第二十一話「ショウの右腕、アリッサ降臨」
【洗脳機械】を愛里彩に使用し夕飯を食べながら過ごしていると、母さんが少し神妙な顔で相談をしてきた。
妹の真理香が学校から帰ってこないと言うのだ。真理香の携帯に電話しても繋がらないという。
電池切れか?
以前も何度かあった。
真理香は部活に熱中すると、帰宅が最後になる。携帯の電池が切れた場合、友人に携帯も借りられないから、直ぐに連絡を入れられないというわけだ。
部活熱心なのはわかるが、あまり母さんを心配させるもんじゃない。
母さんも心配しているし、あと三十分待って帰ってこなければ探しに行くか。
少しそわそわしながら待つ。
しばらくして、玄関からガタンと音が聞こえた。
玄関のドアを開ける音だ。
真理香が帰ってきたみたいだな。
ったく心配させやがって……。
サンダルを履き、慌てて玄関を出る。
「真理香、帰ったのか? 遅いから心配したんだぞ」
「あ、お兄ちゃんただいま。実はね――」
真理香の顔を見て安心したが、すぐに目を見開き驚いてしまう。
「お前……」
真理香の隣に愛里彩がいたからだ。
「お前、妹に何かしたのか?」
昨日の今日だ。愛里彩から受けた屈辱の記憶が蘇り、とげとげしく問い質してしまった。
その瞬間、真理香がすごい勢いで反論してきた。愛里彩は、命の恩人だと庇ってくるのだ。
そうだな。冷静になれ。
愛里彩なら妹を助けはしない。被害届も撤回されている。目の前にいるのは、愛里彩ではなくアリッサであろう。
それから真理香に何があったのか事情を聞いた。
聞くにつれて、顔が青くなっていくのを自覚する。
くっ、治安がいい町だと思っていたのに……。
要約すると、真理香は部活帰りにチンピラに因縁をつけられ襲われそうになった。すんでのところで愛里彩が現れ、チンピラ共を撃退し、真理香を救ってくれたんだと。
まじかよ。
確かに真理香をよく観察すると、ところどころ制服が汚れているのがわかった。必死にチンピラ共から逃げていたのだろう。
可哀そうに……。
ぽんぽんと真理香の頭を優しくなでてやる。
「大変だったな。シャワーでも浴びて休んで来いよ」
「で、でも…」
真理香は、ちらりと愛里彩を見ている。何か話をしたがっているというか離れたくないという感じだ。よほど愛里彩、正確にはアリッサに懐いたみたいだな。
「とにかく着替えたほうがいい。お前、制服に泥がついているぞ」
「あっ!? そ、そうだね。先に着替えてくる。じゃあ、またあとでね、愛里彩さん」
真理香は自分が汗だくの泥だらけ状態なのに気づき、あわてて家に入っていった。
奇しくも愛里彩と二人きりになってしまった。
ふむ、気まずい。
俺は愛里彩の変化を知っているが、それは俺しか知らないことになっている。
白石翔太と愛里彩は、表面上敵対しているのだ。
俺は痴漢冤罪をかけられ、土下座をさせられた。愛里彩は、髪を引きちぎられている。
さてさて、まず何を話そうか?
戦々恐々していると、愛里彩が怒涛の勢いで謝罪をしてきた。それも土下座つきである。
――え?
時が止まったような感覚に襲われる。
目の前で起きている光景が、現実のものとは思えない。
あの愛里彩が、土下座している。
昨日まで俺を見下し、足を舐めさせ、髪を引っ張って嘲笑していた、あの高慢で残酷な愛里彩が。
頭を地面に擦りつけて、涙ながらに謝罪している。
すごいな。
いや、すごいなんて言葉では足りない。
これがあの性悪女の愛里彩だと誰が思う?
まるで別人だ。いや、文字通り別人なのか。
声のトーンから、表情から、立ち振る舞いから、すべてが変わっている。
昨日の愛里彩なら、俺の前で土下座するくらいなら死を選んだだろう。
でも今、目の前にいるのは心の底から悔恨に苛まれている一人の少女だった。
知っていたけど、やっぱり【洗脳機械】は危険だ。
そのあまりに絶大な効果を見て絶句してしまう。
人格を、魂を、根本から書き換えてしまう。
俺は何をしてしまったんだ?
これは本当に正しかったのか?
愛里彩という人間を、完全に消去してしまったのではないか?
胸の奥で、罪悪感がじわりと広がっていく。
そして、愛里彩の大泣きの謝罪が終わると、愛里彩は、そのまま帰ろうとしている。
「待ってくれ」
「え、えっと、私は……」
「いいから家に上がってくれ。君は妹を助けてくれたんだろ?」
愛里彩を呼び止めた。愛里彩には、まだ聞きたいことがあるのだ。
「は、はい。でも、私は許されざる罪を犯しました」
愛里彩が真剣な顔で答えてくる。
その顔は、まるで教会の神父に懺悔をする敬虔な信徒のようだ。
本当にあの愛里彩とは思えない。
「気持ちはわかったから」
「えっ!? 今なんと?」
「わかったって言ったんだ」
「信じてくれるのですか?」
「信じるよ」
自分でやったマッチポンプの結果だ。信じる以外の何物でもない。
「えっ? いや、私が言うのもなんですか。え、その、こんな性悪でクソな女の言葉を信じてくれるんですか?」
「……うん、妹を助けてくれたのは事実みたいだし、何より……」
「何よりなんでしょうか?」
愛里彩が上目遣いにずいっと顔を近づけてきた。
――うわっ。
心臓が跳ね上がる。
近い、近すぎる。
愛里彩の顔が、俺の顔から数十センチの距離まで迫ってくる。
その瞳は真剣そのもので、俺の言葉を一言も聞き逃すまいとしている。
でも、それ以前に——
か、可愛い。
思わずドキッとしてしまう。
間近で見る愛里彩の顔は、まさに天使のように美しかった。
長いまつ毛、透き通るような白い肌、薄いピンクの唇。
そして何より、その瞳に宿る純粋な輝き。
昨日まで見ていた冷酷で計算高い目つきとは正反対の、まっすぐで誠実な眼差し。
抜群のルックスは伊達じゃない。性格を除けば、アイドルの化身のような子なのだから——
って、今は性格も含めて完璧じゃないか。
見惚れている場合じゃない。
でも、こんなに綺麗な子が、こんなに真剣に俺を見つめて——
やばい、本格的にドキドキしてきた。
顔が熱くなるのを感じる。
と、とにかく、返答せねば!
「え、えっと……何より――う、うん、そうだ。目が澄んでいる。この前会った時とはダンチだよ。は、反省したんだね。君は善人だ」
真実は話せなかった。だから、よくある名言っぽいことを言ってしまった。
普通にすべってるよね。
ただ、愛里彩は感動したみたいで、尊敬したような顔で俺を見つめてきた。
や、やめて……そんな感激した目つきで見ないで。
まるで俺が何か偉大なことを言ったみたいじゃないか。
罪悪感がさらに増していく。
それから愛里彩を家に招き入れた。
ツインテールの美少女が階段を上っていく。
部屋に入れ、お茶を出す。
愛里彩は、恐縮しながらお茶をすすっていた。
改めてみると、本当に可愛い。
あれ、これって俺は初めて自分の部屋に女の子を入れたんだよな?
記念すべき日だ。
テンションが上がってきた。
漫画とかだと、これからイチャラブ展開があるんだが……っていかんいかん。
何を不真面目なことを考えているんだ。
愛里彩に聞きたいことがあるから、家に上がってもらったのだ。
真理香の話によれば、愛里彩は男八人相手に一人で倒してしまったという。お手製の武器を使ったとはいえ、強すぎだろ?
ただ単に強者として生きてきた記憶がインストールされただけの中学女子だぞ。
これが事実ならば、俺は【洗脳機械】の効果を過小評価していたかもしれない。
真理香は今、風呂に入っている。妹が来る前に詳細を聞いておきたい。
「改めてありがとう。妹を救ってくれて」
ただ、まずはお礼を言うべきだ。純粋に妹を救ってくれたことは嬉しかった。頭をペコリと下げる。
「い、いえ、そんな部下として――じゃなかった、人として当たり前のことをしたまでです」
「そ、そう。それでもなかなかできることじゃない。本当にありがとう」
「あ、頭を上げてください。それよりも私があんな悪行を、ショウ様に対して取り返しのつかない罪を犯しました。そちらのほうが問題です。ジャスミ―妹君を守れたことは誇りですが、まだまだ償いが足りません。一生をかけてショウ様に償う所存でございます」
「いや、それはもういいから」
「で、でも……」
「それより、男八人倒したんだってね。何か格闘技でも習ってるの?」
「いえ、今は習ってませんが、昔少々……」
「……昔って?」
「遠い昔のことです」
「はは、面白いね。そんなに昔なら幼稚園ぐらいになっちゃうよね」
軽いジョーク口調で言ったが、愛里彩は黙ってうつむいたままだ。
そして、意を決したらしい。
決意めいた顔で口を開いてきた。
「ショウ様、前世のことって何か覚えてますか?」
「前世? クラスメートの女子もそんなこと言ってたな……今、女子中高生の間で流行っているの?」
「そうなのですか! そのクラスメートとは? お顔は? 名前は?」
「い、いや、だから」
愛里彩の気迫に押される。煙に巻こうとしたら、ぐいぐいつめよられてしまった。
「お願いします。どなたなのでしょうか?」
「……草乃月麗良だよ」
俺はつくづく押しに弱い。特に女の子にはね。正直に白状してしまった。
「なるほど。あのバカ姫からお聞きになられてたのですか。それなら話が早いです」
「……君も同じことを言うのかな?」
「はい、昨日前世の記憶が戻りました。私はショウ様の腹心でアリッサと申します。ショウ様の身辺警護をさせて頂きました」
「身辺警護ねぇ」
「信じられないのは当然だと思います。私だって信じられません。ですが、事実なのです。実際、格闘経験の欠片もない私が大の男八人相手に勝てたんですよ。それが証拠です」
「仮に愛里彩の言うことが事実だとしよう。でも、鍛えていない身体で、そんな前世と同じ動きができるものなの?」
「それはできません。イメージに身体がついていけませんから」
やはり! 俺の推測通りだ。
ではなぜ男達を倒せたのか、原因を知りたい。話の続きを聞こう。
「じゃあ、どうしてチンピラ達を倒すことができたんだい?」
「ふふ、記憶が戻られていないショウ様は、そうお思いになるのは当然です。ですが、僭越ながらアリッサは王都最強の戦士でした。その戦闘ノウハウは持ち合わせております。今の状態を前世で例えれば、しびれ薬を食らった時と同じ感覚ですかね。ろくに飛べず力も出せない。ただ、そんな状況でも襲撃者から身を守った経験は幾度とありました。あの程度のチンピラ相手なら、目を瞑っていても倒せます」
「ほ、本当に?」
「……正直に申せば、記憶が戻った当初は不安ではありました。この貧弱な身体でどこまで戦えるかと。ただ、徐々に感覚が戻りつつあります。問題ありません。また、同じ状況になれば、今回よりも手早く処理できるかと思います」
「す、凄いんだね、アリッサって」
「恐縮です」
「ちなみに聞くけど、愛里彩は、アリッサの記憶をどこまで覚えているの?」
「幼少期も含めてほぼ全て覚えておりますよ。今でも鮮明に思い出します。あの頃は、鳥でも魚でも狩って、器用にさばいてました。剣を使うことに対する怯えも興奮もありません、何事にも動じず、物陰に隠れていた刺客が一斉に飛び掛かってきても、普通に処理してましたね」
処理って言葉がすごく気になるが、とりあえずわかったことはある。
人の記憶って……俺が思ってた以上にすごい役割を果たしているんだな。
まぁ、そりゃそうか。
格闘技だって、事務仕事だって同じだ。記憶の蓄積が経験に繋がっているのだ。
それから愛里彩としばらく話をしていると、
「あ~お兄ちゃんばかりずるい。次は私の番だよ。愛里彩さん、私の部屋に来て。おしゃべりしよ。珈琲を入れてくるから」
パジャマ姿に着替えた真理香が部屋に入ってきた。風呂から上がったようだ。
「あ、まだ話が終わってない」
「べーだ。これから女子トークがはじまるのよ。お兄ちゃんは邪魔しないでよね」
まぁ、いいか。
聞きたいことは聞けた。
とりあえず愛里彩と連絡先は交換した。いつでもアリッサの協力は得られる。
【洗脳機械】の意外な効果もわかった。
何より……紫門が外道のクソ野郎だと改めてわかったからな。
愛里彩の証言から、今回の騒動が紫門の仕業だと判明した。
話は繋がった。
そうだよ、この町の治安がいきなり悪化するわけがない。だれかが裏で糸を引いてない限りな。
そうか、そうか、そこまでやりやがるか。
胸の奥で、黒い感情が渦巻き始める。
ふっふっと暗い笑みがこぼれてくる。
紫門は電話越しにげらげら笑っていたという。自分も襲撃に参加したいとも言っていたそうだ。
あの外道め!
俺だけでなく、とうとう家族にまで手を出してきやがった。
これまでは俺個人への嫌がらせだった。痴漢冤罪も、直接的な暴力も、すべて俺一人が標的だった。
だから、まだ我慢できた。
でも——妹を襲うなんて。
真理香が、もしもあの時愛里彩が現れなかったら……。
想像するだけで血が逆流しそうになる。
一線を越えてきた獣に同情の余地はない。
もう迷いはないからな。
人間性を保つなんて綺麗事は言ってられない。
今まで俺は、紫門をどこか「同じ人間」として見ていた部分があった。
でも違う。あいつは人間じゃない。
家族を平気で標的にする、ただの獣だ。
こいつだけは許せん。
絶対に、絶対に許さない。
手段なんて選んでいられるか。
奴が俺にしたことを、十倍にして返してやる。
愛里彩に妹の護衛を頼んだら、快く承諾してくれた。それどころか父さんや母さんにも目を見張らせておくという。
有能すぎる。さすがはショウの右腕アリッサだ。
家族はアリッサに任せておくとして、防御だけではじり貧である。
ここは攻勢に出よう。
愛里彩の話によると、紫門は病院に入院しているとか。それも一般人が面会できない超VIPの部屋にいるらしい。
面会を利用してのDNA奪取は困難であろう。
紫門が退院して学園に戻ってきた時が勝負だ。
ラスボス紫門を洗脳して、この問題にはケリをつけてやる。




