リュナの登録更新
リュナが獣王国に残ると決めたあと、昼食をとって出発することになった。
出ていくのは春でもいいと言われていたが、リュナは長居して決意を鈍らせたくなかったのだ。
見送る家族へ頭を下げて、収納鞄の紐をぎゅっと握る。
「い、いってきます、なのです」
「今度は穴に落ちるんじゃねえぞ」
兄のラルガは呆れた声だったけれど、表情は心配そうだった。昨夜の宴会中に今までの旅の話を聞いて、最初に精霊の落とし穴で飛ばされてしまったことを知っていたから、目的の獣王国以外へ行ってしまわないか不安になっている。
「落ちても帰ってくる! なのです!」
笑顔で見上げたリュナは、大丈夫と胸を張って示す。精霊の落とし穴と呼ばれる現象自体は怪我をするものではないとわかっているので、飛ばされることをあまり気にしていない。
「落ちるなって言ってるんだよ」
溜息を吐いたラルガが、ぐしゃぐしゃとリュナの頭を撫でた。
二人のやりとりを見ていた祖父ショルガと父リュトは心配を顔に出さず、言葉でも態度でもリュナを引きとめることにならないよう、優しさのにじむ厳しい顔で最後まで見送ろうとしている。
祖母のラジュと母テュナはしかたなさそうに笑って、「男は素直じゃないわね」と口に出す直前で飲みこみ、お互いが同じことを考えたと気付いて顔を見合わせた。一度目に見送った時も同じような感じだったと呆れ、変わらないことに安心もしてしまう。
テュナがラルガへ歩み寄って肩を叩き、軽く後ろに引く。
「いつまで撫でるつもりなの。このままじゃ出発できないでしょ」
とめられたラルガが後ろへ下がると、テュナは村で作っている傷薬を出した。
「リュナ、持って行きなさい。材料は聞かれても答えちゃだめよ」
「わかってる、なのです。……あ、ありがとう」
「……いってらっしゃい」
優しくリュナの頭を撫で、乱れた髪を直す。
柔らかい髪の感触を手に覚えさせて、すっと手を下げた。
「いってきます! なのです!」
今度こそはっきり大きな声を出し、リュナは家族へ背を向ける。
別れの挨拶を邪魔しないよう見守っていたライラたちも、丁寧にリュナの家族へと頭を下げてから、森の外へ向かって歩き出した。
寄ってきた精霊が手招きして案内を始め、妖精族は道を開ける。
温かな見送りの視線は、背後で妖精族が元の場所へ戻るまで続いた。
カナンに戻った足で、冒険者ギルドへ入る。リュナが獣王国の冒険者証に更新するためだ。
暮らしていた村の場所がはっきりするまでは、最初に登録した時の、エクレールのカードとタグプレートを使っていた。獣王国に残ると決めた今なら、更新しておいたほうが便利だろう。
受付嬢に声をかけて、冒険者証のカードとタグプレートを渡した。
エクレールを出る前に、カードに入金してあった分は硬貨へ変えてある。外貨両替と新しいカードへの入金も頼み、出された書類にたどたどしい文字で書き込んでいった。
獣王国内でエクレールの硬貨を使うことはできないが、両替は可能だった。国が集めて、魔国やインディーシアとの取引で使えるそうだ。
「書き終わった? それじゃ、次はこの箱に手を置いてくれる?」
「わかった! なのですっ!」
リュナはカイに抱えてもらいながら身を乗り出し、受付嬢の指示した箱へ手をのせる。
箱は淡く光り、すぐにおさまった。
「あら? これは……。も、もう離して大丈夫」
顔色を変えた受付嬢が、微笑みだけは崩さず、作り笑顔でリュナと目を合わせた。
「このあとの入金手続きに、少し時間がかかるから、ギルド内で待っていてもらえる? 酒場でもかまわないから。両替には面倒な手続きも必要なの」
「……待ってる、なのです」
受付嬢の様子に首を傾げはしたけれど、言うことを聞いて酒場で待つことにする。
リュナがうなずき、同行者の誰も問い詰めなかったことに、受付嬢は安心した溜息をもらしてしまった。
立ち上がった受付嬢が早足で別室へ出ていくのを見届けて、ライラたちは全員でギルド内の酒場に向かった。
まだ酔いつぶれるほど酒を飲んでいる者は見かけないが、早めの夕食目当ての者たちで少し混んでいる。
壁際に六人で座れる席を見つけ、腰を下ろした。
ライラが不安を浮かべた表情でリュナを撫でる。
「さっきの受付さん、ちょっと様子が変だったね」
「更新のために開示されたリュナさんの情報を見て、驚いたんじゃないですか? エクレールではDランク……討伐だけはCまで依頼受ける許可がありましたけど、どちらのランクでもリュナさんの実力と合ってないでしょう」
サウラは平然としたまま、話ながら品書きに目を通す。
「オレが里から出てきた時も、ランクがどうとか……まあ、更新を断られたわけじゃありませんから、気にしなくていいと思います」
「今は肉だな! なのですっ!」
「……うん、そうだね」
リュナ本人があまり気にしていないので、心配しすぎるのをやめて、ライラも料理と酒を選ぶ。
ミソが使われている料理は、獣王国では赤ミソに近いものが多いため、味が濃厚だ。唐辛子との相性も良く、焼きダレにも煮込み料理にも使われている。
王都で食べた海鮮ダレはカナンでほとんど使われていないようで残念だったが、とろみのある濃いショウユみたいな調味料がある。そのショウユにフォレストボアを漬けておいて焼いたものがおすすめと書いてあった。
「私はフォレストボアの漬け焼き、あと……ミソ煮込みラーメン? あれ? 森に行く前はなかったような……」
「今日から出してる、季節限定の料理なんだよ」
近くに立っていた店員が会話に割り込み、品書きに視線を向けて説明してくれた。
他にも、唐辛子ラーメンや、辛いものが苦手な種族でも食べられる野菜ラーメンを教えてくれる。ウリナスの漬物も食べ頃だとおすすめされた。
店員がいるうちに注文を済ませる。
「すすめといてなんだけど、食いきれんのか?」
「大丈夫。いろいろ教えてくれてありがとう」
「おうっ」
笑顔のライラに安心した店員は、先に飲み物を出すため厨房へ急いだ。
「お父様が前に、ラーメンの麺はあるって言ってたけど、カナンも豚骨スープみたいなのはなかったね」
「俺もまた食べたいんだけど……残念だったね。もう半分の獣王国、ああ、ええと、川の向こう側なら、もっと種類があるかも」
ヨシュカは顎に手を当てて、思い出そうと記憶の引き出しをあさる。
隣でレンが首を傾げた。
「どこにあるかわからない料理が食べたいのか? 食べたことはあるんだろう?」
「……前に食べた場所には、簡単に行けないから」
懐かしむような声で答え、ヨシュカは困ったように眉尻を下げて笑う。
「オレも……」
レンは何を言えばいいか迷い、言葉を続けられなかった。違う世界の料理を覚えているだけで、同じようにレンも気軽に思い出の料理が食べられるわけじゃない。
沈黙が続きそうになったところへ、酒と果実水が運ばれてきた。
透明感のある薄い黄色の酒は、想像していなかった香りの強さで、口に近づけただけでクラクラする。香りが強いといっても、花の香りに近い。ツンとするような、酒独特の香りとは違うため、飲みやすかった。
「おいしいっ」
「え、ライラさん、一気に飲もうとしないでください」
慌てたサウラを見て、レンとヨシュカが同時に笑った。今ここにないものを思い出すのはやめて酒を飲む。
「ちょっと、カイさんまで……」
「サウラだって平気だろ? あー、うめえなコレ。おいちゃん次おかわりー」
「おかわりーなのです」
サウラの声は間に合わず、カイは空になったグラスを揺らして店員に催促していた。
まねして空のグラスを揺らすリュナは果実水だったが、こちらもすでに飲み干されている。
強い酒だからとつい心配で口を出してしまったサウラも、楽しそうな雰囲気を壊してまで言い続ける気はなかった。
「オレとライラさんの分もお願いします」
諦めて追加注文した口で、サウラも一気に酒を流しこんだ。
料理も運ばれてきた順に手をつけていく。
味の濃い肉料理や煮込み料理も、ラーメンも、酒のつまみと言うにはガッツリした品ばかりだが、どれもおいしくてどんどん腹に入っていった。
しばらくして受付嬢に呼ばれると、縦にも横にも大きい体格の獣人が待っていた。人寄りの獣人のはずが、下顎がしっかりして牙もある猪が二足歩行しているような、迫力のある男性だ。
「わたしがここのギルドマスターだ」
立って腕を組んだまま、リュナを正面から見下ろす。
小柄なリュナがさらに小さく見えた。
「……今までに討伐した大型の魔物は?」
ギルドマスターからいきなり質問され、首を傾げて見上げ返すリュナ。
「ユキウサギ、ガルモッサ、なのです」
質問の理由を聞き返せる雰囲気ではなく、リュナは素直に答えた。
「他は? この辺では討伐してないのか?」
「でかいのは見てない、なのです」
「大型以外は?」
「フォレストボア、だと思う、なのです」
「回収した素材があるなら見せてくれるか?」
「ここじゃせまくて出しきれない、なのです」
自慢するつもりではない、本気で困った声で伝える。
「なら、場所を変えよう」
ギルドマスターはリュナの反応に驚きながらも、平静を装って、買い取り窓口の奥へ案内した。
素材を預かっていたライラも一緒についていく。
解体するための道具も置いてある倉庫のような場所へ入り、広さのある台の前に立った。
「ここなら出せるか?」
「うんっ」
代わりに収納していたライラが、討伐はリュナ一人で可能だった分から、毛皮や牙を出した。フォレストボアの毛皮はまるごとだったので、どれくらいの大きさだったかが見てわかる。
「まだあるのか」
驚きに呆れが混ざり始めたギルドマスターを気にせず、ライラは次から次へと置けるだけ出す。
森に入ってからカナンへ戻るまでの間、買い取りに出せなかったため、けっこうな量になっていた。嵐牙族の暮らす村で置いてきた分が減っているけれど、帰り道にも遭遇している。ライラなら収納できてしまうからといって、捨ててこなかった。
「わかった、もういい」
ギルドマスターが溜息を吐いて、ライラをとめた。
「全員で討伐したならこうなるのか」
「違うよ、リュナが一人で討伐した分だから。自分で倒したいって言って、すごかったの」
ライラはこてんと首を傾げ、酔いで頬を赤くして嬉しそうにリュナを自慢した。
一瞬だけ見惚れて硬直したあと、ギルドマスターはさらに深い溜息を吐くしかできなかった。
「……そうか。……まずは今回の更新時に、Bランクへ変更だ。ここじゃエクレールより制限が少ないからな。最後に確かめておきたかっただけだ」
ポケットから出して渡された冒険者カードとタグプレートには、すでにBランクの記載が入っていた。
受け取ったリュナは嬉しそうに尻尾を振り、胸の前でぎゅっと握りしめる。
「やったあ、なのです……」
「今日はお祝いだね」
小さく呟いたリュナをぎゅっと抱き上げて、ライラも一緒になって喜んだ。