第二十二話「暴走族【闇夜叉】の受難(前編)」
ここはとあるシンジケートの一角。
「げほっ、げほっ! いてぇなぁ、くそぉ! 煙草も吸えやしねぇ!」
男が悪態をつき、くわえていた煙草を地面に叩きつけた。
男の名は城島猛。暴走族【闇夜叉】を率いるボスだ。
城島の顔の左半分には、痛々しい火傷痕が刻まれていた。
頬から顎にかけて、皮膚がただれ、赤黒く変色している。まだ完全には治癒しておらず、所々にかさぶたが付いている。そのかさぶたが痒くて仕方がないのだが、掻けば血が出る。掻かなければ我慢できない痒みに悶える。
鏡を見るたびに吐き気がする。
昔は女にモテた顔だったのに、今はまるで化け物だ。火傷痕のせいで表情も歪んで見える。笑おうとしても、皮膚がつっぱって気持ち悪い顔になる。
だが、それよりも辛いのが喉の怪我だった。
首に巻かれた包帯の下には、カッターで切り裂かれた傷跡がある。幸い動脈は外れていたが、気管に近い部分を損傷している。
少しでも大きな声を出そうとすると、傷口が裂けそうな激痛が走る。唾を飲み込むだけでも痛い。食事も満足に取れず、この一週間で体重が五キロも落ちた。
そして何より……煙草が吸えない。
一日に二箱吸っていた愛煙家の城島にとって、これは地獄の苦痛だった。
煙草に火を点けて口に含む。だが煙を吸い込んだ瞬間、喉の傷に激痛が走る。まるで傷口に熱した針を刺し込まれるような痛みだ。
「げほっ、げほっ!」
激しい咳き込みとともに血痰が出る。包帯が赤く染まる。
医者からは「完治まで最低でも一ヶ月は禁煙」と言われている。だが、一ヶ月なんて待てない。ニコチンの禁断症状で頭がおかしくなりそうだ。
イライラが募る。集中力も散漫になる。部下に対しても些細なことで怒鳴り散らすようになった。
許さねぇ。絶対に許さねぇ!
城島はこれまでのことを思い出す。
最初は運が向いてきたと思った。
敵対していたチーム【紅蓮】のボスが事故で入院。
いち早く情報を入手した城島は、チームを率いて強襲をかけた。結果、縄張りを楽に分捕った。【紅蓮】の幹部は軒並み再起不能にしてやったし、【紅蓮】のボスが退院して戻ったとしても後の祭りだ。
【紅蓮】は機能せず、既に瓦解している。
暴走族界の節目だ。関東に一大勢力を築いた【紅蓮】は滅び、【闇夜叉】の名が一気に全国区となった。
城島は十五で暴走族の世界に入り、数年で愚連隊の頭に就任。その後着実に勢力を広げ、ついに関東の雄【紅蓮】まで滅ぼしたのだ。今や暴走族の世界で【闇夜叉】の名を知らぬ者はいない。
城島は肩で風を切って歩く。城島の前を遮る者はいない。
関東の新覇者となった城島であったが、その野望は留まることを知らない。
もっともっとでかくなってやる!
敵対勢力を次々と傘下に収めながら、組織を大きくしていく。そして、ついに総資産数十億といわれる天下の小金沢グループと縁を結べたのだ。
縁の相手は……小金沢グループの御曹司、小金沢紫門。
城島にとって紫門は最高の相棒であった。
紫門は、とにかく金払いがよい。些細な仕事でも成功すれば気前よく金を払ってくれる。もちろんそれ相応の後ろ暗いことをやらされたが、問題なかった。なにせその後ろ暗い仕事が城島の趣味とマッチしていたからだ。
城島が好き勝手に暴れても、小金沢グループの権力で守ってくれる。
傷害、暴行、麻薬売買……。
やばい犯罪に手を染めてもお咎めなしとくれば、利用せずにはいられない。
多少小間使いの真似をさせられようが、それがどうした?
それを差し引いたとしても旨味がある。
城島と紫門は、またたくまに蜜月の関係を築いた。
ケチがついたのは……一週間前。
紫門が一般人の子供を襲えと命令した日だ。
チッ!!
城島は大きく舌打ちをする。
嫌な予感はしていた。
今まで好き勝手にやれたのも、同じワルが相手だからだ。不良同士の抗争に警察はあまり干渉しない。
だが一般人、それも中学生の子供を襲えば、さすがの警察も重い腰を上げずにはいられまい。
城島は不安を隠しきれなかった。
本当に大丈夫なのか?
城島は何度も紫門に確認した。
だが紫門の返答は変わらない。警察の介入は絶対に阻止するから思いっきりやれと言う。
一抹の不安を覚えつつも、相棒の紫門がそこまで自信を持つならと承諾した。
もともと弱い者いじめは嫌いでない城島だ。
警察が介入せずに中学生の女を襲えるのだ。スレた不良女ではない、青い果実を。
今まで我慢していた極上の獲物を襲える……その事実に城島は歓喜した。
信頼のおける幹部を集め、計画を練った。
まずはターゲットの帰宅ルートを調べ、下校で一人になる時間を割り出し、襲った。
今回は楽でおいしい仕事、そう思っていた城島だったが……。
結果は散々であった。
ターゲットを捕捉、車に連れ込もうとしたら何者かに襲撃された。
敵対チームの襲撃か!?
身構えていたら、襲撃者の正体はなんと小柄な少女であった。
それもツインテールをしたとびきりの美少女である。
カモがネギ。
ターゲットが増えたと喜んだのもつかの間……そいつはとんでもなく狂暴なカモであった。
精強で知られる【闇夜叉】の幹部たちが、蹴られるわ燃やされるわ刺されるわ。
顔や手に火傷を負った者、喉に傷を負った者、被害は多数。
特にひどいのが副総長のヤスだ。ヤスは脊髄に損傷を受け、全治三か月の重傷だ。
ヤスは幹部の中でも群を抜いて強い男だ。伊達に副総長に任命していない。ヤスは敵に鉄パイプで殴られようが、ひるまずに殴り返すタフガイだぞ。それをいくら無防備な背中を蹴られたからって、あそこまで一方的にやり込められるのか?
ツイン女は格闘技を習っている――いや、あれはお上品なスポーツの動きではなかった。明らかに実戦慣れした喧嘩の技だ。
とにかくツイン女のせいで、幹部全員が重傷だ。
まともに動ける者はいない。
【闇夜叉】の現状は、まさに壊滅的だった。
中核メンバーは総勢十五人いたが、今回の襲撃で主要幹部八人が全員重傷を負った。
副総長のヤスは脊髄損傷で全治三ヶ月。下手をすれば車椅子生活になる可能性もある。
特攻隊長のタケシは顔面に重度の火傷を負い、まともに外を歩けない状態。
情報収集担当のマサオは喉の怪我で声が出せず、電話での連絡業務ができない。
残りの幹部たちも似たような状況で、戦力として数えられるのは城島を含めてもわずか三人。しかもその三人も怪我を負っている。
下っ端のメンバーはまだ二十人ほど残っているが、幹部不在の状況では統率が取れない。指示を出せる人間がいないのだ。
結果、組織としての機能は完全に麻痺していた。
さらに悪いことに、敵対チームが次々と反撃に出てきた。
東の縄張りは【紅龍会】の残党に奪い返された。
南の利権は【黒豹】に持っていかれた。
西の薬物ルートは【毒蛇】に横取りされた。
【闇夜叉】が血と汗で築き上げた利権の七割が、わずか一週間で他のチームの手に渡ってしまった。
そして最も痛いのが、メンバーの大量脱退だった。
「幹部がいねぇチームなんかいても意味ねぇ」
「他のチームに狙われるだけじゃん」
「城島さん一人じゃ、もう昔の勢いはないって」
そんな声があちこちから聞こえてくる。実際、この一週間で十二人が脱退した。しかも脱退したメンバーの中には、情報を他チームに流している裏切り者もいるようだ。
かつて関東に名を轟かせた【闇夜叉】は、今やただの烏合の衆と化していた。
ちくしょうがぁああ!
さらにイラついたのが警察だ。やっと退院できたと思ったら、次は警察の取り調べである。
誰にやられたか?
開口一番、警察の野郎がつまらない質問を投げてきやがった。
もちろん正直に言えるもんじゃない。
関東に覇を唱えた天下の【闇夜叉】が、たかが女一人にやられたとでも言うのか?
しかもその女は、可愛らしい制服に身を包んだ中学生だぞ。
とんだお笑い種だ。
ばれたら他のチームにとことん馬鹿にされる。いや、馬鹿にされるだけならまだいい。【闇夜叉】は武闘派で成り上がったチームだ。その武力の信用を失えば、よってたかって袋叩きにされるだろう。
城島は幹部たちと口裏を合わせ、他チームとの抗争の結果ということにした。
あぁ、忌々しいぜ!
散々コケにしてくれたツイン女……。
ここまで舐められたらチームの沽券にかかわる。
ツイン女の名前も住所も知らない。
だがその友達であろう女の住所は掴んでいる。
白石真理香……。
この女の身辺を洗えば、ツイン女の正体が浮上するだろう。
浮上しなければしないで、それは構わない。やりようはいくらでもある。ツイン女にとって、白石真理香は大事な親友のようだ。白石真理香を人質におびき寄せればいい。
ツイン女は多少喧嘩に強いかもしれない。それこそ喧嘩自慢の男よりもだ。だがそれがどうした!
ケンカは数だ。
たっぷり罠をしかけて迎えてやる。
そんで捕まえたら、とことん地獄を味わわせて、生きていることをひたすら後悔させてやる。
城島は暗い笑みを浮かべ、報復の手段を考える。
…………。
それにしても遅い。
退院祝いにと、景気づけに呼んだ女がこない。
「酒はまだか? 女はどうした!」
テーブルに置いてあった飲みかけの缶ビールを投げて、怒鳴り散らす。
返答がない。
おかしい。
チームが瓦解したといっても、まだまだ人はいる。
人っ子一人いないのは説明がつかない。
他チームの襲撃か?
今、幹部が軒並みやられている。
可能な限り情報を秘匿しているが、どこから漏れるかわからない。
あるいは傘下チームの下克上の線かも?
……どれもありうる話だ。
城島は懐に隠してある銃を手に取り、恐る恐る部屋を出る。
廊下に足を踏み出した瞬間、異様な静寂に包まれた。いつもなら部下たちの話し声や笑い声が聞こえるはずなのに、今は死んだような静けさだ。
ん!?
数歩歩いたところで、城島の足が何かにつまずいた。
見下ろすと――そこには見慣れた顔があった。
「おい、ケンジ! ケンジ!」
部下の一人が廊下に倒れている。呼びかけても反応がない。気絶しているのか、
それとも……
慌てて脈を確認する。かすかに鼓動がある。生きてはいるようだが、完全に意識を失っている。
さらに奥へ進むと、次々と倒れた部下たちを発見した。
階段の踊り場に二人。
廊下の角に一人。
応接室の前に三人。
総勢六人が、まるで刈り取られた稲のように無様に倒れ伏している。
全員が生きてはいるようだが、誰一人として意識がない。しかも外傷は見当たらない。一体どんな手を使ったのか……
城島の額に冷や汗が滲む。
こいつら、全員やられたのか……?
【闇夜叉】の下っ端とはいえ、それなりに場数を踏んだ連中だ。素人相手なら十分に通用する。その六人が、音もなく一瞬で無力化されている。
しかも侵入者の気配すら感じなかった。まるで幽霊のように静かに侵入し、次々と部下たちを倒していったのか。
「……襲撃を受けたか」
ぽつりとつぶやく。
「正解」
「誰だ?」
思わず漏れた独り言に反応した奴がいる。
「どこにいやが――ぐはっ!」
振り返ると同時に横なぐりの衝撃が脳を揺らした。
意識が飛びそうになる。
殴られた?
誰に?
強烈な一撃だった。
頭の芯まで響くような痛みと吐き気に襲われた。
「……探すの、少しだけ骨だったわ」
「て、てめぇは!」
霞む目を見開き、襲撃者を見る。
「あ、会いたかったぜ」
闘志がめらめらと燃え上がるのを実感する。
乱入してきたのは、今の今までどう殺してやろうか考えていたターゲットのツイン女であった。獲物が自分から罠にかかりに来やがった。




