パーティーは、酒と料理とケーキと酒
ルクヴェルに戻ってから、ライラたちは少し静かになった日常を過ごしていた。リュナと離れ、街での暮らしにレンが加わった点では変わっているが、冒険者ギルドで依頼を受けたり酒場で飲んだり、することはあまり変わっていない。買い物や宿で過ごす時間が増えたくらいだろうか。寒さが強まるにつれ依頼の数が少なくなっていくため、小型の魔物の討伐依頼は必要ない限り受けないようにしている。
その日常も今日は少し違った。招待されていた、領主の屋敷で行われるパーティーの日だ。
ライラは完成した新しいドレスを着て、サウラやカイと一緒に会場へ入る。ヨシュカはレンと一緒に宿へ残り、不参加だった。
料理の並ぶテーブルへ行くより先に、知った顔を探すライラ。スカート部分の正面が開いているおかげで、未だに慣れないヒールの高い靴でも優雅に歩き、一歩進むたび艶のある深緑色の裾が柔らかく光を反射する。
背中は腰まで大きく開いているけれど、胸元は首まで隠れていて、首飾りがドレスの一部になったみたいに重なっていた。装飾品のほとんどは去年と同じ、九頭龍から受け取った品だ。それでも、最初から合わせるために作ったかのように、竜結晶の深緑色はドレスと一体感があった。
肩から落ちそうになる透けたストールを左手で支え、右手をサウラにエスコートされながら、フェリーツィタスとベルホルト兄弟に声をかけた。
「フェリたちが先にいてくれてよかった」
「あら、今年はそこまで緊張しているようには見えないわよ。新しいドレスも似合ってて可愛い」
「自信なかったから、そう言ってもらえて嬉しい。フェリはきれい……かっこいい」
真っ赤なドレスはフェリーツィタスによく似合っていて、炎帝の名を体で表しているような気品がある。普段からドレスを着ているが、今夜はドレス自体の飾りも他の装飾品も多く、討伐向きのものより繊細なデザインになっていた。繊細といっても、アイテルのところで制作されたドレスなのだから、討伐に出ても問題ない品だが。
「そう? いっそ男装して来れば良かったかしら。今からでもサウラと代わりたいわ」
口調は冗談っぽいのに、本気の目でフェリーツィタスはサウラを睨む。
カイはまきこまれないよう早めに両手を上げて目をそらし、ベルホルト兄弟の側に寄っていた。
「まあ、私はこの格好でも喜んで隣に立つけれど」
男性向けの服装は貴族同士の夜会と似た、ドレスシャツにジャケットなどの、冒険者らしい格好に慣れた者には堅苦しいものだ。けれど女性向けは違い、スカートの広がりも少なく、貴族女性の夜会に比べればシンプルだった。隣に立って密着しても、スカートの膨らみが不格好になるほど潰れることはない。
「フェリさんがオレと代わったら、少なくとも一人は泣く男性がいますけど、いいんですか?」
サウラは困ったように肩をすくめながら、ベルホルトに視線を向ける。
向けられたベルホルトは、あからさまに「こっちを見られても困る」と言った表情で、溜息を吐いた。
「泣かねえよ? もう諦めた。ライラに関してはしょうがねえ」
「諦めないでください……」
「そうよ、諦めるなんて言い方は寂しいわ。ライラは大好きだけど、男性で一番は……結婚までしたのだから、決まっているのに」
フェリーツィタスが微笑むと、呆れたサウラが溜息を吐く。
だったら夫を放置しようとしないでほしい、とベルホルト本人だけでなく、弟のベルンハルトや近くにいたカイも思った。
「とりあえず、酒でも飲むか……」
カイは余計なことを口にする前に、男性陣を連れ、酒が並ぶテーブルへ足を向けて逃げることにした。
ライラも珍しい酒が出されていないか気になったが、先に料理を取りに行くことにする。フェリーツィタスは一緒に料理の並ぶテーブルへ向かい、遠慮なく大きめの取り皿を手に持った。
「どれにしようか悩むわね」
「全種類いけるかな?」
サラダは大皿で置かれた品もあったが、小分けの皿代わりに揚げた細いパスタを使った、少量ずつのサラダを取り皿に乗せる。
ローストガゼルや、香草焼きになったワイルドボアも、大きな塊の肉と一口サイズの両方が並ぶ。
冒険者を招いていることが前提なので、料理人が上品に食べることも可能な気遣いはしていたとしても、招待客へ細かい作法は求められない。満足してもらえるように、大きいままかぶりつける骨付き肉もあった。
「キャベツとボアの辛ミソ煮込みがある……エルフの鍋料理みたいな感じかな?」
「食べてみたら? あっ、リュナちゃんが好きそうなガゼルの漬け焼き……ごめんなさい」
「謝ることないよ。……私もフェリと同じこと思った」
ライラはフェリーツィタスと目を合わせてから微笑み、ぱっと料理に視線を戻して肉を取り皿へ盛る。こうして気遣うフェリーツィタス自身も寂しいと言っていたし、ソフィアや他の皆も、ライラを慰めるためだけじゃなくそれぞれが寂しいと感じていた。いつまでも気遣わせてしまっては申し訳ない。
「ほら、あっちのお肉もリュナが好きそう。一緒に食べたかったなって思うけど、もう会えないわけじゃない……また会えるって思ってるから。連絡もとれるし……なのに落ち込んじゃって、こっちこそごめんなさいなんだけど。えっと……」
「私こそ、ごめんなさいって言うことじゃなかったわね。そのことに謝罪したい気分よ。……また会った時に、一緒においしいものいっぱい食べましょ。きっと、またほっぺたいっぱいに膨らませて、おいしそうに食べてくれるわ」
フェリーツィタスはくすくすと思い出し笑いをしてから、優しい雰囲気で目を細め、自身の取り皿にも肉料理を盛り付けた。
「今日は二人で三人分食べるわよ」
「うんっ」
五人分でも十人分でも食べられそうな気合を入れて、一緒に盛り付けた料理を食べる。さらに、酒は別腹らしい。
新作のワインを二人分持ってきたサウラや、火酒を確保したベルホルト兄弟から、それぞれ酒を受け取って飲む。
「こちらで選んでしまいましたけど、口に合いますか?」
「うん。味も香りも好き、ありがとう」
ワインにも火酒にも柑橘系の果実があとから加えられていて、果実の香りが味の強い料理に染まった口をすっきりさせてくれた。
「食べ……いえ。料理もおいしいですか?」
サウラは「食べ過ぎに気を付けて」という小言も、今日のところは飲み込んで、ライラからグラスを預かった。
「うん、とくにこのローストガゼルが、濃いのにさっぱりしたソースでおいしくって、あっ……はい、サウラさんも食べてみて?」
飲みかけになったライラのワイングラスを預かっているせいで、両手がふさがっているサウラへ、笑顔でフォークに刺した肉を差し出す。
「ありがとうございます」
肉にかかったソースがたれる前に、サウラは一口で含み、しっかり味わってから飲みこんだ。
「これなら、いくらでも食べられそうですね」
「サウラは食べ過ぎを指摘する側でしょ!」
邪魔できなかったフェリーツィタスが、きっと睨んでフォークを向ける。
「……投げたり刺したりしないでくださいね」
「そこは我慢してるわよ」
フェリーツィタスは不満げに顔をそらし、引いたフォークでぐさりと取り皿の肉を刺した。
視界に入っていないうちに、サウラはライラに顔を近付けて口元を舐める。
「こっちもおいしいですね」
「ソースついてた?」
「少し」
くすりと笑ったサウラの肩を、カイが後ろから掴んだ。
「おい」
「お互いに両手がふさがっていたので」
しれっと言い訳するサウラと、気にしていないライラを交互に見て、カイは長い溜息を吐き出しながら手を離す。離した片手で両側のこめかみを揉んでから、ぐいっと一気に酒を飲み干した。
カイが何から言うか決める前に、大きなケーキが運ばれてきてうやむやになる。
よく見ると一つの大きなケーキではなく、いろいろな種類の小さなケーキが五段に盛り付けられていた。
ケーキへ注目が集まっている間に近付いた、ギルドマスターのベルナルドとグライフたちが声をかけてくる。今年は去年と違い、ノルベルトとアドラーも一緒だった。
一番落ち着きがないアドラーでも、普段と格好が違うだけで印象がだいぶ変わって見える。
「もう脱ぎたいっす……」
「おいちゃんも我慢して着てるんだからがんばれ」
「そうですよ。オレだって……どうしてオレのサイズや髪色に合わせたような服が先に用意されていたのかは怖くて聞きませんでしたけど、とにかくどんな服でも必要だからって今も脱がずにいるんですから」
「なるほどがんばるっす……」
カイとサウラから小声の早口でなぐさめられて、アドラーは背筋を曲げたままだが軽く拳を握ってうなずいた。
横で力なく尻尾を下げていたノルベルトが首をかしげる。
「サウラの服、自分で用意したんじゃないのか?」
「ああ……いつも着るわけじゃないので適当に買おうと思っていたんですけど、ライラさんのドレスを取りに行った時に……なぜか手直しの必要ないオレのサイズの服がちょうど……」
「アイテルさんのところか? まあ……うん、偶然ってことにしとこう」
ノルベルトとアドラーも今年用意することになったが、ほとんど直すことなく購入していた。ソフィアに誘われる飲み会でアイテルと交流があったため、試作品の参考にされていただけなのだが、その説明は聞いていない。
「せっかく来たんだから料理と酒に集中するか」
「そうですね……」
サウラも次の酒を取りに行こうとした時、ベルナルドが皆に改めて声をかけ呼びとめた。
「この場で言うのもあれなんだが、おまえら……暗き森に近寄るなら気をつけろよ。黒煙の時みてえな、なんつーか、変異した魔物の目撃数が暗き森側で増えてる。依頼や調査隊に参加しなきゃ行く機会も少ねえだろうけど、念のためな」
ベルナルドは思わず眉間に寄ったシワを自覚して、意図的に表情を緩める。
「いきなり悪かったな。目撃したって情報があっても、まだ本当に変異した魔物だったって確証はねえし、とりあえず気をつけろってだけだ。あとはパーティーを楽しんでいけよ」
背中を向けて手を振り、他の冒険者へ声をかけるために離れていく。確証が得られた時に増えていることが事実だった場合、実力のある冒険者には特殊な依頼を出すことになる可能性がある。それこそ今夜ここに招待されているような冒険者たちに。
領主とも話す機会がある今夜のパーティーで、同じように注意喚起するつもりなのだろう。
心配そうな顔でうつむいて考えこむライラの頭を、フェリーツィタスがそっと撫でた。
「常に心配して気を張っていたら、いざという時までに疲れちゃうわ。でも、事前に知っているのと知らないのじゃ、そのいざって時に反応が違う、戸惑いが減らせる。……今は知っているだけでいいの。まだ本当に増えているとも、何かあるとも決まったわけじゃないわよ」
「うん……ありがとう」
「もしここまで押し寄せてきたら、私がまとめて焼いてあげるわ」
フェリーツィタスは自分よりライラのほうが強いとわかった上で、決して頼りきりになったりはしない。むしろ、できることなら全てから守りたいと思っている。それは自分の実力を過信して守れると思っているからではなく、実力が足りなかったとしても友だと思っているから。もちろん、守られることも嬉しい。ライラが自分を、自分たちを、弱者として見下しているわけではなく、同じく実力に関係ない感情で守ろうとしてくれていると感じるから。だから、せめて今はできることで守りたい。
「ほら、気にしないでケーキ食べましょ。ライラが食べないなら、私がライラの分まで食べちゃうわよ」
「えっ、あ……」
「早くしないと、選べなくなっちゃうかもしれないわ。行きましょ!」
二人の料理の取り皿をノルベルトとアドラーに押しつけ、フェリーツィタスはライラの手を握ってケーキに足を向ける。ひるがえった真っ赤なドレスの美しい光沢より、惹きつける笑顔で。
「あ、ライラ好みの果実酒、しっかり確保しておいてよね!」
「わかりました……」
勢いでうなずかされたサウラが道を開け、早足になるフェリーツィタスと半ば引きずられかけているライラを見送った。
カイとグライフが二人のあとを追う。
他の冒険者たちもなんとなく、二人が直進できるよう道を開けてしまった。無意識に足を動かして避けながら、視線はライラかフェリーツィタスのどちらか、あるいは両方に見惚れていた。
情熱的に真っ赤なドレスが感情をあおるのはもちろんのこと。心を落ち着けるような深緑色のドレスも、身にまとうライラの横顔や背中の白い肌へ重なると、落ち着いて見ていられない。
しかし、ケーキを目指す二人の耳には、周囲の「どうして凶暴熊に」という声も「あたしも姉様に踏まれたい」という声も聞こえなければ、さらに続く「自慢できる体毛があれば声をかけるのに」という諦めた声も届かなかった。
別にフェリーツィタスは誰かを踏んだことなどたまにしかないし、趣味でもない。ライラの側には獣人族以外の種族だっている。
二人に届かなかった声も聞こえてしまったカイとグライフは、追いついたと思った直後に取り皿を持たされてしまう。
五段あるケーキの正面を確保したフェリーツィタスが、自分でも取り皿を持ってケーキを選び始めた。
「助かったわ。これだけあると、二人じゃ持ちきれないもの」
カイとグライフに持たせた取り皿にもケーキを乗せて、チョコレート系とミルククリーム系を分けていく。
「新鮮な果実も多いから、目移りしちゃうわね」
「あれも、これも、気になるっ……ねえ、フェリ、大きめなのは半分こしよ?」
「望むところよ」
小さいケーキは、一口で入りそうなものから少し大きめのものもある。上に果実がぎっしりのケーキをカットしたものは、高さもあった。料理人が柔らかさにこだわったらしいシフォンケーキは、薄っぺらくならないようさらに大きめに切り分けられていた。
選び終わる頃には、ライラの皿は果実系のケーキ、フェリの皿は色とりどりの一口カップケーキでいっぱいになった。カイの皿にはチョコレート系、グライフの皿にはミルククリーム系が盛ってある。
「おいちゃん見てるだけでいいわあ……」
「あら、カイ様にも手伝ってもらうわよ?」
当然といった口調でフェリーツィタスが告げ、戻るために歩き出した。
「足りなかったら、また取りに来ましょ」
「うそだろ……」
「それか、甘い物食べたらまたしょっぱいものが欲しくなるかしら」
「いやいや、ないわあー」
困っているカイへカップケーキの皿も持たせて、途中でフェリーツィタスは火酒も手にする。サウラへ果実酒は頼んでおいたが、気になった火酒も欲しかった。
ライラはグライフに皿を取り上げられて、その腕につかまってついていく。
「大丈夫だよっ。自分で持てるから、返して」
「慣れない靴だから心配だ。さっきも引きずられていただろう」
「一応歩いてたっ。転びそうになったら浮くから」
「そういう問題じゃないが……。俺がこうしたいからやってる、気にするな」
きゅうっとしがみつくせいで足元がふらつき、グライフにも引きずられかけているライラ。幸い、ドレスの裾を踏むことはなかった。つたなくなった足取りに周囲も心配する視線を向けたせいで、ちらりちらりと見える白い足が、一部の冒険者が膝から崩れ落ちる原因になったけれど。ライラたちに直接の被害はない。
心配されながらサウラたちのところへ戻り、果実酒も受け取って皆でケーキを分けながら食べる。うっかり髪やドレスにクリームがついた時は、魔法できれいにしてごまかしたりもした。
慣れない靴よりもっと心配なのは、ケーキの量、いや、気になるものからつい飲んでしまう、酒の量だった。