サチだった頃のライラ。ゆっくり過ごす一日
施設の子供たちは皆、どこかが不自由だった。
左手が動かない、右足がたりない、心臓が弱い。
普通の幼稚園や学校に通って、普通の生活をすることが困難な子供たち。
親が勝手に押し込めていくソコには、医師も教師もいた。
少し『入院』するだけだから、早く良くなるといいわね、そう言って預けていく親たちは、家で子供を育てられる環境を用意できなかった。
月に一度でも見舞いに来る親は、同じ境遇の他の親と出会い、互いに愚痴をこぼす時間のほうが長いくらいだったけれど。
見舞いに来るだけ、情は残っていたのだろう。
半年に一度の子もいた。
サチの両親は、一度も会いに来なかった。
必要な手続きがあれば来ていたけれど、サチには会わなかった。
「今の白い髪、見た? 不気味よねぇ」
「あの子に比べたら、うちの子はまだ……」
「うちも……。歩けないだけで可哀想なのにねぇ」
不気味だと言った口で、可哀想だと勝手に哀れむ。
それが、世間のサチを見る目だった。
車椅子を押してもらって、病室にしか見えない『自分だけの部屋』から顔を出しただけで、廊下に人がいれば歪んだ表情をサチに向ける。
哀れみ、嫌悪、蔑み、そして、恐怖。
施設に来る者すら避けるのだから、外は想像するまでもない。
口に出す言葉は違っても、一番奥に見え隠れするのは、得体の知れないものに対する『恐怖』が多かった。
部屋に戻して励ましてくれる職員の女性も、自然な笑顔ではなく、目を合わせようとしない。
一人になる部屋は、少し冷たかった。
「わたしは、こわいの?」
ただいるだけで、怖がらせてしまう。
申し訳なくて、謝りたくて、でも近寄れば逃げられる。
「……ごめん、なさい」
自分のせいで嫌な思いをさせてしまって。
怖がらせてしまって。
「ごめん、なさい」
白く清潔に保たれていたベッドを涙で汚して。
「ごめん……な……さいっ」
かたん、と小さな音がして、一人の男性が部屋に入ってくる。
「泣いてるの?」
「せんせ……ごめんなさい」
心配をかけた。
悲しそうな顔をさせてしまった。
「……怖かったね」
「こわかった、の、わたしじゃない」
悪意ある言葉に恐怖したわけじゃない。
サチが怖がらせて、悪意ある言葉を吐かせてしまったから申し訳なくて。
悲しかった。
「わたしの、かみのけ、こわい?」
「怖くない。サチの髪の毛はきれいだよ」
「きれい?」
「そう、きれい」
「せんせ、しろすきなの?」
「サチの髪なら何色でもきれいだよ。どんな色になったって怖くない」
温かくて大きな手が、優しく頭を撫でた。
「みんな、さわっちゃ、だめって。きもちわるいって。さわると、なかまはずれ? って……せんせが、みんな……」
「もし仲間はずれにされても、気にしないかな。サチも先生を仲間はずれにするの?」
「し、しないっ」
「一緒にいてくれる?」
「うんっ」
「……仲間じゃなくって、家族になってもいいかな?」
「かぞく?」
「先生がサチのお父さんになってもいい?」
サチの両親が、もう二度と連れ戻す気がないことは、この時はまだ聞かせられなかった。
片親で引き取るのは難しかったけれど、「わざわざ不自由な子供たちを預かっている善人」という世間の評価が、家族になることを可能にしたと、あとで知った。
「せんせが、おとーさま?」
「さま?」
「えほんの、おひめさまが、いってた」
初めて読んでくれた絵本のお姫様は、お父様と呼んでいた。
初めて、きらきらした髪がお姫様みたいだって、笑ってくれたのは先生だ。
嫌わずに、怖がらずに、嘘じゃなく言ってくれた。
先生は、お父さんとお母さんとは違う人。
「おとーさま」
「……サチは先生のお姫様だからね」
三日後に、見知らぬ女性が部屋へ来て、サチにいくつか質問をして帰った。
誰かから話しかけられること自体が珍しくて驚いているうちに、部屋を出ていってしまったけれど。これが最終確認だったのだと思う。
「ライラ、起きて」
「おとーさまと……いっしょがいい……」
ライラは夜中のうちに、完全に気配を消してヨシュカのベッドに潜りこんでいた。
しっかりくっついていて、離れる気も、起きる気もない。
「起きないと、朝ごはん食べられないよ?」
「おはよーの、ちゅーして」
「顔上げてくれないとできないから。ほら、起きよう?」
ヨシュカは、寝惚けているライラの頭を撫でて、腕が緩んだ隙にベッドを出る。
「幼い頃に戻ったみたいな……」
困るけれど嬉しいような、複雑な心境だった。
「ライラさんが無防備なのって、ヨシュカさんのせいですか?」
「反省しておく……って、起きてたならもっと早く声かけて……」
「今声をかけにきたところです。見ていたわけじゃありません」
「うん、ごめん……責めたいわけじゃなくて、恥ずかしくなっただけ……」
朝からちょっと疲れた顔で、ヨシュカが朝食の用意をする。
サウラはカイやレン、リュナに声をかけて、起こしていく。
「おいちゃんもうちょっとー」
「リュナさんにかじられても知りませんよ」
本当にかじられたら止めに入るくらいはするけれど。
リュナは朝食の匂いにつられ、目をこすりながらまっすぐテーブルへ向かった。
「ライラさん、二度寝しないでください」
「んー」
ゆっくり起き上がり、ベッドに座ったままコテンと首を傾げる。
「ちゅーは?」
寝惚けているだけでなく、悲しそうな表情でサウラを見た。
眠そうに目をこすっているのだろうけれど、涙を拭っているようにも見えるから厄介だ。
「ヨシュカさん交代です」
適切な返答が思いつかなかったので、サウラはヨシュカに任せて距離をとった。
「……何か怖い夢でも見た?」
「ううん……」
首を振って両手を伸ばしてくるライラを、ヨシュカは横抱きにして運ぶ。
額と頬に軽く口付けて、ライラからも頬に返すと、やっと満足したらしく表情が緩んだ。
「果実水は炭酸のほうがいい?」
「うん、レモンのやつ……」
ライラをテーブルの横で下ろして、席に座らせる。
「先に用意はしたけど、すぐに食べなくても大丈夫だから」
「ありがとう」
用意といっても軽食を並べるだけなので、すぐに食べられる状態だが、起きたばかりで焦る必要はない。
果実水を飲んで体を伸ばし、頭と体を起こしていく。
「お父様」
「ん?」
「ありがとう」
「うん」
もう子供じゃないから心配しないでと言いたいけれど、まだ子供扱いして甘えさせてほしいと思う時もある。欲張りでわがままだなと思いつつ、何を言っても心配してくれて、怒るけれど甘やかしてくれるところに、感謝していた。
エクレールへ向かうのは明日に決めて、午前中は海で泳いだ。
ついはしゃいでしまうけれど、昨日ほど疲れないように気を付けたつもりだった。
街に渡ってから昼食を食べて、午後は買い物をする。
果実水や、気になった酒を多めに買って収納していく。移動中に食べるつもりで、屋台のサンドイッチや串焼きも多めに買っておいた。
サンドイッチは、薄い生地に野菜や肉が包まれた、ケバブサンドのような品が目立つ。
「あっちの屋台のもおいしそう」
香草の混ぜ具合が店によって違ったり、野菜の組み合わせや、ソースもそれぞれなので面白い。
「味が濃いから、アイスチャイは甘くないの頼んだほうがいいかな……」
甘さに関して何も言わずにいると、通常で出てくる品はかなり甘いのだ。
「あっお土産どうしよう」
すでに買い溜めた分から配っても問題なさそうだが、渡す相手が気に入りそうなものを見かけたら買っておきたい。
「ライラ、ちょっと休憩しよう。暑さでレンがバテてる」
「ごめんなさい」
「オレこそ、ごめんな。泳いでる時は、平気だったんだけど」
レンが申し訳なさそうに耳を下げる横で、サウラがそっと冷やしていた。
「毛先が凍ったらすみません」
「え」
「気を付けますけど」
街の中で常に冷やし続けるわけにもいかないため、休めそうな店を探す。
休憩する間に土産のことも考えておき、余裕を持って、むしろ多いかなと思うくらいまで買い物を楽しんだ。