無限
少し開いたカーテンの隙間から、微かに太陽の光が差し込み始める。少しずつ露わになる部屋に丁寧に並べられた数々の書籍が、部屋の主の几帳面な性格を表している。
徐々に明るくなる部屋に呼応するように、意識が覚醒していく。
思ったより早く起きたな、と中村雅は思った。
誰もいない家の静寂の中、気だるそうに歩く雅の足音だけが響く。雅の部屋と同様に、他の部屋も整えられ、まるで雅以外にも人が住んでいるかのような様子である。実際にはそうではないが。顔を洗い終えた雅は、それらの部屋を横目にリビングに向かい、トーストにジャムを塗っただけという相変わらず簡素な食事を始める。点けたテレビからは、病院でデータの改竄が発覚しただとか、沖縄の基地問題で国と県が対立とかいうニュースが流れていたが、雅は半分上の空で聞きながらトーストを齧る。
朝食を終えテレビを消し、高校に行く支度を始める。寝坊した訳ではないにも関わらず手際良く支度を終え、制服に着替え終わる。
雅は学校指定の鞄を持ち、外に出る。ガチャリと鍵を閉める音がして、また静寂が戻った。
「大変だったな、雅」
遊斗と拓也が話しかけてくる。確かに大変だったな、と雅は思った。
あの後、奏海の記憶喪失は明らかな医療上過失だったうえに病院の様々な記録も書き換えられている事が分かり、それら全ての責任を彼が負う形で事態は収束した。当然奏海が記憶を失った事は学年中に伝わり、奏海が雅に話しかけるのを見て雅が怪しがられたりもした。野田は相変わらず読めない表情で立っていた。
この日は2学期の終業式であり、冬休みに入る所である。これまでの奏海との大切な記憶を半ば失った雅は一晩を泣き明かし、この日まで2学期の残りを落ち込んだ表情で過ごしていた。それでも、記憶のない状態でも、奏海が笑うとつられて雅も幸せな気分を覚えるのだった。
終業式が終わった後、雅は病院内──「準備室」と書かれた部屋の、心なしか以前より煤けたように見えるドアの扉の前に立っていた。
「雅君、入っていいよ」
中から野田の声がし、雅は中に入る。そこには野田が座っており、賢悟がその横に立っていた。事後処理という訳だ。
結局あの男が何者だったのかについて、野田は最後まで教えてくれなかった。兄弟二人を呼び寄せた理由も。ただ賢悟はある程度の事情を知っていたように雅には見え、やはり賢悟にも尋ねたが、
「気付かないお前の鈍感さが羨ましい」
の一言で片付けられた。
病院から帰り、大宮駅の近くを歩いている所で、雅は忘れるはずのない声をかけられる。
「えっと、中村くん?だよね?」
振り向くと、そこには家族らしき人と一緒に歩く奏海の姿があった。何故かその家族らしき人はあまり雅に良い顔は向けなかったようである。
「川野、色々大変だろうけど大丈夫か?」
雅も声をかけ返すと、少なくとも雅にとっては世界で一番といえるような笑顔で返事をする。
「大丈夫!とりあえず今頼れるのは中村くんくらいだし、色々迷惑かけちゃうけどごめんね!」
記憶がなくなっていても、雅にとって奏海が特別な存在である事は変わらないどころか、より大切だと思えるようになっていた。えへっ、と微笑んだ奏海の顔を見て、雅の目からは不意に涙が出ていた。
雅は思う。記憶がなくなっても、その先の未来は広大に広がる。これから紡ぐ未来を思えば、今の苦悩など大した事はないと。
今回の騒動のように、幻を追い続ける必要はないのだと。
夢現の中を生き、夢現を夢見て惑い、夢幻の世界に一喜一憂し、夢限を知ってゆく。そんな世界でも、それからの未来は無限に広がっている。
雅は涙を拭い、自分が送れる最大の笑みを奏海に向けて、その場を去った。
稚拙な文章でしたが、読んで頂きありがとうございました!次作も楽しみにしていて下さい!




