第二話「家政婦じゃないよ。モブ高生は見てた」
土曜日の昼下がり。
目的地は新宿の繁華街。前々から楽しみにしていた【王国戦争物語 拡張パッケージ版】を購入するためである。
このゲーム、発売日から三週間も品切れ状態が続いていた人気作だ。ネットの評価も軒並み高評価で、レビューサイトを見るたびに購買欲を刺激された。
特に今回の拡張版では新キャラクターが十二体も追加され、ストーリーモードも大幅にボリュームアップしているという。前作から引き継がれる壮大な世界観と、新たな王国の興亡を描いたシナリオが話題になっていた。
毎月のお小遣いを貯めてついに購入資金の八千円を確保した甲斐があった。バイトをしていない高校生にとって、八千円は決して安い買い物ではない。三ヶ月かけてコツコツと貯めた、まさに血と汗の結晶だ。
新宿駅を降りて、目的地までひたすら歩く。
休日の新宿は想像以上の人出だった。平日でも十分に人が多いこの街が、土曜日となるとまさに人間の洪水と化す。
人、人、人の波に襲われる。
修学旅行の学生グループ、買い物袋を抱えた主婦たち、デートを楽しむカップル、外国人観光客。老若男女が入り乱れて、まるで人間の洪水のようだ。
群衆の中を縫って歩きながら、様々な光景が目に飛び込んでくる。道端で大道芸を披露する若者、呼び込みに必死な店員、街頭インタビューを受けている女性。新宿という街の多様性を肌で感じながら、俺は目的地を目指して歩き続けた。
それでもひたすら歩く。
スマホの地図アプリを片手に、人混みをかき分けながら進む。途中、何度も道を間違えそうになったが、GPSのおかげで何とか軌道修正できた。現代の便利さに感謝しながら、俺は歩みを止めない。
時折、呼び込みの声や街頭パフォーマンスの音楽が耳に飛び込んでくる。甘い匂いのクレープ屋台の前を通り過ぎ、派手な看板が立ち並ぶビルの谷間を縫って歩く。新宿の雑踏に身を任せながら、俺は徐々に目的地へと近づいていく。
途中、いくつかのゲームショップを覗いてみたが、どこも売り切れ。やはり人気作だけあって、在庫確保は困難らしい。店員に尋ねても「入荷未定」という答えばかりが返ってくる。
がっかりしながらも、俺には最後の頼みの綱があった。ネットで事前に調べた穴場のゲームショップだ。
そして……。
ふー、やっと買えた。
ゲームショップ【ばんっぱんら】……。
ビルの三階にあるこの店は、知る人ぞ知る隠れた名店だ。新宿の中心部から少し外れた雑居ビルの中にあるため、観光客や一般の買い物客はほとんど来ない。そのおかげで、他店では品切れの商品でも在庫があることが多い。
ラインナップも豊富で、新作から懐かしのレトロゲームまで幅広く取り揃えている。価格もリーズナブルで学生の懐には優しい。中古ゲームの品揃えも充実していて、掘り出し物を見つける楽しみもある。
店長の山路さんは気さくなおじさんで、ゲームの話になると目を輝かせて熱く語ってくれる。今日も俺が【王国戦争物語】を手に取ると、「いいゲームを選んだね!」と嬉しそうに話しかけてきた。そして、ゲームの攻略のコツや隠しキャラクターの出現条件まで教えてくれた。
言うことは、ほぼないんだけど、一つだけ!
場所がわかりづらすぎる!
ググルで地図検索したが、道が入り組んでいて何度も迷った。新宿の街は一見整然としているように見えるが、実際に歩いてみると複雑な構造をしている。大通りから一本入った路地は迷路のようで、方向感覚を失いそうになる。
看板も小さくて目立たないし、雑居ビルの中にあるから余計に見つけにくい。今日だって三回も道を間違えた。同じような建物が並んでいるため、一度通り過ぎてしまうと、どのビルだったか分からなくなってしまう。
右往左往したよ。
足が棒だ。疲れた。汗ばんだシャツが背中に張り付いて不快感が増す。春とはいえ、これだけ歩き回れば汗をかく。特に人混みの中を歩いていると、体温も上がってくる。
明日は筋肉痛だろうが、まあ、いい。
目当ての物も買えたし、店長さんから攻略本のおまけまでもらった。限定版のポストカードも付いてきて、思わぬ収穫だった。ゲーム本体だけでなく、これだけの特典がついてくるとは予想外だった。
攻略本は最新版で、まだ書店でも売られていない非売品らしい。店長さんが出版社の担当者と知り合いで、特別に分けてもらったものだという。こういうサービスがあるから、この店は手放せない。
帰ろう。
購入したゲームの入った紙袋を大事に抱えて、足取りも軽やか。ふんふん♪と鼻歌まで出てしまう。
早く家に帰ってプレイしたい気持ちで胸が躍る。新キャラクターがどんな能力を持っているのか、新シナリオはどんな展開になるのか、想像するだけでワクワクする。
今夜は徹夜でプレイするつもりだ。明日は日曜日だから、多少夜更かししても問題ない。久しぶりに心の底からゲームを楽しめそうだ。
新宿駅を探して、数十分歩く。
あれ、駅はどっちだっけ?
来た道を帰ったつもりが、見慣れた風景ではない。さっきまでの商業地区とは雰囲気が違う。ゲームを買えた喜びで浮かれていたせいで、道を間違えてしまったようだ。
さっきまでの賑やかな商業地区とは打って変わって、なんだか薄暗くて妖しげな雰囲気が漂っている。建物の造りも違うし、看板の内容も明らかに変わった。
呼び込みの怖そうなパンチパーマのおじさんがいる。黒いスーツに金のネックレス、サングラスをかけた威圧感のある風貌だ。近づいてくる客に声をかけているが、その表情は営業スマイルというより、獲物を狙う肉食動物のようだった。
ピンクのネオンが輝くエロそうな店がいくつもある。「◯◯倶楽部」「プレイガール」「エンジェル」などという看板が目に飛び込んでくる。昼間だというのに、すでにネオンサインが点灯している店もある。
そして、昼間だというのに、色気ムンムンのお姉さんがそんなお店の前に立って通行人を誘惑している。派手なメイクに体のラインが強調されたドレス、高いヒールを履いた女性たちが、道行く男性に声をかけている光景は、高校生の俺には刺激が強すぎる。
この場所って……。
そういえば、ここって歌舞伎町に近かったな。テレビでよく見る、あの有名な歓楽街だ。ニュースで事件が起きるたびに映される、あの場所。
よくよく観察すると、「審査なし、十万円まで即決即金でお渡しします」と書かれた黄色いビラが電柱に貼られていた。他にも「高収入アルバイト募集」「今すぐ現金が必要な方」といった怪しそうな看板を掲げたビルがところ狭しと立ち並んでいる。
消費者金融の看板も目立つ。「審査最短三十分」「無担保・無保証人」といった文字が躍っている。こういう場所があることは知識として知っていたが、実際に目にするとその生々しさに驚く。
空気も重く、なんとなく危険な匂いがする。明らかに高校生が一人で歩くような場所ではない。
ここは、一介の高校生が来ちゃいけないところだ。
急いで別の通りに行こう。慌てて踵を返す。
心臓がドキドキと早鐘を打っている。テレビや映画でしか見たことのない世界が、現実に存在することを改めて実感する。
「そこの兄ちゃん、いい子いるよ」と野太い声で呼ばれても無視だ。「え、どんな娘ですか? 巨乳っすか?」と聞き返したいのを必死に我慢し、平静を装ってテクテクと移動する。
母親に「新宿の繁華街には近づいちゃダメよ」と言われていた理由が、今になってよくわかった。確かにこんな場所に高校生が一人で来るものではない。
携帯を見ながら小走りで小道に入ると、今度はラブホテル街に迷い込んだらしい。
休憩四千円、一泊六千円とか看板に書かれている。「プリンセス」「ロイヤル」「エデン」といったメルヘンチックな名前とは裏腹に、建物は妙に豪華で装飾的だ。まるで中世ヨーロッパの城を模したような外観のホテルもある。
値段を見ると、思ったより安い。高校生のお小遣いでも手が届きそうな金額だ。もちろん、俺には関係のない話だが、なんとなく気になってしまう。
通行人は、ラブラブのカップルばかりだ。
手を繋いで歩く大学生らしきカップル、肩を寄せ合うサラリーマン風の男性とOL風の女性、中には制服姿の高校生カップルもいる。みんな幸せそうで、見ているこちらが照れてしまう。
みんな幸せそうで、俺の心に微妙な嫉妬心が芽生える。リア充爆発しろ、という言葉が頭に浮かぶ。でも、本心では羨ましいという気持ちの方が強い。
ラブホテル街……。
そういえばラブホって構造はどうなってるんだろう? 室内が鏡張りとかは、友達から聞いたことがある。回転ベッドがあるとか、ジャグジーが付いているとか、まるで宮殿のような内装だとか。
健全な高校生なら誰しも興味があることだ。でも実際に入ったことなんてないから、想像するしかない。テレビで見る豪華な内装は、本当にあんな感じなのだろうか。
こ、これはしょうがないよ。
駅を探すうちにホテル街に迷い込んでしまった。完全に不可抗力だね。決して興味本位で来たわけではない。
それに、こんな刺激的な場所を歩き回っていると、なんだか興奮してくるのも事実だ。普段の学校生活では体験できない、大人の世界を垣間見ているような背徳感がある。
マナー違反とは思うが、ついつい通行人を見てしまう。
みんな、可愛いね。
黒髪ロングの清楚な子は、まるで雑誌から抜け出てきたような美しさだ。上品な服装と控えめなメイクが、彼女の美しさを一層際立たせている。
茶髪に染めた活発そうなギャルは、笑顔が眩しくて生命力に溢れている。明るい性格が外見からも伝わってきて、見ているだけで元気になりそうだ。
ショートカットのスポーティーな少女は、健康的な魅力が際立っている。きっと運動部に所属しているのだろう。引き締まった体型と堂々とした歩き方が印象的だ。
様々なタイプの女性がいて、男子高校生の俺には目の保養になってしまう。それぞれに違った魅力があって、世の中にはこんなに綺麗な人がいるのかと感心する。
そして……。
おっ! 今日一番の可愛い子!
髪をサイドに結んだポニーテールの女の子。陶器のような透明感のあるお肌と、まるで人形のように目鼻の整った顔立ち。笑ったときのえくぼがとても可愛らしく、上品な雰囲気を漂わせている。
この子ならアイドルグループのセンターを務めていてもおかしくない美貌だ。いや、アイドルよりも美しいかもしれない。天然の美しさというのは、こういうことを言うのだろう。
身長は百六十センチくらいだろうか。スタイルもよく、清楚なワンピースが似合っている。きっと学校でも人気者に違いない。こんな美少女が同じ学校にいたら、男子生徒は勉強に集中できないだろう。
ポニーテールの女の子は、嬉しそうに男と腕を組んで歩いている。二人の距離の近さから、恋人同士であることは明らかだ。
くぅ〜、うらやましいぞ。
この男は、こんな美少女と、この後、しっぽりすっきりするのだ。人生の勝ち組としか言いようがない。俺も生まれ変わったら、こんなイケメンに……。
相手はどこのどいつだ――って紫門じゃないか!
うらやましすぎる男……それは、よく見知っている、クラスメートだった。
成績優秀でスポーツ万能、おまけに女子にモテモテのイケメン。まさに完璧超人だが、唯一の欠点は性格が最悪なことだ。プライドが高くて見下した態度を取るし、気に入らない相手には容赦ない。そんな男が、こんな可愛い女の子と腕を組んで歩いている。
世の中、不公平すぎる。
紫門……なんか学校のときと違う。
いつも女性に対して誠実で、品行方正な好青年を装っているのに。制服をきちんと着こなし、髪型も清潔で、まるで優等生の見本のような外見だった。
でも今日の紫門は、服装といい、髪型といい、なんというかチャラついている。黒いタンクトップにダメージジーンズ、髪は無造作にセットして、耳にはシルバーのピアスまでしているのだ。まるで別人のようなギャル男スタイルだ。
学校では見せない一面を垣間見た気がする。こんな格好をする紫門を見るのは初めてだ。
変装しているのか?
まあ、いいところのボンボンだからな。知人にばれたくないのだろう。でも、ここまで見た目を変えるなんて、よほど正体を隠したいんだろうな。
それとも、これが紫門の本当の姿なのかもしれない。学校で見せている優等生の姿こそが、演技なのかも。
チャラ紫門は、ポニーテールの女の子と仲睦まじげに話をしている。時折、人目もはばからず路上でキスしていた。女の子も嬉しそうに身を委ねている様子で、完全にラブラブモードだ。
見ているこちらが恥ずかしくなるほどのイチャイチャぶり。でも、なぜか目が離せない。
俺は物陰に隠れながら、まるでストーカーのようにその様子を見守る。胸の奥に、モヤモヤした感情が渦巻いている。
そして、予想通り、二人でホテルに入っていった。
「プリンセスパレス」という、やたらと豪華な外観のラブホテルだった。まるで本物の宮殿のような造りで、入り口には噴水まである。こんなホテルがあることに驚く。
入り口付近で最後のキスを交わし、手を繋いで中に消えていく二人の姿を、俺は呆然と見送った。
あいつ、麗良さんがいるくせに……。
学年一の美女で、成績も抜群、人柄も申し分ない完璧な女性だ。そんな彼女と紫門は交際していると噂されている。いや、噂というよりも、学校では公然の事実だった。
草乃月麗良。俺が密かに憧れている、高嶺の花。
彼女は容姿端麗で、まるで西洋のお姫様のような美しさを持っている。金色の髪と青い瞳は、日本人離れした美貌の象徴だ。しかも、頭脳明晰で運動神経も抜群。まさに才色兼備という言葉がぴったりの女性だ。
家柄も申し分ない。草乃月財閥の令嬢として、幼い頃から上流社会で育った品格がある。話し方も優雅で、立ち居振る舞いも洗練されている。
そんな完璧な女性が、なぜ紫門なんかと……。
でも今、目の前で女遊びして、浮気をしているのだ。
俺の意中の人である麗良さんが、あんなクズ野郎に弄ばれているのか!
許せん。
新作ゲームを買ってうきうきしていた心は一変した。胸の奥で怒りと嫉妬がメラメラと燃え上がり、俺の嫉妬ボルテージが急速に上昇した。
紙袋に入ったゲームの重みも、もはや気にならない。頭の中は、麗良さんのことでいっぱいになっていた。
月曜日の学校で、あいつの偽善者ぶった顔を見るのが我慢できそうにない。
きっとまた、麗良さんの前では誠実で優しい恋人を演じるのだろう。そして、麗良さんはそんな紫門の本性に気づかず、騙され続ける。
なんとかして、麗良さんに紫門の正体を教えてあげたい。でも、どうやって? 俺が言ったところで、信じてもらえるだろうか。
悩みながら、俺は重い足取りで新宿駅へ向かった。せっかく手に入れたゲームも、今は全く興味を持てない。頭の中は麗良さんと紫門のことばかりだった。
帰りの電車の中でも、その光景が頭から離れなかった。揺れる車窓の景色を見ながら、俺は複雑な感情と戦っていた。
家に帰ったら、どうしよう。
ゲームをプレイする気分にはなれそうにない。こんな気持ちでは、とても楽しめないだろう。
しばらくは、この嫌な気分と付き合わなければならないようだった。




