朝・続
ぐったりしていたライラに、念のためヨシュカが回復魔法をかけてから、椅子に座らせる。ライラ自身はシャツにショートパンツだけの身軽な格好に着替えておき、自分で出した果実水を飲んでほっと一息ついた。
「大丈夫?」
ヨシュカはあきらかな作り笑顔のままだが、声だけは心配しているとはっきりわかるものだった。
「うん。息苦しかっただけで、痛いとかないし……あ、髪も自分で切ったの。……心配かけてごめんなさい」
飲み干した果実水のコップを収納しつつ、ライラは申し訳なさそうにうつむく。
寝起きに思いつきで髪を切ってしまったせいで、皆を驚かせてしまった。収穫祭のあと、髪の長さは腰からあまり変わっていなかったので、そのまま元に戻らなければ切る予定だったけれど。切るつもりがあると伝えてあったとはいえ、いきなりだったことは反省した。
「切られたわけじゃないんだね?」
「うん」
「髪を切っても、体調に変化はない?」
「えっと、息苦しかったこと以外はとくにない、かな? どうして?」
ライラが首を傾げると、ヨシュカは作り笑顔をやめて眉尻を下げる。
「……ただ伸びただけの髪じゃないから。体内魔力や神気の流れに影響するかもって、心配になってね。大丈夫ならよかった」
そう言いながら、まだ完全には安心していない様子だ。ざっくり切られたライラの髪を毛先まで撫でて、小さく溜息を吐いた。
「あとで少し整えようか」
白い髪をライラの耳にかけてやり、朝食のためヨシュカも自分の席に足を向ける。
全員が座ったところでテーブルに運ばれてきた朝食は、温かい芋粥と、山菜の煮物、ナスに似た野菜の香草ミソ焼き。煮物とミソ焼きは味が強いかわりに量が少なく、小鉢で芋粥の横に添えられていた。
芋粥は三種の芋がポタージュ状になっていて、見た目はクリームリゾットみたいにも見える。卓上で入れる干したクコベリの実は、好みの量で調整していい。
クコベリはシザシャと違い、干しても朱色っぽい赤が残る。芋粥のクリーム色にのせると、赤がより鮮やかに感じられた。
「朝食は体に優しいものを、と思いまして……香草は二日酔いの緩和や……その……」
人化して同席する神獣ラウシィエンは、説明しようとして途中で声が小さくなっていく。今は体毛で隠せない表情に、申し訳なさが浮かんでいた。
カイが溜息を吐いて、手にしたスプーンをくるくる回す。
「また何か変なもん入れてるのか?」
「それだけはありえません! わたしは――」
「ならさっさと食うか。冷めるだろ」
ぴたりととめて握り直したスプーンで、迷わず芋粥を口に含む。
ためらわないカイを見て、肩をすくめたサウラも食べ始めた。その隣で一番警戒しているのはレンだ。警戒するだけむだだと思いたくても、つい不安になってしまった。
リュナは怒ってますアピールを続けるため、尻尾で軽く椅子を叩いているが、匂いを確かめただけでガツガツ食べている。
「やっぱ味はうめえな、なのです」
「大丈夫だから、気にしねえで食えって」
カイは呆れた口調なのに、表情は困ったような嬉しそうなような、複雑な表情だ。
「気になっ……らねえ、なのです」
「もし……次に何かやったら、おいちゃんが自力で灰にするから。今回だけ、な」
「……わかった、なのです」
すねながらうなずいたリュナは、おとなしく尻尾で椅子を叩くのもやめる。子供っぽいと自覚も少しはあるが、昨夜何もできなかったことが悔しい、どうして許すのか、まだ体調を心配しているなど、いろいろ混ざった感情の行き場がなかった。次はちゃんとカイ自身も怒ると約束したことで、むきになっていたことを反省しつつ落ち着いた。
ほっとしたカイと目を合わせたヨシュカも、安心した笑みを返す。それから神獣ラウシィエンに視線を移した。
「昨日のうちに聞いておくつもりだったんですけど……」
「わたしに答えられることなら……わたしがしたことについてこの場で口にできることなら、何でもお教えしますよ」
昨夜の話だと思った神獣ラウシィエンは、今はもうライラに記憶を戻すつもりはないため、ライラの前で口にできない話ならさけるつもりだ。
ヨシュカは困ったように眉尻を下げる。
「ああ、いえ、ええと……ここで昨夜のことを責めたいわけじゃなくて、リュナちゃんの持ってる刀のことでちょっと……」
「刀、ですか?」
「変質した竜の鱗を、刀に加工したものです。魔導具制作の工程としてだったり、鍛冶技術で意図的に変質させた鱗ではなく……加工前から変質していた鱗を使って。なので、刀の扱いはもちろん、特殊な素材を扱える鍛冶師が、現獣王国内にいるかどうか聞いておきたくて」
「それは……モーグ族の一部の者なら可能だと思いますが、可能だとしても依頼を受けるかどうかはわかりません。実物を見せて、話し合ってみるしか……。量産品ならともかく、特殊な品の場合……その、作品として完成させた職人へ敬意を払って、他者が預かるべきではないと考える職人もいますので……」
ドワーフともいわれるモーグ族は、大柄なドワーフと違い、小柄な種族だ。どちらも鍛冶が得意で、こだわりは個人差がある。あくまで個人差なので、どちらの種族のほうが強いこだわりを持っているといった違いはない。ただ、だからこそ頼む相手によっては依頼を受けてもらえず追い返されるだろう。
「国内のどこにいるかも知っていますか?」
「引き受けてもらえる保証はありませんが、会ってみるつもりなら……一人は北側の街で鍛冶師をしていますから、工房の場所を伝えておきます。ああ、彼女には神殿騎士の武器や防具を依頼することもあるので、腕が確かなことは保証できますよ」
神獣ラウシィエンはいったん食器を置き、神官に声をかけて依頼先リストを持ってくるよう頼む。
メンテナンスの依頼を受けてもらえるかは未確定だが、扱える可能性のある鍛冶師の情報が手に入って、リュナ本人だけでなく皆も少し安心した。他の武器よりは手入れが少なくて済む刀でも、調整が必要となるたびにエクレールのゲルトランデまで行くには、距離が遠い。なるべくなら製作者に預けるのが一番だとわかっていても難しかった。
一つ安心できたことで、残っていた緊張感も少しずつ薄れていく。
朝食が終わる頃には、だいぶ穏やかな雰囲気になっていた。
神獣ラウシィエンしか残っていない広間に、低く落ち着いた声が降ってくる。皆が朝食を済ませて部屋に戻ったことを確かめて、管理者ポチが声をかけてきた。
『……落ち着きましたか?』
『はい……』
広間からは神官も退出させているため、誰かが側で聞いているわけではないが、神獣ラウシィエンも音に出さず返事をする。
『手に入れた白い髪だけで足りますか?』
『半分でも足りるくらいです。それにしても、なぜ……実体化した力が、切り離されても安定しているのか……』
『ああ、彼女の所持する刃物は、この世界にとってのアダマンタイトが混ざっているので』
管理者ポチの声に、困ったような雰囲気が漂う。
『聖剣に斬れないものはない、という概念を含んで具現化した……まあ、願いの結果です。所有者を変えられないのでそこまで危険視はしていませんでしたが、一つの素材扱いになるとは。……とにかく、特性が失われず引き継がれたため、実体化した髪を物理的に斬っただけとは違う結果になったのでしょう』
『そうですか……。おかげで、わたしとしては助かりましたが……』
『包丁にまで同じ竜鉱石を使うなんて、おもしろいですよね。それより、半分でも足りるのでしたね? では、もう半分の白い髪は、こちらで預かります』
預けないという選択肢はない声だった。
元より神獣ラウシィエンに断るつもりはなかったが、わずかに重くなった気配には、少し違和感がある。
『わかりました。あの……』
『どうかしました?』
『いえ……』
穏やかになった管理者ポチの声を聞き、違和感の原因を確かめることなく会話を終えた。