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神獣ラウシィエン

 薬湯を出たあと、ライラたちは神官の用意した服に着替えて、夕食の席に案内される。

 神殿の外では珍しい白の布地に、赤と金糸の刺繍が華やかな、厚地の裾がなびく。内側の下履きに男女の違いはあったけれど、どちらも上半身は地球でいうチャイナドレスみたいな形状で、ワンピース状に繋がる下半身はマーメイドラインのドレスのような、つるりと肌触りの良い服だった。

 神官に促されて入った、普段神獣が暮らすという広間には、急遽用意されたテーブルと椅子が並んでいた。

 丸いテーブルには鮮やかな赤い布がかけられ、真ん中には乾燥させた薬用植物がいくつも置かれている。食べる直前ですりつぶすための道具もあった。

 奥の席で穏やかに微笑む神獣ラウシィエンに迎えられて、頭を下げてからライラたちも席につく。


「ライラさんはわたしの右へ、レンさんはわたしの左へお願いしますよ」


 名を口にした二人ではなく、神獣ラウシィエンの目はヨシュカを見ていた。

 他の席は特に指定せず、全員が腰を下ろすのを待ってから再び口を開いて、柔らかな声を発する。


「ここでレンさんたちとは、はじめまして……になるはずでしたが、先に湯を共にするとは思っていませんでした。みなさんのお邪魔をしてすみません。改めて、獣王国周辺を担当する、ラウシィエンです。ここにいるみなさんは、気軽にラウと呼んでください」


 品のある美しい微笑みを向けられて、カイとヨシュカは身震いした。


「二人が怯える必要はありませんよ。わたしも反省しているのです。神獣の立場を与えられた身で、正しくない態度だったと」

「え……」

「ヨシュカはわたしが、いえ、わたしたちが嘘を言えないと知っているはずですよ。今の言葉も、本心です」


 戸惑いながらもヨシュカは理解している。言葉で嘘をつくことはできない、と。

 動揺させていると知りながら微笑みを崩さない神獣ラウシィエンは、自らの手で香りの強いジャスミン茶を注いで見せ、側に控えさせていた神官にティーカップを配らせる。


「仲直りをしましょう、ヨシュカ、カイ。健康のための食事に、不和を持ち込みたくはありません」


 神獣ラウシィエンの意図がわからなくても、今はうなずいておくしかない。たとえ裏に別の意味があっても、ヨシュカとカイは発された言葉に嘘はないと知っているせいで。


「もしもまだ、二人が不安なら、はっきり毒を混ぜていないと言葉にしましょう。わたし以外が、という可能性も排除したいなら、わたしも他のすべての者も今からこの場で口にする食事に毒を入れたりしていない。これで安心できますか?」

「そこまで……。わかりました、ありがとうございます……」

「……わかったよ」

「ヨシュカとカイが安心してくれてよかったですよ。では、食事を運ばせましょう」


 心底嬉しそうに微笑み、神獣ラウシィエンは神官へ合図して食事を運ぶよう指示する。


「温かい料理は温かいうちに、冷たい料理は冷たいうちに、それが一番ですよ。今日はわたしの好みで内容を決めてしまいましたが、みなさんが食べられるとわかっている食材を使っています」


 調理器具ごと運ばれてくる料理を見て、満足そうに話した。

 運ばれてきた料理が、取り皿に盛られてそれぞれの正面に並ぶ。

 フォレストガゼルとカブを使った粥には、乾燥させたシザシャの実を卓上でのせた。

 根菜とキノコの炒めものは複数の香草や薬草が使われていて、食べる直前にもマギル草の根をすりつぶして混ぜる。

 薄い緑の豆腐は冷やしてあり、上にかかったとろみのあるタレもちゃんと冷たい。薬効のある樹皮を薄く削ってのせると、冷たいのに香ばしい香りがした。

 ライラは最初に豆腐を口へ運び、ほんのり甘くて苦味もある風味に驚く。


「おいしい。もっと薄い味かと思ったけど、味も香りもしっかりしてる……」

「薬くさくねえ、なのです」


 香りで心配していたリュナは、続けて二口目を食べて笑顔になった。

 鼻にも口にも確かに薬の香りがするのに、食材の旨味が消されていない。

 炒め物を食べたサウラとレンも、リュナに同意してうなずいている。


「正直、薬を食べるような食事を想像していました」

「香りは独特だけど、苦くない」

「体にいい食材や薬用植物を混ぜただけで、料理っぽくないものもあるけどね。これはそんなことなくて、おいしいと思う」


 ヨシュカは少し口に含み、薬用植物が不自然なほど大量に使われているわけでもない料理に安心もしたけれど、戸惑っていた。

 横でカイが、粥を食べながら首を傾げる。


「前もって入れたりはしてないけど、あとから入れる、って意味でもなかったな……」

「神殿で露骨に毒盛られても困るんだけど、わざわざ言うくらいだから心配したよね」


 小声でカイに向けて苦笑いしつつ、ヨシュカも少量ずつの味見をやめて普通に食べ始めた。

 そこへフォレストボアの大きな肉が煮込まれたスープも運ばれてきて、真っ先にリュナが目を輝かせる。

 食べる前から喜んでもらえたとわかり、神獣ラウシィエンが優しい声をあげて笑った。


「お好きな大きさに切り分けてもらってください。シュルチの葉は、荒れた肌や弱った内蔵を健康にしてくれるのですが、くせが強いので……苦手なら無理にのせなくてもかまいませんよ」


 取り分けたあとにのせるシュルチの葉は、乾燥させていない状態で、いかにも草といった香りが強い。良い効能があっても好き嫌いが極端に分かれる味だ。


「噂では、肌荒れでも治癒薬を使う者がいる、などと耳にしたこともあります。こういった食事でも改善していけるので、強い薬を使いすぎるのは正しくないと思ってしまいますが……。美を磨く感情そのものが悪いとは思わないので、何とも……」

「私は、治癒薬じゃないですけど、いざとなったら回復魔法があるって思ったことなら……」


 ライラは人差し指で自分の頬を触って、申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「薬や魔法へ頼りきりにならなければいいのです」

「ラウ様はいつも食事に気をつけてるから、お肌きれいなんですか?」

「……この器の彼は美しいからこそ否定された存在ですよ」


 胸に手を当てた神獣ラウシィエンの瞳から穏やかさが消え、作り物めいた悲しげな表情で自身を見下ろす。


「わたしと器は別の存在です。こうして人化していなければ大きな体を持っていますが、それでも一族の中では細身で、弱く、美しかったから、捨てられた。ああ、わたしの前で悲しい顔をしないでください。彼の魂なら、別の肉体を得て幸福な生へ変わりましたから」


 急に芝居がかった口調と動きになり、少し身を乗り出してライラを見つめて、手を伸ばした。

 白い頬に触れる直前で手をとめ、ゆっくり撫でるような仕草をして離れる。最後までライラの頬に指先が触れることはなかった。


「長く繰り返される生を拒み、神へその身を捧げることで救いを求め、短く限りある生を望んだ者もいました。ルエの器になった彼女のことです。神への感謝を示すために、生贄だと言って自害した者もいました。フォルカーの器になった彼のことです」


 ふと冷静な表情になり、肩を落として首を軽く傾げた。


「彼の場合は、長と側近二人が自害したあと、そこの管理者に生贄なんて嬉しくないとかなり怒られて、怒られた記憶を強引に残されて転生したみたいですが」


 思い出すように呟いて、肩をすくめる。

 そうして相槌も求めず語る神獣ラウシィエンの目には、涙一つなかった。


「最初から器になることを決められた体は、どんな終わりを迎えると思いますか?」


 再びライラへ寄せられた右手が、今度こそ頬に触れて優しく撫でる。

 震えるライラの口唇に親指を押し当て、感情のない瞳で微笑んだ。


「答えは必要ありませんよ」


 これ以上ないくらい穏やかな声音で告げ、神獣ラウシィエンは口元だけ満足そうに歪めた。


「ああ、今は関係のない話ばかりしてしまいましたね。すみません」


 何事もなかった顔で食事を再開する。

 神獣ラウシィエンが軽く手を叩くまで、料理を運び取り分ける者たちには声が聞こえていなかったようだ。器の話に反応は一切なく、今になって意識を取り戻したかのように動き出す。


「そうそう、レンさんはフォルカーからの手紙を預かっていませんか? 獣王国に残らないとしても、手紙は受け取っておきたいのですよ。ここへ呼んだのは説得のためではありませんので、安心してください」


 元通りの柔らかな微笑みをレンに向けて、ふわりと優しく肩を撫でた。

 これまでの変化を見ていれば、優しさを真に受けて気軽に返事をすることは難しい。

 レンは失礼だとわかっていながら少しだけ身を引き、こわばった表情で神獣ラウシィエンの手を見てしまう。


「逃げられると追いたくなるものですよ」


 どういうつもりで言ったのかに関係なく、神獣たちの言葉に嘘がないなら、言葉通り追われては困る。

 困ったレンの代わりに、わざとらしく不機嫌そうな溜息でヨシュカが話にわりこんだ。


「怖がらせないでください、ラウシィエン様。手紙は……部屋に戻ったら、近くにいる神官へ渡します」

「ヨシュカもラウと呼んでかまわないのですよ」

「考えておきます。考えるだけですけど」

「それなら……カイと三人で、懐かしい話でもしながら飲みませんか? 少しは考えが変わるかもしれませんよ」


 神獣ラウシィエンはカイも我慢していることに気付いて、ちらりと目を合わせる。


「大丈夫、ここにいるのはあと少しなのですから」




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