無事に依頼終了、それから
翌日、ライラはレラの店の近くで、精霊塩の片付けを手伝った。
マキリが昨日並べていた魚の開きは、昼食に食べることに。
その昼時になって、ジルベルトの支店でタコ焼きの練習に付き合ったヨシュカとサウラが戻ってくる。
土産のタコ焼きがあると聞いたマキリが、店の席ではなく上の階にある居住スペースへ案内した。
焼き魚定食とタコ焼きを並べて食べ始める。
「へえ、ちゃんと丸いタコ焼きになってるんだね。食材だけなら似たようなもん作ったことはあるけど、ソースは水みたいなやつか甘ったるい果実ソースだったからねえ……。ああ、これはうまいじゃないか」
過去に再現しきれなかったことを思い出しつつ、上機嫌でタコ焼きを頬張るマキリ。レラの分は、休憩時間にでも食べられるようにと別で確保してあった。
ライラは一夜干しになった魚の開きから食べていた。適度に精霊塩で味がついていて、良い具合に香ばしく焼かれただけで美味しい。ショウユをかける必要もなく箸が進む。
「お酒ほしくなる……」
「うまい芋焼酎があるんだけど飲むかい?」
「いいの?」
「昼間っから飲んでも誰も文句言いやしないさ」
マキリの目は、誰も文句を言わないというより、言わせないといった雰囲気だ。
ケルミス産の鮮やかな青いグラスと、気に入っている芋焼酎を出してきてライラに渡す。
「つぶれちまってもかまわないよ、布団は足りないけどね」
「そこまでは飲みすぎないように、気を付けるっ……」
わしゃわしゃとマキリに頭を撫でられながら、ライラは「ちょっとだけ」と自分に言い聞かせた。
「ほれ、あんたたちも飲みな。どうせ今日は屋台出せないんだろ?」
リュナ以外に酒を勧めて、マキリ自身も飲み始める。
「屋台が出たら弟子たちも連れて行こうか。まあ、興味持つか知らないけど……騒がしくしたら悪いね」
おとなしくするとは思えず溜息を吐くが、笑っていた。
「お弟子さんって、一緒に住んでるんだっけ」
言い争いも殴り合いもするけれど、弟子たちがいるから家を借りているなど、同居しているような言い方を以前していたと思い出す。
「そうだよ。あいつら宿暮らしで部屋壊しちまってね。他で同じようなことする前にあたしが家を借りたんだ」
常に争っている印象だったが、三人が本気で離れようとはしないらしい。部屋を壊すほどの喧嘩をしておいて、バラバラの宿に泊まるとは考えなかった。
「喧嘩するほど仲が良いって言ったって、もう少し落ち着いてくれりゃ助かるんだけどね」
言葉では愚痴をこぼして、豪快に笑い飛ばした。
本人たちもマキリも弟子とは言っているが、彼らはマキリと同じ戦い方はしていなかった。同じ技を継がせているというより、面倒を見ている孫に近い感覚だろう。
なんだかんだ言って、今更彼ら三人が争わなくなったら、天変地異の前触れだと思うに違いない。
楽しそうに愚痴をこぼすマキリの話を聞きながら、昼食の時間は過ぎていった。
無事にケルミスでも屋台を出せたあと、ポルトに移動してからもタコ焼きは好評だった。ケルミスで、アキツキシマから入ってきたアオネギを加えたことも成功だったようだ。使う食材の幅が広がり、商業ギルドへ問い合わせた商人が新しい組み合わせで独自性を狙えないかと試行錯誤を始めたらしいなど、いろいろ噂も聞いた。
屋台の最終日は昼時に売り切れてしまった。
ジルベルトは撤収作業を従業員に任せて、打ち上げを皆でやりたいと計画を立て始めた。謝礼とは別に騒ぎたい気分なのだろう。タコ焼きが好評だったことで嬉しそうにしている。
夕方に再度待ち合わせる約束をして、いったん解散になった。
ライラたちが、宿に戻ろうか買い物をして時間をつぶそうか話しながら歩いていると、一人の少女が三人の男に囲まれているのが目にとまる。
少女は目つきが少しきついけれど美少女で、着ている服もちらりと見ただけで良いものだとわかるような、わかりやすいお嬢様だった。
「どうして勝手に餌を戻しているのよ!」
男たちを睨みつけ、今にも殴り掛かりそうな前のめりで拳を握る少女は、馬の餌について怒っているらしい。少女が指差す先で、馬のほうは特に文句もなく首を傾げながら餌を食んでいたが。
「こっちの餌のほうが、馬の体調がいいんです」
「なんでよ! 高い餌のほうがいいに決まってるわ!」
男たちが必死に説明しても、少女には通じなくて困っているようだ。せめて馬から餌を取り上げないように、囲んでくいとめている。
か弱い乙女が強面の男たちに乱暴されているわけではないなら、口を挟まないほうがいいのかと悩むライラ。少女と男たちは、所有する馬の餌で言い争っているだけなのだ。助けるとしたら、囲まれる少女や困る男たちではなく、馬。
その馬は、咀嚼を終えて餌を飲み込み、もう一口と今の餌を普通に食べている。
「体調なんていいわけよ! 餌を安く済ませたいだけでしょ!」
「違います」
「いいからちゃんと高い餌をあげなさい! かわいそうでしょ!」
このままでは、少女の押しに負けて、高い餌に変更させられそうになっていた。
つい気になって立ち去るタイミングを逃していたライラが、少女と男たちに声をかける。
「いきなり話に入ってすみません……。あの、餌は今食べているものを気に入っているみたいです。一昨日食べたご飯はお腹が重くなって気持ち悪かった、って言ってるので」
「は? 頭のおかしいこと言ってるんじゃないわよ!」
さらに怒った少女がライラの服に掴みかかる前に、大きな声で馬が鳴き、少女はびくりと体を硬直させた。
『おっと、驚かせてごめんね。いやあ、そちらの白い方は話のわかるお嬢さんだ。餌の値なんてこっちには関係ないのにね』
四頭いる馬のうち一頭は、周囲の会話を細かく理解しているようだった。以前も同じように餌の話でもめてしまい、嬉しくもない高いだけの餌を押し付けられて困ったという。
『ああ、そうそう……薬を嫌がって瓶を割ったこと、反省してるって伝えてもらえる? 病気じゃなくて、お腹が重かっただけなのに、心配かけてしまったから』
「薬の瓶を割ってごめんなさい、って言えば大丈夫?」
「お、おい……アンタさっきから何ぶつぶつ……」
「薬の話なんて誰から聞いて……」
男たちが顔色を悪くする。
「誰からって、今この馬さんから――」
『リブラって名前があるんだけどね』
「えっと、リブラさんから話を聞いて……」
男たちは何を言っていいかわからなくなった。馬にもさん付け、いや、まず男たちが馬を区別するために呼んでいる名前をどうして知っているのか。どこかで聞いていたことも考えられるけれど、目立つ白い髪を近くで見たことはない。
「……白い髪?」
ぼそっと、聞こえないほど小さな声で呟いた男が、改めて白い頭をじろじろ見る。
「そうか、白姫……」
馬の話がわかっているかのような言葉に気を取られていたし、武器も防具も身に着けていないせいで、冒険者ということすら気付くのが遅れた。
「嘘をつく利点なんてないよな」
そもそも、もめ事を利用して別の餌を売りつけるならともかく、今の餌でいいと言っていたのだから、儲けるために声をかけたわけじゃない。いきなり馬の言葉を伝えてきて、それから馬と会話しているような様子を見せられて、冷静さを失っていた。
男は、馬の鳴き声で硬直していた少女を他の二人に任せ、店に入っているよう指示を出す。
「みっともないところを見せてすみません」
少女の分まで謝罪した男は、少女の父親が経営する商会で雇われていた。
商売だけでなく、所有する馬の世話にも口を出し、自分が良いと思ったことを一方的に押し通そうとするのはいつものことだという。
『ほんと、苦労するよね』
馬にまで気遣われていた。
「仕事柄、冒険者の噂も少しなら知ってる。ギルドに護衛依頼を受けてもらえなくなったら困るのはこちらだというのに、お嬢が失礼なことを……」
「私が説明しなかったのがいけないんです。ごめんなさい。今食べてるものがいいって聞こえちゃって、このままじゃ変えられちゃうって……」
「どんな説明をしても、お嬢が信じるかどうか」
男が深い溜息を吐き、弱く首を振る。
「うーん……リブラさんの言葉を、あの子が信じてくれないとだめなら……あの子の前で食べて、おおげさに嫌がってみるとか?」
『餌を売った相手が毒を入れた、なんて思われたらかわいそうだよ?』
「吐き出す……のはもったいないかな……あ、最初から食べなければ」
『空腹をがまんするのも辛いね……』
「ううん、何も食べないんじゃなくて、両方の餌を並べてもらって、食べたい餌だけ食べる」
どちらかしか出されないから選べないなら、目の前で選ばせればいいのでは。
それこそ、少女が自分の選んだ餌を食べてもらえないことで、諦めるまで。
男は馬が体調を崩したことで餌を戻しはしたけれど、わざわざ高い餌と食べ比べさせたことはなかった。馬は出された餌をただ食べるだけだと思っていて、出す側が選んでやらないといけないと考えていた。
馬もよほど嫌いなものか毒と気付けば思いきり拒否するが、腹が重くなるくらいなら空腹よりましだと、出されたからには食べるしかなかった。
「安い餌だとかわいそうって思ってるなら……かわいそうだからよくしてあげたいって思ってるなら、あの子はリブラさんたちみんなを好きってことですよね? リブラさんの希望が伝わらないから間違えてしまっただけで」
少女は高いほうがいいと思いこんでいて、安く済ませようとしていると誤解して怒っていた。馬たちの好みや体調に合う餌とは違っただけで、彼女なりに大切にしようとしている。
「話は終わってないわよ!」
餌の入ったバケツを抱えて、少女が叫びながら走って戻ってきた。
「ほら! こっちを食べなさい! 安物なんて捨ててあげるから!」
「待ってください」
「なによ! まだ邪魔するの!?」
「持っている餌を食べさせるなとは言いません。ただ、今ある餌も捨てずに、両方並べて選ばせてください」
「ふん! 高いほうを食べるに決まってるわ! 最初から捨ててあげたほうが場所をとらなくていいでしょ!」
「どうして高い餌にしたほうがいいと思ったんですか?」
「高いほうがおいしいはずよ!」
「おいしいものを食べてほしくて、喜んでほしくて変えたいんですか?」
「そうに決まってるじゃない!」
「なら、リブ……馬に直接選んでもらったらどうですか?」
「は? やっぱり頭おかしいんじゃない?」
「おかしくてかまいません。先に捨ててしまわずに、ちゃんと選んでもらってください」
「どうせ高いほうしか食べないわ! 見てなさい!」
馬の前にバケツを置いて、自信たっぷりに胸をはる。
少女の自信は、馬が高い餌を拒否して今までの餌だけを食べたことで、揺らいだ。
「きょ、今日はたまたま安物の気分だったのよ!」
先に取り上げて捨てていたら知らなかった。
「……そうですね。気分によって食べたいものも変わるかもしれません。だから、これからも同じように好きなほうを選べるようにしたらどうですか?」
「あたりまえでしょ! い、言われたからやるんじゃないわよ!」
「よかった。馬も喜んでいますよ」
「そ、そうなの!?」
信じていなかったはずなのに、馬が喜んでくれたと聞いて嬉しくなってしまう。
「本当に喜んでいるのね!?」
「はい。……高いか安いかじゃなくて、好きなものを食べさせてくれるほうが嬉しいみたいです」
「体にいいものは嫌いでも食べてもらうわよ!」
「えっと……高い餌、他の餌はわからないですけど、今持って来たものは食べて体調を崩したんですよね?」
「それは安物に戻したいいわけでしょ!?」
「実際に体調が悪くなったんです。病気にはならなかったみたいですけど――」
「病気!? それは困るわ!」
いつの間にか少しずつ信じてしまっていた。目の前で少女の餌が選ばれなかったことで、かなり衝撃を受けたせいだ。
「き、嫌われてないわよね!? 餌が原因で病気なんて、恨まれても……」
「大丈夫です。……服を汚して怒られても、こっそり撫でに来るのをやめないから、心配はされているみたいですけど」
「誰から聞いたのよ!」
少女は恥ずかしい一面を知られているとわかり、男たちのうち誰かが勝手に話したのではと睨みつける。
しかし、男たちは誰も、少女が隠れて撫でに通っていることなど告げていなかった。撫でに近寄り、撫でるだけでは済まずに服が汚れるまで世話したりかまったりして、あとで親に怒られているところまで知っている者はいたけれど。
「まさか、本当に言葉がわかっているの!?」
目を見開いてライラの腕にしがみつき、やっと疑いの消えた瞳で見上げる。
『自分のおやつまで持って来なくていいって言っておいて』
「おやつも食べさせてたってこと?」
「それは秘密よ! お父様には言わないで!」
「お嬢……」
「秘密ったら秘密なの!」
少女がびしっと指差した男の後ろに、身なりの良い女性が歩み寄ってにっこり笑った。
「何がお父様には秘密なの?」
「ひっ! お、お母様……」
秘密ということ自体を知られた気まずさで目を逸らす。
馬に質問してほしいこともあったのに、話していられる状況ではなくなった。母親に聞かれたくないことを口にされたら困ってしまう。
「あっ、あのっ……」
「……私からの贈り物です。これからもリブラさんたちと仲良くしてくださいね」
涙目になった少女へ、ライラは小声で伝え、こっそり耳飾りを一つ渡した。
しがみつかれていた腕を抜き、安心させるように笑って離れる。
「うちの娘が何かご迷惑を……?」
「いいえ。私から声をかけて……一緒におしゃべりしていただけです」
「と、友達になってあげてもいいんだから! また遊びに来なさいよ!」
「はい」
「もう! と、友達はそんな言い方しないわ!」
「……うん。ありがとう。またね」
少女に向かって手を振って、ライラは待ってくれていたヨシュカたちのところへ戻った。
「こっちこそ、ありがとうなんだから……」
誰にも聞こえなかった少女の呟きは、嬉しさと申し訳なさが混ざっていた。
貰った耳飾りでリブラたちの声を一部聞けるようになり、驚いて叫ぶのは数時間後。