ミルルの依頼
「会えたら聞きたいことがあったの」
同席を促されたミルルは、注文した酒を片手にライラをじっと見つめた。話が終わるまでは逃さないつもりで、おすすめの料理まで追加注文してある。
「絵本と違うことはわかった……でも……魔法は、回復魔法は得意?」
「……うん、得意なほうだと思う」
「古い傷の……傷痕の治療もできる?」
ミルルはなるべく周囲へ聞こえないよう、声を小さくして問いかけた。
聴力に優れた獣人も多いため、ライラが返答する前に、ヨシュカが音を遮る。
周囲と遮断されたことに気付いたライラは、声量を気にせず笑顔で口を開く。
「状態にもよるけど、傷痕を消すことはできるよ」
一度ふさがった怪我はほとんどの場合、体が治った状態だと判断するせいなのか、ただ治療しようとしても効果がない。
けれど、ライラは以前ソフィアの傷痕を治したことがある。酒場で人目もあったので、ソフィアは気軽に魔法を使ったこと自体を注意はしたが、治したものが傷痕だったことについては口に出さなかった。断片的な会話しか耳に入っていない周囲が、治りかけの怪我を治してもらっただけだと誤解するように。
今では教えられて知っているけれど、治せないと嘘はつけなかった。
少しの間考えこんでいたミルルが、テーブルの下で拳を握って深呼吸する。
「……ミルルと師匠の傷痕を、治してほしいの」
眼差しは強気でも、わずかに目が潤んでいた。
「ずっと、治す方法を探してた。傷痕をえぐって治すことも考えたけど、それはだめだって、試すなって怒られたから……」
「消してもいい傷なの?」
「だって! ……師匠はずっと気にしてる。いつもは平然として何も言わないけど、たまに悲しい顔でミルルの足を見るの。それで、ミルルも師匠の腕を見て痛くなる。……お互いに斬りつけあった傷だから。わ、わざとじゃないの! でも、でも……あれから師匠は剣が持てなくなった。ミルルは一人前になったからもう教えることがない、って言われたけど、違うの。もう、教えられないの」
ミルルは傷痕のある場所をえぐってでも消す気があったようだが、剣が持てなくなるほど深い傷を切除して治療し直すことは難しい。
「あの時すぐに治癒薬を飲まなかったこと、後悔してる。二人ともしばらく動けなくて……ううん、ミルルは、自分の失敗だから、反省して忘れないようにって。今は、残らないようにちゃんと治しておけばよかったって思ってる。師匠がいつまでも気にするくらいなら……傷痕がなくてもミルルが忘れないようにすればよかっただけなの」
話しながら拳を緩め、そっと足を撫でた。撫でた手の下には傷痕がある。
服で隠さなくても、柔らかな体毛で皮膚の表面は目視できないようになっているが、その場所に傷痕が残っていると本人たちが知っている。他者に気付かれなくても忘れられない。
「お願い、傷痕を治して。それで……できれば、もう一度……師匠が剣を持てるように治してほしい」
「……そっちが、一番のお願い事?」
「っ、あ……そう、みたい。気にしなくなってほしい、だけじゃなくて、ミルルは師匠に剣を持ってほしかった」
見開かれた真っ赤な目は、涙も瞬きもとめていた。
「わかった。引き受けるから安心して」
「あ、ありがとう」
「そのかわり――」
「お礼はちゃんとするから! 治療代が高くても、珍しい魔導具でも、なんでも用意する!」
「えっと、私が欲しいのは、薬草や獣王国の情報、かな」
「どういう、こと……?」
「警戒しないで。シザシャの実を探しに来ただけなの。入手できそうな場所と……あと……」
ライラはちらりとリュナを見る。
「シュラーラの、お花畑がある場所を知りたい、なのです!」
対価として求めたのは、リュナが暮らしていた場所を探すための情報だった。
「治療が終わったあとで、教えてもらえる?」
「聞くだけ聞いて逃げるなんて思ってないの。今でもいいの……シザシャについてなら、薬師ギルドですぐわかることだから。でも、シュラーラは……花畑になるほど密集するなんて聞いたことない。治してもらってから知らないなんて言えないの。調べることはできるけど……」
「お願いしてもいい?」
「任せて!」
「ありがとう」
明るい笑顔になったミルルと一緒に、大量になった料理を食べ終えてからギルドを出ることになった。すでに傷痕となった足や腕は、待たせたからといって悪化するものではない。ミルル自身がそう言っているので、憂いのなくなった顔で餃子を頬張っているところを急かしたりしないでおく。
「シザシャは、実がいっぱい収穫できる村や街だと、もう酒造りが始まってるはずなの。薬に使われる分も……加工前の実が薬師ギルドに残ってるかわからない。ここでは採取依頼が出なくなったばかりだから、他の街ならまだ……」
食べながら、先にシザシャについて知っていることを教えてくれる。
残っていそうな場所も予想して、あとで紙にまとめてくれることになった。
食事のあと、ミルルの案内で向かった師匠の家は、どこも赤くない地味な建物だった。装飾のある赤い布がかけられているところもない。
庭がやたら広く、周辺の派手な街並みから離れて見えるせいもあって別空間のように感じる。
荒れ放題の庭を抜けて玄関を叩くと、夕方だというのに寝癖もそのままの女性が出てきた。
「なんだミルルか、おかえり。ずいぶん気配が多いと思ったら……珍しい友達を連れてるね」
「師匠っ、その、と、ともだちっ……違うの、まだ……」
「泊めるつもりなら奥の部屋しかないよ? かなり狭くなると思うけど大丈夫か?」
「あっ、それは、聞いてなかったの」
ぎこちなく振り返るミルルを見て、宿で部屋を確保してから来るべきだったと申し訳なくなった。買い取り窓口で獣王国の硬貨は受け取ったが、受け取ったお金で宿泊先を探す前に、案内されるままついてきてしまったのだ。
「俺とサウラで先に宿へ――」
「今更宿探しをするくらいなら、泊まっていけ。狭くても……いや、広い部屋を開けよう。埃っぽいけど、狭いよりマシだと思うならそっちを使え」
寝癖の上からぐしゃぐしゃと頭をかいた師匠は、室内に戻って引き出しの中をごそごそと探り始める。
ミルルに引っ張られたライラに続いて、皆で家の中に入った。
師匠は目当てのものを見つけるとヨシュカに向かって投げ、ミルルを通り過ぎて玄関の鍵を閉めた。
「夕飯はろくなものが出せないよ」
「師匠の分もミルルが買ってきたの!」
「また食べきれなくて持ち帰ってきたのか」
「そ、そうだけどそうじゃないの!」
テーブルに出された土産を見て、師匠が溜息を吐く。
「焼き餃子に揚げ餃子、水餃子……餃子ばっかりじゃないか……」
文句を言いながらも笑って、取り皿を用意しに台所へ向かう。
背を見送りながら首を傾げたヨシュカの手には、飾りが一つもない鍵が握られていた。
説明はなかったが、開けると言っていた広い部屋の鍵だ。
「立ってないで、どっか座れそうなところ見つけて座るといい」
取り皿を持ってきた師匠は、いつもの定位置なのだろうと思わせる椅子に座って声をかける。
二人の他に誰かが住んでいる気配はないのに、古くなった椅子はあちらこちらに置かれていた。
まだ壊れそうにない椅子を選んで運び、テーブルを囲む。
「今度は何を頼んだ?」
「ミルルは師匠の腕を治したくて――」
「諦めてなかったのか。…………まきこんだようで悪かったね」
謝ってはいるけれど、雰囲気がわずかにかたくなった。表情に出していないつもりでも、目が警戒していた。
「まあ、何が理由でも……」
ぼそりと呟いて、目をそらす。
「治す必要はない」