隠れたレストラン
目を覚ますとベッドの上は水浸しだった。
ライラを起こすためにアクアがやったことだ。
最初は顔を濡らすだけだったけれど、ライラがなかなか起きないうちに全身濡れている。
不安そうに隠れたアクアに声をかけながら、ライラは魔法でベッドを乾かした。
まとめて体も乾かして、身支度を整えるために洗面台へ向かう。
顔は洗われていたので、することといえば歯磨きくらいだ。
着替えも手早く済ませ、アイテムボックスから防具を装備する。
『ごめんなさいなの』
「気にしないで。起きなかった私がいけないの」
アクアを手に乗せて頭を撫でる。
今日はどのお店から行こうかと話しているところへ、カイがドアをノックして入ってきた。
大きなあくびをして、寝ぼけ眼を擦りながら、今日は寝てると呟いてすぐ出ていく。
収穫祭二日目だけの出店もあるというのに、眠気に負けたようだ。
頭の上にアクアを乗せたライラが食堂へ下りると、箱を二つ抱えた狼獣人のノルベルトが入ってきた。
ライラに気付いて、持っていた箱を一つ差し出す。
「二日目の早朝限定で売ってるアイス。ノックしても反応なかったから、こっちで選んで買っちゃったけど」
「ありがとう。気付かないくらいぐっすり寝てた……あ、五種類とも違う味なんだね」
「せっかくだから一種類じゃなくて、詰め合わせセットにした」
受け取ったアイスを、箱ごとアイテムボックスに入れて溶けないようにする。
ノルベルトは食堂の冷凍庫に預けさせてもらい、朝食を頼んでいた。
今日はグライフたちと別行動らしく、一人では味気ないからと誘われてライラも隣に座った。
「西門側のケーキ屋、もう行ったか?」
「まだなの。私たち昨日は広場までで、それより向こう側は時間が足りなくて」
シフォンケーキの専門店では、夜限定で収穫祭の最後の最後に出すケーキがあるという。
他にも、特別なタレを使った串焼きの店、オレンジ色のホットワインを売る店、花を模した揚げ野菜の店などを教えてくれた。
それから、店にたどり着けない店も。
誰一人入れないというわけではないが、ほとんどの者が見つけられず、偶然入ることができた者に話を聞いても店へ行けないらしい。
『ポチ。見つからないお店って、この世界にも都市伝説みたいなものがあるんですか?』
『ライラ。それは、本当に見つかりにくいだけで実際にあるお店だと思いますよ』
噂の店に行ってみたくなり、気になってそわそわしてしまう。
見つからないのは、誰かが見つからないようにしているから。それでも店というからには営業していて、稀に入れる者もいる。ならば結界や幻覚の類を、街の中で使っている場所だろう。
「今日はその噂のお店を探してみよう」
「時間の無駄にならないといいな」
「ノルベルトも一緒に来る? アイスのお礼に、絶対見つけてみせるから」
突然誘われたノルベルトは動揺していたが、顔に出さないよう頷く。
尻尾だけがパタパタ嬉しそうに揺れていた。
途中で匂いの誘惑に負けて買い食いしたり、知人に呼び止められて話をしたり、寄り道が多かった。
ただ、ふらふら歩き回っているようでも、少しずつ目的の店に近付いていた。
ライラが不思議な気配を感じて周りを見ていると、アクアにぺちぺち叩かれる。
アクアが欲しがったクッキーを買っている時、ふとノルベルトが魚の匂いに気付く。
クッキーの店はもちろん、周辺の店で魚を売っているところは見えない。
「その壁から匂う気がしたが、気のせいか?」
「壁? 薄暗い路地じゃなくて?」
二人は顔を見合わせて、首を傾げる。
同じ場所なのに見えているものが違うことも、まだ明るい時間に薄暗いということも不自然だった。
「今度こそ当たりか?」
壁に塞がれてはいないというライラの言葉を信じて、ノルベルトが前を歩きゆっくり足を進める。
『おじゃましますなの』
ノルベルトから見れば触れない壁を、ライラから見れば路地の入口を越えたところで、周囲が変化した。
テラス席のあるレストランが見えて、こちらに気付いた小さな猫獣人が頭を下げている。
「いらっしゃいにゃ。珍しいお客さんですにゃあ」
猫獣人の店員に促され、テラス席に座った。
置かれたメニューには魚料理とキノコ料理が並び、どれも美味しそうだ。
「肉はないんですにゃ、そっちのお客さんは大丈夫ですかにゃ?」
心配されたノルベルトが大丈夫だと頷くと、安心した顔でにゃあと鳴いて店内へ入っていく。
後ろ姿には尻尾が三本あった。
「三本って初めて見た」
「オレも、この街に住んでけっこう経つが、他で見たことないな」
小声で話すライラたちの他にも客がいて、本数は違っても皆複数の尻尾がある。
「注文は決まりましたかにゃ?」
先程とは別の店員が声をかけてくる。彼女も猫獣人で、尻尾が二本だった。
「あんまり見ないでほしいにゃっ。ここにいると隠せなくて出ちゃうにゃん」
「ごめんなさい。えっと、おすすめの焼き魚にスープ、キノコご飯で」
『おさかなごはんなの』
「あと、このミラ魚炊き込みご飯。マタタビ茶は食後に」
恥ずかしがる店員に、ライラは自分とアクアの分も注文する。
「オレは照り焼きと、マタタビ酒だ」
「かしこまりましたにゃん!」
メニューに書かれた料理の魚は全て川魚で、鰹節のように見えるものも川魚から作られているようだ。
飲み物も初めて見るものを選び、どんなものが出てくるかと期待しながら待つ。
それほど時間がかからずに運ばれてきた料理はどれも、短い待ち時間とは思えない丁寧な盛り付けだった。
表面はパリパリで中はふっくら脂がのった白身魚。野菜がとろとろに煮込まれたミソ味のスープ。ツルツルタケと山菜のご飯は、舞茸炊き込みご飯に似ていた。
ミラ魚の炊き込みご飯は、土鍋の中で身をほぐして混ぜながら食べる。小さくおにぎりのようにすると、食べやすいのかアクアのお腹にどんどん入っていく。
甘辛く味の濃い照り焼きは酒に合い、香ばしく焦げたところもまた美味しい。
「こんな美味しいお店があったんだ……」
「魚ってだけなら他の店でも食えるが、ここまで美味いのは初めてだな」
食後のマタタビ茶を運んできた店員が、サービスと言ってマドレーヌを一つ添えてくれた。
小さくて一口に消えたマドレーヌは、香ばしさが鼻に抜けておいしい。
「満足していただけましたかにゃあ」
「とっても美味しかった。また来られるといいんだけど、入口がわかりにくいのは理由があるの?」
「店長が恥ずかしがりなんですにゃ。猫獣人の中でも同族は普通に来店できますにゃあ。それで経営に問題ないから、文句はないですにゃ」
何度でも足を運びたくなる味だったけれど、あまり来ないほうがいいのかと心配になった。
同族の憩いの場であるなら、邪魔になってしまうのではと。こうして来店すれば拒絶はされなかったが、どう思われているのか。
「あの、同族以外はあまり来ないほうがいい?」
「悪い人じゃなければ歓迎してますにゃ。店長は恥ずかしがってるだけにゃ、嫌にゃら入れないようにしてますにゃあ」
店が隠れている時点で入れない者のほうが多い。それでも今の状態は、入れなくしているというわけではないようだ。
ライラたちも入口を見つけてからはすんなり道を通れた。
来てほしくないというのでなければ、見つけられたらまた来たいと伝える。
マタタビ茶を飲み干して席を立ち、会計を済ませて店を出た。
「ありがとうございましたにゃあ」
くいっと裾を引かれた気がして、ライラは店のほうを振り返る。
誰もいないところから、リボンの結ばれた小さい鈴が投げられた。
反射的に受け取ると、目の前でとても大きな猫が手を振って消え、静かになった店が見えるだけだった。
『またのご来店を、お待ちしておりますにゃう』
落ち着いた声がすると温かな風に包まれ、周囲は元の場所に戻っていた。
クッキーの香りが漂い、賑やかな声が溢れている。
夢じゃないよなといった顔で見下ろすノルベルトに、ライラが小さな鈴を見せて笑う。ちゃんと現実だったと実感できる、小さくても存在感のある鈴だ。
ライラは鈴をなくさないように、アイテムボックスへ入れた。
一番の目的だった店には行けた、けれどまだ達成していない目的がいくつもあるのだ。聞いていた店をめぐり、最後にはシフォンケーキの専門店で夜限定の品を買わなければ。
まだどこか呆けたようなノルベルトの手をライラが掴み、アクアが急かして進んでいく。
皆にとって収穫祭は、まだまだこれからだった。