師匠の腕
「どうせ治らないよ」
「やってみないとわからないのに! 師匠のばか!」
感情的になったミルルは、自室に駆け込んでしまった。
師匠は溜息を吐こうとして、自分に向けられたヨシュカの視線に気付き、一瞬だけ表情をかたくする。
「……部屋に案内しておこう」
「その前に、どうして剣が持てないと嘘をついているのか、理由を聞いても?」
嘘を責めるわけでもないが、確信を持って聞いている声に戸惑う。
「生活に、不便がないだけで、もう戦えない」
「そう? 鍵一つ投げるのにも、正確に体内魔力を循環させているのに?」
「動かしにくさを魔力で補って……いや、ごまかしても通じないようだね」
諦めの表情を浮かべたあと、姿勢を正して向き直った。
寝癖こそそのままだったけれど、視線も背筋も真っ直ぐになり、雰囲気が変わる。
「剣を持てないというのは嘘でも……剣を持たないと決めたのは自分。これは自分が背負わなければいけないものだから。自分が失敗したせいで、ミルルに傷付けさせ、傷付けてしまった。ずっと忘れず背負っていくために、痛みを受け入れ、剣を置いた。いや、もう少しであの子の足を切り落とすところだったと思うと、怖くなったから逃げたようなものだ。心の問題で、後遺症といえばたまに引きつって痛む程度……治す必要も、治すものもない」
だから治療しなくていいと思わせるために、見抜かれたこともあって事情を口にした。
「ミルルが気にする必要ないのに、まだ諦めずに気にしているなんて……」
「お互いに、自分が失敗したせいで傷付いたと思ってるってこと?」
「……お互い?」
「ええと……必要なのは、治療よりも話し合い、かな?」
困ったように頬をかいたヨシュカは、ここで自分たちが強引に治療の説得をしなくてもいいと判断する。
ミルルと師匠の間に認識のすれ違いがあるのは、傷に関係する話題をさけてきたせいだろう。
治したい、治さなくていい、そう言い合いはしても、理由まで踏み込んで聞くことができなかったのだ。
「……師匠と呼ばれる前は、養い親でもあったから、治そうとしているのは恩返しのつもりかと……早く諦めて独り立ちすればいいと思って、そっけない態度ばかり……」
「あー、そういうのは本人に言ってくれる? っつーか、聞いてるけど」
呆然とする師匠に、カイが呆れたような顔を向ける。
指差している先で、ミルルの駆け込んだ部屋の扉がわずかに開いていた。
「くっ……周囲の気配にも鈍くなるとは……」
「あ、謝ろうと思ったの! でも出られなかったの!」
飛び出せるようになったミルルが、師匠に体当たりしてしがみつく。
「変な壁があって開かなかったから! 隠れてたわけじゃないの!」
「壁……?」
ちらりと見渡すと、ヨシュカだけじゃなくライラも目をそらした。
「……何をした?」
「えっと……扉を閉めた直後に、戻ってこようとしてたみたいだから、こっそり声だけ聞こえるようにして……」
「ふさいで魔力の気配ごと隠した、かな……」
「さ、才能の無駄遣いなの!」
長い耳を震わせながら、ミルルが泣きそうになっている。
「むだにはならないと思うから、えっと、その……ゆっくり話し合ってみて?」
「いつもなら引っ込んだすぐあとに、ばかはやっぱりなし、って言って飛び出してくるミルルが変におとなしいことに疑問を持つべきだった」
混乱する師匠がミルルとゆっくり話せるように、ライラたちは受け取った鍵の使える部屋を教えてもらい、席を外すことにした。
夜中に目を覚ましたライラは、規則的な音を耳にして外へ出た。
木剣が空中を割く音の主は師匠だった。
冷えた深夜の空気に肌をさらし、薄着で木剣を振り続けている。近寄ったライラの気配に気付いているが、途中でとめたりはしない。
人型の上半身に比べ、毛皮のある下半身だけは温かそうだ。耳と尻尾は狐や狼に近い形状だが、寝癖がなくなり髪を全て後ろでまとめている今は小さな角が見える。
事前に自分の中で決めていた回数に達して、振っていた木剣を置くと、見ていたライラに向けて頭を下げた。
「自分からも改めて依頼したい。……ミルルの傷痕を消してやってくれ」
「わかりました。……貴女の傷痕も」
「魔力の問題があるだろう、ミルルを優先してほしい」
「はい」
「……何も聞かないのか? どうして決めたのかとか、話し合いの内容とか」
「二人が納得しているなら、それで」
過去を知らなくても治療に変化はない。聞かなくていいのかと気遣いながらも詳細までは言いたくなさそうな様子を見て、無理に聞き出そうとは思えなかった。
「……まだ剣は持てない。それでも、失敗より忘れちゃいけないことを思い出せた。感謝する」
「また、この場所がにぎやかになるといいですね」
「まずは掃除からだけど」
荒れた庭、埃の積もった家具、ミルルと二人では使いきれない食器の数。あちらこちらに、今でも残っていた過去。
剣を取り戻す気になったなら、以前のにぎやかさも取り戻せるだろう。
冒険者の生存率を上げるため、ここでいろいろなことを教えてきた。得意の剣はもちろん、薬草の知識、毒草の見分け方、魔物討伐に役立つ動きや弱点など。短期間で新人たちが入れ替わっても、ミルルだけはずっと一緒だった。
しばらく黙ったあとで、申し訳なさそうに口を開く。
「その……引退した身でも、名前くらいは役に立てるはずだから。……元王国騎士団、番外隊副隊長、ミランダ・リンデルの名で紹介状を書こう。騎士団からも情報が集められるように。それと、一般開放されていない図書館へ入れるように。対価には足りないが、すぐに渡せるものは捨てた肩書の有効利用だけ……必要なければ焼いてくれ」
「えっと……」
「シュラーラの花畑を探してるんじゃなかったか?」
「はいっ。ありがとうございます」
冒険者ギルド以外でも情報が集められるようにと、協力してくれることになった。
「中立神殿の神官や、研究所にいる薬師への面会までは、通るかわからないのが申し訳ないけどね」
目を閉じて考え込んだあとで、ゆっくり息を吐いて再び木剣を降り始める。
落ち着いた背中を静かに見つめてから、ライラは布団に戻った。