獣王国騎士団
朝を迎え、口数少なく食事を済ませた。
食後のお茶を飲み一息ついたところで、ミルルとミランダ師匠の傷痕を治す。
ミルルの場合は体毛で隠れていたが、乱れていた毛並みが整い、きれいに傷痕が消えたとわかる。ミランダの腕も引きつった感覚がなくなり、自然と動かせるようになった。
「治って、よか、った。お母さんっ……」
「……久しぶりに呼ばれたね」
ミランダは泣き出したミルルを抱きしめ、少し恥ずかしそうに笑って目を細める。
師匠らしいことができなくなってから、ミルルはいろいろな思いで師匠と呼び続けていた。もう、言葉で呼び続けなくても戻ってきてくれた今は、呼び方一つで師匠じゃなくなることはないと安心できたようだ。
「ミルルに、剣の使い方を教えてほしいの!」
「まずは体力作りからだろう。……だったか」
初めて頼まれた時と同じやりとりをしてから、優しくミルルの頭を撫でる。
「懐かしいね。今は、自分にこそ必要だ。早く体力をつけ直さないと」
衰えたのは腕だけではない。
肉体の現状を考えて溜息を吐きつつも、楽しそうな明るい笑みを浮かべて立ち上がった。
手紙と鈴をライラに渡して、地図を広げる。
「各所への紹介状と、銀花の鈴は、使い時を任せる。鈴は紹介状が偽物ではないと証明するのに使ってくれ。普段は音も鳴らない飾りだが。……この地図も確認が終われば持っていってかまわない。印をつけた場所が、まだシザシャが残っていそうな場所だ。ミルルと二人で書き込んでおいた。年ごとの違いもあるから正確とは言えないのが申し訳ない……」
ミランダは表情を引き締めて説明を終え、静かに頭を下げた。
「言葉も謝礼も足りていないことは自覚している。他にも必要なことがあれば、いつでも力になろう」
「ありがとうございます。……あまり気にしすぎないでください」
頼まれたとはいえ、治療以外に勝手なこともしたと思っているので、紹介状だけでもじゅうぶんなくらいだった。
結局、剣に関わる心の傷までは本人たちに乗り越えてもらうしかない。トラウマの治療に精神魔法が使われることもあるし、使えるけれど、今回の場合は魔法でというのも何か違う気がする。
「こちらこそお世話になりました」
「そうか……この一晩は世話したと言えるほどのもてなしもできていないけどね。……またいつでも会いに来てほしい」
ミランダの家を出て、ヨシュカとサウラは王立図書館へ向かった。ライラの書庫でも調べられるけれど、能力の説明も、見たものを共有することも難しいので、実際の書物で調べられるのは助かる。
ライラはカイとレン、リュナを連れて、騎士団のところへ話を聞きに行く。
初めに手紙を見た若い騎士は、ミランダ・リンデルの名前だけではピンとこなかったようだが、紹介状は本物なので指定の部隊へ連絡を入れてくれた。
「もう少しでいらっしゃると思いますので――」
いきなり大きな物音がして、若い騎士は言葉を途中で飲み込み身構える。
何かが爆発しているのかと疑うような音だったが、視界に飛び込む老いた騎士を見れば、通路の荷物を吹き飛ばしながら走ってきたのだとわかった。
「ミランダが来てるというのは本当か!?」
「リンデルさんじゃなくて、リンデルさんからの紹介状を持――」
「菓子と茶の準備は任せたぞ! ほれ、早くついてこい」
老いた騎士はろくに話も聞かず、けれどミランダ本人ではないと誤解はなくなった上で、手紙を握りライラたちを急かして通路を戻っていく。
「ワシは第七部隊長……いや、ザリューでかまわん。ミランダは元気にしているのか?」
「……はい」
ザリューは早足で進みながらも、笑って首だけで振り返ると満足そうに頷いた。
「元気ならそれでいい。怪我の調子も聞きたかったが……何か聞いているか、いや……なにっ!?」
急に立ち止まったので、ライラはザリューの背にぶつかってしまう。身長差があるので腰には衝撃がいったようだが、頭に届かなかったのが幸いか。
紹介状の他に、今になって歩きながら手紙に目を通していたらしく、紙を握りしめてぷるぷるしていた。
「あの……?」
「ライラ」
「え、はい」
確認の意味も込めた声で呼ばれ、返事をしつつ首を傾げる。
しっかり正面に向き直ったザリューは、がしっとライラの手を掴み、ちぎりそうな勢いで振って喜んだ。
「貴女のおかげで再び剣を持つことにした、と……。これがどれほど嬉しいか……」
シワの多い顔を、さらにぐしゃぐしゃにして感謝する。涙は我慢しているが、表情だけですでに泣いているみたいに見えた。
「皆の者ー! 今夜は飲むぞー!」
ザリューがまだ明るいうちに酒の宣言をして入っていった部屋には、同じ部隊所属の騎士たちがいた。
応接室のようなテーブルやソファーは見当たらないので、部外者が入っていいものか悩む。
ライラたちの戸惑いを察したのか、手招きしたザリューが積み上がった書類を雑によけて場所を作った。
「おまえら椅子をよこせ!」
騎士たちに椅子を空けさせて並べ、書類が避けられた仕事机らしき場所にどかっと座る。
「これを見て該当書類をかき集めてこい」
手紙のうち一枚を騎士に預け、指示を出して部屋から追い出す。
追い出された騎士も彼以外も、今夜は飲んで騒げると喜んだのもつかの間、出そうになった文句を飲み込んで今は仕事だと呟いた。
「シュラーラの情報だけでいいそうだが、他に欲しいものはないのか?」
「……ありません」
ライラは強引に空けられた椅子に座り、それだけでも申し訳ない気持ちになりながら答える。
「ミランダはワシにとって、娘のような、孫のような……気にかけてた子だった。ワシからも礼がしたかったんだが……」
「こうして協力していただけるだけで、じゅうぶんです」
「あの子の名を悪用しないでくれるのはありがたいが、そうも欲がないと礼もしにくいな」
ザリューが困ったように笑うと、どたばたと一人の女性騎士が駆け込んできた。
「こっちにいたんですか!? まったく……あ、お茶とお菓子、奪い取って代わりに運んできました!」
適当に頼んでいたものを用意してくれたようで、物の扱いは雑だったが机に並べていく。木製のコップと大きな水筒、元は携帯食ではといった焼き菓子だ。
「こんなものしかなくてすみません! って用意したやつが言ってました!」
「あの、き、気にしないでください、ありがとうございますっ」
心の中で、途中で奪われたらしい騎士にもお礼を言っておいた。
女性騎士は自分でも焼き菓子をつまんで食べ、一口で飲み込む。
「ん、蜜が入ってるけっこういいやつ! 野営にこれきたら当たりのやつですよ!」
「客より先に食ってどうする!」
怒られてから慌てて水筒を開け、コップに温かい薬草茶を注いでいった。
「気分が落ち着くお茶です! だから飲んで怒らないでください!」
「もういいから戻れ!」
どこから怒ればいいのか考えることを諦めて、女性騎士を追い払う。
「……騒がしくて悪かった」
気まずそうなザリュー自身も、最初に荷物を吹き飛ばしてまで走ってきたけれど、忘れたことにしておく。
「あー、その、シュラーラの花だったな」
頭をかきながら話題を戻して、仕切り直しに薬草茶を口に運んだ。