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感情の彼岸

作者: 阿竹 スピカ

朝目が覚めると、仕事に行くから支度をするように。と彼は促した。彼の住んでるマンションはオートロックだから、もう少し寝て後から家を出ても鍵の心配はない。多分後で他の女が来るのだろう。

私は、分かった。と返事をして服を整え身支度をする。扉を開けて玄関を出る瞬間、キスをされた。またね、と短く一言。

彼はドラムを叩いている。普段は会社員だが、学生の頃からバンドをやっており、今も週末にはライブを行う。当時のような熱量はなく惰性かもしれないが、彼のバンドを私は好きだった。2ヶ月前に初めてライブを見た。その日の打ち上げに参加して、そのまま彼の家に泊まった。本当はボーカルと仲良くなりたかったが、その時の事はそれほど鮮明に覚えていない。


一度家に帰って身支度を整え学校へ向かった。大学4年生となった今、学校に行く機会は減り、午前中に同級生を見る事も少ない。午前中に1コマ、少し時間を挟んで昼過ぎに1コマの授業を受けた。夕方になると、19時からサークルの飲み会の為、駅へと向かった。

2年の途中から友人と入ったサークル。『国際学生友好会』という留学生と交流を持つサークルだ。留学に興味があった事と、就職活動へのアピールになるかもしれないという程度の動機で入ったが、思いの外居心地が良く、飽き性な私でも4年生まで続いた。一つ頭痛の種があるとすれば、同じサークルの後輩だ。去年の暮れ、告白をされた。


彼は良い後輩だった。高校生の時は吹奏楽をしていたようで、吹奏楽の話や好きな小説の話しをする時は饒舌になった。恐らく女の子と付き合った事は無いと思うが、人に優しく、良い後輩だった。 年末、実家に帰る直前にサークルの忘年会があった。繁華街の居酒屋で飲んだ後、副部長の家に行き、コンビニで買った酒で二次会をするのが定番だった。

私は比較的お酒が強かったので、順番に酔いつぶれていくサークルメンバーを横目に、お酒を飲んでいた。12時を回った頃、ビールと氷を買いにコンビニ行こうとすると、夜道なんで一緒に行きます!と彼は言った。可愛い奴だなと思いながら一緒に着いてきて貰い、コンビニの帰り道に、告白された。


別に彼の事は嫌いでは無かった。でも、好きでも無かった。


最初は驚いて何を言ったかあまり覚えていないが、恋愛対象として見れないという旨を伝えた。すると彼は、振り向いてもらえるよう頑張ってもいいですか?と聞いてきた。私はそれになんて答えたらいいか分からないまま、いいよ。と言った。

それ以来、彼との接触を無意識に避けるようになった。以前は皆で昼食を取ることもあったが、4年生で仲の良い同級生が居ないこと理由に家で済ませてきたり、サークルの集まりでは話すものの、2人きりで話すタイミングや彼を含めた少人数での遊びを少し避けるようになっていた。彼の言葉の端にある好意に拒否感を抱くようになった。


飲み会の場所に向かう途中、新しく買った新譜のアルバムを聴きながら向かった。今作からプロデューサーが変わったと話題になったバンドだが、私には何がどう変わったかはあまり分からなかったが、2曲目と6曲目はとても気に入った。普段なら電車で行く所だが、少しだけ時間に余裕がありアルバムを長く聴きたかった為バスで向かう事にした。料金も少しだけ安かった。アルバムの大半を聞き終わる頃にバス停を降りると、声をかけられた。

後輩が目の前に居た。彼の家は主要路線より少し離れた所にあり、繁華街に出るにはバスを利用した方が都合が良いらしい。それで同じバスターミナルに到着したとの事で、一緒に居酒屋に向かうことにした。彼と二人で話すのはあの晩以来かもしれないと思いながら、取り留めの無い事を話した。お互いあの晩の事には触れずに話していた。私も特に嫌な気持ちにもならず、私の中の拒否感が少しだけ薄まっている気がした。


飲み会ではいつもどおりの他愛ない話し、もうすぐ卒業という事を考えると、あと何回集まれるかなと、少し寂しくなった。21時に席の時間となり、いつも通り副部長の部屋に行く事になった。後輩も一緒に。


コンビニで買ってきたお酒もそこそこに、翌日は早朝から予定があったので、終電前で帰る旨は伝えていた。すると、彼も就職活動の説明会で朝早いからと一緒に部屋を出た。

否応なしにあの日の夜を思い出す。行きの道よりも心なしか会話は少ない。少しだけ居心地の悪さを感じた。あと2ヶ月で卒業ですよね。彼は独り言のように言った。実際は3月には東京に引っ越すから1ヶ月半かな。そんな会話をしてると、彼は足を止めた。この間の話ですけど、振られた事は分かってるけど、あと少しだけ好きいてもいいですか?彼はそう聞いてきた。以前の私なら何を言えばいいか分からなかったかもしれないが、今度は驚くほどスラスラと言葉が出てきた。

君は良い奴だし、とても好きな後輩だ。だけど私は君の事を好きだとは思えないし、君からの好意を受けると、それをとても気持ち悪く思ってしまう。だから出来るなら、私に好意を向けないで居て欲しい。でもサークルの後輩としてはとても好きだから、このまま一ヶ月とちょっと、同じように接してくれると、とても嬉しい。

一息に言う間、後輩は表情にならない顔で聞いていた。その後少し下を向いて一呼吸をし、それから顔を上げて、分かりました。今まで通り仲の良い後輩先輩で行きましょう!色々とすみませんでした!と、明るい声で言った。


その後は不思議とギクシャクした会話になる事もなく、駅までの道を歩いていった。先輩バスですよね?駅構内の分かれ道で彼は言った。家の方向なら電車のが早いから、電車で帰るよ。私はそう答えた。嘘だった。実はもう電車の終電は無く、バスなら少しだけ遅い便が残っていたが、彼の笑顔の横にいる事が出来なかった。恐らく彼は、私に気を使わせまいと明るく振る舞っていたし、酷い事を言った私に逆に気を使ってくれた。

そんな彼の優しさを感じはしたが、それはもう私の中で今までと同じベクトルで感情に作用する事はなく、多分二人で話すのも今日が最後なんだろうと思った。ちょうどそんな時、携帯が鳴った。今朝家を出たドラマーの彼からだった。今から家に来ないか?という誘いに、終電を逃した私は明日の事を考えるのを止めて、返事をした。


人間は恐れている人より、愛情をかけてくれる人を、容赦なく傷つけるものである。






一定のラインというのは何処なんだろうか。

目を見て話をして手を取り合って背中に触れて唇が触れて服が取り除かれて


何処からが一線を超えて、何処からが人を傷つけるのか


恐れている人より、自分に無償の愛を振りまいてくれる人の方を人間は簡単に傷つけてしまう。

他者の好意に対する返礼は出来ないし、自分の幸福が人の幸福を保障する事は出来ない。

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