ポチのお仕事
「あのね、聞いてファウスト! あれ? 今はチェルハイデア? それとも」
「エリス様。どれも私の名ですから、お好きなようにどうぞ」
「ややこしいから、全部まとめてポチね。貴方の評判も聞いているの、北の煌星の中でも、とっても優秀だって。まだ仕事を始めたばかりなのに。地上に行く日もきっと近いと思う!」
もう何年、何十年、何百年、何千年になるかわからない。
そもそもの概念が曖昧で。
ある世界から見れば、自然現象。
ある世界から見れば、神。
ある世界から見れば、厄災。救い。奇跡。
存在なのか、自らすら概念の一部なのか。
とうに忘れられた過去がいくら積み重なっていっても。
彼女は、その御方は、その輝きは。
変わらず、いつもいつも、笑っていた。
「この世界も、ずいぶんにぎやかになったのね」
「エリス様があちらこちらから保護してくるからですよ。お忘れですか?」
「覚えてる……はず! 最初は竜。彼らは迫害されて絶滅するところだったから。でも、二足歩行の生き物に姿を変えたり、ヒュエトスにも、アネモスにも、ネブラにも、なんにだってなれたのに、彼らは竜でいることを諦めなかった。とても綺麗だったの。彼らからは神だって生まれた。安心して生きられる場所が一つでもあるなら嬉しい」
「そうですね。他にも、獣人、精霊、植物。邪神様のところで生まれた突然変異種まで預けられて。……ずいぶんと、世界らしくなりました」
他の世界で生きられなかった者、生きることはできても世界に馴染めなかった者、世界から忘れられていった者。
等しく同じ手を差し伸べて、あたたかな世界ごと包み込んだ。
飽きられた世界で、自業自得とすら言える末路を長く歩み続けている者たちのことすら、優しい瞳に映して悲しむ。
その気が少しでも晴れるのなら。
笑顔の裏で泣くことがなくなるのなら。
面倒事が多い管理課の仕事も、少しは意味のあるものだと、そう思える。
「前みたいに、ずっと一緒にはいられないけど、いつだって遊びに来るから」
「今度は事前に伝えてください。いつも突然で」
「いいじゃない! 私はポチに会いたいんだもの」
それからすぐのことだった。
ポチが肉体を持ち、地上で神獣としての仕事を任されたのは。
どの種族も安定した生活を始め、それぞれの特性を活かして生きる。
戦いが日常の世界とも、自然が存在しない世界とも、個を持たない世界とも、世界とは違う世界があった。
「次はどのような魂を保護してきたのですか」
言葉では呆れたように返すけれど、救えれば嬉しい。
会えれば安心できる。
仕事が増えることなど、かまわなかった。
「人は難しいのね。羨む、怖がる、拒絶したがる。人がそうされていたから、世界から世界へ移ったのに」
「種ではなく個の問題でしょう。以前の世界よりは、余裕ができた、その心でどんなことを考えるか」
目につくこと全てを憂いていては、彼女の心が先に壊れてしまう。
煌星は皆、代表の管理者から任される仕事もこなしながら、彼女が喜ぶものを集めた。
彼女のために、保護した者たちが喜ぶものを世界へ。元の世界で失われたものも、別の世界に似たものがあると聞けば譲ってもらい。新しいものを作り。
彼女の心を一つでも明るさが満たすように。
「今度の魂は……地球からですか」
「また預けられちゃったわけじゃなくてね、ちょっと、その、欠けてしまったらしいの。それを聞いたらほっとけなくて。あちらより、制限もあるけど自由にもできるでしょ? だから、お願い」
「管理者に伝えてください。そういったものの最終決定権はそちらにあります。あと、管理者に挨拶だけでいきなりここへ声をかけるのは」
「ありがとう! さっそく行ってくる!」
「……せめて最後まで話を、はあ」
それでも彼女が嬉しそうにしているだけで。
その心が悲しみに染まることがないだけで。
あたたかな気持ちになってふわりと尻尾を振る。
肉体があるというのも悪くない。
神獣と敬われていても、煌星の中ではまだまだ。
少しでも、あともう少しでも、自身が彼女の望みを一つでも多く叶えられる日がくればいいのに。
「今度の魂は……地球からが二つ、もう一つは別の竜種ですか?」
「あちら側に在ると、いろいろ大変って。むこうの管理者が言ってたの。私たちの通り道をいくつか、繋ぐ権限があるから。閉じてから、別の道でこちら側へ連れてきた」
「竜と同じ姿をしているだけなのですね。別の姿で転生させますか?」
「私は本人の意思を優先してってお願いしたんだけど、こちらで決定するまでわからない」
竜と言っても、世界で言葉が変わるように、世界で存在が変わる。
この世界にはすでに、それぞれ違う世界から集まった竜たちが暮らしているのだから、今更一種増えたところで、そう自分に言い聞かせるものの。
「あまり集めすぎると、この世界そのものが問題になるかもしれませんよ」
「わかってるけど……自己満足だって思っても、ほっとけないの」
「エリス様…………」
不安にさせたくはなかった。問題になってからでは遅いと心配するあまり、いつも余計な小言が出てしまう。
心配だからといって、不安にさせてしまっては意味がない。
「あくまで、かもしれないというだけです。システム上の制限はこちら側に多くあります。世界に暮らす上での足枷にはなるべくならないよう配慮しつつ、改正もしていきますから」
「ありがとう。お仕事増やしてごめんね。私も最近忙しくて、あまり来られないかもしれないけど……ポチがいれば安心ね」
「管理者が聞いたら泣きますよ」
それからもずっとずっと。
肉体を持つ身では気が遠くなるほどの時間を。
彼女の幸せを祈って。
その時の自分にできる仕事を、行動を。
全ては彼女のために。
女神エリスが失われてからも。
煌星は皆諦めなかった。
彼女が愛した世界を。
彼女が安らいだ世界を。
皆が癒やされる世界に。
魂が癒やされる世界に。
「保護ということになっておりますが、生活は制限されませんので、こちらの世界でご自由に過ごしてください」
「肉体はそのままですので、この大陸でしたら不便は少ないかと」
「次は転生か? ならサポートは? そのまま?」
「慌ただしいですね……」
皆が皆、悲しみを忘れるように。
いや、忘れないために。
女神の愛した世界を残し続けるように。
それまでと同じことを、同じように。
「水の世界からいらっしゃったのですか。ではこちらの海は……ええ、水質は劣るかもしれませんが、このあたりの世界では一番……」
「性別の選定石? 申し訳ありません、居住区が決まるまでにはご用意させていただきますので」
「……ほんっ……とうに、慌ただしいですね。最近のこの多さはどういうことですか」
「管理者に言ってください」
魂を、生命を、存在を。
受け入れ、時には見送り、繰り返す。
平和だった世界に、争いが起こっても。
悲しみに狂ってしまった竜も。
それを引き起こしたヒトも。
元は等しく女神に愛されていたのに。
「私が管理者を引き継いでから、ここまでのことが起きたのは初めてですね」
「チェルハイデア様、神獣たちはこちらへ戻しますか?」
「傷の浅い者はそのまま、生き残った彼らを守りなさい。守護する土地を失った者や、肉体の傷が深い者はこちらへ。今回の争いで保護された魂の数は多い、手はいくらあっても足りませんからね……原因となったヒトたちは、魂ごと焼かれてしまいましたが。干渉できれば止められたかもしれないのに……」
「落ち着いてください。我々も心苦しいと感じてはおりますが……」
元通りには戻らなくても、せめて再び。
あたたかい世界へ。
他の世界を任されている管理者たちも、今までの礼を返すように協力した。
混乱が落ち着く頃には、慌ただしさはまた以前のようなものへ戻っていった。
受け入れ、見送り。
変化もして。
保護された種族が暮らすだけでなく、魂を休める場へ。
「この度は、そちら側の管理者がご迷惑をおかけしたようで。申し訳ありませんが、次に地球で転生するまでの間、一度こちらの世界で暮らしていただきます」
「わかりました。もう地球に戻れなくても、かまわないんですがね」
「魂が戻ってからは、記憶が残ることはありませんので。先のことを心配する必要はありませんよ。今回の件ですが、赤子の頃から記憶が保持されているほうがよろしいですか? それとも、ご希望の年齢に達してから、再度ご挨拶に伺いましょうか」
慣れた仕草でペンを動かし、希望の記載漏れがないよう丁寧に仕事をこなす。
「今度こそ、素敵な人生を。この世界を、愛していただけますように」
この世界で生きる全ての者が、受け入れられた者が。
彼女の愛した世界を、愛してくれますように。