強制転生
『この箱庭を……世界を、愛して……』
ゆらゆら揺れる不思議な感覚から、ゆるやかにサチの意識は浮上していった。
長く眠っていたような。うたた寝した程度のような。ぼんやりとした感覚が、思考を霞ませている。
意識だけで、体はない。不気味だと言われた純白の髪も、哀れまれた動かない足も。助けられなかった手も。ここにはない。
長い短いもわからない曖昧な時間感覚の中、意識が少しずつはっきりしていく。
ふわりと白い毛並みが動いた。
「おはようございます、サチさん。ああ、今は名前が決まっていないのでしたね」
不思議と信頼感のある低く落ち着いた男の声に、名を呼ばれた光が意識を向ける。
ちょこんと、小さな白い獣がテーブルの上に乗っていた。
ぬいぐるみにも見えるふんわりした姿は、犬とも狐とも、何とも言えない生き物だった。これが声の主か疑うほどの可愛らしさだ。
周囲に広がる書斎のような部屋も、白い獣の外見には似合わないように見えた。
「私はポチとでもお呼びください。この度は大変申し訳ありませんでした。さっそくですが、お話を始めてもよろしいでしょうか?」
穏やかな声が、するりと意識へ入ってくる。
「あの、どういう状況でしょうか……」
はっきりしてきた意識ですら自分のものなのか不安になる状況で、声帯もないのに声が出た。
戸惑いが強いけれど、不安に揺れてなお澄んだ甘みのある声音だ。女性らしさを覚えたばかりの、それでいて子供っぽさが嫌な感じのしない残り方で紡がれる声には、戸惑いの色が似合わない。それでも愛らしくはあるものの、不安を取り除いた声が聞きたくなるものだった。
白くもふもふの尻尾を揺らしながら、ポチと言った獣が話を始める。
「貴女はすでに前回の人生を終えて、その魂は眠りについていました。前世は管理課のミスで……アルビノとも違い異質とされた純白の髪に、さらには生まれつき歩くことが出来なかった。その髪と足を理由にご両親から手放され、施設へ預けられた。……過去を変えることはできませんが、せめて謝罪を……。貴女へ、お詫びする機会をいただきたかったのです」
小さな体を丸めて頭を下げ、尻尾がぺたんと力なく下がる姿を見て、怒ることはできなかった。怒りより、改めて記憶を拾い上げ自覚することに気を取られていた。
「現状、記憶は一部だけ……二十歳頃までのものが、まばらにしか残っていないと思います。ですが、あちらでの人生を終えたことは本当です。お詫びと言いながら勝手ですが……新しい人生を、貴女に、今度こそ自由に楽しんで過ごしてほしいのです。器……肉体は、最初から十八歳くらいになりますが」
「私……気にしていないので……」
「どうか受け入れてください。実のところ、お詫びの気持ちであり、必要な手順の一つでもあります。地球ではない世界なので、何でも一つご希望を叶えて転生させていただきます」
必死にぽよぽよふわふわ動く毛玉を見つめながら、どうしても引っかかる言葉がある。
地球ではない。
その世界は、何か一つ希望を叶えたところでどうにかなる世界なのか。
「地球じゃないなら、どこですか? あ……希望とは別に、色々質問しても大丈夫ですか?」
「ええ、答えられることなら何でも。まず、どこか、というなら……そうですね、我々の認識する空間に存在するいくつかの……まあ世界自体が違う場所です。地球とは宇宙でも繋がっておりません」
異なる世界への転生と聞いて、頭がくらくらすると感じたが、今はその頭が実在しない。地球と同じ世界で、火星や金星に転生と言われても戸惑うけれど。輪廻転生というのは、同じ世界の中だけで行われるものではなかった。
「記憶を残した転生でも違和感の少ない、地球が似ている世界ではあります」
記憶を残した、人間として生きた感覚を持っていて不便を感じない程度には似ているならば、少しは不安も薄れる。何の先入観も持たず一から始めるならともかく、例えば植物だけが生きる世界で光合成くらいしかすることがない世界、などと言われたら困ってしまう。
「どんな世界ですか?」
「日本での知識が残った貴女には、物語のような世界、と言えばいいでしょうか。一日の長さは地球感覚で二十六時間ほどですが、時の定め方は一日を二十四分割と同じ方式が一般的なので、時計にすれば同じ。ゆるやかに感じる程度です。魔法が当たり前に存在して、魔物が……」
「冒険者がいて、中世みたいな文化の?」
「冒険者と翻訳されるお仕事の方はいますが、文化は……。魔法や魔石で発展した道具もあるので、貴女が覚えている時代のような品もありますよ。冷蔵庫、洗濯機など。街なら上下水道の整備もあり、浄化技術はむしろ上ではないかと。食文化だって中世とは言えません」
欲しい言葉を知っているように、生活に関わる心配を消していく様子に、安心していいのか疑えばいいのかわからなくなる。
近い時間の概念があり、魔法や魔物といった空想が現実にあるが現代的な物も存在する。使える魔法や住む場所によっては、記憶にしかない世界より暮らしやすいかもしれない。たとえ少しくらい不安が残っても、見て確かめたい気持ちも出てきた。
「それって、どこの国でも、ですか?」
「街ならある程度は。国の違いに関しては……多くの種族が共存しているエクレール、昔の日本に似ているアキツキシマ、暑いインディーシアはスパイスが豊富ですね。魔族のみの国と、獣人族のみの国は、最初に選ぶ場所としてはおすすめしませんが」
「三つの国以外は魔族や獣人ばかりって、人間は少ないんですね」
「たしかに少ないですが、国自体も魔族の国が二つ、これは実質一つとも言えます。獣人国も同様ですね。国の数も少ないのです」
残った記憶から無意識に、多くの国がある前提で考えてしまった。そのため人間の住む国は少ないように感じたが、そもそも国の数自体が少ないとは。人間がいるという前提すら否定されなかっただけ、良かったのだろうか。
「国の数が少ない……?」
「人族の国は滅んでしまいましたので。温厚な種族である金緑竜がヒトのせいで暴走し、世界を壊していったのです。現在は、その時の生き残りが集まってできた国や、他は集落など小規模に分散している状態ですね」
「人のせいってことは、今でも恨まれていたりしませんか」
「それ以前から、獣人族にも狼や熊などいるように、人族も友好的な種族とそうでない種族がいると、別種だと思われていましたので……大丈夫です。元々ある種族間や個人の性格による不一致は別ですが……」
同じ種族であっても合う合わないはあり、誰とでも仲良くというほうが難しいと思えば納得できる。問題を起こした種族だから、と一括りにされないのであれば十分だろう。
人間から転生して次も人間だと勝手に思い込んでいるだけだが、目的を考えれば、問題がある種族へ転生ということにはならない。そこに気付かず心配になり、説明を受けてやっと一安心する。
「復興を機に協力したことで、改善された種族間の関係もあるくらいです。ちなみに、種族によって扱いやすい魔法や能力、特殊な体質などありますが、個人差で例外もありますから、もし……」
希望の種族があれば、そう問おうとしたところで、思い出したように声が上がる。
「もしかして、ステータスとかもありますか?」
「個体情報をまとめた、似たような世界システムはあります。地球ならプロフィール、カルテ、ステータスなどと、近い感覚かと。元は保護した転移種族のために、他の種族が転移前から持っていた魔法や特殊な力を、わかりやすく閲覧できるようにしたもので……」
次から次へと気になる言葉が出てきて、今の時点では他に何を質問すれば確認漏れが無いのか、想像が追いつかず不安が募る。疑問は存在を知って、もしくはそれを想像できて初めて認識できるのだ。
それでも一度行ってみたいと思った世界に、今更やっぱり転生したくないとは言い出さなかった。
転生した後でも気になったことを聞く方法はないか、安全に暮らすには、と考えたところで勢いのまま発言する。
「何でも一つって言ってた希望、思いつきました。その個体情報……ステータスを、自分で決めたいです」
安心して暮らせるように。
そして、今度こそ助け合うために。