでいると、派閥争いの醜さや市場調査の難しさ、目先の利益に惑わされず、いかにコンプライアンスが大事かということが分かってくる。時折、魅力的な女性が出てきてオフィスラブちっくなシーンもある……母さんに見せられるかは微妙なラインだけど。
まあ、その辺は、某漫画の課長島さんを彷彿させる。
とにかく、父さんの小説は、キャラが立っているし、自分の仕事をそのままモチーフにしているからリアルだ。俺の小説に不足している政治・経済要素を補ってくれる。ストーリーに時事問題も絡めてくるから勉強にもなる。
『ヴュルテンゲルツ王国物語』でのショウの身近な危機は、いじめ体験をもとにしているけれど、もっと大局的な政治・経済の視点は、父さんの小説からネタを拝借した。
あと、父さんは今まで恥ずかしくて小説の内容を黙っていたが、俺に見せてからはやたらと感想を聞いてくるようになった。
俺は正直に面白いと伝えた。すると、「具体的にどこだ? どの章のシーンだ?」としつこく聞いてくる。そんなに感想が欲しいならネットに公開して不特定多数から感想をもらえばいいのにと言うと、それは駄目らしい。
父さんは、小説に登場するキャラを実名で書いている。仕事の内容もフィクションもあればノンフィクションも含まれていて、ネットに公開すると、もろにコンプライアンス違反になるそうだ。
だからといって、ネット公開するために、キャラを偽名にしたり仕事内容をぼかして書いたりするのは、リアリティがなくなるから嫌みたい。
なるほど、と思った。
父さんは俺に小説を見せてくれた時も、小説の参考にするのはいいが、ネットには公開するなと口を酸っぱくして注意した。
もちろん、分かっている。
でも俺は、ネット公開への憧れも抱いていた。父さんのようにリアルすぎて公開できない事情があるわけでもない。自分の小説なら、実名を変更すれば問題ないはずだ。
それから父さんの小説を読んで、参考にして、さらに読んで、参考にして……そんな小説サイクルを繰り返しているうちに、ふと疑問に思った。
父さんの小説に出てくるキャラクターは、生々しくリアルに描かれている。実名で書いて、その人の性格そのまま書いているからそうなんだろうけれど、そんなに様々な人の素性をよく知っているなと。
ある日、疑問をぶつけると、父さんは笑って答えてくれた。
よく知っているのは、自分の職場の周りだけだという。他は、草乃月財閥の総合本社に勤めていた経理の馬場さんに聞いたらしい。
草乃月財閥の総合本社に勤める。それは、エリート中のエリートということだ。社員は一流大卒が当然で、東大京大出身者がざらにいる。そんな中、馬場さんは高卒からの叩き上げで、下積みから苦労して経理部長まで上り詰めたのだと。まさに女傑。社員からは、女版太閤秀吉と呼ばれていたみたい。
そんな馬場さん、本社に三十年勤め、社内の裏事情をとことん知り尽くしていたのだとか。
営業三課の山上部長は愛人と出張しただの、
営業二課の畑町次長は空出張しただの、営業利益をごまかしてポケットマネーにしているだの。
経理でベテランに達すると、数字を見るだけで大体人が何をやっているか分かるみたいだ。
さらに馬場さんは、女性社員を束ねる存在で、女性社員同士のトイレや給湯室での井戸端会議の内容をすべて把握していたという。
例えば、山上部長は部下へのパワハラ、セクハラがひどいとか、末広課長はいつも女性社員をじろじろ見ているとか、重役の田中常務は女性社員への差別発言が多いとか。
この馬場さんの情報網をもとに、父さんは小説のキャラクターを肉付けしているのだという。実に面白い。
★☆
以前から思った通り、俺の小説を誰かに読んでもらいたいという気持ちが日に日に強くなっていた。
でも、ネットには怖い人もいるという話を聞く。作品を酷評されて、作者が立ち直れなくなったという話もある。
……まあ、でも、一度くらい挑戦してみてもいいかもしれない。
父さんの小説とは違って、俺の作品は実名を仮名に変更すれば問題ないはずだ。
そんな気持ちで、俺は小説投稿サイトを探し始めた。
調べてみると、様々な投稿サイトがあることが分かった。プロアマ問わず気軽に投稿できる『小説家王に俺はなる』、より本格的な創作活動を支援する『文芸の森』、ライトノベル中心の『ファンタジア王国』など。
その中でも『小説家王に俺はなる』は、人気が出れば出版社から書籍化の打診もあるらしい。
凄いよね、ネット公開して人気が出れば、小説からコミカライズ、そしてアニメ化までされるのだ。
夢が広がる。
ただし、投稿する前に作品を少し手直しする必要があった。
まず、実名をすべて仮名に変更した。クラスメートの名前はもちろん、学校名も架空のものにした。実在の企業名や団体名も、フィクションであることを明確にするため変更した。
それでも本質的な部分は変えずに済んだ。
あとは、小説投稿サイトを決めなければならない。
どのサイトにしようか?
熟考した結果、うってつけのサイトを見つけた。小説を書く前の俺でも知っている有名な小説投稿サイト『小説家王に俺はなる』である。プロアマ問わず気軽に投稿できるし、人気が出れば出版社から書籍化の打診もあるのだとか。
早速ユーザー登録し、投稿しよう。
おっと、その前に規約をよく読んでおくか。
ざっと目を通すと、常識的なマナーを守っていれば問題なさそうだ。
早速投稿してみた。
ドキドキ、胸が高鳴る。
さあ、いかに?
まるで宝くじの当選番号を見ている気分で結果を待つ。
……。
…………。
………………。
感想は来なかった。
あれから数日経ったが、作品のポイントは0。ブックマーク無し、PVはたった二人、それもアクセス解析を確認すると、最初の一、二話だけで、そこで終わっている。
一、二話って……まだ冒頭の冒頭もいいところだ。ここから話は面白くなってくるのに。
なぜアクセスが止まる!
どうして続きを読んでくれないんだ!
どこか悪いところでもあるのか?
そもそも、たった二人じゃ分析もできやしない。
感想が欲しい、欲しい、欲しいぞ。
誰か俺の小説の評価を聞かせてくれ!
忸怩たる思いを持て余しながら、さらに数日待ってみる。
……。
…………。
………………。
感想は来なかった。
な、なぜだ?
俺の小説は面白い、傑作のはずなのに。
宣伝が足りないのか?
投稿のたびにつぶやいて、後書きに書いて、活動報告で投稿の報告までしているのに……。
原因が分からない。
業を煮やした俺は、次の行動に移る。
感想をもらえない場合は、どうすればよいかネットで片っ端から調べた。
そして、見つけた。
感想をもらえるサイト『辛口道場』だ。
ここに投稿すれば、初心者でも高確率で感想をもらえるらしい。ただ、小説の質を上げたい、プロの小説家になりたい人向けのサイトのようで、シビアすぎるという評価もある。
少しそのサイトの感想欄を覗いたけれど、確かに辛辣なコメントがあった。
……若干不安ではある。
だ、大丈夫、俺の小説は面白い。
辛口コメントもあったけれど、面白いというコメントもいっぱいあった。この後の展開で具体的にどうすればよいかのアドバイスも書かれていたし、自分のためにもなる。
それにだ。俺はとにかく感想が欲しいんだ。なんでもいい、反応をくれ!
もう無視されるのは嫌だ。
ええい、ままよ!
早速、そのサイトに投稿してみた。
ドキドキ、胸が高まる。
しばらく待つ。
……。
…………。
………………。
今度は感想が返ってきた。
感想きたああああ!
さすがに噂通り早い反応だ。投稿して数時間だよ。
ドキドキする。手が震えながらも、クリックして感想欄を開く。
評価は……ひどかった。
投稿者:転生人子
一言
暗すぎる。憂鬱になった。
一話の主人公へのいじめで切りました。
投稿者:画欧ab
一言
胸糞展開はお腹一杯、ストレスがたまる。
投稿者:名無し
一言
つまらん。
読む価値無し、ここから読むには料金がいるぞ。
あ、あ……うっ、うああああああ!
辛辣な意見が続いていく。
確かに『ヴュルテンゲルツ王国物語』は、今の俺の心情を露骨に表している。ただただ救いようのない話が結構ある。
でも、まだ序盤じゃん。最後まで読んで欲しかった。これは勧善懲悪物だぞ。最後はそういう胸糞展開を解消するように作っているのに。
暗いとかつまらんとか容赦なさすぎる。そんな序盤だけ見て評価しないで欲しい。
感想者へ胸の内を返信する。
『ここから面白い展開が待っています。つまらないとか評価する前に最後まで読んでくれませんか?』
しばらくして、感想返しの感想が返ってきた。
投稿者:名無し
一言
お前は類人猿か? ここの規約を読め!
はあ? なんだそれ!
思わず椅子から立ち上がった。
類人猿って、意味分からん。小説に関係ないだろうが!
精神がゴリゴリ削られる。
猿って、猿ってなんだよ。
俺は人間だ。
このやろう! てめえ屋上来い!
それからこの『名無し』とやりとりを繰り返したが、向こうの方が口が達者で言い負けてしまう。他の感想者からも『暗い』『つまらん』のオンパレードだ。
……ネットって、ここまでひどいのか?
俺がこの小説を書くのにどれだけの時間と労力を費やしたと思っている!
俺の苦労、俺の努力、分かって言ってんのかよ!
それをつまらん、つまらんってひどすぎる。
感情の赴くまま、さらに感想返しをする。
『寝る間も惜しんで書いた作品を、こき下ろすように非難されるのは、我慢できません!』
しばらくして感想返し返しの返信が返ってきた。
投稿者:画欧ab
一言
どんなに心血を注いだ作品でも駄作になることもあれば、鼻歌交じりに書いたものが傑作になることもある。それが、この世界だ。努力を示すのではなく結果を示せ。批判が嫌ならネットに公開しなければいい。
なんだよ、それ!
嫌なら見なければいいだろ。悪口を書いて楽しいのか。人を批判ばかりして、それで満足なのかよ。人は褒められて成長するんだ。
思いの丈をぶつけるため、活動報告に投稿する。
『何が嫌いかより、何が好きかで語るべきでは?』
すぐに返信が返ってきた。
投稿者:名無し
一言
いや、それパクリだから。通報する。
おお、おう、ぐはっ!
なんでだよ……。
くそ、くそ、くそ。
ああ言えば、こう言う。なんでそんなに悪意を持ったコメントができる。
活動報告で思いをぶつけ……はあ~もう、いいや。
力がへなへなと抜ける。
なんか疲れた。
ただでさえ学校生活でストレスが溜まっているのに、ここでもストレスを溜めたくない。
俺はすぐに『辛口道場』サイトから投稿作品を削除した。
ちくしょう、ちくしょう。
なんでいつも俺はこんな目に遭う。
ぽたぽたと涙がこぼれる。
悔しい。
悔しい。
感情のままに掴んでいたマウスを壁に投げつける。
ガシャンと音が鳴り、中に入っていた電池が飛び出す。
電池が、コロコロと転がる。
……落ち着こう。
深呼吸をして無理やり自分をリラックスさせる。
もともとこの小説は、ネットに載せるものではない。評価で一喜一憂してどうする。小説を書く目的を履き違えるな。小説は、ストレス解消の一助になっているから書いているのだ。
そうだよ、嫌なことは忘れて元の自分に戻るべきだ。
小説を書く。
机に座りパソコンを起動させる。
マウスを元に戻し、エディタを立ち上げ、執筆の続きだ。
次は二章だから帝国の常勝将軍との初会合……。
キーボードを打つ手が止まる。
あれ、変だ。
あんなに楽しかった執筆の時間だったのに、今は楽しくない。
キーボードを打つ毎に、言われた批判を思い出す。
つまらん、つまらんと何度も言われ、人格否定までされた。
怖い。
ネットの中でもいじめられるのは、耐えられない。
小説書くのは、しばらく休もう。
それから数日、抜け殻のように過ごした。
学校でのいじめも相変わらずだし、これからどうやってストレス解消すればいいのやら。
……そうだ。
小説を書くのは無理だけれど、読むのはいいか。執筆に集中していたから読むのは控えていた。気になる作品をいくつかブックマークして溜めている。
本当は、ゲームも漫画も小説も読む気分じゃない。だけれど、何かしていないと悪い方向に頭が回ってしまう。
久しぶりに『小説家王に俺はなる』サイトにログインする。
えっ!?
思わず我が目を疑う。
感想欄のところに赤字があり、光っているのだ。読むと「あなたに感想が届いております」の文字だ。
まじで!?
感想を必ずもらえる『辛口道場』ではない。『小説家王に俺はなる』サイトの感想だ。つまり、催促をしたわけでもないのに、感想をくれた人がいるのだ。
嬉しい。
すぐに感想欄を開こ——。
手が止まる。
また酷いことが書かれていたら……。
見ない方がいいかな?
ネットに公開するのはもう懲り懲りだ。見も知らない人から攻撃されるのは辛い、辛すぎる。
いや、でも批判ではなく応援のメッセージかもしれない。
期待と不安が交差する。
でも、希望にすがりたい。
最後、これが最後だ。不愉快なコメントだったら作品自体削除してしまおう。
恐る恐る感想欄を開く。
投稿者:黒兎
良い点
主人公の心理描写がリアルで良い。
世界観は一見陰鬱ではあるが、深く読み込めば希望があるのが分かる。今後の展開に期待。
一言
『辛口道場』から来た、黒兎よ。ずいぶんひどいこと言われたみたいね。
投稿が止まっているようだから、ショックを受けているのかしら?
まあ、小説を書く者にとってある種の洗礼みたいなものよ。誰もが通る道、気にする必要はないわ。
他が何を言おうが、面白かった。私は、続きを読みたい。
P.S.文体から察するに、あなた小説を書き始めて間もないでしょう? よければアドバイスをしてあげる。気が向いたらメッセージを寄こしなさい。
一瞬、何を言われたのか分からず頭がフリーズする。
そして、
おおおおおお!超嬉しい!
嬉しい、嬉しい、嬉しいよおお!
胸の奥から歓喜が湧き起こる。
たった一つの感想で勇気をもらえる、陳腐かもしれないが、今まさにその気持ちだ。
黒兎さん、ありがとう!
小説書くのをやめるのは、やめだ。
俺は、何を勘違いしていたのだ。ポイントとかアクセス数とか関係ない。俺の小説を見てくれる人がいる。読者が一人でもいてくれるのなら、俺の小説を面白いと言ってくれる人が一人でもいるのなら、それでいいじゃないか!
俺は、黒兎さんのために書き続ける。
やるぞ!
その日、久しぶりに執筆を開始した。
筆がのる。
今までにない集中力を発揮し、その文字数は一万字を超えていた。
★☆
相変わらずクラスでのいじめはひどかった。味方はいない。クラス全員から疎外され、暴力を受けた。
いいんだ。
授業中に後ろから消しゴムを投げつけられようが、廊下をすれ違いざまに頭を小突かれようが、気にしない。
大丈夫、卒業すればこの地獄は終わる。
地獄のような日々でも、小説を書き、黒兎さんから感想をもらえたら元気が湧いた。
小説と、黒兎さんと、大事な家族、それらが俺を支えてくれた。俺の精神はぎりぎり平静を保っていられたのである。
黒兎さんとのやりとりは、俺にとって大きな支えになっていた。
彼女——感想の文体から女性だと推測していた——は、俺の小説の良い点を的確に指摘してくれる。そして、改善点についても、決して否定的にならず、建設的なアドバイスをくれる。
『ショウの心理描写は本当に秀逸ね。読んでいて、彼の感情が手に取るように分かる。ただ、もう少しレイラ王女の内面も描いてみたらどうかしら? 彼女がシモンに騙される過程を、もっと詳しく書けば、読者の理解も深まると思うの』
そんな具体的で温かいアドバイスをくれる。
俺は黒兎さんの助言を参考に、物語をさらに深く掘り下げていった。レイラ王女の心境、シモンの巧妙な心理操作、王宮内の複雑な人間関係——すべてを丁寧に描写した。
すると、黒兎さんからまた感想が届いた。
『素晴らしい! 前回のアドバイスを見事に活かしているわね。レイラ王女の葛藤がよく描けている。彼女も被害者なのだということが、読者にも伝わってくる。この調子で頑張って』
こうしたやりとりを続けているうちに、俺の文章力は確実に向上していった。最初はぎこちなかった描写も、次第に自然で読みやすいものになっていく。
何より、書くことが再び楽しくなった。
黒兎さんという読者がいることで、俺は一人じゃないと感じられた。現実世界では孤立していても、物語の世界には理解者がいる。それだけで十分だった。
小説執筆を再開してから、俺の日常にも微細な変化が現れ始めた。
まず、学校でのいじめに対する耐性が少し上がった。以前なら一日中引きずっていた嫌な出来事も、「これも小説のネタにしよう」と考えることで、客観視できるようになった。
紫門たちの卑劣な行為も、シモンたちの陰謀として物語に組み込むことで、現実の辛さを少し和らげることができる。
作家の心境というのは、こういうものなのかもしれない。現実の体験を創作の糧にすることで、辛い現実も意味のあるものに変えていく。
家族との関係も、より良いものになった。
父さんは俺の変化に気づいているようで、時々「最近調子良さそうだな」と声をかけてくれる。詳しい事情は話していないが、俺が何かに夢中になっていることを理解してくれている。
母さんも、俺が自分の部屋で何時間も集中している姿を見て、「翔太の好きなことが見つかって良かった」と言ってくれる。
妹の美咲は相変わらず「お兄ちゃんの小説、いつ読ませてくれるの?」とせがんでくるが、まだその時ではない。もう少し完成度を上げてからにしたい。
そんなある日、黒兎さんから意外な提案が届いた。
『あなたの小説、他の人にも読んでもらいたいと思うの。私の知り合いで、小説好きの人たちがいるのだけれど、紹介してもいいかしら? もちろん、嫌だったら断って構わないわ』
俺は少し悩んだ。
『辛口道場』での屈辱的な体験がトラウマになっていて、他の人に読まれることに恐怖を感じていた。でも、黒兎さんが推薦してくれる人たちなら、きっと建設的な感想をくれるだろう。
『お願いします。ただ、まだ自信がないので、優しく読んでもらえる人だと嬉しいです』
そう返信すると、すぐに答えが返ってきた。
『大丈夫、皆いい人よ。きっとあなたの小説を気に入ってくれると思う』
数日後、俺の小説に新しい読者たちからの感想が届き始めた。
『読ませていただきました。主人公の成長過程が丁寧に描かれていて、引き込まれました。続きが楽しみです』(読者:蒼い鳥)
『政治的な陰謀の部分が特に面白かったです。現実の企業社会を思わせる描写もあり、大人が読んでも楽しめる作品だと思います』(読者:夜更け)
『キャラクターの心理描写が秀逸ですね。特にショウの葛藤がリアルで、感情移入してしまいました』(読者:静寂)
どの感想も温かく、建設的なものばかりだった。
涙が出そうになった。
こんなにも自分の作品を理解してくれる人たちがいるなんて。たとえ現実世界で孤立していても、創作の世界では仲間がいる。
それからの俺は、これらの読者たちのことを考えながら執筆するようになった。蒼い鳥さんはどんな展開を期待しているだろう? 夜更けさんは政治的な描写をもっと読みたがっているかもしれない。静寂さんはキャラクターの成長を見守ってくれている。
読者を意識することで、俺の文章はさらに向上した。独りよがりな表現は減り、読みやすく分かりやすい文章を心がけるようになった。
執筆を再開してから二ヶ月が経った頃、『ヴュルテンゲルツ王国物語』は大きな転換点を迎えた。
ついに、ショウがシモンの正体を暴露する場面にさしかかったのだ。
これまで積み重ねてきた伏線を回収し、悪役たちに正義の鉄槌を下す。俺が最も書きたかった場面だった。
王宮の大広間で繰り広げられる法廷劇。証拠を突きつけられ、追い詰められていくシモン。真実を知って愕然とするレイラ王女。民衆の怒り。
俺は現実の紫門への怒りをすべてこの場面にぶつけた。シモンが受ける制裁は、俺が紫門に味わわせたい報復そのものだった。
この場面を書いている時、俺は我を忘れて没頭した。気がつくと朝になっていて、一晩で二万字も書いていた。
翌日、黒兎さんから感想が届いた。
『圧巻よ! 今まで描いてきた主人公の苦悩が、すべてこの場面のために存在していたのね。読んでいて鳥肌が立ったわ』
他の読者からも絶賛の声が届いた。
『涙が止まりませんでした。ショウの勝利は、読者である私たちの勝利でもあります』(蒼い鳥)
『見事な構成ですね。すべての伏線が綺麗に回収されていて、プロの作品を読んでいるような気分になりました』(夜更け)
『ショウの成長の集大成ですね。最初の弱々しい少年が、ここまで成長したかと思うと感慨深いです』(静寂)
天にも昇る気持ちだった。
こんなにも多くの人に自分の作品を評価してもらえるなんて、夢にも思わなかった。
しかし、物語はまだ終わらない。最初に構想していた通り、シモンを倒したことが実は帝国の罠だったという展開が待っている。
真の敵は、もっと巨大で強大な存在だった。
ショウの戦いは、まだ始まったばかりなのだ。
そして俺の現実の戦いも、思わぬ形で新たな局面を迎えることになる。
紫門が、俺の最近の変化に気づき始めていたのだ。
俺が小説執筆に夢中になり、以前ほどいじめにダメージを受けなくなったことを。
これまで俺をいじめることで優越感を得ていた紫門にとって、それは面白くない変化だった。
紫門の中で、俺への憎悪が新たな段階に入ろうとしていた。