第二十四話「ナイスミドルからの刺客(前編)」
紫門に洗脳機械を使う。
決死の思いで学校に来たが、肝心の紫門がいなかった。
DNA奪取のために喧嘩も辞さない。殴り合い覚悟で気合を入れてきたのに、拍子抜けもいいところだ。
愛里彩から紫門が入院中とは聞いてはいたが、かれこれ一週間以上も学校を欠席している。とっくに退院していてもおかしくないというのに。紫門の怪我は、俺が思っているより重傷なのかもしれない。
いい気味だが、それはそれで困る。紫門のDNAを入手できない。
紫門は女性を襲うような根っからのクズである。妹の真理香もあわやというところであった。ぎりぎり助かったからよかったものの、今思い出すだけでも腸が煮えくりかえる。
紫門をこれ以上野放しにはできない。
こうなれば方針転換して、学校でなく病院に直に乗り込んでみるか?
こっそり病室に潜入して紫門の毛髪を盗んでくる……いや、無理か。
紫門の入院先は、芸能人や政治家などが利用する超VIPな病院である。たしか前の総理大臣もここに入院していたんじゃないかな。だからセキュリティは他の病院とは一線を画している。素人がおいそれと侵入するのは厳しいだろう。
俺はただでさえ紫門に警戒されているからね。
一般ピープルの俺では、太刀打ちできない。
コネでもあれば普通に入口から入れるかもしれないが、庶民の俺にコネなんてない。
はい、嘘です。麗良という大コネがある。
麗良の前では、大病院もただの診療所にすぎない。草乃月財閥の紹介状でもあれば、一発OKだろう。
ただ、麗良とはいまだに連絡が取れていない。あいかわらず電話も繋がらないし、ラインも既読がつかないのだ。
親父さんとの交渉……失敗した可能性が高い。麗良に期待するのはもう無理だな。
残りの手札は愛里彩だが……。
愛里彩では、そもそも病院のセキュリティを崩せないだろう。王都最強の戦士ではあるが、ハッカーの技術なんてないからね。真っ向勝負の力技となる。
力技か。
愛里彩に病院の警備員をけちらしてもらうのは可能だ。だが、すぐに他の警備員とか警察とかがすっ飛んでくるだろう。
リスクが高すぎる。無理強いして、警察に捕まったらシャレにならない。
それに愛里彩には家族のボディガードを頼んでいる。紫門の刺客がいつまた家族を襲ってくるかわからない。紫門と決着をつけるまでは、愛里彩にはボディガードに専念してもらいたい。
じゃあ他に手札は……ってないよな。
どうすればいい?
なにが最適だろうか?
画期的な方法を思いつけるか?
独りで考えていても埒が明かない。誰かに相談して第三者の意見を聞きたいよ。
でも、誰に?
洗脳機械や前世(偽)がからんでいる。警察にも友達にも家族にもうかつに言えない案件だ。
強いて相談先を挙げれば、愛里彩だけど。
愛里彩に電話……いや、今はあまり愛里彩に連絡したくないんだよなぁ~。
これには深刻な理由がある。単なるわがままではない。
俺の精神状態が限界に近いのだ。
前世のショウとして振る舞うことへの疲労感。本当は普通の高校生なのに、王としての威厳を演じ続けなければならない苦痛。そして何より、愛里彩の期待に応えられない自分への自己嫌悪。
愛里彩は俺を「ショウ様」として慕ってくれている。でも俺は偽物だ。本物のショウのような器もカリスマ性もない。いつかバレるのではないかという恐怖に日々さいなまれている。
特に最近の愛里彩は、前世の記憶がより鮮明になっているようで、ますます「王らしさ」を求めてくる。だが俺にはそんなものはない。ただの高校生だ。
このギャップが日増しに苦しくなっている。
そんな状況で、あの件が起きた。
数日前、愛里彩から電話があった。なんか俺の配下ができたらしい。
配下!? 家臣!?
どういうことだってばよ!
愛里彩に事情を聞くと、なんかね俺の親衛隊を作りたかったらしいんだよ。
いや、このご時世、どうやってそんなもの作るんだよ?
作ったとして、どういう奴なんだよ?
色々ツッコミどころ満載だったけど、なんか既に数百人いるみたいなんだよね。まだ顔合わせはしていないが、彼らの顔なら知っている。
愛里彩から紹介動画が携帯で送られてきたから。
「ショウ様の親衛隊の皆様をご紹介いたします」
愛里彩からのメッセージとともに送られてきた動画ファイル。
俺は何気なく再生ボタンを押した。
その瞬間、俺の人生観が根底から覆された。
画面に映ったのは、この世の地獄から這い出してきたような男たちだった。
最初に映ったのは、顔面の半分を覆うほどの巨大な龍の刺青を入れた男。右目の上に深い傷跡があり、鼻が明らかに何度も折れている。ボクサーというより、路上の喧嘩で生きてきた男の顔だった。
次に映ったのは、スキンヘッドに無数のピアスを開けた男。耳たぶには大きな穴が開けられ、舌には金属のスタッドが光っている。筋肉は異常に発達していて、首の太さが頭と同じくらいある。
そして画面中央に現れたのが、全身に刺青を入れた男だった。腕も胸も背中も、見える部分すべてが墨で埋め尽くされている。特に印象的だったのは、首筋に刻まれた「殺」という漢字の刺青だった。
手が震えた。携帯を持つ手に汗がにじむ。
画面の向こうの男たちは、全員がカメラを睨みつけている。その眼光は、人を殺すことに何の躊躇もない者たちの眼だった。俺がこれまでの人生で出会ったことのない種類の人間たちだった。
そんな連中が、突然一斉に頭を下げた。
「アリッサ大総長!」
彼らの怒号のような声が携帯のスピーカーから響く。思わず携帯を遠ざけた。
画面に愛里彩が現れる。いつもの可愛らしい制服姿だが、その表情はいつもとは違っていた。冷静で、威厳に満ちている。まるで生まれながらの支配者のような雰囲気を纏っていた。
「皆、ご苦労様」
愛里彩の声は落ち着いていて、しかし絶対的な権威を感じさせた。
そして一人の男、城島と呼ばれた男が前に出る。
「大総長、新入りが調子に乗った発言をしております」
城島の声は低く、危険な響きを持っていた。
カメラが振り向くと、一人の男が椅子に縛り付けられている。顔は腫れ上がり、服は血で汚れていた。
「アリッサ様に舐めた態度をとった罰です」
城島が金属バットを手に取る。その瞬間、俺の血が凍りついた。
「やめろ」
画面の中の男が必死に懇願する。
だが城島は容赦なかった。
バットが空を切る音。鈍い衝撃音。男の悲鳴。
思わず目を逸らした。携帯の画面を見ることができなくなった。
だが音は続いた。何度も何度も。
そして突然、静寂。
恐る恐る画面を見ると、愛里彩が映っていた。先ほどまでの冷徹な表情は消え、いつもの可愛らしい笑顔に戻っている。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ございません。まだまだ練度が十分とは言えず、ショウ様には不十分な部隊とは思いますが、いかようにもお使いください」
可愛い顔してそう言うんだ。
俺は携帯を投げ出した。手が震えて止まらなかった。
これが現実なのか? 本当に起こっていることなのか?
愛里彩が、あの可愛い高校生が、こんな恐ろしい男たちを従えているなんて。
しかも彼らは愛里彩を心から崇拝している。それは演技ではない。本物の忠誠心だった。
お近づきになりたくない。というか一ミリも関わりたくない。
怖い、怖すぎる。
俺の人生にまったく関わりがないと思っていたデンジャラスでバイオレンスな人たちだ。
そんな今にも「汚物は消毒だぁ!!」とか言いそうな連中が、愛里彩にペコペコ頭を下げているのである。
一体全体、愛里彩はこんな奴らをどうやって仲間にできたんだ?
強いからか?
真理香の話では、愛里彩は、十数人の大の男を倒した実績がある。
喧嘩自慢の男たちを相手に次々とタイマン勝負で勝って、強さを見せつけたとか?
少年漫画でよくあるタイマンしたら友達って奴ね。
う~ん、いやでもいくら強くても愛里彩の見た目は、ただの可愛い高校生だ。そんな可愛いアイドルを族の頭として敬えるのだろうか。こういう奴らって、男のプライドがやたらと高そうだし。
それとも実はアイドルやってた愛里彩のファンだったとかね。
それはそれで怖いけど……。
とにかく愛里彩が彼らに洗脳機械を使ったっていっても信じられるぞ。それぐらいありえない光景だった。
使わないよ。というか使えない。
俺は完璧超人のショウではないからね。彼らをアゴで使おうものなら百パーセント殺される。
もし俺が彼らの前に現れたら何が起こるか?
「ショウ様」として威厳を保てるだろうか? 前世の主君としての風格を演じられるだろうか?
無理だ。絶対に無理だ。
俺なんて、城島の眼光を浴びただけで失禁してしまうかもしれない。そんな情けない姿を見せたら、愛里彩への幻滅は避けられない。
そして城島たちに「こんな腰抜けがショウ様のはずがない」と看破されたら……。
考えるだけで胃が痛くなる。
彼らと顔合わせなんて絶対したくない。
だからね、なるだけ今は愛里彩に連絡したくないんだよ。連絡して顔合わせするなんて流れになろうものなら、俺の胃は死ぬ。
はぁ~もういいや。
いろいろ考えてもいいアイデアは浮かばない。
幸い、麗良の脅しがまだ効いているようで、紫門の取り巻きたちは学校で大人しくしている。
ここは当初の作戦通り、奴が学校に復帰してから勝負といこう。それまでの辛抱だ。
★ ☆ ★ ☆
あれから一週間……。
紫門はいまだ退院していないようで、学校を欠席している。麗良も同様だ。
麗良……。
まぁいい。今日も何事もなく終わった。それを喜ぼう。
さぁ、帰宅だ。カバンに教科書、筆記用具を入れて教室を出る。
外靴に履き替え学校の門を出ると、太陽の日差しを感じた。
温かな陽気に心が幾分軽くなったような気がする。
平和だ。
つかの間の平和だが、こんな生活がいつまでも続けばいいと思う。
……無理だろうな。
胸中の不安を無理やり押し込めていたけど、考えてしまう。
このまま麗良不在が続けば、さすがに皆も不審に思うよね。麗良の脅しも効果がなくなる。俺へのイジメが再発するだろう。いや、今まで抑えつけられていた分、イジメはさらにグレードアップするに違いない。
くそ。紫門の奴、なにトロトロしてんだ。早く退院して学校に来やがれ!
イライラしながら帰宅していると、一台の黒い車が目の前で停車した。
足が止まる。
なんだ、この車?
すっげー高級そう。光沢のある黒いボディが夕日を反射している。フロントグリルには見覚えのあるエンブレム。これは……。
こんな町では一度も見かけたことがない。曲がる時に一苦労しそうな縦にバカ長い車だ。
これ、ロールスロイスだ。
金持ちの定番の車だよ。英国王室ご用達だよ。
心臓の鼓動が速くなる。なぜこんな車がこんな場所に?
もしかして麗良かな?
麗良が戻ってきたのか? それとも迎えに来てくれたのか?
一縷の希望を抱きながら、恐る恐る車に近づいた。
窓はスモークガラスで中が見えない。俺は身を屈めて、そっと窓を覗こうとした。
その時だった。
「うぁああ!」
突然、車のドアが勢いよく開いた。
驚きのあまり声を上げた。そして次の瞬間、強い力で車内に引きずり込まれていた。
「何だ!? 誰だ!?」
必死に抵抗しようとしたが、引きずり込んだ相手の力は想像以上に強かった。俺の腕を掴む手は、まるで万力のように動かない。
車内に引きずり込まれた俺は、とっさにドアに手を伸ばした。
誘拐? なぜ俺なんかを?
いや、違う。次は俺がターゲットにされたのだ。
しまった。油断した。
愛里彩からの提案で、俺にもボディガードをつけるって言ってくれてたのに。
それを主君命令を使って無理やりやめさせたのだ。だってヒャッハーな奴らと知り合いになりたくなかったから。
いまだに顔合わせはずるずる引き延ばしてた。
くそ、こんなことならボディガードを頼んでおけばよかった。
後悔先に立たず。
慌てて車を降りようとするが、ドアはロックされたままだ。開かない。
がちゃがちゃとドアを何度も引っ張る。ドアハンドルを必死に操作するが、微動だにしない。
「開けろ。助けて!」
俺は窓を叩いた。外に向かって叫んだ。だが、この辺りに人通りは少ない。しかもスモークガラスのせいで、外からは車内の様子が見えないだろう。
心臓は激しく鼓動していた。手のひらに汗がにじむ。
「落ち着け!」
引きずり込んだ男がパニックになる俺を一喝する。
その声は低く、逆らえない圧のようなものを感じた。
俺の動きが止まる。声の主の迫力に圧倒されていた。
「あ、あ……」
震え声で呟いた。この人は普通の誘拐犯ではない。それだけは確かだった。
「落ち着いたか!」
男は再び声をかけた。
「は、はい」
反射的に答えていた。
多少落ち着いたところで、その男の顔を見る。
俺の目の前にいたのは、四十代後半くらいの男性だった。
だが、ただの中年男性ではなかった。
髪は完璧に整えられ、一本の乱れもない。シルバーがかった黒髪が、知性と経験を物語っている。
顔立ちは彫りが深く、どこか外国人の血が混じっているような端正さがあった。
体型は驚くほど引き締まっている。スーツの上からでも分かる筋肉質な体つき。日常的に鍛えているであろう肉体は、同年代の男性とは明らかに一線を画していた。
そして何より印象的だったのは、身に着けているものの質の高さだった。
スーツは明らかにオーダーメイドで、生地の質感からして一着数百万円はするだろう。袖から覗く時計は、俺でも知っているパテック・フィリップだった。靴も手縫いの高級品で、職人が一足一足丁寧に作り上げたであろう芸術品だった。
すべてが最高級で統一されている。この人の周りには、金と権力の匂いが漂っていた。
ナイスミドルのお手本のような男である。
よかった。この人はあまりに上品すぎる。紫門からの刺客ではないだろう。
刺客がこんな上品で高貴な雰囲気を纏っているはずがない。
少しほっとする。
でも、だったらこんなに強引に車に乗せてきて、誰なんだって話だ。俺の記憶にはない。知らない男だ。
俺がこんな高貴な人物と知り合いになった覚えはない。
「誰なんですか?」
恐る恐る尋ねた。
男はじっと俺を見つめていた。その眼差しは鋭く、まるでレントゲンのように俺の内面を見透かしているようだった。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「私は、草乃月涼彦だ」
その瞬間、俺の思考が停止した。
えっ!? うそ!
草乃月涼彦……その名前に聞き覚えがあった。
草乃月涼彦って確か草乃月財閥の現社長の名前だよな。
日本屈指の大財閥のトップ。政財界に絶大な影響力を持つ男。テレビや雑誌で何度も見たことがある。
そして何より……。
ってことは麗良パパだとぉおお!! なぜここに?
頭の中が混乱した。なぜ麗良の父親が、こんな場所で俺を待っていたのか?
しかも、なぜこんなに強引な方法で?
普通なら家に訪問するとか、学校に連絡するとか、もっと穏便な方法があるはずだ。
それをあえてこんな強引な手段を取ったということは……。
「白石翔太……娘がずいぶんとお世話になったようだね」
涼彦は、皮肉たっぷりに言った。
その声には、怒りが込められていた。表面上は丁寧な言葉遣いだが、その奥に潜む感情は明らかに怒りだった。
この言葉がすべてを物語っている。
あぁ、娘とのバトルが相当応えたのだろう。
涼彦の顔には、完璧な笑みが張り付いていた。だが、その眼は全く笑っていない。
氷のように冷たい眼差しで俺を見つめている。その瞳の奥には、深い怒りと憎しみが渦巻いていた。
この人は俺を心底憎んでいる。それは間違いなかった。
身体の奥底から寒気を感じた。今までに味わったことのない種類の恐怖だった。
これは、相当俺に恨みを抱いている。
どうやら紫門との最終決戦を前に最大の難関が現れたようだ。




