農業ギルドからの依頼
ルクヴェルに戻ってから数日は平和だった。
いや、ポルトを出る前から平和だった。打ち上げでは海鮮カレーと夏野菜カレー、少しは上達したジルベルトとエコの作ったタコ焼きも食べた。ワイルドボアのカツレツを揚げるついでに、ライラが好きだと伝えたコロッケ、ガゼル系の魔物を使った牛カツ代わりの揚げ物、エビもどきフライやイカもどきフライなどもあった。打ち上げを計画したジルベルトがカツカレーを食べたかったという理由で、どこかの店を貸し切るのではなく商会の応接室で行うことになったため、調理設備を自由に使えたのだ。
タコ焼きの鉄板は半分を譲ってもらえることになり、出発前にはタコもどきなどの魚介類を多めに買っておいた。
見送りに来てくれたジルベルトは、ヨシュカとの、というか賢者とのパーティを諦めずに勧誘して断られている。賢者役の他に、治癒と浄化担当の聖女役にライラ、旅の途中で和解した異種族役にサウラ、竜がいて、保護した獣人少女役もいて、設定的な妄想がはかどる勇者パーティだから加入でもいい。とジルベルトが力説していた。「ライラと二人きりもいいけどせめてヨシュカさんだけでもおいていって」のあたりで、商会の従業員に引きずられて帰った。
ルクヴェルに戻った日は、それまでカレーとタコ焼きが続いたせいかシンプルな味のジャガバターがどうしても食べたくなって、食べすぎて動けなくなったりしたけれど。何か問題があったわけではない。ライラとリュナが動けなくなるほどの量のジャガバターを注文された屋台のおばさんは、嬉しい悲鳴をあげていたが。
それから数日、日帰りできる討伐依頼を受けたり、近場の運搬依頼を受けたり、のんびりと日常を過ごしていた。
だから、冒険者ギルドに呼び出され、眉間にシワをよせたギルドマスターに溜息を吐かれるようなことをやらかした覚えは、一応ない。
「あの……話って……」
「もう少し待ってくれ」
「うん……」
ギルドマスターのベルナルドは、怒っているわけではない。困っている。
「……ライラは、獣王国に行きたいと言っていたな」
「えっ、うん」
「急ぎか?」
「急ぎじゃないよ。でも、必要な薬草……果実は、調べたら九月から十月が多く採れるみたいだから、秋のうちに行こうか迷ってるところなの」
「リュナって子の薬草探しだったか?」
「うん。成人するまでは時間があるから急がなくていいとか、今年は収穫祭と大発生に参加させてみたらどうかとか、やっと帰ってきたのにまた遠くへ行かなくてもとか、フェリとソフィアに言われてリュナも迷ってる」
「あの二人か……」
フェリーツィタスとソフィアは、ライラを引きとめるのはもちろん、リュナのこともまだ一緒にいたいと言っている。成人までに集めて帰ればいいのだが、一年経たずに目的が達成できそうなので、いなくなってしまうのは寂しいと焦っていた。
「リュナは大発生に興味あるみたいだから、終わってからかも」
「本人の希望もあるなら……。その、今日呼んだのは、収穫祭のほうに関係ある話でな……」
獣王国へ行く予定がすでに決まっていて、急ぎなら、今回の話を伝えて負担になるのではと心配だった。
「詳しい話はこれから来る男に――」
部屋の扉が叩かれ、受付嬢のモニカが来客を案内して入ってくる。
「お待たせしました」
「アナスタシオさん?」
「覚えていてくれたんだね」
案内されて入ってきたエルフの男性は、アルテンの農業ギルド職員、アナスタシオだった。
ソファーに座り、モニカの出した紅茶で一息つく。
モニカが席を外したところで、話を始めた。
「まずはエルフ米について、本当に感謝しているよ。今年の収穫祭には、農業ギルドでもシンプルなおにぎりを販売して広めようと思っている。それで……ここからが依頼の話になります」
アナスタシオが一度姿勢を正し、ライラに向けて頭を下げる。
「今年の収穫祭……アルテンで女神になっていただけませんか」
「あ、頭を上げてくださいっ。えっと、女神って……」
急に改まった態度をとられて焦ってしまう。仕事で来ているのだから当然とも言えるが、ソフィアに紹介してもらった時も気軽に話せていたので、落ち着かない。
「パレードの女神役です」
「パレード?」
ライラは去年ルクヴェルの収穫祭を見たのが初めてで、アルテンの収穫祭について詳しくない。それを知ったアナスタシオが、パレードのことから説明してくれた。
収穫祭の日程は三十一日と三十二日。前後も賑やかではあるが、限定の屋台も増える収穫祭の中心はその二日間だ。パレードは三十一日の午前中に行われる。
領主と共に街の中を巡り、最後には街の神殿の前でワイン樽のふたを割ってふるまう。女神役は領主の護衛も兼ねているため、毎年冒険者に依頼されるのだ。
街の外まで出るわけではないので、いかにもな護衛はつけず、着飾った騎士と女神役が側につく。
アルテンでは今も女神エリスが、豊穣の女神として、生命を支える女神として、敬われている。エクレールを守護する神獣オスカーへ感謝すると共に、敬う女神にも感謝を続けていた。
女神役は十九歳までの女性と決められているから、ライラに依頼できるのは今年が最後の機会だった。
書類だけで指名依頼を出して断られる前に、面識のあるアナスタシオが直接話をしてこいと言われて来たという。
「パレードは大通りのみ、午前中で終わります。難しいことをしていただく必要はありません。その場で指示されたものを受け取ったり領主様へ渡したり、樽のふたを割ったり……事前に詳細の説明はありますが、覚えなくても大丈夫なようにしてあります」
毎年冒険者に依頼されているだけあって、貴族的な礼儀も必要ない。
「当日の衣装だけでなく、宿の手配など、全て農業ギルドで用意します」
「あの、私でいいんでしょうか」
「エルフ米への貢献で、今年の女神はぜひライラさんにと、農業ギルド職員一同の意見が一致しています」
「私は運んだだけで……」
「ライラさんが持ち込まなければ、苗を手に入れることができませんでした。皆感謝しています。どうか……」
「わかりました。私でよければやらせてください」
「ありがとうございます!」
気が変わらないうちにベルナルドへ書類作成を頼み、衣装の採寸についても決めていく。衣装を作るのはアルテンの職人だが、採寸のためだけにアルテンへ呼ぶのも申し訳ないということで、ルクヴェルで採寸だけして手紙で伝えることになっている。
話の途中で、ベルナルドが思い出したように口を開いた。
「そうだ、大発生後のパーティーのことも考えておけよ」
大発生の日にルクヴェルから離れていなければ、街全体への呼びかけで冒険者が集められる。ライラが指示を無視することはないだろう。
そして、討伐に参加するなら、手加減することはあっても手抜きはしない。魔物への攻撃だけでなく、他の冒険者たちへの被害が少ないよう手助けするなど、貢献することは間違いないと思っている。
「パーティーは強制じゃねえが、ライラが討伐参加するならたぶん呼ばれるだろ」
「去年のドレスでもいいかな……あっ、やっぱり今年はアイテルさんのところで一着お願いしよう」
金は貯め込むだけじゃなくて使うことも大切だ、って誰かが言っていた気がする。それに、アイテルから一着くらい何か作らせてと言われていたことを思い出した。
「なら、今日このあとにでも行って頼めば、採寸もまとめて終わるな」
「うん」
仕立て屋に採寸だけ頼むのではなく、アイテルのところでドレスを頼むついでに採寸結果を教えてもらうことになった。
「いらっしゃい、ライラちゃん。色男連れてると思ったら、アナスタシオじゃないの……久しぶりね」
「お、お久しぶりです」
「そんなに緊張しなくていいのよお。ところで……ライラちゃんはついにワタシのドレスを着てくれる気になったのかしらん?」
「はい」
「えっ、ホントに!? 嬉しいわあ!」
アイテルはドレスに包まれた筋肉質な体をくねくねさせて、嬉しそうにしている。相変わらずエルフということを忘れそうになるほどたくましい。
「ライラさんは本当にここでいいの?」
「アイテルさんの技術は友達二人も信頼してるので……」
アナスタシオは冒険者ギルドを出てから口調を戻しているが、今度は仕事とは違う緊張で表情を強張らせていた。
「さっそく採寸しちゃいましょ! のぞいたら大事なところへし折るわよん」
満面の笑みで、何かをへし折るというか潰すような動きで拳を握って見せるアイテル。
無言で何度も頷くしかないアナスタシオに見送られて、ライラを連れて店の奥へ入っていった。
「ドレスを着るのは昼? 夜?」
「夜に着る予定です」
採寸しながら話をして、アルテンの収穫祭へ行くことや、パレードの衣装のためにアナスタシオへ採寸結果を渡してほしいことも伝えておく。
「あっ、翼も出したほうがいいですか?」
「あら、持ってるならそうね……いざという時に出せないと困っちゃうもの。開けておけるように位置は確認したいわあ」
現れた白い翼を見て、思わず撫でてしまう。見た目の印象通り、触り心地が良い。
「鳥獣人と違って、腰近くなのね……。真っ白でキレイだわ……」
「ひゃっ、あの、触るならもっと強くっ、じゃないとくすぐったくって、ふえっ!」
転んで下敷きにしてちょっと痛い思いをするほうが耐えられる。
「うふっ、カワイイ反応ね」
アイテルは笑いながら、肩から翼の付け根までの長さや、付け根の幅などを測ってメモしていった。
「どんなドレスを着てもらおうかしら、うふふふふ」
「えっと……あまりおとなっぽすぎないようにしてほしいです……体型が子供っぽいので……」
「そんなことないわよお? 胸は大きくないけど、形がキレイだわ。お腹だって、クビレはしっかりあって……うん、正面もぽこっとしないでぺったんこだもの、幼児体型ってわけじゃ……」
「よ、幼児体型とまでは言ってないですっ」
「あら、ごめんなさいね」
アイテルが口元に手を当てて、わざとらしく視線を逸らす。
「そうそう、好きな色とかデザインの希望はあるかしらん?」
「緑が好きです。でも、色もデザインもお任せで……ドレスに詳しくないので……」
「任せてちょうだい、ぜーったいに、ライラちゃんに似合うドレスを作るから」
採寸を終えてからも、身に着ける予定の装飾品や、過去に肌に合わなかった生地があるかどうか、予算など、しばらくドレスの話し合いをしてから店を出た。