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迎えられた朝

 次の日。

 朝食について聞きに来た神官が広間を出たあと、ゆるりと尻尾を動かした神獣ラウシィエンは、ライラの寝姿を見て獣の目を細めた。

 寝顔は安心した様子で、頬からは酔いの赤みも抜け、見惚れるほど白いが健康的に見える。腕も、スリットから見える脚も、病的な白さとは違って、透明感のある美しい白さが眩しい。

 夜中に眠りが浅かった感じもなく、今も心地良さそうで、主張の控えめな胸が規則正しく上下していた。


「体調は、大丈夫そうですね……」


 小さく、穏やかに呟き、安堵の溜息を吐く。

 問題があるとすれば、人化していない神獣ラウシィエンの、腹をベッド代わりにしていることだろうか。


「ライラ様……ああ、ライラさん、起きてください」

「ん……もう、少し」

「はい、わかりました」


 できるだけ穏やかに声をかけ、寝返りを打ったライラが落ちないように支える。


「爪を短くしておいてよかったです」


 他にも、普段は背中に並ぶ角も仰向けになるために隠していて、脇腹にある複数の赤い宝石も白い毛で隠れていた。

 人化していなければ頭は犬系にも見えるが、それにしては顎が短く、尖った歯も少ない。胴体は猿系のように座ることもできる形状で、全身が長い体毛に覆われている。やたら長い尻尾は、くせのない体毛なのにふんわりと太かった。

 その尻尾でバランスをとりながらゆっくり体を起こし、支えた片腕でライラを横抱きにして、そっと座り直しておく。それでも寝ぼけた声がもれ聞こえるだけで、はっきりと目覚める気配はない。


「これほど無防備に身を預けていただけるとは……」


 喜びと同時に心が痛む。

 もうカイを害するつもりもなければ、別の誰かを害する手段を使うつもりもないけれど。

 昨夜やってしまったことを、なかったことにはできない。


「わたしは、神獣の立場に居続けるべきではないのでしょうね」


 思わず口からこぼれた直後、ぼんやりと開いた深緑の瞳と視線が交わった。


「どうして?」


 甘えるような寝ぼけた声なのに、まっすぐ心へ問いかける。


「続けたく、ないんですか?」

「それは……もちろん、このまま……」


 やめるべきだと思ってしまう。けれど、やめたくないと思ってしまう。


「わたしは……続けたいです……」


 ぎゅっと目を閉じた神獣ラウシィエンの腕から、抱えられたライラにも震えが伝わる。大きくて安心感のある腕なのに、すがるように震える今は頼りない。


「続けて、ください」


 少しずつ眠気の抜けていく瞳を揺らして、ライラは手の届く白い胸元の毛並みを撫でた。

 神獣ラウシィエンが撫でられた感触に驚いて目を開けると、こらえていた涙があふれて落ちる。


「枯れ果てたと思っていたのに、あなたの前で泣いてばかりですね」

「泣き方を、思い出したんですよ」


 ライラはふにゃっと力の抜けた微笑みを向けてから、体を支えている腕の中で身を起こした。

 向かい合って腕に座り、白い髪の毛を一つにまとめて掴む。


『ポチ。ラウ様の器の強化って、今の私の髪なら、可能ですか?』

『ライラ。まさか書庫能力で神殿の文献を』

『可能ですか?』

『はい……。切ってもかまわないのでしたら、現状でラウの身を失うわけにはいきませんので、助かります……けど』

『短くしてほしくないんですか?』

『あ……力のバランスとしてはそうですが、ええと……。長くても短くても似合いますよ』

『よかった』


 わかりやすくごまかされたことは問い詰めないでおいて、管理者ポチとの会話を終える。そのまま収納から手頃な刃物を選び、ばっさりと自分で髪を切り離した。


「なっ――!」


 絶句する神獣ラウシィエンが、涙をひっこめて目を見開く。いきなりすぎて戸惑いが隠せない。

 笑顔で白い髪を差し出すライラの、反対の手には、やたら切れ味の尖そうな包丁が握られていた。


「器の強化に、使ってください。これで、安心して続けられると、嬉しいです」

「わたしのために、ですか」


 なんとか声をしぼり出すけれど、髪を受け取っていいものか悩む。


「浄化は、成功した……と思うんですけど。体が弱っていたから、必要かもしれないって……。力が抑えられなくて、不安だったわけじゃないんですか? 勝手に誤解して、ごめんなさい」


 ライラは昨夜の、レキュリアを口にして酔った直後の記憶は曖昧だった。それでも、言い争う雰囲気と、カイを解毒したこと、病んだ魔力に気付いて神獣ラウシィエンを浄化したことなど、やったことは覚えている。


「酔ってたから、あまり……」

「わたしがあの神酒を飲ませてしまったから」

「あの、それにっ、えっと……いえ。昨日のことと関係なくても、使ってください」


 詳しい事情を無理に聞き出すつもりはないが、心配していた。

 先に包丁は収納しておいて、改めて両手で白い髪の毛を差し出す。


「短い刃物が包丁くらいしか思いつかなくて、えっと、あ、ちゃんと話してから、ハサミで丁寧に切ったほうが、よかった、ですよね……? 驚かせてごめんなさい。あの、それに……強化? って、私の髪じゃ、足りませんか?」


 勢いで決めてしまって反省している。もうわずかな眠気もどこかへいってしまっていた。

 目を合わせていられなくて、深緑の目を伏せてうつむいてしまう。

 やっと落ち着いてきた神獣ラウシィエンは、ライラが座っていないほうの腕をゆっくり上げて、指でそっと白い髪を受け取った。


「ありがとうございます」


 まだぎこちない声で感謝を告げると、ぱっと笑顔になったライラが顔を上げる。

 安心して緩む目元は、ほんのり赤くなっていた。笑っているのに、潤んだ瞳の上で長いまつげが少しだけ震え、儚さがある。喜びで開かれた口は次の言葉を迷っていて、決めきれずにもどかしく動かす様子も愛らしい。


「よかっ、あ、ごめ……えっと……」


 押しつけたようなものだから、受け取ってもらえて良かったと言うべきか、強引だったことを謝罪するべきか、何から言えばいいのかと、小さな声をもらすだけ。


「あっ、健康が一番、ですよね?」


 結果なぜだか意味不明なことになってしまった。

 器の安定を目的としているから、ライラが健康と言っても間違いではないのだが。


「ライラ様――」


 耐えきれなくなった神獣ラウシィエンが、両腕できゅうっとライラを抱きしめた。

 抱きしめたというか、体格差で潰してしまいそうになっている。


「嬉しいです。ああ、あなたがわたしの一部になるのですね」


 耳まで塞がれているライラには聞こえていないけれど、冷静になれば聞こえていなくて助かったと思うに違いない発言だ。


「もうこのまま死んでも……」


 うっとりした目で神獣ラウシィエンが天井をあおいだ時、近い扉から複数の足音が入ってきた。


「どうして朝から死のうとしてるんですか?」


 ヨシュカが困ったように眉尻を下げて、見上げながら歩み寄る。

 隣を歩くカイはわざとらしく頭をかきながら、壁の方向に目をそらしてあくびした。片腕でカイに抱えられたリュナだけは、まだ許してないアピールのため、眠そうな目をこすっているのにがんばって尻尾で腕を叩く。

 サウラとレンは三人から少し離れて、後ろをついて歩いていた。神獣とどう接すればいいのか判断しきれず、なんとなく気まずい表情になってしまう。表情がわかりにくいおかげで、露骨にはなっていないけれど。


「朝から物騒な発言ですよね……」

「後悔してるってことか?」

「さあ……?」


 小声で話しているわりに、サウラとレンの会話は全員に聞こえていた。

 苦笑いするヨシュカがちらりとだけ二人を見て、神獣ラウシィエンへ視線を戻す。


「どうして黙って――え?」


 途中で、白い体毛で見えにくいはずの表情がわかりやすく焦りだした。

 抱きしめていたライラを離すつもりで腕を緩めた時には遅く、腕の中ですでにぐったりしていたのだ。


「ライラ様を、抱き潰してしまいました」


 広間の空気が凍りつく。


「我を忘れて、耐えきれず……」


 神獣ラウシィエンはライラを抱えたまま、凍りついた空気を気にする余裕もなくうろたえた。

 しかし、一応ライラの意識はある。ぐったりしただけで、どこかが折れたりもしていない。服がよれよれになっただけだ。

 ヨシュカはライラを受け取って横抱きにすると、にっこりと微笑みを作った。


「ライラ、大丈夫? その髪……。何されたの?」

「さらさら、もこもこで、ぎゅー?」

「うん、そうだろうね……。潰れたって理由はなんとなくわかるから、髪のこと聞きたいんだけど……あとにしようか」


 深い溜息を吐いてから、作り笑顔のまま神獣相手に威圧しておく。


「ラウシィエン様、朝食にしましょうか」


 いつもより低めになった声で告げ、ヨシュカがくるりと背中を向ける。

 黒い魔力に蝕まれているわけでもないのに、どす黒く見える背中と笑顔だったので、長年付き合いのあるカイでも声をかけないでおいた。




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