第十六話「出撃、関内 愛里彩を攻略せよ」
警察署の取調室で、カツ丼を箸でつついていた。
「罪を認めなければ出さない」
「証拠は揃っている」
「素直に白状した方が身のためだ」
そんな刑事の脅し文句を聞き飽きるほど聞かされていた。
その時だった。
「白石、釈放だ」
看守の声に振り返ると、刑事が複雑な表情で立っていた。
「え?」
「証拠に不備が見つかり再調査となった」
俺は目を丸くした。昨日まであれほど強気だった刑事たちの態度が一変している。
「つまり……俺は無罪?」
「現時点では容疑不十分だ。ただし、捜査は継続する」
釈放手続きを済ませながら、混乱していた。なぜ急に状況が変わったのか?
警察署の外に出ると、夕日が俺の顔を照らした。自由の空気がこれほど美味しく感じられるとは思わなかった。
しかし、完全に解決したわけではない。これは一時的な釈放に過ぎないのだ。
真犯人、いや、この冤罪を仕組んだ黒幕がいる限り、俺の戦いは終わらない。
釈放されて家に戻ったが、俺の心は晴れなかった。
完全に自由になったわけではない。これは一時的な釈放に過ぎないのだ。
関内愛里彩が被害届を撤回しない限り、この問題は続く。示談が成立しなければ前科がついてしまう。そうなれば、高校は退学、就職も絶望的だ。人生が終わる。
幸い、まだ家族には知られていない。逮捕のニュースが報道されることはなかった。
この保釈中になんとか解決しなければならない。刑が確定してしまえば、本当に人生が終わる。
翌日の朝、携帯電話にメールが届いた。送信者は麗良だった。
件名:【緊急】関内愛里彩について
『すまない、ショウ。父との対決が間近で、直接話はできないが、関内愛里彩について調べた。添付ファイルを見てくれ。彼女は非常に危険な人物だ。一人で会いに行くのはやめておけ。今は動けないが、必ず助けに行く、レイラ』
添付された資料の内容は衝撃的だった。まるでプロの調査機関が作成したもののような完成度だ。やはり草乃月財閥の情報収集能力は恐ろしい。
関内愛里彩、十六歳。堀恋高校一年生。
表の顔:地下アイドル「LASH」のボーカル。飛び抜けたルックスでファンも多く、今秋にはメジャーデビュー予定。学校では社交的で人当たりもよく、学年を問わず人気を集めている。
しかし、これはすべて偽装された仮面だった。
裏の顔:冷酷な策略家
愛里彩は地下アイドル時代から、ライバルを蹴落とすためなら手段を選ばない女だった。
当時、人気急上昇中だった新人ボーカリストは、突然「不倫スキャンダル」に見舞われた。しかし、それは愛里彩が仕組んだ罠だった。偽の写真、買収された週刊誌記者、そして巧妙な情報操作――すべてが愛里彩の手によるものだった。
「LASH」に入ってきた期待の新人メンバーは、「万引き疑惑」で退団に追い込まれた。防犯カメラの映像も、目撃者の証言も、すべてが愛里彩の工作だった。
そして最も悪質なのが痴漢冤罪ビジネス。
愛里彩は計画的に無実のサラリーマンを痴漢に仕立て上げ、示談金を要求していた。ターゲットは必ず家庭を持つ中年男性。家族にバレることを恐れる彼らは、泣く泣く金を払うしかなかった。
資料によれば、被害者は少なくとも十二人。総額で一千万円以上の不正な利益を得ていると推測される。
なぜそんなことを?
家も金持ちそうだし、アイドルとしても成功している。
資料の分析部分に答えがあった。
『お金が目的ではありません。愛里彩にとって、これはゲーム。他人を支配し、屈服させることに快感を覚える――サイコパスの典型的な行動パターンです』
資料には、愛里彩の過去も詳しく記載されていた。
小学生時代から、クラスメートをいじめで自殺未遂に追い込んだり、教師を罠にはめて失職させたりしていた。中学時代には、気に入らない同級生の親の会社に偽の内部告発を行い、倒産に追い込んだこともある。
完全なモンスターじゃないか……。
麗良の心配も分かる。しかし、俺は決意を固めた。
麗良は父親との重要な戦いの最中だ。俺のことまで心配させるわけにはいかない。
この保釈中に決着をつけなければ、本当に人生が終わってしまう。
自分の問題は、自分で解決する。
直接乗り込んで、決着をつけてやる。
横浜市内の高級住宅街。
電車を降りて、グーグルマップを頼りに歩いていく。
周囲の家々は、どれも億を超えそうな豪邸ばかりだ。手入れの行き届いた庭園、輸入車が並ぶガレージ、まるで映画のセットのような美しい街並み。
そんな中でも、愛里彩の実家は特に目を引いた。
洋風建築の邸宅。レンガ造りで、まるでヨーロッパの古城を思わせる重厚な佇まい。有名建築家の設計だと聞いていたが、確かに芸術品のような美しさだった。
「普通にブルジョアじゃないか!」
痴漢冤罪を繰り返してまで小遣い稼ぎをする必要など、まったくない環境だ。
やはり愛里彩にとって、これは金儲けではなく娯楽で他人を苦しめることを楽しむゲームなのだ。
怒りが込み上がってくる。善良なサラリーマンたちが、どれほど苦しんだことか。家族を養うために必死に働く父親たちが、この悪女のせいでどれほど屈辱を味わったことか。
近くの電柱の陰に隠れて、愛里彩の帰りを待つ。途中、コンビニで買ったあんぱんと牛乳で簡素な食事を済ませる。
昔のサスペンス映画で見た刑事の張り込みのようだ。しかし、これは娯楽ではない。俺の人生がかかっている。
あんぱんに牛乳が染み込んで、絶妙な舌触りになる。普段なら「うまい」と思うところだが、今は味がしない。
それから約二時間――ついに愛里彩が現れた。
ツインテールの美少女が、学校の制服を着て軽やかに歩いてくる。一見すると、どこにでもいる普通の女子高生だ。しかし、俺にはもう彼女の正体がわかっている。
人の皮をかぶった悪魔だ。
「あら、もう出てきたんだ」
電柱から飛び出した俺を見て、愛里彩は一瞬驚いたが、すぐににやりと笑った。まるで予想していたかのような反応だった。
「ああ、出たさ。誰かさんのおかげで、とんでもない目に遭ったよ」
「そう、その誰かさんには困ったものね」
愛里彩の口調は軽やかで、まったく悪びれる様子がない。罪悪感など微塵も感じていないのだろう。
「このアマあああ!!」
堪忍袋の緒が切れた。俺は怒鳴りながら愛里彩に向かって走り出した。
「キャーこわい! お巡りさん、痴漢よ、逮捕して!」
愛里彩が甲高い声で叫ぶ。その声は住宅街に響き渡った。
まずい!
慌てて急停止する。もし本当に警察が来たら、保釈中の身である俺は即座に逮捕される。
幸い、近所に人の気配はない。夕方の時間帯で、みんな家の中にいるようだ。
「て、てめえ……」
「ふふん、私はか弱い女子高生で、あなたは痴漢容疑で捕まった男。自分の立場がわかった? 変なことしようとしたら大声出すわよ」
愛里彩は勝ち誇ったような表情で、俺を見下ろしている。
「くっ!?」
「それにさ、私、こんなの持ってるのよ」
愛里彩が学校鞄から黒い物体を取り出した。
スタンガンだ!
スイッチを入れると、先端からバチバチと青白い電流が迸る。
「なんでそんな危険なものを……」
「ほら、私って超可愛いでしょ? 僻み妬みって怖いよね。だから護身用にね」
愛里彩は得意げにスタンガンを俺に向ける。これでは迂闊に近づけない。
「それで、私に何か用――って、わかってるわ。被害届を撤回してほしいんでしょ?」
「……ああ、その通りだ」
「いやよ。私、怖かったんだから。女の敵は絶対に許さない」
何が怖いだ。ヘラヘラ笑って、とても怖がっているようには見えない。
「少しお前のことを調べた」
俺は資料で得た情報を切り札として使うことにした。
「ライバルを蹴落とすために誹謗中傷を繰り返したり、痴漢冤罪を繰り返して大金を巻き上げているな」
愛里彩の表情が一瞬変わった。しかし、すぐに元の余裕の表情に戻る。
「へえ~なかなかどうして……私の住所もばれちゃったみたいだし」
愛里彩の目が細くなる。値踏みをするような、計算高い目だ。
「そうだ。全部調べた。お前の悪事は全部お見通しだからな」
「証拠はあるの?」
愛里彩の声が一段と低くなった。本気の声だ。
「あ、ある」
しかし、俺の声には自信がなかった。実際、決定的な証拠はない。
「あるなら見せて」
「今、ここにはない」
「そう、嘘ね」
愛里彩は勝ち誇った顔で言った。俺の表情から、嘘を見抜いたのだ。
なぜばれた? 俺は顔に出やすいのか。
「う、嘘じゃない。それに、本格的に調べられたら困るのはお前だろう?」
「そうね、あることないこと吹聴されるのは気分が悪いわね」
愛里彩は少し考え込んでいる。計算しているのだ。俺の脅しにどの程度の効果があるかを。
「……示談にしてやってもいいよ」
「本当か?」
「ええ、さすがにただじゃないけど」
「いくらだ?」
「五十万」
「はあ? ふざけんなあ! 誰が払うか!」
五十万円――一般的な高校生には到底用意できない金額だ。
「じゃあ、この話はなし。そのあるっていう証拠とやらで法廷で戦いましょ。バイバイ~」
愛里彩は手をひらひらと振って、家に向かって歩き始めた。
「待て、待てって!」
実は、俺には金がある。以前のいじめ問題で宮本たちから多額の慰謝料をもらっているのだ。五十万円なら、払えないことはない。
しかし、無実なのに大金を巻き上げられるのは非常に腹が立つ。
「話を聞け。いくらなんでも学生がそんな大金持ってるわけないだろうが!」
「親に泣きつけばいいでしょ。ママ、僕悪いことしちゃったからお金出してって」
愛里彩の口調に、明らかな侮蔑が込められている。
「親に迷惑はかけられない。だいたい冤罪なのはお前が一番わかってるだろうが? お前がそんな態度なら俺もとことんやってやる。変な噂が立つぞ。メジャーデビューできなくなったら困るだろ?」
「ふうん、私を脅すんだ」
「そう取ってもらって構わない。拒否すれば、お前にもデメリットがあるはずだ」
「はあ~やっぱり学生は貧乏ね。おじさんたちは金払いよかったのに」
やっぱりやってんじゃないか!
愛里彩は自分の犯罪を、さも自慢話のように語った。
「そうね~じゃあ五万円でいいわ」
五万円。この金額なら、ムカつくが、穏便に済ませられるなら……
「本当か?」
「ええ、負けてあげるんだから、他にもしてもらわないとね」
嫌な予感がした。愛里彩の口調に、明らかな悪意が込められている。
「無罪の俺にこれ以上何をさせるんだ」
「とりあえず土下座してよ」
「土下座だと!?」
「そうよ。さっきから愛里彩のこと睨んでて、むかつくんだよね。謝罪しなさい」
ふざけるなと言いたかったが、穏便に済ませるためだ。
俺は地面に座り、頭を下げた。
形だけ、形だけだ。プライドを捨てれば、なんということはない。
「これでいいか?」
「まだよ。次は、私の靴を舐めて」
「はあ?」
「靴を舐めろって言ってんの。聞こえなかった?」
愛里彩が足を前に出してくる。制服に合わせた黒い革靴が、俺の目の前にある。
こいつ、下手に出ていたら、どこまでもつけ上がってくる。
さすがにピキピキと怒りがわいてくるが、落ち着け。
穏便に済ませるのだ。
紫門たちからのいじめに比べれば、女子高生の靴を舐めるぐらい……
自分にそう言い聞かせて、愛里彩の足元まで這っていく。
靴の比較的きれいな部分に、ちょんちょんと舌を当てる。
「こ、これでいいかよお!」
男のプライドがズタズタになったが、声を張り上げてごまかす。
その光景を見た愛里彩はニンマリと満足そうに笑って――
「やっぱりやめた」
「は?」
「愛里彩の気が変わったの。やっぱり五万なんてはした金で示談なんてしないわ」
「てめえ、靴まで舐めさせて、嘘かよ!」
「だからなに? 愛里彩の気が変わったんだから仕方ないじゃない」
完全に舐められている。いや、文字通り舐めたのは俺の方だが。
「悪事をばらすぞ」
「ばっかじゃない。私のバックには、小金沢グループの紫門さんがついているのよ。あんたのような小物がいくらわめこうが、無駄よ、無駄」
小金沢グループ!
やはり愛里彩は紫門の手下だったのか。
「て、てめええ!!」
「おっと、だめよ。おいたしちゃ」
俺が殴りかかろうとすると、愛里彩がスタンガンで威嚇してくる。
「く、くそ。ご、五十万かよ」
「ううん、百万に値上げした」
「はあ?」
「さっき愛里彩を襲おうとしたから、ペナルティよ」
こいつは……こいつは……
「百万ぽっちで示談できるのよ。いいじゃない。いつまでもうじうじ悩んじゃって情けない。本当に学生は貧乏でやあね。それに比べてサラリーマンのおじさんたちは、金払いいいわよ」
愛里彩は過去の「戦果」を自慢げに語り始めた。
涙を流しながら悔しそうに金を払うサラリーマンたち。妻子を養うために必死に働く父親たちが、この悪女のせいでどれほど屈辱を味わったことか。
無実なのに、家族にバレることを恐れて、こうして屈辱的に靴を舐めさせられたのだろう。
中には毅然と払わないと言った人もいたらしいが、そういう人たちは悲惨な末路を辿った。痴漢をでっち上げられた挙句、職を失い、妻に離婚を言い渡されたという。
「……お前には、良心がないのか?」
「ふふ、何言ってんのよ。愛里彩の靴を舐められたんだもん。ご褒美よね」
まったく反省の色なしだ。
こいつは一体どれだけの人の人生を狂わせてきたんだ。
家族のために働くお父さんたちの無念がわかる。こんな悪女のせいで、どれほどつらい思いをしたことか。
善良なサラリーマンの人生を狂わせた罪、お前の人生で償わせてやる。
こうなれば最終手段だ。
まずは、愛里彩のDNAを手に入れなければならない。髪の毛でも爪でも、彼女の遺伝子情報が含まれているものなら何でもいい。
しかし、愛里彩はスタンガンを持っている。無理やり髪の毛を抜きに行ったとしても、避けられて反撃されたら終わりだ。
むやみに突っ込んでも、一か八かの賭けになる。
考えろ、考えろ……
そうだ、一つだけ方法を思いついた。これなら愛里彩も油断するし、成功する可能性が高い。
ただ、非常に情けないやり方だが……
愛里彩を見る。
にやけた面だ。まさに悪女の顔。今後もこうやって弱者を食い物にしていくのだろう。
男のプライドとか言っている場合じゃない。
「わ、わかった。払ってもいい」
「ふうん、やっと自分の立場を理解できたみたいね」
「ああ、ただやはり百万は高い。で、できれば、条件として……」
俺は意を決して言う。
「靴ではなく、直に足を舐めたい。それなら払ってもいい」
愛里彩は一瞬、何を言われたかわからずきょとんとしていた。
その後、腹を抱えてげらげらと笑い出した。
「うひゃっはっははは!! なによ、変態。ああおかしい。そうよね、愛里彩って魅力的すぎるもんね。大金を払うなら、それぐらいしてもらいたいよね~わかる、わかるわ」
計画通りだ。
愛里彩はルックスに絶対的な自信を持っている。世の男性が自分に夢中になるのは当然だと思っている。
完全に油断している。
スタンガンを鞄にしまい込んでいるではないか。
愛里彩はひとしきり笑った後、靴を脱ぎ始めた。
「ふふ、本当はもっとお金を取ってもいいんだけど……サービスよ」
生々しくソックスを脱いでいき、素足を露わにする。
「はい、足指の裏まで丹念に舐めなさい。愛里彩の足を舐められるなんて、一生の幸運ね」
あとは、舐めるふりをして髪の毛を引っ張るだけだ。
愛里彩の親指を口に入れる。悔しいが、全然嫌な臭いがしない。それどころか、この状況に少し興奮している自分に嫌気が差す。
とにかくやるぞ……
最初は爪を食いちぎろうと思ったが、それはあまりにもえぐい。大量出血するし、激痛を与えることになる。いくら悪女相手とはいえ、そこまでやるのは……ね。
舐めながらチャンスを伺う。
だが、まだ距離が遠い。もっとだ。もっと近づいてくれれば……。
「なに、さっきからぼーっとしているの。ほらもっと喉の奥まで使ってやるんだよ」
「うぐっ」
愛里彩に足を喉まで突っ込まれて、むせてしまった。
ゲホ、ゲホ!
「なに、むせたの? だらしないわね」
愛里彩がサドっ気を出して俺の顔を覗き込んできた。
これはチャンスだ! 髪の毛までの距離がぐっと縮んだ。
近づいてきた愛里彩の髪を強引に引っ張る。ツインテールの髪が大きく揺れ、ブチブチと何本か毛が抜けた。
「いったああ! 何しやがる、てめええ! せっかくブローした髪が!」
「ばあか、ひっかかったなあ!」
舌を出して愛里彩を煽る。
「くそ餓鬼、くだらないことしやがって。もう絶対に許さない。あんた終わりよ。愛里彩怒らせたんだから。示談なんて絶対にしない。社会的に抹殺してやるよ」
愛里彩は口汚く罵るが、もう気にしない。
引きちぎった髪の毛を握りしめて立ち上がった。
「覚えてろよ、悪女!」
愛里彩がスタンガンを取り出そうと鞄に手を伸ばすが、もう遅い。
捨て台詞を吐き、俺はその場から全力で駆け出した。




