赤竜と番の人族
赤竜の夫婦は、ライラが会いたいというのを喜んで受け入れてくれた。
招待してくれた夫婦の自宅は、庭が隣の家と比べて広いとは思っても、竜の体で住むには窮屈そうに見える家だった。番の人族に合わせて、カイと同じように人の姿で生活しているのだろう。
庭の花に水を撒いていた男が、ライラたちに気付いて手を振る。話を伝えてくれたベルナルドから外見の特徴など聞いていたのか、招待していた来客だと確信している様子だ。
男は特に何かを装備しているわけでもなく、気楽な格好でゆっくり歩み寄ってくる。その様子は、事前に教えられていなければ冒険者とは思えない雰囲気だった。
「はじめまして、僕はアルクス。妻は今、クッキーと戦っているから。先にお茶でも飲んで待っていようか」
「ライラです。この子はアクア、こっちがカイ。あの、戦ってるって?」
「君が来るのを楽しみにしていてね、慣れないお菓子作りをしているところ。赤竜のロアっていう――」
突然大きな音がして、全員が玄関を見た。
どうやらオーブンに負けたらしいと笑うアルクスが、玄関に向かおうと一歩踏み出した瞬間。
扉を吹き飛ばす勢いで、赤髪の女性が走り出てきた。
「アル! ごめんなさい! また失敗しちゃった」
「落ち着いて、ロア。もうお客様が来ているのに、驚かせてしまうだろう?」
ロアは自分の髪が乱れていることにも気付かず、呆然と視線をライラたちに向ける。
おとなしそうな顔立ちの頬は、髪色が映ったように赤くなっていた。
「ご、ごめんなさい、ちゃんとお出迎えもできなく……て……」
宝石かと思うほど美しい赤い目を見開いて、急に固まったかと思えば、次の瞬間には赤竜へと姿を変えながら飛び上がる。
怯えたような、焦ったような声で謝罪を繰り返し、翼を動かす度に突風が周囲へ吹き荒れた。
「たとえカイ様が直接いらしたとしても! 私は帰れない! お願いです、私を連れ戻したりしないで!」
「……おいちゃん、そんなことしないよー?」
「ロア! 街の中で飛んではいけないって、忘れたのかい?」
「おいちゃんの話聞いてるー? なーんもしないから、落ち着いてくんねえー?」
これ以上周囲への被害が出る前に、冷静になってほしい。
ライラが結界を張って、敷地内を隣家から隔離する。
閉じ込められたと勘違いしたロアが結界に体当たりしたところへ、アクアがぱしゃんと軽く水をかけた。
「お見合いから逃げたことは謝ります。ですが、どうしても帰れないのです」
「あーそんな話もあったような? 別にじじいから言われて来たわけじゃねえんだけど」
「私にはもう心に決めた人が……」
何度かやりとりを繰り返し、ようやく誤解が解けた。
ロアは以前、赤竜の一族から翠銀竜とお見合いをするよう言われていたという。赤竜側から、格上である翠銀竜の一族に頼み込んでの話だったため、すでに紹介した女に逃げられたからやめましょうなんてできない。家出をしてから何度も連れ戻されそうになっていた。
今回ついに翠銀竜から迎えが寄越されたのかと思って、冷静さを失ったようだ。
カイは、一族に持ち込まれたお見合いの話はかろうじて思い出したものの、相手が自分だったことは忘れていた。
「じじいには、別のやつらに話持ってけって言っとくわ。おいちゃんも帰る気なくなったしなー」
「ありがとうございます。カイ様から言っていただければ、こちらも私のことを諦めてくれると思います」
自分がすっかり忘れていたお見合い話のせいで、ロアがこれからも苦労するというのは気分がいいものではない。さすがに放っておくことはできず、必ず伝えると約束した。
やっと安心できたのか、人の姿でロアがへたり込みそうになる。
ロアを支えたアルクスが、ライラたちを家の中へ案内した。
お茶の用意をアルクスに任せ、ソファーに座ったロアの体をライラが魔法で乾かす。念のため体当たりしたところに回復魔法も使った。痛みは感じていないというが、冷静さを失った状態では力加減もままならなかったのか、少し腫れていた。
「せっかく来てくれたのに、ごめんなさい。ライラさんは怪我してない?」
「大丈夫です。あの、これ、お土産を……」
「嬉しい! さっきは私のせいで受け取れなかったから。ね、さっそく開けてもいい?」
ロアは子供のように澄んだ目を期待に輝かせて、返事を返されると同時か少し早いくらいにもう包みへ手をかけた。アルクスが紅茶をテーブルへ並べている間に、中身を広げていく。
「乾燥させた竜の実入りの紅茶、これ好きなの、ありがとう。こっちは、収穫したての竜の実?」
「種無しザクロは、おじいちゃんが育てたものです。空間魔法が使えるから、その場で保存してあったので」
「え、この竜の実、種無しなの? すごい! 竜の時は気にならないけど、人化している時に食べると種が気になってたの」
「紅茶を買った時に、喜ばれると思うって聞いて。防腐の紙だけ用意して、自分で包装したから不格好だけど、少し日持ちすると思います」
お土産を開けてはしゃぐロアとライラの向かい側では、頭の上にアクアを乗せたカイがアルクスと話していた。
玄関先での騒ぎをお互いに謝罪し合って、馴れ初め話を聞き出している。
どうやらアルクスは竜のやりかたで求婚したわけではなく、女性に暴力は無理と言い張って、人族流の求婚を何度も繰り返したそうだ。時には花束、時には装飾品と、通い続けるうちにやっと気持ちが通じたという。
聞き慣れない愛の言葉が一番効果的だったらしい。
何度目の求婚か数えるのを止めた頃、いつものように会いに行ったら突然頭を上から叩き付けられて、求婚返しと小さな声でロアが呟くのを聞いて気絶した。そう話して嬉しそうに笑った。
「瀕死で済んで助かった。初めて自分の呪いに感謝しましたね」
「あーいきなりだと焦るよねえ。おいちゃんも気絶してるから、目が覚めて心底安心したわー。一瞬、あれ? 死んだ? って思ったからね。あんなの嬢ちゃんが初めてだよ」
呪いという言葉が聞こえて驚いたライラよりも、さらに驚いたロアとアルクスの表情が固まる。カイの言葉と視線の先にはライラ、その意味を脳が処理できていない。
「いいいい今、カイ様は、な、に、を?」
「僕の勘違いでなければ、ライラさんがカイ様を気絶させたって意味に聞こえたけれど」
混乱するロアとアルクスから、ライラはそっと目をそらす。
「私は求婚の方法だって知らなかったんです……」
二人は、竜族相手に竜のやりかたで求婚したことに驚いたわけではない。
「知らずに求婚の方法で、って、まさか一撃で気絶させたのかい?」
アルクスは目を丸くして、自分で口にした内容なのに、返事を聞く前から信じられないといった様子だ。
「勝負は一発でもいいって言われたので。それで避けないでくれたからかなって」
うなずいて答えるライラに対して、ロアは絶句している。
「それより、呪いって大丈夫なんですか?」
「正確には呪いみたいなもの、っていうだけで、加護だからね。大丈夫だけど……。それよりって、いや、大した事ないみたいに言うけれど……」
アルクスの加護は望んで付与されたものではない。老衰以外で死ぬことは許されない体になるというのが、呪いのようだという意味だった。
ライラのことは結局ごまかしが通じず、会った時のことを正直に話した。
「カイの名前を知ってることも隠してもらっているので、アルクスさんとロアさんも内緒にしてくれると助かります」
「ライラ様がそうおっしゃるなら」
「ロアさん? 急に改まってどうしたんですか?」
焦るライラにロアは頭を下げてきて、アルクスも姿勢を正している。
竜の名は、ほとんどの場合知っている側の立場が上。つまり翠銀竜のカイよりも立場が上のライラに、赤竜のロアが態度を改めるのは自然なことだった。明確に上ではなく、対等だとしても。
赤竜よりも、比べるまでもなく、翠銀竜の一族は格上なのだから。
そう聞いても戸惑ってしまうライラ。
「それさー、おいちゃんが望んで、街で生活するために普通の態度をとらされてる、ってことにしてさ。嬢ちゃんの負担になる態度は、やめてくれねえかな」
「カイ様はこうなると知っていらして、ライラ様に名を告げたのでは?」
あからさまに責めるわけではないが、本人が一番知っているだろうと言いたくなる。それが格上の相手であっても、少しは呆れたいものだ。
「あの、私……竜の名について、命と同じとかは聞いているんですけど、それがどう影響するとか他のことは知らないんです。文献にも書かれていないし……」
ライラの持つ書庫スキルでも、詳細が書かれた書物を見つけられない。ポチに聞いても、竜族は書物に残す習慣がないとか、個人の感情まではと、詳しい話を聞けなかった。
「ライラ様、いえ、ライラさん」
話し始めたロアは途中でカイの視線を受けて、何とか知る前の態度に戻そうと深呼吸する。ライラ自身もそう望んでいるとわかる態度だったので、最後に軽く息を吐いて話を続けた。
「竜の名は、私たちが持つ竜核に干渉するための、パスワードみたいなもの。番でも教える義務はない。兄弟姉妹でも知らないのが普通なの」
それは、肉体の名前と魂の名前の混合。一度刻めば忘れたくても忘れられない、覚えようとしなくても覚えているもの。繋がった魂から削り取らなければ消えないもの。
教えるということは、生涯の忠誠、竜核への干渉を許すに値する者と認めるなど。秘匿されている意味も存在するため、ロアがこれだと確定はできない。
「事情はどうあれ干渉権限を得たってことは、肉体のある世界では別々の体でも、魂の世界では竜核もライラさんのもの。手足の延長のような感じ。これ以上は音で、いえ言葉で説明するのは難しいの。名前そのものについては、肉体の名前は音で呼べても、魂の名前は音では呼べない。どうしてと言われると困るのだけど」
いくつの名を持っているのか、その並びは、全て本人以外から他者へ刻まれることがないもの。存在を子として産み落とした親でも、誰にも告げることはできない。
カイが明確な理由を話さなくても、それがどんな理由であれ、告げられるに値する存在として他の竜からないがしろに扱われることはない。
今はなぜか繋がりそのものが隠されていて、竜であるロアも初めに気付けない状態だったという。隠そうとしなければ、見るものが見ればわかるようだ。
「ライラさん自身のことはわからないから、これくらいになってしまうけど。私に話せることで、少しはお役に立てた?」
「はい、ありがとうございます」
「それで……その、ライラさんも気楽に接して?」
いくら望まれてとはいえ自分だけでは気まずい、そういった思いもあるが、初めは仲良くなりたいと思って招待したのだから。このままというのは少し悲しいと感じていた。
「……うん」
「ありがとう。それにしても、最初は地上に天族がいるっていうから会ってみたかっただけなのに。嬉しくてつい、誰と一緒に来るのかを聞いていなかったから。あっ、三人っていうのはなんとなく覚えていたの、だからクッキーは……出せないけどいっぱいあった」
オーブンの結末を思い出したのか苦笑いして、次こそはと呟いていた。練習して上手くなるから、今日だけでなくこれからもまた会いに来てほしい、と。
ライラは喜んでうなずいた。この街の話も聞きたいし、竜が街で暮らすのに必要なことはロアのほうが詳しいだろうと、頼りに思っている。
目を合わせて笑いあった後、穏やかな雰囲気で過ごした。
それから、地上にいる天族は珍しいけれど、竜族は交流があること、天空島に住んでいることを教えてくれた。
どうしても今その種族が気になるというわけではなかったが、空に浮かぶ島というのは見てみたいと期待に胸を膨らませる。
天空島にあるという不思議な植物や水の話で盛り上がり、いつか行こうと気軽に考えていた。