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第十三話「さすがにドタキャンはまずいだろ」

 桜の花びらが舞い散る四月の放課後。教室の窓から差し込む夕日が、机や椅子に長い影を落としている。授業が終わり、生徒たちが三々五々帰路につく中、俺——白石翔も重いカバンを肩にかけて家路に向かおうとしていた。


 校門まであと数歩というところで、突然声をかけられた。


「あ、あの、白石君、麗良さんと連絡を取ってくれないかしら」


 振り返ると、髪をロールに巻いたつり目の女性がおずおずとそう切り出してきた。制服は南西館高校のものだが、着こなしや身につけているアクセサリーから、一目で上流階級の出身だとわかる。


 彼女は神崎祥子。鳳凰院中学出身で、元麗良の友達だ。


 こいつの家も相当な金持ちで、生粋のお嬢様らしい。父親は大手商社の専務取締役、母親は華族の末裔という名門中の名門の出身だ。もともとは鳳凰院高等学園に通う予定だったところを、麗良に誘われてここに入学してきた経緯がある。


 顔立ちはそこそこ可愛い部類に入るだろう。整った鼻筋、大きな瞳、艶やかな黒髪。だが、その美貌も性格の悪さで台無しになっている。高飛車で傲慢、他人を見下すことを何とも思わない典型的な嫌な女だ。


 前の麗良と同様に、俺を完全に無視していた神崎。それどころか、紫門に目をつけられてからは、積極的にいじめに加担してきた奴らの一人だった。


「白石って、本当に汚らしいわね」

「あんな貧乏人と同じ教室にいるなんて、空気が汚れるわ」


 そんな暴言を平気で口にしていた。


 こいつが女子連中を巻き込み、それに影響されて他の男子たちも悪乗りし始めたと言ってもよい。神崎が先頭に立って俺を馬鹿にすることで、いじめの空気を作り上げていったのだ。


 紫門ほどの直接的な暴力は振るわなかったが、精神的な攻撃という意味では、こいつもにっくき仇の一人である。


 もちろん小説では思い切り悪役に書いてやった。


 麗良が殺意を抱くには十分すぎるほどのエピソードを盛り込んでやったのだ。具体的には、忠臣ショウを陥れるための偽の証拠を捏造したり、帝国の密使と内通して王国の機密情報を流したり、王国崩壊の一助を担ったと言ってもよい悪行の数々を描いた。


 前世では「サキ・カミザキ」という名前の宮廷女官として登場させ、レイラ王女を妬み、陰謀を巡らせる悪女として描写していた。美貌を武器に男性貴族たちを手玉に取り、最終的には帝国に王宮の見取り図を売り渡すという、まさに売国奴そのものの役回りだった。


 そのおかげか、現在の麗良からは蛇蝎のごとく嫌われているという。



 麗良洗脳前は、神崎と麗良の関係は実に良好だった。


 放課後には一緒にカラオケに行き、最新の楽曲を歌い合ったり、高級ブランドが軒を連ねる銀座でショッピングを楽しんだり、まさに親友と呼ぶにふさわしい間柄だった。


「麗良さん、今度のパーティーのドレス、どうしましょう?」

「祥子の好きにすればいいわ。あなたのセンスなら間違いないもの」


 そんな和やかな会話を交わしていたのが、今では完全に破綻している。


 まあ、その原因である俺が言うことでもないか。


 とにかく神崎祥子は、麗良からひとしきり脅されて、完全にびびってしまった。

 先の慰謝料騒動では、神崎からもたんまりとお金をもらえたし、俺への態度も従順そのものに変わっている。


 あんなに高飛車だった女が、手のひらを返したような態度の急変ぶりだった。


「白石君、何かお困りのことがあれば、遠慮なくおっしゃってください」

「私にできることなら、何でもお手伝いさせていただきます」


 そんな丁寧な言葉遣いで接してくるようになったのだ。


 一体どれだけ脅したのか、気になって麗良に聞いてみたことがある。


「それ相応の報いは受けさせた」


 麗良はそう答えただけだったが、その時の表情が実に恐ろしかった。


 冷酷で、容赦がなく、まさに絶対王政時代の君主そのものの顔つきだった。語っている麗良のその表情を見たら、制裁の詳細な内容なんて聞けなかったよ。


 きっと神崎の家族や親戚、さらには父親の会社まで調べ上げ、弱みを握ったのだろう。草乃月財閥の情報網を駆使すれば、そんなことは朝飯前だ。


 で、今は、前世の記憶が戻っていない神崎をこれ以上責めても意味がないとのことで、完全無視している状態だという。神崎からのLINEも電話もすべて遮断し、存在そのものを認めない扱いをしているとか。

 麗良曰く「序の口の制裁」だそうだ。


 それでも神崎は、びくびくとトラウマに怯えるように震えているからね。


 もし神崎の前世の記憶が戻ったりしたら、どれだけの目に遭わされるやら。

 処刑は確実、その前に拷問も視野に入れる必要があるかもしれない……。


 まあ、神崎がかわいそうというより、麗良を殺人者にするわけにはいかない。だから神崎の記憶を戻すような、正確には洗脳するような真似は、絶対にしないと決めている。


 つまり神崎は殺されることもなく、このまま麗良に完全無視されたまま生きていくということだ。


 完全無視……。


 それが今、神崎にとって非常にまずい状況を引き起こしているようだった。


 話を聞くと、鳳凰院学園では毎年春に「桜を眺める会」という催しがあるらしい。

「桜を眺める会」は鳳凰院学園創立以来続く伝統的な行事である。歴史を紐解くと、明治時代の元勲、大正時代の財界人、昭和の政治家、そして現代の政財界のトップや経済連の会長など、各時代のそうそうたるメンバーが出席してきた由緒正しい会だそうだ。


 単なる花見ではない。政財界の重要人物が一堂に会し、情報交換や人脈作りを行う、いわば日本の権力構造の縮図のような場なのだ。


 そして今年は、神崎祥子がその幹事を務めることになっていた。


「白石君、この会の重要性、分かってもらえるかしら?」


 神崎は必死の表情で説明を続けた。


「総理大臣の息子さん、大手銀行の頭取、有名企業の社長…そういう方々が何百人も集まるのよ。そんな中で、草乃月財閥のご令嬢である麗良さんは、まさに会の目玉なの」


 もちろん毎年麗良は出席していたらしいが、今年は出席するかどうか全く不明な状況だった。

 超VIPで会の花形である草乃月財閥のご令嬢が欠席するなんてことになれば、幹事としての神崎は面目丸つぶれどころか、社会的な信用まで失いかねない。


「私の父の会社にも影響が出るかもしれないの。取引先の方々も来るから…」


 神崎は、当然麗良が出席するものと認識して準備を進めていたらしい。座席表には最前列の特等席に麗良の名前を記載し、挨拶の順番も麗良を最初に持ってくる予定だった。


 しかし、突然麗良に態度を急変されたから、さあ大変。


 慌てて麗良と連絡を取ろうとしても、けんもほろろに断られる始末。それどころか、会話をしようとするだけで命の危険さえ感じたという。


「麗良さんの目が、本当に怖かったの…まるで殺される寸前の気分だった」


 そこで、最近とみに仲が良い俺に白羽の矢が立ったというわけだ。


 麗良と連絡を取ること…確かに頼まれれば断る理由もない。

 だが実は、俺も最近麗良と会えなくなってきているのが現状だった。


 麗良が、ちょくちょく学校を休んでいるのだ。


「ショウ、どうしても外せない重要な仕事があるのだ」


 仕事って…受験勉強はいいのかって聞いたんだけど、鼻で笑っていたよ。


「前世の王宮において、魑魅魍魎うごめく政治の修羅場と戦っていた経験に比べたら、受験なんて赤ちゃんのおままごとのようなものだ」


 麗良はそう豪語していた。


「ハーバードだろうがオックスフォードだろうが、片手間で合格できる。そんなことより、今は日本という国の未来を左右する重要な案件に関わっているのだ」


 さすがは政治力九十二の設定で作った王女だ。もともと東大志望の学年首席だったけれど、前世(ニセ)の記憶が戻ったことで才能に拍車がかかっている。


 既にいくつもの企業買収案件を処理したとか、政府の極秘プロジェクトに助言したとか言っていたし、もう大人顔負けどころか敏腕経営者レベルの活動をしている。


 十七歳の高校生が、である。


 とにかくこのところ忙しい麗良に連絡を取るのは、俺も気が引ける状況だった。


 まあ、電話やLINEは毎日のようにしているんだけど…内容はほとんど前世の思い出話や、俺への愛情表現ばかりで、現在の仕事の詳細はあまり話してくれない。



「お、お願い、白石君」


 神崎が両手を合わせて、まるで神仏に祈るような格好で頼んできている。

 その姿は、以前の高飛車な神崎からは想像もできないほど必死だった。


 電話ぐらい取り次いでやるか?


 でも正直なところ、慰謝料をもらったとはいえ、こいつにはさんざん恨みがあったからな…

 少しばかり嫌がらせをしてやりたい気持ちもある。


「神崎さんにノートを破られ、男子をけしかけられたときは本当につらかった。殴られ蹴られ、頭にできたたんこぶがしばらく引かなかったんだよ」


 俺がそう言うと、神崎の顔が真っ青になった。


「ひぃいい!! ごめんなさい、ごめんなさい。本当にごめんなさい。謝るから。何でもするから。麗良さんには言わないで」


 すごい勢いで頭を下げ始める。何度も何度も頭を下げ…そしてついには土下座まで始めた。


 制服の膝の部分が地面の砂で汚れても、お構いなしだった。


 神崎の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっている。


「ひっく、ひっく、うぅ、私、私、麗良さんに嫌われたままじゃ、生きていけない。私、私、本当に後悔してるから…」


 マスコミでよく見る芸能人の謝罪会見なんて目じゃないぐらいに、地べたに頭をこすりつけている。

 その必死さは、演技ではなく心の底からの恐怖に基づいたものだとわかった。


 はあ~しょうがない。


 いじめをするようなクソ女だが、こいつが麗良に嫌われた根本的な原因が俺にあるのも事実だ。

 取り次ぎぐらいはしてやるか。


「わかった。電話してやるよ」

「本当!」


 神崎が喜色満面の声を上げて叫ぶ。まるで死刑宣告を受けた後に恩赦が決まったような、安堵の表情だった。


 携帯電話を取り出し、麗良の番号を呼び出す。


 コール音が鳴る。


「ショウ、何か問題か?」


 なんとツーコールで出た。なんて早さだ。


 仕事で忙しいはずじゃなかったのか?


 携帯越しに会議中のような雰囲気が伝わってくる。がやがやと複数の大人の男性の会話が聞こえてくるし、時折英語や中国語らしき言葉も混じっている。


「いや、特に問題はないよ。それより忙しかった? 忙しいならまたかけ直すけど」

「ふっ、問題ない。お前からの電話以上に大切なものなどない」


 相変わらずの好感度だ。どう聞いても重要な国際会議の最中らしいのに、俺の電話を最優先にしてくれている。


「そ、そう…ただ頼みがあって」

「なんだ? お前の頼みだ。何でも聞いてやるぞ」

「それじゃあ——」


「麗良さん!!」


 うぉっ!! 俺が電話をしている最中に、神崎が携帯を奪い取りやがった。

 すさまじい勢いだった。まさに鬼気迫る様子で、俺の手から携帯をひったくったのだ。


「麗良さん、麗良さん。私です。祥子です。ごめんなさい、ごめんなさい、私が何か悪いことをしたのなら謝ります。だからどうかどうかまた前のように——」


 神崎の必死の懇願が携帯のスピーカーから聞こえてくる。

 しかし、麗良の返答は氷のように冷たかった。


「…今、ショウと大事な会話をしている」


 その声には、一切の感情が込められていない。まるで機械が話しているかのような冷淡さだった。


「うっ、うぅ、麗良さん、どうして、どうしてこんな男と…?」


 神崎が俺を指して言った瞬間、電話の向こうの空気が変わった。


「言ったはずだ。ショウへの無礼は許さんと。どうやら貴様には再度の制裁が必要のようだな」


 麗良の声に、明確な殺意が込められていた。


「ひぃい! ごめんなさい。申し訳ございません」


 神崎が震え上がって、慌てて携帯を俺に返してくる。


 俺は携帯を受け取り、神崎から聞いた「桜を眺める会」の詳細を説明した。開催日時、参加予定者の顔ぶれ、会場の設営、そして神崎が幹事として背負っている重責について。


「まったく、相変わらずショウは人がいいな。こんな性悪の売国奴相手に…」


 麗良はやれやれといった調子でため息をついた。

 そして、信じられない言葉が続いた。


「ショウ、そこの売国奴に伝えておけ。会には行けん。今、シンガポールだからな」


 シンガポール!?


「それより、ショウ聞いてくれ。この国を支配する新たな王国を構築する予定だ…本当はショウに会いたいのだがな、でも、今は少しだけ待ってくれ。私の作る王国は、将来お前の——」


 いろいろ突っ込みたいことがある。


 まず第一に…シンガポール!?


 海外にいるのかよ。一体どこまで飛び回っているんだ。どこまで仕事の規模を拡大しているんだよ。

 高校生が一人で海外出張って、どういう状況なんだ。


 しかも、さらに問題なのは…


 王国だと?!


 まさかここ日本でヴュルテンゲルツ王国を再建しようとしているのか!!


 ブレインウォッシュの効果、怖ええよ。


 前世(ニセ)の記憶を取り戻しただけでなく、その野望まで現代に持ち込んでいるじゃないか。

 草乃月財閥の権力と資金力を使えば、確かに不可能ではないかもしれない。政財界に人脈を築き、メディアを掌握し、最終的には政治的な実権まで握ることも…


 考えただけでも恐ろしい。


 ああ、また新たな悩みが増えそうだ。


 麗良の洗脳を解く方法を見つけるだけでも大変なのに、今度は世界征服の野望まで阻止しなければならないのか。


 だが、とりあえず今は…

 びくびく震える神崎を見る。



「神崎さん、聞いてたと思うけど、麗良さん、会は不参加だって」


 俺がそう告げると、神崎の顔が絶望に染まった。


「ひっ、ひっ、うぅ、うあぁあああん。出席するって言ってたのにぃい! ひどすぎよぉおお!」


 神崎は、まるで世界の終わりを告げられたかのように泣きじゃくりながら、その場を走り去っていった。


 制服のスカートが風にはためき、ロールに巻いた髪が乱れているのも構わずに。


 確かに、ドタキャンは相当まずいだろう。


 政財界の重要人物が何百人も集まる会で、目玉となるはずの人物が急遽欠席となれば、主催者側の面目は完全に潰れる。


 神崎の父親の会社への影響も避けられないかもしれない。

 だが、それも俺が洗脳機械を使ってしまった結果なのだ。



 ★ ☆ ★ ☆



 それから麗良との関係は、表面上は相変わらずだったのだが…

 会ったり会わなかったりの日が続くようになった。


 好感度は相変わらず最高レベルを維持している。電話に出る時の嬉しそうな声、LINEでの愛情たっぷりのメッセージ、それらは変わらない。


 ただ、物理的に会う頻度が徐々に減っていき、ついにはLINEが未読のまま放置されることが多くなり、電話をかけても留守番電話に入ることが増えてきた。


「ショウ、申し訳ない。重要な会議が立て続けにあって、なかなか時間が取れないのだ」


 留守番電話に残されたメッセージからは、麗良の多忙ぶりがうかがえた。


 一方で、神崎祥子はその後どうなったのだろうか。

「桜を眺める会」は予定通り開催されたが、草乃月麗良の欠席は会場に大きな波紋を呼んだという噂を聞いた。

 神崎の父親の会社にも何らかの影響があったらしく、神崎自身も学校ではますます小さくなって過ごしているようだった。

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[良い点] ええやん(歓喜) 主人公が徹底的に復讐するのではなく、あくまでやり返す程度までに収めてるのがいいですね。 王女様を洗脳した以外は何も手を出していないので、本当に主人公の忍耐力の凄さを感じま…
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