収穫祭、アルテン
収穫祭当日。パレードはまだこれからだというのに、アルテンの街はすでにお祭り騒ぎだった。
カボチャやサツマイモに似た野菜で作られたパイは、食事として楽しめるものと、甘いケーキとして楽しめるものと、両方があちらこちらの店に並ぶ。
食事向けのパイには、肉や他の野菜も具材として入っていて、色鮮やかな切り口を目でも楽しめる。
甘いパイには生クリームが添えられているもの、焼き立ての上に冷たいアイスクリームがのったものなど、店ごとに違って迷ってしまう。
屋台で売られているシンプルな焼きイモから、ほんのりバターの香りが漂って、甘さが際立つのも良い。
焼き立てのパンを売る店の前では、パンにつけるクリームやジャムを選べるようになっていた。
「早く買いに行きたいっ」
衣装に着替え終わったライラが、流れてくる甘い香りに目を輝かせる。
「……パーレドが終わったら行こうね」
ヨシュカは頭を撫でようとした手をいったんとめてから、軽く頬を撫でた。
せっかくの髪飾りを乱すわけにはいかない。
ライラの頭には果実や農作物を模した飾りが、これでもかとつけられている。宝石や精霊石で作られているのに、みずみずしく見えるほど丁寧な細工だ。
純白の衣装はノースリーブのウエディングドレスにも見える。ただ、白い服自体が一般的ではないため、ヨシュカ以外に「花嫁衣装」と言ったところで通じないだろう。
「ねえ、お父様……どうして泣きそうなの?」
「似合いすぎて、ええと……なんか、嫁に出すような気分に……」
何度も転生した年月のうち地球にいた時間は百年もないので、白いドレスから花嫁以外を連想できないわけがない。一番近い記憶で馴染みはあるが、共通の感覚でごまかせる言い訳を探しただけだった。
「お父様がもらってくれたら、出ていかなくていいのに」
「女神様を独占するわけにはいかないよ」
「今日のは、女神『役』だからっ」
「俺にとっては、いつだって女神様だけど。ああ……天使だったり、お姫様だったりもするかな。娘を持つ父親ならみんな共感してくれると思う。我が子は天使だ、女神様だ、って」
世の親は、まさか本当に天使や女神だとは思っていないけれど。
イヴァレラ家の次男コラードが時間を告げに来て、パレードの馬車へ乗る。
現在のアルテン領主は長男のフェルセに変わっていた。魔導具収集で問題を起こしていた父親は、長男に領主を任せて旅に出てしまったそうだ。
長命のエルフにとって存命中の代替わりは珍しくないとはいえ、理由が病的なまでの魔導具好きというのは困ったものだ。
申し訳なさそうに微笑むフェルセの名前は、神獣オスカーが昔ぽろっと漏らした植物担当の神のうち一柱、フェルセフォアからとった名前だった。
健康体のはずだが、病弱と噂されるだけあって少し顔色が悪い。寝不足でもないのに、目の下にくまができている。打ち合わせの時から疲れた顔をしていて、見た目と違って大丈夫だと知っていても、心配だ。
「改めて、今日はよろしくお願いします」
声だけは驚くほど爽やかなので、本当に体調が悪くなった場合は声で判断するのだろうか。
ライラとヨシュカが心配していると、屋根のない馬車が動き出した。
衣装に合わせ、ライラは大きく開いた背中と腕が冷えないよう、純白のなめらかなストールをはおっておく。
ヨシュカは今回、神殿側から手伝いを頼まれたため、神官の正装をして同乗している。進行方向に背中を向け、ライラたちとは向かい合うかたちで座っていた。
馬車の前後には騎士が並び、二台目の馬車にはコラードとグラツィアも乗っている。
振り返ったライラが手を振ると、コラードは表向きの軽い態度を維持したまま軽く手を振り返し、グラツィアは落ち着いた微笑みを浮かべた。
三台目の馬車には白い布を被った農業ギルド職員が乗り、ワインの樽を運ぶ。四台目と五台目は同じように職員が乗っていて、麦や野菜、果実が積まれている。
「領主様!」
「女神様!」
周りから聞こえてくる声に笑顔を返して、ライラは収納していた花を風魔法でまき散らした。
隣に座るフェルセは大きな花束を持ち、連れている精霊に頼んで一輪ずつ配っている。
『たのしいこと?』
『おてつだいする?』
ふわふわと集まってきた精霊たちが、フェルセの連れる精霊と一緒に花を配り始めた。
『らいらさまー』
『おはなー』
『ほめてほめて?』
植物に関係する精霊もまぎれていたようで、季節外れの花びらも宙を舞った。
パーレドは華やかさを増して進んでいく。
精霊たちは集まりすぎるとパレードを邪魔してしまうと理解しているのか、集団でライラを埋めるようなことはしない。
途中で、カイとサウラ、リュナを見つけられた。リュナはカイに肩車されて、思いきり手を振っている。
ライラはアクアに頼んで、リュナのところへ花を届けてもらう。そのままアクアはカイの頭上に残ることにした。
ゆっくりと大通りを進むパレードは、予定通り進行して神殿へ向かった。
神殿前に到着した馬車から、騎士たちが積荷を運び出した。
屋外に用意された木造の祭壇へ上がり、民から見て右側の端にはコラードとグラツィア、左側の端にはヨシュカが控える。
「全ての恵みに感謝します」
祭壇の真ん中で、フェルセがライラに跪いた。
アルテンの神官が、麦と稲穂を束ねたものをライラへ渡す。
「信仰を捧げる民へ、女神様から祝福をお願いします」
代表して感謝を伝えたフェルセに、ライラが麦と稲穂の束を贈る時、女神役として祝福を与えることになっている。「民へ祝福を」と言うだけでいい、わかりやすい指示を神官が言葉にしただけだ。
口を開こうとしたライラの白い髪が急に伸びて、ついには膝近くまで長くなる。根本から伸びているわけではないのか、髪飾りが落ちることはなかった。
集まっていた者は皆静まり、神官もフェルセも目を見開いている。
白い髪が淡く光って、女神役の冒険者だということを一時忘れさせた。
ライラは一度閉じた口をゆっくりと開き、浮かぶ言葉を音にする。
「空を知る民に、羽ばたく喜びと、止まり木の安らぎを。地を知る民に、歩む喜びと、潤す水の癒しを」
麦と稲穂の束をフェルセに渡す。
反射的に受け取っただけで動けないフェルセに、優しくストールを被せた。
あらわになった背から広がる純白の翼を見て、神官やコラードたちも膝をつく。これまで動けなかった体から力が抜けたといったほうが正しい。
「……全ての生命に、女神として祝福を」
天族の杖を取り出し、祭壇周辺に回復魔法を放った。
浄化の力と神気も合わさり、幸福を感じさせる光が触れる者の心を奪う。
ヨシュカは、両膝をついたまま呆然として、とまらない涙を拭うこともできずにいた。女神だと知っていたはずなのに、わかっていたはずなのに、忘れていた。近くにいて、触れられるから、触れてしまえるから。近すぎて、手の届かない存在だということを、忘れていた。
離れて見ていたカイも、瞬きを忘れて魅入っていた。懐かしくて、嬉しくて、寂しくて、悲しい。許されるなら今すぐ真正面に跪きたい。一人で立っていたら飛び出していただろう。リュナとサウラがいるにも関わらず、人混みをかき分けて数歩進んだあとなのだ。
「恵みの雫をここへ」
心地いい声で皆がハッとする。予定ではアルテンの神官が口にするはずの言葉だった。
翼と杖が消え、慌てて動き出した騎士がワインの樽を運ぶ。アルテンの神官は、白いリボンとブドウの房で飾られた木槌を取り出した。
周囲が動いたことでほっとしたライラは、ずっと戸惑っていた。急に髪が伸びて皆を驚かせてしまい、進行もとまってしまって、どうしようか焦って考えた。髪が伸びただけで痛みもないので、とにかく先に進めてからあとでなんとかしよう、と。
演出の一部だとごまかすつもりで、伸びた髪を気にせず祝福を口にした。浮かぶ書庫から引用して、予定よりちょっとおおげさに告げて見せ、害のない魔法を選んで派手に神々しくしてみたりもした。
結果的に、やりすぎた。
髪以外に気を取られて進行を思い出してほしかった神官は次の言葉を発してくれないし、どうしようもなくなって代わりに先へ進めてしまった。
強引に進めたおかげで動き出してくれてやっと安心できたのだ。