ケンタウロスたち
一夜明けて、準備万端とライラは九頭龍の巣穴を出る。さんざん飲んだのに、疲れも二日酔いも残っていない。一晩で言葉遣いも気軽になった。
夜はあれからさらに、ナイフや耳飾りも作られた。ついにはどこまで細かい細工ができるかと試し始め、シャンデリアのような首飾りが出来上がり、満足げに酒を浴びながら大騒ぎ。ライラには九頭龍の加護まで付与された。
緑のが加減を間違えて、恩恵を受けたライラの瞳は深緑になっている。
「いってきます、おじいちゃん」
ライラが翠銅鉱のようになった瞳をきらきらさせて手を振ると、穴から頭を出した紫のが器用に白い布を振り返していた。ライラが布団代わりに使ったものだ。
忘れ物をしていないか何度も確認させられたアイテムボックスには、おじいちゃんの愛情がたっぷり入っている。
代わりに、追加で大量の酒を出して置いてきた。
「えっと、街に行くまでの定番は、魔物に襲われてる商人さんを助ける、かな? それか、迷子を保護? でも、危ない目にあってる人は、いてほしくない……」
呟きながら歩くライラ自身が魔物に襲われることもなく、ただ静かに森の中を歩き続ける。竜鉱石だらけでも魔物が逃げることはないと言われていたため、遭遇しないのは偶然なのだが、あまりに静かで不安になってきた。
好んで魔物と戦いたいと望んでいるわけではないけれど、冒険者になるなら、いつかは狩りをしなければいけないと思っている。
ライラは周囲を鑑定して、薬草を集め始めた。
自分の足で歩ける喜びというのも、昨日は味わう前に落下したので、驚きで忘れていた。今の体に慣れないといったこともなく、自然と動けている。
「薬草にも色々あるな……って、これも薬草だけど今は時期じゃないみたい? 鑑定と解析って想像より便利。あれ?」
薬草をアイテムボックスに入れながら顔を上げたところで、魔物の気配に気付いた。
離れているが数は多い。同じ場所に魔物以外の気配もあり、ライラは走り出す。まさか本当に襲われている人がいなくてもいいのにと、震える拳を握りながら。
力いっぱい走るとすぐに開けた場所に出て、狼のような魔物に囲まれている三人のケンタウロスが目に入った。鑑定前から種族を判断したのは、上半身が人で下半身が馬のように見えるなど、他に知らなかったからだ。
「しつこいな、こいつら。アスクレーは下がってろ」
服も髪も汗で乱れてなお美しい金髪金毛の男は、整った顔立ちの若々しさや一際色素が薄いというだけでなく、光を含んで実際に輝いているようにも見えた。
共にもう一人を守っている男も金髪だが、たくましい肩にかかるうねった髪は歳を重ねて荒れ、歴戦の武人といった雰囲気を漂わせている。
「クラトス! お前だけでもここを抜け、治癒薬を持ってくるのだ! 急がなければ!」
「は? 行かせるなら、オレよりアスクレーだろ?」
言い争う二人に守られていた細身の男だけ、馬の背の両側に木箱が固定されて動きが鈍い。その元々戦い慣れしていないように見える不安げな表情には、同時に焦りも色濃く浮かんでいた。結ばれた栗色の髪にひっかかる葉も気にしていられないほど、ここまで急いできたのだろう。
鑑定すると、目が三つある狼もどきはワイルドウルフと表示された。ケンタウロスたちは獣人族だ。ライラに詳しい状況はわからなくても、どちらに味方すればいいかはすぐにわかる。
いきなり魔物の正面に飛び出すのはためらったが、見捨てて逃げる気になれない。
「雷の雨!」
詠唱や呪文がわからないので、とりあえずそれっぽいことを口にしておく。いかにも適当に叫んで手を上げただけで、ライラの魔法は魔物を全滅させてしまった。
一部は焦げているが、他の外傷は少ない。気絶したように息絶えている。
それだけの攻撃をしておいて、ケンタウロスたちにはかすりもしなかった。
「今のはー、あなたが?」
ライラに気付いた細身の男が、呆然とした顔で声をかける。
他の二人も、ライラを見て別の表情を浮かべた。一人は喜びを、一人は驚きを、感情のまま表している。
「貴女のような方に助けていただけるとは、ありがたい!」
倒れているワイルドウルフを避けて早足で向かってくる強面の男は、体格もあって恐ろしいが、喜びと感謝の笑顔をライラに向けていた。
「い、いえ。あの、急いでるんじゃ……?」
ライラからは見上げる高さに顔があり、勢いに押されて上半身が少し反り返ってしまう。たどたどしい声を返すのが精一杯だ。
「族長、クラトス様と僕だけで先に行きますのでー」
「何の礼もしない、なんてわけにいかないだろ? 一族の恥になるからな」
今にも走り出しそうな二人と、うなずいただけで迷わず見送ろうとする男を見て、ライラは焦って引き止める。
「皆さん待ってください。治癒薬ならあります」
どこへ取りに行くのかは知らないが、ここで渡すより早いことはないだろう。ここまで急いでいるということは今まさに怪我人がいるのだ。そう判断して、見捨てるという選択肢はありえなかった。
「聞こえていたんですかー」
「何本だ? 非礼なふるまいと承知で言わせてもらうが、足りなければ意味が無い。少なくとも中級五本、いや、欲を言えば上級が必要になる」
「じょ、上級五本でもかまいません! もし足りなければ、回復魔法が使えます」
直接怪我の様子を見ていなくても、大変な状況なのがわかって、スキルを出し惜しみするつもりはない。
「村まで来てくれるのか?」
「迷惑でなければ、行かせてください」
こうなったら助かったことを確認するまで、安心できない。
そんな風に焦っているはずなのに、ライラはもったいない精神で、ワイルドウルフを素早くアイテムボックスへ回収し終えた。
「どこに治癒薬を持っているのかと思えば、空間魔法か」
「では、僕が抱えますねーって、うわ、軽い」
「詳しい話は移動中に! 村へ戻るぞ!」
今日中に戻れると思っていなかった彼らにしてみれば、回収自体にそれほど時間がかかっていなかったこともあり、死体を放置せずに済んで助かったと思っている。殺すだけというのは彼らにとって好ましくないのだ。
「今更になるが、オレはクラトス、あれがゼロス。ろくに礼も言わず悪かった。その、ありがとな」
「お父様をあれだなんて、はあー。ああ、僕がアスクレーですー」
「ライラでっ」
舌を噛んだ。
「いつもオレたちの村に来ている商人が、途中で大怪我して村へ逃げてきたんだ。護衛も、かろうじて動けるやつが皆を連れて来られたが、そいつらも村へ着くなり寝こんじまった」
「夜中にワイバーンが出たみたいですー。怖いですね」
「村にあった治癒薬で少しは回復したが、足りなくなってな」
二人は口元を押さえるライラに気付かず、前を向いて話を続けたまま全速力で走っていた。
それを振り返らず先頭を走るゼロスが、突然手を上げて鋭い声で叫ぶ。
「この先、ベラタケが生えている場所を通る! 鼻を塞げ!」
聞いてすぐ心底嫌だといった顔で鼻をつまむクラトスを見て、ライラは口から手を離し、自分をお姫様抱っこしているせいで両手が使えないアスクレーの鼻をつまんだ。
同時に自分の鼻もつまんで、必要かはわからないがぎゅっと目も閉じた。
そうして会話が途切れているうちにと、ポチへ繋ぐため名前を呼ぶ心の声は、どこか落ち込んでいる。
『ポチ。その、私、迷わず魔物と戦えました。いつかはと思っていても、実際に魔物を見たらどうなるか、わからなかったんです。でも……』
『ライラ。魔物を討伐することへの抵抗感は、感じないと思います。善悪はありますから、殺生そのものが平気というわけではありません。討伐されることは魔物にとっても必要なこと……そもそも魔物は、素材が魔石で動いているだけ。停止させたようなものです』
『そうなんですか?』
『……そろそろ村へ着くみたいですよ』
『っ……私、平気になっちゃったんだ。でも、この世界だとそうじゃなきゃ、いつか困るのかな……』
想定よりも切り替えが早かった。
魔物は他の生命と根本的に存在のしかたが違うと、無意識に理解している。
最後に心で呟いたことが届いたおかげで、そっと安堵の溜息が聞こえてポチの気配が薄れた。