精霊の『塩』風
涼しい風が頬を撫でていく。
到着したケルミスの港で、日差しは真夏の暑さが健在なのに、風の一部だけが涼しい。全てではなく、温い風も吹いていた。
ジルベルトとエコが困った顔で肩を落とす。
「愛らしい精霊たちは今年も気まぐれだね」
「今日は屋台中止ですね~」
支店の前に場所を確保していたが、屋台を組まずに延期することになった。
「早く、月桂樹のカゴを外に出しておかないと」
「わっかりました~」
エコが支店に駆け込んでいき、他の従業員と協力して籠を運ぶ。
見ていたライラは理由がわからず、ジルベルトの袖を引っぱった。
「どうして今日は中止なんですか?」
「塩が降るからだよ。夏の暑い日に一日だけ……珍しい年は三回ってこともあったみたいだけど。涼しい風が混ざるのは、その前触れなんだ。だから、これから塩が降るのに屋台だと、商売しにくい」
困りつつも嬉しそうにしている。
「屋台は諦めるけど、精霊の塩を少しでも多く集めておかなきゃ。他の塩よりおいしくて、魔力も含んでいるんだよ」
続く説明では、月桂樹の籠には塩が勝手に集まるという。
外に籠を並べておくだけで、地面に落ちる前に籠の中へ入ってきてくれるのだ。
他の店でも慌てて商品をしまいながら、できるだけ多く籠を並べようとしている。
店内では一応営業を続けているので、外に商品を出しておかなければ大丈夫らしい。それでも、来客の体から落ちる塩は店内の床にたまっていくけれど。
「店でも家庭でも、好きなだけ塩を集めておいて、他の街に売ったり普段の食事に使ったりするんだ」
話していると、魔導具で拡散された声が、これから精霊塩が降ると住民に伝えた。
店の前だけでなく、玄関や、屋根の上に籠を出す者もいる。
ライラも月桂樹の籠を作り、体の正面で抱えた。
「籠に精霊魔法の水を吸収させてから乾かしておくと、集まるのが早くなるって話もあるんだけど」
「そうなんですか?」
「エルフに頼んで事前に準備してるところもあるよ」
それならと、アクアに頼み、籠を水で洗ってもらう。
『これくらいでだいじょーぶなの』
「ありがとう。乾かすから、籠から出てね」
アクアを肩に戻らせてから、乾燥しておいた。
ジルベルトが用意させた籠も、同じようにアクアが水を撒いていき、しっかりと乾燥させていく。
準備をしている間に、籠を持って海上へ飛んでいく冒険者の姿も見えた。
船上に籠を並べている者もいる。
海上の塩はさらに質がいいと噂されているせいだが、離れすぎると塩が降ってこないので、飛んでいる冒険者たちも船も近くで待機するだけだ。
「わらわも持ちたい、なのですっ」
そわそわしながらライラを見上げるリュナに、小さめの持ちやすい籠を作って渡した。
リュナは嬉しそうに笑って尻尾を振り、頭の上で籠を支える。
籠ごと全身をアクアに濡らされて、慌てたライラが急いで乾かした。
『ごめんなさいなの』
ふざけたわけではないらしいが、調整を間違えるのも珍しい。
待っているだけになってしまうから手伝うと言ったヨシュカとサウラにも、濡らしてから乾かした籠を渡す。カイには一番大きな籠を背負ってもらった。
「集まるまで籠放置しとくだけでいいんじゃねえ?」
「初めてだから、集まるところも見たいっ」
あっという間に集まるとは思っていない。
ジルベルトも、ちゃんと籠に集まるのを確認したら、支店を離れるつもりでいる。
「うちの支店でライラの分も預かるから……あ、降ってきた?」
声をかけた途中で、キラキラと塩が舞い始めた。
精霊の青い光りも街の中を飛び回る。
粉雪みたいに優しく舞い降りる塩は、透明でほんのりエメラルドグリーンだった。
塩を降らせている精霊たちのうち、一つの光が、ふわふわとライラの側に寄ってくる。
『しお?』
「うん。集めてるところだよ。きれいな塩だね」
『いっぱい?』
「えっ?」
二つ目の光も近寄ってきて、ライラの周囲を回った。
『らいらさまも』
『ひつよー?』
ふわりと涼しい風が囲んだ直後、大量の塩が降り注いだ。
「ま、待っ――」
とめようと手を伸ばしたけれど、塩にさえぎられて埋まってしまう。
『あれ?』
『らいらさまー?』
かろうじて出ている手を振り、精霊に居場所を教える。
ゆっくり塩を動かして顔を出すと、安心したように精霊が頬にくっついた。
左右からライラの頬に触れ、少し離れて顔の前に浮かぶ。
『ごめん』
『なさい?』
周りを見ると、ライラ以外も埋まっていた。降り注いだ中心地がライラの場所だったおかげで、顔までは埋まらずに済んでいる。
降り注いだ塩は籠へ引き寄せられるように狙い落ちたため、近くの籠は山盛りだった。入りきらずにあふれた塩が、籠ごと埋めてしまっているだけで。
『もっと』
『いるます?』
「ううん。もう大丈夫。ありがとう」
『わーい』
「お礼に、魔力水飲む?」
『いるー』
『のむー』
ライラが空中に浮かべた水球を、半分ずつ吸収して光を強める。
塩まみれになった状況を放置して、精霊たちは嬉しそうに飛び去っていった。
「どうしよう、この塩……」
迷いながら、積もった塩だけを収納していく。
「ライラ、こっちの周りもお願いできる? リュナちゃん最優先で」
「う、うんっ」
「おいちゃん塩漬けになりそう」
竜の塩漬けができあがったところで、食用には向かない。
順番に掘り起こし、最後に呆然としたままのサウラを救助した。
ジルベルトは冷静になるのが早かったらしく、自力で這い出て塩を集めていた。動ける従業員に麻袋を用意させて、入るだけ詰め込んでいる。
ライラも袋を作り、塩だけで収納していた分を詰め、再度収納して次の袋と繰り返し、分けていった。
大量に積もった塩をなんとかした後、ジルベルトも連れてアキツキシマ料理の店へ向かう。レラの営むアキツキシマ料理の店で、カレーを試しに扱ってもらえないか交渉するためだ。
まだ街に降り続く塩は、あちらこちらに置かれた籠へ吸い寄せられ、ゆっくり積もっていく。
籠へ積もらず地面に落ちた塩は、海に返されるという。
「明日は街全体が、屋根や道を片付けて海まで塩を運ぶので慌ただしくなるから、屋台が組めるのは早くても明後日かな」
海に塩を返した直後は、魚が多くとれるようになるため、港がいつも以上に賑わう。そこでタコ焼きを売れると思えば、良いことではあった。
「待たせることになっちゃうけど……」
「気にしないでください。見られてよかったです」
「オレも珍しいものが見られたよ。集中豪雨っていうか、集中豪塩? おかげで、用意した籠の分以上に集められた。ポルトに持ち帰りたいから、運ぶ量が決まったら運搬もお願いしていい? 屋台が明後日以降になるから、それまでには決めるけど」
「はい、大丈夫です」
今後の相談をしながらレラの店に着くと、店の前でマキリが魚を並べていた。
丁寧に開かれた魚は、どれもそのままで美味しそうだ。
「おや、ライラじゃないか。今日はなんの用だい?」
「レラさんに、カレーライスを店で――」
「よしさっそく作ってもらおうか。カレーライスってわざわざ言うんだ、カリーとは違うんだろうね? 米はどうしようかな。具材ならあるものでなんとかなるだろうよ」
「あの、食材は用意してあ――」
「気が利くじゃないか! ほら、早く塩落として店に入りな」
「レラさんに話してからじゃなくていいんで――」
「おーい、レラ! ライラがカレーライス持ってきたよ!」
「カレーライス自体を持ってきたわけじゃ――」
「カレー作っとくれ!」
相変わらずマキリに最後まで話を聞いてもらえない。今回はカレーライスと聞いて喜び、いつも以上に気分が盛り上がっているせいもある。
塩が降り始めてから客が減り、今は誰も客がいないという店内へ入った。