カレーには隠し味
天候を理由に店じまいしてしまい、畳の席に案内された。
さっそく作ろうとしたのをとめて、カレーライスを持ち込みたいのはジルベルトだということと、可能なら試しに品書きへ加えてほしいことを伝える。
マキリとレラが思い出すカレーは別物だが、二人とも懐かしいと喜んで受け入れた。混ぜるだけでカレーになる商品と聞いて、レラが知るのは粉末状の品で、マキリが思い出すのは固形の品だ。
今までは香辛料を入手するだけなら可能でも、何をどれくらい混ぜればいいのか全くわからず、材料の入手よりも再現を諦めていた。似たようなカリーに手を加えることも考えたが、そもそも何を足せば変わるのか想像できなかった。味が似ないどころか離れていき、迷走してかなりまずいものになり、食材に申し訳ないと言って断念したという。
カリーには、日本人がカレーと聞いて想像する料理より幅広い、複数の香辛料を使った煮込み料理全般が含まれていた。
マキリたちの反応を見て転生者だと察したジルベルトは、自分も転生者だということを隠さなかった。マキリとレラも察してはいたが、同じ日本人だと思っていたようで、アメリカ人だと聞いた直後に少し顔色を変える。
目の前にいる人物に直接何かされたわけではない。驚いてしまったが、責めたかったわけでも気にしてほしいわけでもなかった。
持ち込まれたカレーライスの話から、日本との交流が当たり前の時代にしか生きていなかった世代だろうと思っている。
「……あんた、日本は好きかい?」
「へっ? あ、はい! 短い期間しか滞在していませんけど、日本文化は入院生活の心の支えになるくらいに……っ」
「そうかい……。そりゃよかった」
マキリはいつもの調子で豪快に笑って、席を立つ。
「さっさと食材を運んどくれよ。店に出す前に、食べておかないとね」
レラを引っ張り厨房に向かう背中を、食材を預かっていたライラが慌てて追いかける。ジルベルトもカレールーに関して説明するために、あとに続いた。
「待ってください!」
「まったく。いつまでかたくるしくしてるつもりだい? こっちはただの冒険者なんだから、気にしなくていいんだよ」
「剣鬼さん相手にそれは――」
「なんだい、白姫ならいいってのかい?」
「年が――」
「ババアで悪かったね」
「そういうわけでは――」
「あのへんちくりんなしゃべり方でいいよ」
「へん……」
勢いに押されて言い返せない。
おとなしく従っておこうと遠い目をして、カレールーの使い方やどれくらい近付いているか説明を始めた。
説明が終わればあとは邪魔だと言わんばかりに厨房を追い出され、畳の席に戻って完成を待つ。
ライラも食材を渡し終えたあたりで追い出されていた。
「『剣鬼』も『白姫』も転生者ってさ……日本はチート転生者輸出国にでもなったの?」
「違うと思います……」
「だよね、わかってる……冗談だよ」
望んだ願い次第で、皆が皆そろって強くなったわけではないだろう。
「あ、ねえ、そろそろライラもオレに敬語やめてよ。職場で会う時も気にしなくていいからさ。転生者同士もっと仲良くしよ?」
「……うんっ」
「そのうちルクヴェルで商人してるって子も会ってみたいなー」
完成を待つ間に、ライラがアキツキシマへ行った時の話になった。
寛いで話しながら、二杯目のお茶を注ぐ。
「へえ、夏祭りいいなー。オレも行きたかった。今年は屋台とかどんな感じだった?」
「わたあめとか射的とか、カキ氷とかいろいろ。違いもあるけど懐かしい感じがした。あ、でも、焼きそばとチョコバナナはなかったから自分で材料用意して……」
「あ、チョコバナナ食べたい! オレも作ろうかな……ん? 焼きそばの材料を用意できたってことは、縮れ麺があるってこと? もしかして麺から作った?」
「ううん。少ないけど塩焼きそばの屋台はあって、焼きそば用の麺を売ってるところもあったの」
「……ちゃんと焼きそばの麺だった?」
「似てると思う」
「それってさ……ラーメン食べられるようになるんじゃないの?」
いわゆる中華麺と日本で呼ばれていた麺は、かんすいという材料が必要になる。本場の麺は使われていない種類も他にあるが、思い浮かべるラーメンや焼きそばに使われていた麺は、かんすいの使われた中華麺だ。
「かんすい使わない、刀削麺みたいなのは食べたことあるけど、日本ラーメンが食べたい! 特に豚骨ラーメン!」
ジルベルトが盛り上がったところで、ヨシュカが首を傾げた。
「パスタでも、特定の温泉水で茹でるとそれっぽくなるよ? 重曹と塩で茹でる裏技みたいなやつ。アキツキシマの縮れ麺は、かんすいと同じように、茹でる前に混ぜて使うけど。あれも小さい湖の水だったと思う……縮れは仕上げの粉で揉んでるせいだったかな。量が少なくて輸出はされてないかも?」
「もっと早く教えてください」
「ええと……ごめんね? ああ、獣王国でも食べられてる麺だよ」
「ラーメンもうあった!?」
両手で頭を抱えてのけ反るジルベルト。
すぐに復帰してヨシュカに詰め寄る。
「エクレールでも作れますか」
「同じか似たような水があれば可能だけど、麺よりも……スープが問題かな」
「スープ?」
「……魔物の骨から、豚骨みたいなスープが作れると思う?」
「あーっ……」
がっくりとうなだれるけれど、似たようなスープがすでになかったかと記憶を探す。
「白湯っぽい濁り系はたしか……近いもので試したいけど、肥料とか加工品とか他で重宝されてると……骨って食材として確保しにくいか……でも……ああ、もう獣王国まで行ってみるしか……仕事が……」
完全にカレーからラーメンへ意識が切り替わり、独り言を漏らし続けた。
「ジルベルトさんは、他の国に行ったことないの?」
「え、インディーシアは行くし、前にアキツキシマも……あ、商人の前は、魔王倒しちゃだめって言われてやる気なくしてエクレールで食材集めてた」
獣王国は、インディーシア経由で長い船旅になるか、魔国経由で極寒の長旅になるので、目的も決めずに向かう者は少ない。
インディーシアや魔国に流れた商品を入手することはあっても、獣王国とエクレール間で直接の取引は少ないらしい。距離もあり、間にある暗き森を通り抜けたいと思う者がいないのだ。魔国と反対側の陸路も山と森になっている。
「エクレールで食材集まるといいな……もしラーメン完成したらライラも食べに来てよ」
「……味噌豚骨ラーメンが好き」
「任せて!」
海鮮出汁のラーメンならすぐにでも食べられそうだが、今食べたいと浮かんでしまったのは豚骨だ。
「似たスープになれば、骨にこだわらなくてもいいのか……?」
ラーメンのことを考えている間に、カレーライスが完成した。王都の店で食べた黒カレーに似た香りのカレーよりも、家庭カレーに近い香りがする。
カレールーを提供したジルベルトが一番驚いていた。
「え……この香り、カレールーの時と違う……」
テーブルにカレーライスを並べていたレラが、ふふっと小さく笑った。
「勝手なことをしてごめんなさいね。すりおろしたリンゴや赤ニンジンと、ハナミツを入れてみたの」
ルーだけを混ぜた直後の味は、マキリが言うには「こじゃれた洋食屋を思い出す味」だったらしい。
まずはそのまま皆で試食しても良かったが、「アキツキシマ料理の店で出すなら」と、いろいろ足してしまったという。
「ほんの少しだけおショウユも入っているのよ」
大鍋にひとたらし程度の僅かな差なので、はっきり味がするものではない。
「どうだい。家で作るカレーって言ったら、隠し味だろ?」
「お店に出してほしいって言われていたのに」
「まだよそで売ってるわけじゃないんだ。あっちじゃ家カレーでも、こっちには関係ないじゃないか」
豪快に笑うマキリが嬉しそうにすると、レラも少し困りながら一緒に嬉しそうに笑った。
ジルベルトもスプーンを握りしめたまま期待に満ちた顔をしている。
「ルーにもリンゴや蜜は加えているはずなのに……香りだけでここまで違うものか……量か? 作る時に生で入れるとまた違うのか……?」
今後の参考になるよう、いろいろ考えてもいるが、まずは早く食べたくてしかたない。
福神漬のようなものや、ラッキョウに似た根菜の甘酢漬けもあるのだ。
「お漬物が苦手じゃなければ、一緒に食べてみてね」
レラに勧められて、皆でスプーンを構える。
「いただきます!」
揃って食べ始めたカレーライスは、外食した時のちょっといいカレーの味もしつつ、懐かしいと思えるくらいには家庭の優しいカレーだった。
懐かしさはなくても、カイとリュナは以前ライラの作ったカレーを食べたことがある。初めは匂いに驚いたけれど気に入っていた。ここで初めて食べるサウラも気に入ったようだ。
マキリが涙をぬぐって隠しながら食べ進める。
「もう何十年も前の……記憶だけだからね、本当に同じなのかって言われりゃわかんないけど……。でもね、うん、これが、レラに食べてほしかったカレーだよ」
「とってもおいしいわ。ありがとう」
作るのはレラでも、食文化が変わったあとの味を知ってほしい、食べてほしいと願ってきたのはマキリだ。
「……こんなにおいしいものを食べられるようになって、本当によかったわね。また一つ、一緒の思い出が増えたわ」
レラはそっとマキリの背に手を置いて、言葉以外でも温かい気持ちを伝える。
涙を落ち着かせたマキリが、真っ直ぐジルベルトを見た。
「懐かしい味を持ってきてくれて、感謝するよ」