再会。送別会
レンが神殿騎士の護衛も断り一人で王都を出たと聞いてから、一週間は過ぎている。
獣王国へ行くならレンにも他国を直接見せてほしい、という神獣オスカーの話は理解できた。獣人が中心の国で、耳や尻尾だけの者はもちろん、獣頭の獣人がエクレールより多い。もし獣王国のほうが暮らしやすいとレン本人が判断したなら、そのまま置いてきてかまわないとも言われていた。
神殿で軟禁状態にすることはやめて、自由に暮らせるようになったのだ。
オスカーからの話は強制するような依頼ではなく、行くならついでにといった気軽な頼み方だった。ルクヴェルに到着しだい、冒険者ギルドへ行くことになっている。
昨日で大発生が終わり、安心して少しばかり気の緩んだルクヴェルの街は、相変わらずジャガバターの湯気が漂い賑わっていた。
冷やした果実水の屋台が減り、ホットワインの屋台と種類が増えている。温かい湯気にワインの香りと、店ごとに工夫をこらしたジャムの甘い香りも混ざって心地いい。
店内での飲食ならば一年を通して冷たい飲み物も出されるが、外で売られる飲み物は、ホットワイン以外にも柑橘系の熱い果実水などが増えていく。
酸味のある果実水を片手に、ライラは息を吹きかけて冷ましながら味わう。ただ、落ち着くはずの温かさも今は効果が薄いのか、心配そうな顔のまま落ち着けずにいた。
連絡が来る前に冒険者ギルドへ足を向けるのも、今日が初めてではない。
飲み終わった紙コップを収納して、扉を開いた。
「ライラちゃーん、今日は依頼? それとも……」
「あの――」
「あっ、待ち人ならまだよ。来たらギルマスが連絡するって言ったでしょ」
受付嬢のモニカが身を乗り出してくる。
正面に歩み寄ると、首を傾げられた。
「もしかして、会う前に出発することになりそう?」
「ううん、急いでるわけじゃないから」
「待ちきれないだけ? ライラちゃんがそこまで気にする相手ってどんな人かしら」
「……もふもふ?」
「それは聞いた。外見じゃなくて……やっぱり今はいいわ」
モニカは同僚から仕事中だと指摘される前に長話を諦め、椅子に座り直す。
「酒場は混んでるけど、奥にグライフたちが来てるから、待つつもりなら席空けてもらうといいわよ」
わざとらしく「ちゃんと仕事に戻ります」といった態度をとり、名残惜しそうに手を振った。
勝手に席を任されたグライフたち三人は、大声で呼びかけなかっただけでライラが入ってきた時点で気付いていたらしく、視線を向けるとアドラーがおおげさに手を振る。
近寄ったライラが、ノルベルトに促された空席へ座るより先に、ひょいと軽くグライフに抱えられた。
「一人で来たのか?」
「うん。みんなは防具のメンテナンスとか、買い物とか」
答えながら上着を収納して消す。ライラの防具は預ける必要がなかったけれど、身に付けず軽装で過ごしている。
「大発生が終わったばかりだもんな。オレたちも預けてきたとこ」
ノルベルトが叩いて見せた腰には、武器がない。
残っているのは鍛冶屋で扱えないグライフの剣くらいで、三人とも気軽な格好だった。
ライラは果実酒だけ注文して、ギルドの出入り口を見る。
優しくライラの頭を撫でるグライフと違い、ノルベルトとアドラーは苦笑いした。知人を待っているという話は聞いていたが、ここ数日サウラの様子もおかしいので実際に来たらどうなるのか不安なのだ。「やっぱりモフモフですか……」と呟きながら涙目で尻尾や翼を掴まれたのは記憶に新しい。
強めに音をたてて扉が開き、ソフィアとフェリーツィタスが不機嫌な顔で入ってくる。すぐにライラへ駆け寄り、周囲を見回した。
「まだ来てないみたいね」
逃げ出した隣のテーブルを従業員に片付けてもらい、席に着く。他にも慌てて席を立った者たちはいるけれど、今は気にしない。
「ねえ、ライラ――」
ソフィアが話そうとしたところで、扉が開いて誰かが入ってきた気配と、ライラの表情の変化に気付いた。
「ちょっと行ってくるっ」
嬉しそうな声で告げ、グライフの膝から下りて走り出す。
「レンさん!」
ライラが駆け寄って飛びつくのを、よろめきもせずレンが受け止めた。
首に腕を回して足がつかなくなったライラを支える。
「ライラまで汚れる」
落とすほうが心配なので離さないが、到着したばかりなので気になってしまう。
「私は気にしないけど」
「そうか」
困ったように笑うと、温かい空気に包まれて全身がすっきりした。
「これで大丈夫?」
「……ライラを汚す心配はなくなったけど、そんなにすり寄られるとくすぐったい」
「ごめんなさい」
顔だけ離して目を合わせる。
「髪が伸びたな。こんなに早く伸びるものなのか?」
「まだ戻ってないだけで、えっと……一時的に伸びてるだけ、のはず……」
「長いのも似合ってる」
支える腕で白く柔らかい髪を引っぱってしまわないよう、気遣いながら抱きしめる力を強くした。
再会を喜んでいるところへ、不自然に静まりかえった酒場からソフィアとフェリーツィタスが歩いてくる。笑顔だが、雰囲気が重い。背後に嵐と炎が見えそうだ。
「ライラ、私たちにも紹介してくれる?」
「あと、いつまでもくっついてないで離れて」
「ふ、二人とも、あの、警戒しなくて大丈夫っ。レンさんはとってもいい人で――」
会話を遮るように扉が開き、ヨシュカとサウラが入ってきた。
酒場から見ていた者たちは「誰かこの空気をなんとかしてくれ」とは思っていたが、ノルベルトとアドラーはサウラが来たことを歓迎できない。つい顔が引きつってしまう。
「お久しぶりです。とりあえずライラさんから離れてください」
慣れていなければかろうじて笑顔だとすらわからない表情で、レンの側に立つ。
「元気そうで安心した。変わってないな」
「久しいと言っても、変わるほどではないでしょう」
「それもそうか」
サウラとの間にライラを下ろして、平然と笑い返した。
「何か食べながら話しましょうか。カイさんとリュナさんもあとからギルドに来る予定ですよ」
「ジャガバターっていうのはここにもあるのか? 屋台には寄らずに来たから、気になってた」
「ああ、それは宿へ戻る時にでも……。コロッケと串焼きに、火酒がおすすめです」
「わかった。インディーシアと違って、香りがきつくない料理が多いから楽しみだ」
「味は濃いものもありますけどね」
周囲の心配をよそに、本人たちは本気で争う気がない。
フェリーツィタスとソフィアも問い詰めるタイミングを逃してしまった。
席へ戻るライラについていき、皆で座ってから軽く紹介し合って食事を囲む。
楽しそうなリュナと疲れた顔のカイが入ってくる頃には、酒場は温かさと賑やかさを取り戻していた。
夕方にはソフィアが泊まる宿へ皆で行き、宴会用の大広間を借りて送別会が始まった。
まだコタツじゃないことを少し残念に思いながら、辛味噌鍋を中心に天ぷらや唐揚げが並ぶ席へ座る。
「一応リュナちゃんの送別会ってことで集まってもらったけど、いつでも戻ってきていいんだからね!」
涙目のソフィアが、リュナのグラスに果実水を注ぐ。
急ではあったが、もともと大発生が終わりしだい獣王国へ向かうと聞いていたため、送別会にはギルドから一緒のフェリーツィタスやグライフたちだけでなく、ベルホルト兄弟やアルクスと赤竜ロアも来ている。アイテルやホルガー、双子のネーナとニーナ、他にも宿に残っていたソフィアの友人でリュナを可愛がっていたエルフたちも参加だ。
わりと雑に紹介されただけのレンは、サウラとヨシュカから離れず会話をさけて、溜息を吐いた。
「オレが参加して大丈夫だったのか……」
「宿に一人で放置されたほうがよかったんですか?」
「……着いてすぐに送別会って、歓迎されてないのかと」
「レンさんが来なくても、リュナさんのためにソフィアさんたちが計画していたものですから」
しょんぼり耳を下げるレンの頭を、後ろからソフィアが叩く。
「歓迎会と送別会を同時にしてあげるわ」
「獣王国で暮らすと決まったわけでは……」
「細かいこと言ってないで、ぱーっと飲みなさい」
ドンと重い音で、火酒の瓶が置かれる。酒に強いサウラが気に入る、かなりきつい品だ。
「ついでにサウラも置いてきていいわよ。最後だから奮発して用意しておいたの!」
「残念でしたね。必ずライラさんと一緒に戻ってきますよ」
「ふんっ。まあ、ちゃんとライラが無傷で無事に戻ってくるならなんでもいいわ。万が一のことがあったら盾にでも壁にでもなって散りなさい」
何があってもリュナを連れ戻せとは言わないが、寂しさをごまかしていつもより口が悪くなってしまう。
リュナの成人までは時間があるけれど、集めなければいけないものが獣王国で入手できて、住んでいた場所がわかれば帰ってしまう可能性が高い。飛ばされてきたエクレールに覚えがなく、アキツキシマやインディーシアも違った。雪深い魔国で常に暮らせる種族ではない。やはり獣王国が一番可能性が高いと思っているのだ。
はっきり「知っている」とは言わないだけで様子がおかしいカイのことも気になっている。けれど、もしどこに住んでいたかを知っていても、リュナが帰りたいと言った時にまだ特定できていなかったら教えるつもりで、頼らずに済むうちは黙っているつもりなのかもしれないと話題にせずにいた。同じ種族に以前会ったことがあるだけで、カイにも暮らしていた場所が曖昧だから口にしないのかもしれない、とも思っているが。
カイやヨシュカ、それにライラなら、いざとなれば神獣や管理者のポチを頼ればすぐわかる。リュナが焦って帰りたいと言い出さないから聞かないだけ。
泣くソフィアを慰めながら、ライラもお別れになったら寂しいなと感じていた。
「落ち着いて、楽しく飲もう?」
「ライラは絶対戻ってきてねぇぇぇ」
「ひぁっ、く、苦しいよ、ソフィア……」
押しつぶす勢いで締めつけるソフィアを、アイテルが引き剥がしに来てくれる。
「しんみりしてないで、派手に飲み食いして見送ってあげなさいよね!」
「わかってるわよー!」
ぎゃあぎゃあと騒がしくなり、次から次へと酒が空になっていった。
仕事の合間に顔を出しただけと言い訳して逃げ帰ったホルガー以外は、ほとんど意識がなくなるまで飲み続けることになる。